49話 そういうのが醍醐味なんだろ
夏の放課後、快晴。
「さて、んじゃ行くか。」
「行きましょう・・・。」
と、足並みを揃えて教室を出た二人を、また別の二人が見た。二年D組の教室である。
「・・・井口。」
「どうしたの、佐藤。」
佐藤は極大きな歩幅で歩いてきて、井口に低い声を掛けた。一旦覚えて欲しいんだが、ここで言う低い声というのに他意はない。強張った頑丈な長身と仏頂面を下げているとはいえ、心機一転して交友関係に手を付けようと思った脳筋の佐藤が、今回に向けて表情筋の鍛錬をしていなかっただけのことである。
「塩川と姉崎。二人して身構えていたが、どこに行ったと思う?」
「え、っと。佐藤って、そういうの気にするタイプだったっけ。」
しかし井口は怪訝そうに佐藤を見上げた。佐藤の表情はほとんど変わらない。
「・・・、すまん。今まで全く気にしたことがなかったから、思い切って聞いてみただけだ。忘れてくれ。」
「変なの」
「すまん」
佐藤は一瞬、井口に嫌がられたと錯覚した。だから次に続く言葉に対しては、少し眉を和らげて答えるのである。
「萌音ちゃん曰く、野菜を食べに行ったらしいよ」
「・・・野菜を?」
「うん」
井口と佐藤は二人とも寡黙な印象だが、二人の発声はなんとなくペースが合った。会派はぎこちなくならなかった。そして佐藤は少ない経験から、会話というものは冗談を添えるのが礼儀だと踏んでいた。
「・・・野菜か。野菜を食べるのは、良いことだな。・・・俺のおすすめお野菜はブロッコリーだ。」
実際のところ、冗談は礼儀とは違う。ここで井口に伝わったのは、佐藤が不器用ながらにして会話の妙を掴もうとしていることだった。
「ふっ、佐藤。怖い顔して何言ってんの・・・『お』つけんなし・・・ふふ、おかし・・・っ!私てっきり、佐藤に恐喝されるのかと思ったのに。・・・私もブロッコリー好きだよ、変なの。」
「・・・俺の顔、怖いか?井口を怖がらせるつもりはなかったんだが。」
「・・・ぶきっちょ。私が言えたことじゃないけど、来週提出の課題出来てないでしょ」
井口は控えめに笑って見せた。佐藤は表情を変えないが、二回瞬きした。
「最初のアボガドロ定数の時点でさっぱりだ、アボカドの栄養群しか浮かんでこない。」
「ビタミンE、出てくるよね。」
「おお、分かるか。」
「あはは、分かっちゃったかも。・・・じゃあ、さ。もしよかったらなんだけど、・・・一緒にやる?」
「・・・!ああ、頼む。しかし、・・・ふむ」
佐藤は井口の目つき、それに前髪で隠れていない左眉に目をやって、考え込む。井口は自分にしては珍しい誘いを講じた手前、その沈黙にはどうにもばつが悪かった。
「・・・なにさ。」
「話しかけておいてなんだが、井口は親切なものだと思ってな。俺には愛嬌がないから、嫌がられても仕方ないとは思案したが」
「っ、素面で妙な事言うなっつの。そういうのは仮に思っても言わなくていいやつだから。」
佐藤が本心から言っていることをほぼほぼ確信していたので、井口は照れながら返した。能力を評価した表彰状にメダル、社交辞令と礼儀を込めた賛辞を多く受けてきた彼女が、一女子としての振る舞いを素直に褒められることに慣れているはずがなかった。
「そうなのか。」
「そうなのっ。・・・ほら、いいならさっさと図書室行くよ?」
「・・・ああ。」
その日の放課後、図書室では拙いが最後まで完成された課題用紙二枚と、達成感と共に燃え尽きる二人の体育優良児の姿が発見されたらしい。
───そして一方で、俺たちは野菜を食っていた。
「だから、そういった具合にですね?井口さんは器用に笑顔を作ったりしないだけで、実は人当たりのいい人なんですよ。クールで滅多に笑わないんですけど、たまの笑顔がすっごく素敵なんです!」
「へぇ、そら佐藤とも通ずるとこがあるかもな。あいつアレで結構面白い奴・・・お前相変わらずトマト好きな」
萌音の前に置かれた平皿の隅で、緑のヘタが山を作っている。傍らの深皿には、瑞々しいプチトマトらもまた山積みになっていた。
「はっ、言われてみれば。・・・む、色々食べた方がいいとは思ってるんですけどね。好きに取っていいと思ったら、つい好きなものばかり机に集めてしまいます。」
「そういうのが醍醐味なんだろ。俺はビュッフェ形式ってな中学の修学旅行ぶりだけど、こいつぁやっぱ面白いや。美味いもん腹いっぱい食えて特別感が違う。」
「ベビーリーフが好きなんですか?」
「全部美味そうだったからてきとうに取ったんだが、これベビーリーフだったのね。まぁ好きだぞ、美味しい味がする。」
サラダバーってんだそうだ。純白の皿をフレッシュお野菜で彩ってから、乗ってるモノ全部平らげる行事。俺はとりあえずてきとうな野菜に同じドレッシングをかけてテーブルに戻り、味を対照実験する工程を三度やってみていた。その間萌音は小さなトマトを一つずつ食べては喜び、楽しい話と素敵な話とを掘り出して話した。
「もう、塩川は何を食べさせても『美味しい』しか言わないんですから。」
「そら、うん。食卓が良いんだから仕方がない。」
「食卓、変わったガストロノミーですね?」
「そうかな」
さっきからメラミン加工を撫でてるが、食卓の主役は木製机じゃあないぜ萌音。さらに言うと、俺からすりゃ飯でもない。萌音が愚痴だけ言って不味そうに食ってたなら、せっかくのお野菜さんも「苦い」くらいの感想になってきただろう。だが要するに、萌音との飯は無条件に美味いわけだ。『大避難』の時も、配給のパンは萌音と分けた方が満足できた。まあ「お前といれば何でも美味い」ってな、口説き文句みたいだから言わないが。
「でもま、ご馳走の作り甲斐がある奴にはなりたいからな。味蕾を刺激してくれそうなもの探してくる。」
「もー塩川。サラダバーに濃硫酸は置いてませんよ?」
「俺の舌なんだと思ってんのかな」
きつめのジョークを飛ばす白髪を横目に、俺は店内中央の空間まで歩いて行った。右から左に並ぶ皿置き場を、右の方から流れていく。萌音が使っていたのと同じ深皿が目に留まって、俺は複数重なったそれに手を伸ばした。
「あ、どうも。」
反対側からも、手が伸びていた。女性は緩めのパーカーを着て、店内でもそのフードを被っていた。
「お先どうぞ」
「どうも。」
俺は取って後ろに下がった。緊張はしないが、不思議な声質だった。一瞬だけ覗いた睫毛はまあ長かった。
(・・・お忍びアイドルとか)
巡らせたが、別段この興味を続行させるつもりは無い。俺はすぐに深皿を構え、壁際のブースから物珍しそうなものをよそって席に戻った。
「・・・結構食ったな。」
「いっぱい食べました」
帰り道、駅まで歩く足は軽かった。なんとなく昨日までの疲れが癒えたというか、臨時体制の腰がようやく気の椅子に落ち込んだ感じだ。
「あれ良かったな、あの黄色の。」
「ヤングコーンですね、結構珍しかったでしょ」
「ああ、あれはその、驚天動地の食感だった。味も大器晩成ってなもんで、うん」
「無理に『美味しい』以外の感想ひねり出さなくたっていいです。塩川に喜んでもらえたなら何でも・・・あや、ヤングコーンの味が大器晩成って若干悪い意味にとれちゃいますし。」
「ふむ、言われればそう。しっかしトウモロコシの芯ってなどのタイミングで食えなくなるんだろうな。小さい頃はあんなに美味いのに・・・っと、俺こっちだ。」
「私はこっちですね。それじゃ・・・」
駅前広場、俺とみんなの分かれ道である。家に帰るのに何かの不安もあるはずないと伝えてあるのだが、それでも萌音は東防衛区行に乗る俺に対して、その笑顔を惜しまないのだった。
「ばいばい、塩川っ!」
「ああ、また。」
俺は後頭部を軽く描きながら返事をして、それから防衛区の新居に帰った。




