45話 『チェック』だよ塩川君
二日目。
「はぁっ、はぁっ、そこ、だ!!」
「お、っと危ない。・・・やぁ惜しかったね!!・・・じゃ『二十回目』、頂き。」
僕は最後の攻撃をかわして、塩川君をちょっとひねる。
「うぐぐ、今日は勝てる要素を探るのに一日かけようと思ったんだけどな・・・。あと別に惜しくはなかった。」
その後僕は彼と共に風呂を浴びて、紅茶を飲んだ。
「やっぱりさ、塩川君。」
「なんだよ。」
「紅茶と言えばチェスだって固定観念?僕それに大負けしちゃったんだよ、年かな。というわけで買ってきましたチェス盤。ささ早く始めよう早く。」
・・・
三日目。
「おら貰った!!」
「あげないよっと。・・・やぁ、惜しかった!!『三十回』だ!」
僕は振り上げた腕を押さえて、塩川君をちょちょっとひねる。
「・・・だぁ勝てね!!あと惜しくはねぇ!!」
その後僕はやっぱり風呂桶を持ち、そしてティーカップを持った。
「・・・王手」
「『チェック』だよ塩川君。あと、白いナイトは僕のだ。君は根っからのダークホースだろ?」
・・・
四日目。
「動きが単調になってきたんじゃないかぁい?」
「んじゃそろそろ仕掛けるさまぁそる、とッ!!」
「おっ!!・・・いやー惜しかったよぉ!でも『四十回』!!」
僕は斬新な足技を軽くいなして、塩川君をちょちょちょっとひねる。
「せっかく崩し技覚えてきたのに!惜しくもねぇ!!」
その後僕はまたしても湯気を眺め、そして彼が座る漆塗りの斜め前に座った。
「・・・あれ、これ俺動けないのか?」
「そ、二手詰め。」
「たっはぁ、こいつはやられた。」
・・・
「後半戦だから、気合入れていかないと、なッ!!」
「んじゃ、気を抜かないようにしないと。」
・・・
「今日は緑茶と和菓子にしてみたよ。ふざけ湯飲みも二つ買った。」
「ハシビロコウが紅茶飲んでるデザインの湯飲み。」
「ライラックの『鍛冶屋』に頼んだんだ。」
「フロリス専属の『鍛冶屋』何でもありかよ」
「なんでもあり。」
「冗談だろ・・・。」
・・・
七日目、塩川君は回避の択を迫ってから、逆手に持ち替えたナイフで奇襲を仕掛けてきた。いやはや、大分トリッキーになってきたじゃないか。でも僕とて矜持がぶら下がって、まだどうにも負けづらい。僕を追い詰め始めていた彼の手前、僕も容赦なく彼を追い詰めていった。まだ僕の方が有利に見えるけど、これはいい勝負かもしれない。
・・・
八日目、戦場を目指すにあたって気がかりはないのかと尋ねると、塩川君は幼馴染の話を聞かせてくれた。生真面目で清廉な白髪の女の子で、なにかと縁があるそうだ。『天災』からフロリスフロンティア確立までの『大避難』の間、彼はずっと彼女を護る方法を考えていたらしい。それでも塩川君は、大事な人を眼に映したまま、戦って死ぬつもりみたいだ。
・・・
九日目、もう塩川君は見違えるほど強くなっている。もちろん対人戦の技術だけってわけじゃない。彼は僕との殺し合いを通して、自分が思ったよりすぐに死んでしまうことと、自分より幾分か強い相手に抵抗する方法を学習してきたんだ。しかし、彼の戦士としての命はあと九つと一つ。どうあっても明日が決着だ。本当に短い九日間だったと、今の僕はそう思う。食事のように楽しくて、この日々が消えるのが惜しい。彼は僕を殺して死ににいくだろうか。彼は僕に殺されて生きにいくだろうか。明日が楽しみで、恐怖すら覚えるよ。
(まなんにせよ、僕は君の前に立とう。変わらず前に立つのが、教官の姿だ。)
僕は、なんの違和感も覚えなかった。いつの間にか、理想の教師が理想になってしまっていた。ふと気づくと、自分の中にある『執行判決のJastica』の面影が、だんだんと薄くなってきていた。
・・・
翌日。僕は夜明け前に起きて、久しぶりにコーヒーを淹れた。その日はフロリスフロンティア構築半周年記念日で、フロリスは遠征と各エリア掃討を一日だけ休息する決まりになっていた。従って司令長官の手続きもないので、今日の僕は早朝の仕事机に向かう予定がなかった。
重い扉を開けて外に出ると、朝靄が身体を冷やす。僕はかじかむ手で後頭部を掻いて、執務室に戻った。ちょうどいい防寒具に、二つ思い辺りがあった。
コートを羽織ってナイフを隠すと、空気の冷たさに拍車がかかる。神経が不必要にひりついて、鈍かった手指の末端すら周囲を窺うようになった。コートは黒かった。
帽子を被って鍔を下ろせば、頭の回りは二倍にも三倍にも速くなる。視界の上半分が遮られて、正面から下が余計明瞭になった。帽子は黒かった。
警備員のいない門前に立つと、少年は夜明けと共に訪れた。いつもと違う僕の格好を見るや否や、彼は顎を引いて挨拶の手を挙げた。
シャツの白、コートの黒。林中で向かい合って、僕は合図を送る。僕と少年の最後の戦いは、静かに始まった。
「ッ・・・」
塩川少年の初撃を躱して、相互犬歯を押しながら笑う。『別人』、僕はそう思った。それは昨日までの彼が出していた速さを遥かに凌駕した動きだった。少年は今日この日に向けて、水面下で刃を研ぎ澄ませていたのだ。自分の最大の持ち味である瞬発力を、僕に慣れさせてしまわないために。帽子の鍔の先に捉えていなかったなら、僕は彼の針を見切れなかったと思う。
『九十一回目』、手首を返して彼を斬る。『九十四回目』、持ち上げた肘で三段蹴りを受け切って彼を斬り、『九十七回目』。大胆に踏み込んだ足をすんでのところで狩って彼を斬りつけた。『九十八回目』の彼の命は、全力を出した僕の前で九分間持ち堪えてみせた。
「・・・。」
九十九回目の戦いが始まった。突っ込んできた右手を弾いて飛ばすが、彼は流れに乗って体勢を立て直す。僕はそこで防戦をやめて、深く握っていたナイフを軽く持ち直した。人差し指の先は、散弾銃の引き金を撫でるようにファスナーボルトを支えた。
「っ!!」
「・・・!!」
一秒で三回突きを繰り出すうち、彼は二回を避けて、残り一回は柄尻で受ける。反撃に転じるのが異様に早いから、駆け引きをする隙は飛びのいたコンマ数秒で探った。触れれば試合終了の刃を交えているのに、互いの命の糸は数十秒おきにしか姿を現さなかった。傍から見れば示し合わせたようにしか見えない回避と刺突が、その場の勢いであまりに長く続いた。彼は連撃手前に大きく吸って、その呼吸を完全に止めてみせた。あまりに切迫するから、僕も同様に息を止めた。
───雀の鳴き声と、草むらから飛び出した野良猫。僕らは寸分たがわず、そこを起点にして仕掛けた。
「「───ッ!!」」
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数分後、二人とも、地面に転がっていた。息を激しく荒げて、絞りきった肺を心肺蘇生の時くらい上下させた。
外れたワイシャツのボタンが、褐色森林土の上に落ちていた。
空を舞った黒帽は、樫の木の枝に引っかかっていた。
すぐ横に見える少年のつま先にテントウムシが登って、飛び立った。僕は朝の湿った土の感触を、コート越しによく確かめた。見上げると、空は見れば見るほど明るくなっていく。
「・・・はは、っははは・・・!!」
「・・・っはははははははは!!」
そして僕らは二人して、嘘みたいに笑ったんだ。結局どれだけ大きく口を開けても、その清々しさを表せなかったけどね。
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「・・・まったく、君にはやられたよ。」
「へへ、九十九死に『一勝』を得るってな。」
「ちゃんと推薦状は持ったかい?」
「この通り。東防衛区司令長官の署名もバッチリだ。」
「なはは、ほんとうだ。・・・・・・頑張れよ、塩川君。」
「ああ、任しとけよブラン教官。・・・そういや、この名前の横にある『Jastica』ってのはどういう意味なんだ?」
「あぁこれ?これはねー・・・。うーん・・・内緒☆」




