34話 あのまま走り切れたのか
諸々全部終えて帰路に着くと、晴れ空の直下に雨が降っている。
「お、天気雨。」
傘もないからそのまま歩くが、光る水に打たれる分にはむしろ清々しい。中央区は大気統制の大型エンジンが回ってるから、俺の好きな天気雨が頻繁に訪れるのだった。一方防衛区は空自体がセピア色だから、仮に雲が出てなくても汚い雨しか降らないのである。青い空ってなこちらでのみ仰ぎ見ることのできる貴重な絶景だった。
「・・・佐藤。」
校門前には佐藤が立っていた。俺を見るなり口を開いて、しかしすぐにつぐむ。それでも俺が横を通り過ぎると、俺の名を口にして呼び止めるのだった。
「駅まで歩くか?」
「ああ。」
俺と佐藤はそれぞれ相手の肩から遠い方の肩に体操着入れを引っ掛けて、透明な日差しの中を歩き始めた。
「・・・塩川は、運動が好きなのか?」
「・・・そうだな、感覚的には好きだ。ただ運動した日は大抵ひどく疲れるから、進んでやりたいとは思わない。」
「そうか。」
お互いに前向いたまま話して、見てたのは下り坂の奥にある雲だった。流石に意外だった。ストイックに一位を追い求めていた佐藤の覇道に水を差したんだから、俺は今日か明日にでも胸倉を掴みかかられると踏んでいたし、顔面なら気が済むまで殴らせる覚悟を決めていた。だがその実、佐藤の穏やかな声色は街路樹に馴染んでいた。
「・・・持久走。塩川は、あのまま走り切れたのか?」
「んや、正直怪しいとこだったよ。全力を出すように言われたもんだから、限界ピッタリで走り切れるかぶっ倒れるかの狭間ぐらいだ。」
「俺には、勝ったと思うか。」
「・・・。」
「いや、いい。悪かった。答えにくい質問は答えなくていい。・・・俺は話すのがあんまり得意じゃない。」
何か、迷ってる様子だ。佐藤は心中の整理をつけるために、俺に言葉を投げているように見える。
「構うなよ、納得いかないんだろ。・・・むしろ俺は、お前が俺に激怒する流れだと思ってたぜ?俺は佐藤がずっと真剣にやってる横で、てきとうに手を抜きながら科目をこなしてたんだ。」
「・・・そうか。」
「そーそ。」
そう伝えても、佐藤は物思いにふけった表情のまま眉間を動かさない。ようやく動かしたかと思えば、怒るよりは悲しむような吊り上げ方をする。
「なら、なぜ手を抜いた?他の連中は、お前を少なからず馬鹿にするだろう。あの持久走も、体力が切れそうだから退場したと思っている奴がほとんどだ。」
「・・・うーむ、立つ瀬が無いな。実家の意向ってのもあるにはあるんだが、それ以前に俺は半端者なんだ。堂々と期待を背負う覚悟がなかったから縮こまって、結局持久走も途中で棄権した。かき乱すような真似して悪かった、悪かったと思ってるよ。」
「いや、いい。体育にしか興味のない俺が、誰かの力の発揮どころにとやかく言う筋合いはない。そこを責める気は少しもないんだ。ただ・・・」
「ただ?」
そこで、ガタイのいいワイシャツをすくませてから、佐藤は言った。
「・・・塩川が加速した瞬間、全身が震え上がった。・・・何だか分からないが、計り知れない恐怖を感じたんだ。それでペースも大きく崩れたし、ラップタイムも計れないまま走った。」
佐藤は瞳孔をひらっきぱなしにして、動揺する自分を律するように呼吸しながら続けた。
「そして自分のタイムを見て、また怯えが止まらなかった。半月に一秒縮めるよう切り詰めてきた自己ベストより、俺の記録は十五秒も早くなっていた。」
「へぇ、そいつは・・・。」
佐藤の姿勢が伸びて、俺よりも背たけが高くなる。俺たちがまともに目を向かい合わせたのは、この時が初めてだった。
「教えてくれ・・・あれはなんだ。本能的には触れちゃならない気がしているが、知らないままでいたくはないんだ。」
木が揺れる。
「・・・まぁ、思い当たる節はないでもないけど。」
これは、佐藤が知らない概念に対する問いで、俺が隠してる秘密に対する問いだった。
(・・・いいのか?こいつを伝えることで、佐藤の寿命は八割がた消し飛ぶかもしれないぞ。それどころか生きてる間も苦しみ続けて、最悪な死に際を迎えさせることになるかもしれない。)
「頼む。」
短いが、はっきり意志のこもった一言だった。だから俺は、すぐに口を滑らせてしまった。
「───俺は、フロリスだ。」




