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下級兵塩川の日常  作者: 塩ソルト塩
3章 『歌壇高校』の二年Ⅾ組『居眠り担当』No.18:塩川亮
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33話 かなーり割り切ってる

萌音がいない。ちと前まで一生懸命走ってたはずの彼女の姿が見えない。辺りを見回すが、否が応でも見つかるはずのあの白髪は、トラック内外の何処にもなびいていなかった。


(萌音の奴、どこに消えやがった・・・!?)


あいつはドジだがドのつくほどに真面目な奴だ。多少の疲労や怪我で途中棄権はしないだろうし、学級委員の呼び出しにフロリス点呼のような強制力は生じないと聞いている。他の生徒を保健室に連れて行った、それもないみたいだ。長年鍛えた敵影感知スキルは、萌音だけが消えていると訴えている。


(怪我とか体調管理には人一倍気を遣ってるはずなんだが・・・)


「っ、まさかっ!!」


目の前には走りかけのトラック外周、後ろには獅子のごとく俺を追う佐藤。だが俺の脳裏に一抹の不安がよぎったその瞬間には、それらすべてを差し置いて駆け出していた。


(勝負を投げ出すような真似してすまない・・・だが今は!!)


「ッ、なんのつもりだ!!待て、塩川ッッ!!・・・くそ!!」


「な、塩川がコース外れたぞ!!?」


「え、なに、どゆこと!!?」


九十度進行方向を変えた俺に、どんな視線が寄せられたかは知らない。俺は一直線に白線を横切り、二人の先生の目の前で止まった。


「し、塩川!!?今の今まで先頭だったのに、どしたの!!?」


「先生方、萌音、姉崎のこと見てないか!?」


「姉崎さんなら、先ほど爪が割れたと言って保健室に・・・」


「それって左手の小指じゃなかったか!?」


「え、ええ。それがどうかしたんですか?」


「やっぱあいつっ、・・・ッ先生、実は俺もなんだ!もう激烈に痛くて失神しそうだから、今すぐ保健室行ってくる!!」


嫌な予感がする。唐突に眼球を朝もやが覆ったような不安感が俺を襲った。


「ちょ、そんな急がなくても!!・・・行っちゃった。」


「・・・あれ、時速五十キロは出てますよ。彼と佐藤君のために、校内に速度制限の看板を設けた方が良さそうですかね・・・。」



もし『アレ』で退場したんなら、萌音の行先は保健室じゃない。彼女が向かうであろう、すぐ近くで人目につかない場所。大いに心当たりがあった。静けさの猛毒が身体に回っちまう前に、俺は誰もいない中庭を駆け抜けた。


「見つけた・・・!!」


やはり、萌音は部室棟裏の木陰にいた。


「・・・うぅっ、くぅぅっ・・・!!」」


普段楽観的に生きているツケなのか、俺が悪い方向に巡らせた予感は大体当たる。草むらに横たわって苦しみ悶える萌音は、ウィンドブレーカーのロゴを握りしめて痛みを堪えていた。


「萌音、しっかりしろ!!」


「しお・・・かわ、なんで・・・っ!?」


「お前、こういう時の薬もってたろ!取って来るから場所だけ教えてくれ!」


「っ・・・」


「あ、内ポケット・・・?ファスナーが噛んで取り出せなかったって?・・・おま、アホか!!」


目に涙を浮かべる萌音、しかし可哀想でもアホである。俺は深く噛んだプラスチックのスライダーから彼女の焦り様を見て取ってやや苦しめに笑い、上着の下から手を入れて内ポケットを探った。


「あった、これか!?」


彼女は腕で目を伏せながらもこくこくと頷き、そこから俺はどの銃の再充填より速く蓋を開けた。添付文書を掴んだ手を彼女の肩に回し、ゆっくりと持ち上げながらも鷹より速く目を通した。


「ほら、萌音の大好きないちご味だ。気管に入れないよう気をつけろよ。」


小さな容器に入った液体を、萌音は三回に分けて飲み込んだ。むせ返らなかった様子にほっとして、俺は胸を撫で下ろした。



「ちょっとは楽になったか?」


「・・・。」


「はぁ、上手に飲めて良かったよ。・・・あとで飴ちゃんあげようかね。」


「・・・!!」


良かった、即効性のある薬だったみたいだ。いちご味で元気が出たか、萌音は先ほどより表情の和らいだ睨み目を向けた。


「冗談だよ・・・欲しいならあげるけど。とにかく今は安静にしとけ、後で保健室まで送ってくから。」


「・・・。」


萌音はゆっくりと瞳を閉じた。口元から垂れていた薄ピンク色の液については、あえて指摘しないでおいた。彼女が安静にしてる間は、果汁の少しも入っていない香料と柔軟剤の匂いが草花に溶けていった。




『姉崎萌音は、今年の冬に死ぬ。』




それは原因不明の不治の病によって、彼女が生まれた瞬間から決められていることだった。


彼女の寿命について俺が初めて耳にしたのは、俺がフロリスになりたてのゲウムだった時期・・・や今もゲウムなんだけれども、とにかく二つ前の冬のことだ。当時の俺は激しく感情を揺らしたが、雪解けのころにはそうも言ってられなくなって、生存本能が死生観を路頭に迷わせていた。彼女の命だけを特別惜しく思う感情は、俺のスペース以外もぬけの殻になったドミトリーの静けさにかき消された。



『寿命におびえて自暴自棄になるのは怖いです。あなたも一緒でしょ?』



怖くないのかと尋ねたときの、彼女の返しがこうだった。俺は自分がフロリスであることを彼女に打ち明けてはいなかったのに、そこで脳天を撃ち抜かれてしまった。萌音自身は自らの死期を受け入れて、今を絞って生きることを選択していた。だから俺が首を突っ込んで掻き回すことはすまいと、その時期には前向きの覚悟が決まった。そういえば俺がフロリスになったのは、人類の延命が目的ではなかったはずだった。




「「失礼しました」」


「はーい、お大事にー!」


保健室まで、萌音は自分の足で歩いていった。その間俺からやけに距離を置いていたのが、長いこと彼女のパーソナルスペースを侵食していた俺に嫌気が差したという理由でないことを、切に願う。二人して同じ怪我ってのは少し驚かれたが、ちゃんと小指には手厚い治療をして貰うことができた。


「時間差で怪しまれないでしょうか・・・。」


「いや、その辺は大丈夫だ。萌音のドジ加減なら万が一聞かれても『迷ってた』で済ませられる。」


「な、私そんなに抜けてませんし!!」


「・・・確かに、咄嗟にフェイク出血を繰り出すあたりは隙が無ぇな。かなーり割り切ってる」


「そ、それについては忘れてください!すっごく不本意だったんですから!!」


「・・・ま、仮病はほどほどにってことかな。」


「っ塩川がそれを言うんですか!!?昨日だって『病原菌の行列を食い止めるため』って休んで、なんですかその理由!!」


「っはは、知らね。」


「知らねじゃありません!!・・・もう。」


これは、他愛ない会話。これからその症状が出る頻度が上がるんじゃないのか、とか、本当はもっと生きたいんじゃないのか、とか、そういうのを胸の内に抑えた上に覆いかぶせた、日常の会話だ。萌音が自分から言い出さない限り、俺は触れないようにしているのだ。


「なんにせよ、また普段の萌音に戻って良かったよ。」


心配がつっかえて言葉が出る度喉が痛むようなことも、萌音が殺し切れなかった悲痛な泣き声が頭ん中駆け巡って離れないような感覚も、本当はなくなったわけじゃない。ただ幸か不幸か、慣れてきた。だから感傷に浸るよりは、こういうもんだと割り切るようになった。


(長い目で見りゃ、萌音も俺もどうせ死んじまうからな・・・。)



ドライでも良く潤った萌音との付き合いを、俺は今日も探し続けていた。

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