32話 ギアチェンジしちゃいましたよ
「みんな、腕ちゃんと振るんだぞー?」
「ペースを維持できているかというのも、今後の体育での評価基準になってきます。くれぐれも、持久走は堅実に戦う意識を。」
(((イカリ先生が真面目に指導してる・・・。)))
「んじゃイカリ先生、合図。」
「担任づかいの荒いことで・・・。on your marks。」
生徒一同一斉に、構える。イカリ先生は空砲を大空に掲げ、撃った。
(本気、本気ねぇ。・・・もうどうなっても知らねぇぞ、萌音。)
───集団を真っ先に飛び出した二人、一人はトップを狙って研鑽を重ねてきた佐藤、もう一人はただ考え無しに飛び出した無鉄砲の弾丸、ちなみに俺だった。
「おいおい、見ろよあの二人。両方速いけど、姿勢が大違いだ。」
「佐藤のフォームはテレビで見るやつだけど、塩川の走り方。ありゃどうみてもやけくそだな。」
あいつらが見てんのはかたや速すぎるステイヤー、かたや場違いのスプリンターだ。教室じゃ就寝雇用されてる俺が、短距離走と相違ない低姿勢で絶対王者の走りに茶々を入れてるのである。後ろの男子が湧き立つのも無理はなかった。
「百メートル走で負けたの、悔しかったのかな?」
「ふふ、塩川君って結構可愛いとこあるんだ。」
イカリ先生にペース管理の重要さを諭されたばかりだったし、やってることは悪目立ち目的の悪童となんら変わりない。女子からちょっとした笑いものにされたとしてもまた、無理はないのだ。
「イカリ先生、居眠り担当の塩川が先頭走ってますよ・・・!!」
「ええ、僕も彼がやる気を出したこと自体は大いに喜びたいです。・・・ただ、二人は走法においての違いが大きすぎる。佐藤君の走りはマラソン同様、呼吸器を安定させながら継続して走ることにたけた動きです。・・・一方で、彼のランニングフォームはあまりにも重心が低すぎる。あのまま短距離専門の走りを続けたなら、彼の快進撃はもってあと三十秒。そこからの大減速は、・・・あまり見たくないですね。」
「あちゃー、やっぱそうかぁ・・・。塩川、今からでもペース整えてくれー・・・!」
元『花壇高校の閃光』、異次元の走りで活躍していたはずのイカリ先生だって認めはしないだろう。今の俺の走りは広い視野で思い巡らせて編み出した戦術とは程遠い。見通しの悪い馬鹿が企てる愚策を、策と呼ぶわけにはいかないはずだ。
「それ見ろ、カーブに入ったら即減速しちまった。」
「佐藤君に食い下がろうって気概はいいけどさ、後でバカ男子に冷やかされるって分かっててよくやるよね・・・。」
(っ、何やってるんですか・・・!!)
(・・・所詮その程度か。・・・向こう二つ目のカーブで抜かす、そこまで耐えれば粘った方だ。)
後方を伺う。すぐ近くじゃ佐藤が軽蔑の目を、遠方では萌音が心配の眼差しを向けていた。俺の幼稚加減が存分にアピールされちまって、こんなことするんじゃなかったかな。
「二人とも二周しました!」
「・・・もうすぐ、ですかね。」
抜かれまいとした佐藤は長距離を想定したフォームのくせ、尋常じゃないスピードで迫ってくる。黙する鬼面の殺意が、次の半円に伏せられているのを感じる。前方に見える生徒の俺を憐れむ視線が気になって、斬る風の音が気持ち良くもない。一応まだトップランナーなんだが、気分は周回遅れの落ちこぼれだった。
(・・・というか高橋、ニヤニヤしてないで前見て走れ前!)
「カーブに入りますよ!」
(塩川・・・残念だが、ここまでだ。)
「・・・ふんッッ!!」
「佐藤グングン伸びる!!パねえッ!!」
ウサギとカメ、アリとキリギリスの交代が目前だ。兎の下り坂、キリギリスで言えば虫の息ってか?冗談じゃないぜ。
「距離が縮まってる!もう佐藤君が追い抜かしちゃうよ!!」
「塩川も頑張ってたけど、ここまでか・・・!!」
カーブの終わりと同時に、後ろから豪鬼の影が迫っている。俺はカーブの終わりに吐かれるであう息を吸って、少々名残惜しく含んだまま吟味した後に、吐いて捨てた。
「カーブ終わり、塩川、抜かれるっ───!!」
(・・・塩川っ・・・!!)
(萌音・・・すまない・・・。)
───俺、戦場じゃ『本気』が平常運転だ。
「っ!!」
「なッ───!!?」
「ええい、みさらせッ!根性ってよか、空元気ッ!!」
「ななな、なにぃぃぃぃいいいっ!?」
直線に入ってすぐさま踏み込んで一気に加速、歩幅を倍にする。お調子者高橋の無駄にいい反応を完全に無視して、俺は集団の大外を駆け抜けた。もちろん脱兎のごとく抜け出して、まだ速度を上げ続ける。
「きついけど、止まるほどじゃねえんだなこいつが!!」
「あ、あいつの足どうなってんの!?」
「イカリ先生、塩川君ギアチェンジしちゃいましたよ!」
「・・・彼、サイボーグだったりするんでしょうか・・・。」
フォームと呼吸を安定させろ?無茶言うな。土煙舞う地形ガタガタの戦場で、堅実な走りなんか出来てたまるかってんだ。実を言えばマジになった兎が亀より遅いことはないし、『蟻』より高く跳べなきゃキリギリスは生きちゃいない。
(本気ってな命懸けてる時以外きっちり仕舞っときたい派なんだけど。・・・ま、萌音のツラ汚すよりマシか。)
「塩川のペース、落ちねぇ!!まさかアイツ、あのままゴールまで行っちまう気じゃあ───!?」
「──ッ!!」
「うおおっ、佐藤も加速した!!」
(どういうことだ塩川・・・、なんなんだ、そのデタラメなスピードはっ・・・!!)
「グッ、おおぉおおおおおおっ!!」
「これでも喰らい付いて来んのかよ佐藤!けど、抜かさせやしねぇよ・・・!」
俺は全力出し切って、萌音の見せた『本気』ってやつに応えなきゃならねぇらしいからな。だから佐藤がいくら追ってこようが、怖気づいて足を緩めるような真似はできない。萌音も佐藤も生徒諸君も先生方も、全員まとめて見返してやる!
(塩川・・・やっと笑ってくれた。やっぱり塩川は笑ってた方が───うぅっ!・・・なんで、このタイミングでっ・・・・・・とにかく、早く離れないと!!)
「・・・姉崎さん、どうしました?」
「はぁっ、はぁっ、すみません、先生、爪が・・・!」
「あぁっ、凄い血!!乾燥で割れちゃったんだね・・・分かった、保健室できちんと水分取ってね!」
「はい、失礼します・・・!」
そんな会話もつゆ知らず、俺は意気揚々と速度を上げて、地面の白線ばかり見ながら走っていた。
「このまま押し切っ、・・・!?」
萌音がいなくなっていることに気付いたのは、カーブを二つ曲がり切った後のことだった。




