29話 毎日伸ばせば嫌でも伸びる
(・・・夢、じゃないよな・・・)
翌日、事件は起こった。場所はフロリス中央区歌壇高等学校、一日通して続く身体能力テストの初っ端からである。
(はぁ、マジでどうしたもんかな、こいつは・・・。)
柔道場で唐突に響いた、鉄ネジの弾ける音。俺が右の手で握りしめていたのは、背と腹が見事にくっついている握力計だった。
皆はまだ気づいていない。が、しかし確実に、握力計は俺の手の内で破損していた。 Eと読みにくいRの二文字だけを画面に残し、金属の留め具が完全に折れ曲がっている。
周囲を伺う。他の生徒は他者と記録を比べ合って一喜一憂、うちのクラスの気だるげな教師は暇そうな顔で仮設した椅子に座っている。柔道場内数か所に設置された机の上には、別の握力計測器がいくつか置いてあるようだ。俺はそっと人の少ない四隅に歩いて行って、おもむろにもう一つの握力計を掴んでみた。今度はデジタル表示に目を凝らしながら、ゆっくり卵の殻を握りしめるように力を入れていく。
(十、二十、四十、七十ちょっと待て待て待てもう随分とおかしい。)
俺が半分も力を入れていない段階で、計測器は妙な数値を示してしまった。一度電源を切って元に戻し、次の計測器で仕切りなおす。
───ガキンッ
(ふぅ・・・。・・・ガキンッて言ったけども。)
壊れた。新品同然の光沢を出していた調節ネジが、目の前で完全にイカれてしまった。俺は計測器を机に置き、自分の手のひらとそのエラー画面とを何度も見比べた。
「──塩川」
「はいこちら塩川ッ!!」
咄嗟のことで背筋が竹みたく伸びてしまった。ガタガタとおぼつかない所作で振り向いた先には、体育優良児の佐藤がいた。俺と出席番号が近く、今回のテストでペアになったスポーツの鬼だ。寡黙で自分に厳しく人にも厳しいかと思いきや興味が無いストイックタイプ、てきとうなスポーツ競技を四つ挙げたとして、その全ての大会で超好成績を修めているようなウルトラモンスターである。
「・・・どうした?急に大きな声を出して。・・・塩川の計測結果を聞いてなかったから確認しに来たんだが。・・・もしかして不正か?」
「いやっ、不正ではないぞ!?ただちょっと計測器が壊れてたから手間取ってただけだぞ!?」
「・・・そうか。なら見ているから測ってくれ。」
「お、おう・・・。」
佐藤はその場で腕を組み、俺の前に仁王立ちして見せた。俺は手に妙な汗を滲ませて、今さっき妙な数字を見せた破損していない方の計測器を手に持った。
「僕今回も三十キロ超えられなかったよ。竹林は何キロだった?」
「俺五十キロ!両手合わせりゃ百キロ超えだぜ!!」
テンションの高い男子共のキロキロした談笑が、室内で飛び交っている。なで肩の広瀬がニ十キロ後半、サッカー好き竹林は五十キロを超えてご満悦だ。この分だと平均は四十キロ前後と言ったところか。健康な男子高校生の健全な平均値である。俺は落ち着いて息を吐き、さっきまでの感覚を呼び覚ました。
「ふっ・・・!!はぁ、俺はこのくらいかな。軽く鍛えてるから、六十くらい行くと思ったんだけど。」
(やべ五十六キロ、顔作ったせいでちょっと力みすぎたか・・・?)
だが測りなおすのも後が怖い。俺は仕方なく画面を佐藤に向ける。
「・・・記録終わったぞ。」
コメントは特になかった。おそらく佐藤は何を言えばわからなかったのだ。怪我してたのに強いねとか、普段寝てるのに高いねとか、そういう条件付きの称賛はこいつのポリシーに合っていないのだろう。
「佐藤、お前は握力いくつだったんだ?」
「・・・百四キロ。」
「百四キロ。えげつないな。鉄でも食ってんのか。」
「鉄は一日50mg取ってる。」
「へ、へぇ。・・・目標とかあんの」
「かつてこの学校にあった伝説を塗り替える。それが俺の目標だ。俺は今日、全科目で学年一位を取らなくちゃならない。」
「なるほどな。・・・応援するぞ。」
「・・・ああ。助かるよ。」
健全な男子高校生のダブルスコアを平気で上回る化け物っぷり、今年のクラス平均は全科目こいつのせいで底上げされてしまうわけだ。左右合わせたクラス男子平均は四十八キロ、俺は五十六キロ、佐藤は百四キロだった。
「次は上体起こしです。隣のトレーニングルームに移動するように。」
第二科目、三十秒上体起こし。
(・・・佐藤の足押さえてるだけでも、大分腹筋鍛えられるぞこれ・・・。)
「ふっふっふっふっふっふっ・・・!!前回より、やりやすかったな。・・・記録は。」
クラス平均32回、俺が40回で、佐藤は怒涛の75回。暖房が無ければ佐藤を置けばいいと、その場の人間はみな悟った。
「次は剣道場で立ち幅跳びね。先生見てるだけでギックリきそうですよ。」
第三科目、立ち幅跳び。俺はこの科目ごとにツアー感覚で教室を移るのが地味に気に入っているが、佐藤は終始隙のない仏頂面を保っていた。
「・・・ふんッッ!!」
「佐藤、3m95!!」
「・・・くそっ。」
「ん、そういうもん・・・?」
平均2m30、俺は3m25で、佐藤はいかれポンチ。
「次、長座体前屈。」
「85って・・・骨なくなっちゃったのか。」
「毎日伸ばせば嫌でも伸びる。お前もそれなりにやってるみたいだが、それを二倍にするとさらに伸びる。」
平均55、俺が70センチ伸ばしても、佐藤はさらに上を行った。どうやらこの脳筋、ガチで伝説を残そうとしているらしいのだ。




