声をかけなくて良いんですか?
エリオットが燕太として日本という異世界に来てから半年ほど経過した。
学校生活もクラスメイトと順調とまでは言えないが、浩輝以外にも少しずつ話が出来る者は増えた。
母親との関係は依然変化はないが、母親が発狂しても小遣いは受け取らなかった。
テーブルに小遣いが積み上げられているが、気に留めないようにしていた。
バイトもそつなくこなし、仕事仲間からも信頼を得ていた。
玲奈とは必要最低限のLINEしかしておらず、玲奈の自宅で料理をした日から全く会っていなかった。
彼女から「会おう」と言うことはなく、燕太も会おうとはしなかった。
今は、その時ではないと感じていたからだ。
ある日、バイトのメンバーで食事会をすることになった。
発端は沢北だ。
「チュン太は断ってたけどさ、歓迎会やりましょうよ。どこかの日曜の昼に」
「そうだよね、俺たちの時もやってたんだし。堤君は頑張ってるから是非やりたいよ」
秋村も同意見だと頷く。
「廣渡さんは?いいでしょ?」
沢北が顔を覗き込む。
「……本人が望むなら、やってもいいんじゃないのか?」
予想通りの反応だ。燕太はそう思った。
「そんな、いいですよ。ワタシは十分皆さんに良くしてもらっていますから。これ以上はワタシも申し訳なくて心が痛いです」
燕太は困ったように笑ってみせた。
「チュン太、ダメだよー!これは通過儀礼と思って諦めてよ」
「沢北さん、でも堤君は困ってるみたいだから、無理強いは良くないかも」
ゴメンね、と秋村が両手を合わせた。
「実際は、どうなんだ?」
静かに口を開いた廣渡が燕太に投げかけた。
「嫌なら嫌と言ってもいいんだぞ?そんなに気を使わなくていい」
「いや、堤君はまだ入ってそんなに経ってないから、廣渡さんに面と向かって言いにくいですよー」
笑いながら秋村がフォローを入れる。
「こいつは言えるだろ。そういう奴だと思っていたが」
無言で燕太は廣渡を見つめた。
素っ気ない態度のくせに分かったような口を利く。
どこか、妙にざわついた。
「では正直に。先ほど話した事は本心ですよ。ただ皆さんに歓迎していただくことは本当に嬉しい。やはり、その気持ちを自分でも尊重させていただくことにします」
「ってことは、つまり歓迎会しちゃってOKって事?」
「ああ、よろしく頼むよ渚」
沢北がとんでもない歓声を上げ、跳ね回っている。
なかなかの身体能力だが、ちょっと引いてしまうほどだ、と燕太は横目で見ていた。
仕事以外の場で会食か。
バイトメンバーの人となりは理解しているつもりだが、こういった場でその人物の本性が見えることもある。
無論、自分はボロを出すことはしない。
参加していてマイナスになることはないだろう。
そう燕太は判断し「皆さんも、よろしくお願いします」と笑顔を振りまいた。
「食事会とは、こういうものなのか……」
当日、燕太は若干の戸惑いをつい言葉にしてしまった。
「チュン太、ここのファミレス知らなかったー?この後バイトに入る人もいるし、バイト先から近い場所ならここが良いんだよね」
「俺の時は集まれる人だけ集まって居酒屋で歓迎会だったけど、未成年いるからここが妥当だと思うよ」
言われていることは至極当然だと燕太は理解している。
ただ、自分がいた世界の会食というと、庶民の目線からいえば、ずっと遥かに豪勢だ。
沢北からは「服装?いやいや、そんなのいつも通りでいいじゃん!バイトの食事会なのに面白いこと言うねー」と事前に言われていたので、ややきちんとした身なり程度で臨んできたが、ここは玲奈とよく行っていたような食事をする場所ではないか。
これが庶民でいうところの会食……!
燕太の頭はやや混乱をし始めていた。
「……何だ?不服なのか?」
抑揚のない声で廣渡が問う。
「いえ、ワタシは今回初めてのバイトなので、歓迎会とはこういった場でするものなのかと関心を寄せていたところです」
パッと顔を上げて笑顔を取り繕う。
ザワッと燕太の中で何かが早くも掠めていた。
食事会は何でもないような話をしていた。
バイトのレジ打ちが面倒な商品があるとか、客にお礼を言われて嬉しかっただとか、特に有益になるような情報はない。
適当に相槌を打ちながら燕太は静かに緑茶を飲んでいた。
「お前はどうなんだ?もう仕事は慣れただろ?」
それを止めさせるように廣渡が投げかけた。
「ええ。皆さんのご指導のおかげで慣れました」
「堤君って本当に丁寧で良い子だよねー。俺が高校生の時はこんなしっかりしてなかったよ」
「秋村さん、それってさりげなく私を貶してるでしょー!」
「いやいや、沢北さんも天真爛漫で何かこう、はっきりしてて良いよ」
「『しっかり』じゃないじゃん!チュン太ひどいと思わない?」
自分に振るなよ、と心で毒づきながら「知らないのか?はっきりの方が誉め言葉によく使われるんだ」と雑に答えた。
案の定、沢北ははしゃいでいる。
まさに天真爛漫だ、と思いながら燕太はその姿を見ていた。
「話が逸れたな。それで堤はどうなんだ?」
「え?ワタシの話は終わったのでは」
「他に何か思ったり悩んだりしている事はないのか?」
何を言っているんだ。この男は。
そんな弱みを握らせるような事をすると思っているのか。
一瞬、怪訝そうに廣渡を見ようとした表情を引き締め、微笑みながら答えた。
「今のところはありません。お気遣いありがとうございます」
「……そうか。無理はするなよ」
「そうだよー。タメなんだし何か悩んでたら私にも話してよね」
「しっかりしてる分、頑張り過ぎて疲れちゃったらいけないしね。いつでも相談してね」
妙な気分だ。
燕太、いやエリオットとして生きてきた中で、このような声をかけられる事がなかった。
執事やメイドは身を案じて声をかけてくれていたが、その苦悩を自分に分けてほしいという者はいなかった。
それもそうだ、身分が違うからそのような声をかけるのは無礼にあたる。
今は身分の違いはない。
彼らが損得関係なしに心配してくれている気持ちは少し理解できる。
だが、今後も関係が続く間柄で自分の困難を相手に話すのはリスクが多すぎる。
特に未だ得体の知れない存在である廣渡相手だと。
「でも廣渡さんには最初のうちは相談しにくいよねー。私なんて初見の廣渡さんは社会性をやや身に着けたゴリラに思ってたし」
「沢北……いい度胸だな」
「いや、だって体格良いし口数少ないし、廣渡さんの事をちゃんと知らなかったら怖いってもんですよ。あ、でも気にしないでくださいね。今はめちゃくちゃ好きですから。人として?ゴリラとして?」
その光景を見ていた秋村は青ざめながら「ま、まあまあ」と懸命に場を宥めている。
無敵なのか無謀なのか。
燕太にとって沢北は感心するほどにどちらにも見えた。
廣渡が下を向いて少し苦笑していたからだ。
「じゃあ、今日はこの辺で。私と秋村さんはこのままバイト行きますから」
「ああ、頑張れよ」
「今日はありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
解散後、残ったのは燕太と廣渡だけになった。
「確か電車でバイト先に来てたよな?今日も電車か?」
「はい」
「俺も今日は電車なんだ」
駅の方に向かって廣渡は歩き出す。
……駅まで一緒という事か。
燕太は小さく溜息をつき、後に続いた。
無言。
無言が続く。
周囲の話し声や会話の内容が耳に入るほどに無言。
仕方ない。ここは何か会話をしなければ。
「廣渡さんは長く勤めていらっしゃると聞きましたが、やりがいは何ですか?」
「何だか面接みたいな質問だな」
まだ庶民による目上の庶民に対する会話がうまく出来てないようだな。
ここは反省点か、と思いつつ燕太は続けた。
「ワタシはまだまだ経験が浅いので、参考にさせていただければ、と」
「やりがいは人それぞれだと思うが、俺の場合は見守る事だ」
顎に手を当て、内容を整理している様子で廣渡は話した。
「誰だってそうだが、俺も初めはミスをよくしていた。強く叱る人もいれば優しく慰めてくれる人もいた。どちらも大事でその人たちがいてくれたから仕事を続けられたんだが、何も言わず見守る人もいた。それが当時のリーダーだったんだ」
つまりだな、と廣渡は続ける。
「自分がリーダーになって分かったんだが、あの人は全体の動きを見て、誰がどんな人か理解して、その人のためにフォローが必要な時は的確に関わっていたんだ。自分もそうなりたいと思って最初は見様見真似でやってみた。徐々に自分なりのやり方を見つけて、皆のことを見守っているつもりだ。それが今まで一緒に働いていた先輩たちの恩返しと考えて続けている」
相変わらず表情は変わらないが、廣渡が目的地に向かってまっすぐ見ている姿を見て、おそらく本心なのだろうと燕太は感じた。
でも、違う。何かが違うはずだ。
こんな事でざわつきは取れない。
「……そうですか。廣渡さんは寡黙な方だと思っていたのは必要な時に口を出す、そういう事だったからですね。ワタシの心にずかずかと入ってこられるような発言が多いものですから、何か意図があったのかと」
「俺は元々人と雑談するのが得意な方ではないからな。それもあると思う。最近は少し丸くなったようだが、お前は自分の意思をはっきり言うタイプだろ。バイト初日の事を覚えているか?あんな物言いする奴はそう見たことなかったからな。だからこちらもお前の意思を汲んではっきり伝えた方が良いのかと思っていた」
「ワタシが貴方に見透かされるような態度を取っていたと?」
「……俺といる時だけ妙に口調がきつくなるな。何か怒らせるような事をしただろうか」
これも見透かしているというのか。
いや、自分が感情をコントロール出来ていなくなっているのか。
一旦、冷静になれ。
深呼吸し、燕太は頭を冷やす事に努めた。
「すまない。俺は鈍いところも多いから。沢北みたいに裏表なく言ってくれる奴がいると、傷ついて反省する事もあるが、好意で言ってくれる気持ちがありがたいと思う事もあるんだ。だからお前も言ってほしい。さっきみたいな作り笑顔なんてしなくて良い」
血の気が引く思いだった。
一度冷静になり客観的に話を聞いたからより理解した。
廣渡に対する態度は自己防衛だ。
自分という人間を知られる事に強い不快感を持っている。
どこか恐怖さえ感じる。
二人は駅に到着した。
廣渡と燕太は別の進行方向の電車に乗るため、改札を通ったところで一度立ち止まった。
「……何だか久しぶりにこんなに人と会話をしたかもしれん。また明日からよろしくな」
無表情だった廣渡の口元が少し綻んでいた。
「今日はお話が聞けて良かったです。今後もよろしくお願いします」
そう言って一礼し、顔を上げた燕太はニッコリと笑ってみせた。




