第二章 紅の瞳《ルビーアイ》(3)
昼休みが終われば、午後の授業が始まる。
午後から行われるのは検挙科の特殊授業。通常の座学とは違い、現場を想定した実習が中心になる——が、昨日の疲れと、体育で体力を消耗したからか、全くやる気が起きない。
なのでフケることにした。
俺は鞄を肩に掛け、教室とは反対方向へ歩く。
教師に見つかれば面倒だが、この時間なら大半は授業の準備に入っている。堂々としていれば、案外誰も気に留めないものだ。
「どこへ行くつもり?」
気に留める奴がいた。
背後から聞こえた声に足を止め、振り返る。
「帰宅」
「これから特殊授業じゃなかったかしら?」
「転校初日なのによく知ってるな」
「時間割くらい確認するわよ。貴方、授業をサボるつもり?」
「人聞きが悪い。自主的な早退だ」
「それを世間ではサボりって言うのよ」
正論だからといって従う義理もない。俺は再び昇降口へ向かおうとしたが、琴乃葉もついてくる。
「教師にでも言いつけるつもりか?」
「別に。貴方が授業をサボろうと、私には関係ないもの」
「なら、なんでついてくる?」
「ちょうどいいと思って」
こういう前置きの後に、俺にとって都合のいい話が続いた記憶はほとんどない。
「街を案内してくれない?」
「断る」
即答すると、琴乃葉の眉が僅かに動いた。
「少しくらい考えたらどうなの?」
「考えるまでもない。面倒だ」
「はっきり言うのね」
「そういうのは輝夜か千歳に頼んでくれ」
「三嘉月さんは指名依頼で忙しいし、雪名は昨日買ったゲームをするとかで、もう帰っちゃったわ」
昼食の時には初対面の琴乃葉を前に俺の背中へ隠れていたのに、随分と打ち解けている。既に『雪名』と呼んでいる辺り、俺が知らないところで何かしら話したのだろう。
それにしても千歳の奴、昼休みに「ゲームが六時間しかできなかったです」と嘆いていたと思えば、午後の授業まで捨てて取り返しにいったのか。
俺が言えた義理ではないが、もっと真面目に生きた方がいい。
「じゃあ他の検挙科のメンツでも——」
「依頼の報酬は——貴方にこうして近づいている理由を教えるってことでどうかしら?」
「——」
足が止まった。
琴乃葉は俺の反応を確かめるように、紅い瞳を細める。
「対価として、足りないかしら?」
——やはり、理由があったのか。
転校初日から隣の席に座り、体育では俺を試すように勝負を持ちかけ、昼食まで一緒に食べた。偶然にしては接触が多いとは思っていたが、本人の口から認められれば意味合いも変わってくる。
他の検挙科の連中とも普通に話していた以上、人見知りでもなければ、俺しか頼れる相手がいないわけでもない。
それでも琴乃葉は俺に近づいている。
思い当たる節はない。だが、理由さえ分かれば琴乃葉が俺に何を求めているのかも分かる。場合によっては、今後関わらずに済む方法も探せる。
街案内一回で聞き出せるなら、悪い取引ではない。
「分かった。だが案内できるのは俺の生活圏内だけだぞ?」
「構わないわ。一度職員室に寄ってから向かうから、校門で合流しましょ」
「了解だ」
こうして、琴乃葉と稲宮市を巡ることになった。
二十分ほど読書で時間を潰してから校門へ向かい、壁に背を預けて続きを開く。しばらくすると、視界の端に見覚えのある紅髪が入った。
本から顔を上げ——その格好に思わず眉を寄せる。
「なんて格好してんだ」
警衛高校の制服の上から、黒いロングコートを羽織っていた。
既に六月中旬。昼間の気温は二十八度近くまで上がっている。制服だけでも十分暑いのに、その上から膝近くまであるコートを着込んでいるのだから、見ているこちらまで暑くなってくる。
「能力の影響で温度を感じないのよ。特に熱さはね」
「隠さないんだな、能力のこと」
「一般人ならともかく、警衛の人だったら気づいちゃうでしょ? この髪と瞳で。バレてることを隠しても無駄じゃない」
「——そうだな」
琴乃葉は長い紅髪を指先に絡め、くるくると遊ばせながら、あっけらかんと答えた。
能力者が珍しくない時代でも、誰もが好意的に受け入れるわけではない。露骨な迫害や差別こそ減ったが、恐怖や羨望、嫉妬から距離を置く人間は今もいる。
だから力を隠す者もいるが、琴乃葉は隠す意味がないと割り切っているようだ。
「さてと、ここで話していても仕方ないし、早速案内をお願いしようかしら」
「行きたい場所の候補とかあるのか?」
「完全に貴方に丸投げすると、面白味のない探索になるのは目に見えているものね」
「よくお分かりで」
なんとも失礼なことを言ってくれるが、事実なので否定できない。
完全にこちらへ丸投げしてくれるなら、本屋を巡りながら適当に街を紹介して終わらせるつもりだった。琴乃葉の言う通り、観光として面白いかと聞かれれば保証はできない。
琴乃葉は顎へ手を添える。
「基本的に貴方に任せるわ。ただし三つ条件を付けさせて」
「聞こうか」
琴乃葉が指を一本立てた。
「一つ、移動方法は徒歩のみ。二つ、同系統の施設や名所は一か所のみ。三つ、最後は稲宮公園で終えること」
「了解だ」
どんな無理難題が飛んでくるかと多少身構えていたが、思いのほか普通の条件だった。
徒歩で回れる範囲なら、行き先は限られる。
俺は頭の中に稲宮市の地図を広げ、最初に向かう場所を決めた。
※
愛知警衛高校がある稲宮市は、愛知県の中でも岐阜との県境に近い場所に位置している。
名古屋から電車で三十分ほど。高層ビルが立ち並ぶ都会でも、田畑ばかりの田舎でもない。織物産業や物流関係の拠点も多く、住む分には特に不便を感じない街だ。
とはいえ、転校生の街案内で工場見学をするわけにもいかない。
最初に向かったのは、昨日も千歳と訪れた稲宮商店街だった。
「商店街って聞いてたから、アメヤ横丁みたいな人の多さを想像してたわ」
「東京でも有数の商店街と比べるな。一応、名古屋の方に行けば大須商店街っていう大規模な商店街があるぞ。人が多い所には行きたくないから、俺は行ったことないけどな」
「私も人が多いところは苦手だから、気持ちは分かるわ」
琴乃葉も人混みは苦手なのか。
その点、稲宮商店街はちょうどいい。人通りはそれなりにあるものの、肩がぶつかるほど混雑することは滅多にない。昔から続いている個人商店が並ぶ一方で、離れた大型商業施設に客を取られているのか、シャッターを下ろしたままの店もちらほら見える。
「それで、ここが稲宮市の観光名所なの?」
「違う。単に俺の生活圏を案内してるだけだ」
「思ってた以上に面白味のない探索になりそうね」
「だから言っただろ」
失礼な奴だ。
店の歴史や名物を語れるほど詳しいわけでもない。俺にとっては、必要なものを買いに来る場所だった。
案内を引き受けた以上、無言で歩くわけにもいかない。目についた店を指しながら、あそこが薬局、向こうが文具店、その先に惣菜屋——と、知っている範囲で説明していく。
我ながら観光案内としては酷い。
だが琴乃葉は文句を言いながらも、店先や行き交う人々を眺めていた。
「あら」
「どうした?」
琴乃葉の視線を追う。
前を歩く年配の女性の買い物袋から、一つの林檎が転がり落ちた。ころころと路面を転がって端で止まったが、本人は気づかないまま歩いていく。
「悪い、ちょっと待っててくれ」
「ええ」
林檎を拾い、女性の後を追う。
「落としましたよ」
「あら。ありがとうねぇ」
「お気になさらず」
林檎を返して軽く頭を下げ、琴乃葉のところまで戻る。
すると、妙なものを見るような目を向けられていた。
「なんだ?」
「優しいのね。少し意外に思っただけよ」
「ただ拾っただけだ。特別なことをしたわけじゃない」
「そう思えるのは立派なことだわ」
何故だか背中がむず痒い。
褒められるようなことはしていない。落とし物に気づいたから拾って返した。それだけの話だ。
俺は琴乃葉から目を逸らし、次の目的地へ歩き出した。
商店街を抜けて数分。
次に向かったのは、俺の行きつけの店だ。
「予想はしていたけど、本当に来るとは思っていなかったわ」
「別にいいだろ。本は人生の栄養素だぞ」
目の前にあるのは本屋。
遠峰雑貨店で珍しい本を探してもらうことはあるが、普段はこちらで買っている。ちなみに隣には千歳がよく通っているゲーム屋があり、以前何度か鉢合わせたこともある。
琴乃葉の呆れ顔を無視して店内へ入り、そのまま新書コーナーへ向かう。
新刊を確認し、気になった本を何冊か手に取っては棚へ戻す。
しばらくそうしていると、横から声が飛んできた。
「そんなに本が好きなの?」
「ああ」
「理由は?」
手にしていた本を棚へ戻す。
「人を知るために」
「人? 人なら、そこら中にいくらでもいるじゃない」
「分かってないな。本には登場人物だけじゃなく、作者の人生まで詰め込まれてる。どういう人間が、何を考えてそれを書いたのか。物語の中の人間が何を考えて、何を選び、何を成すのか——それを想像するのも面白い」
小説なら、実際には存在しない人間の人生を追える。
随筆なら、書いた人間の考え方を直接覗ける。
歴史書や専門書にしたって、その情報を集め、残そうとした人間がいる。
直接会って話すだけが、人を知る方法ではない。
むしろ本だからこそ見えるものもある。
「変わってるわね。でも、その考え方はいいと思うわ」
「お褒めにあずかり光栄だ」
琴乃葉は俺が戻した本の背表紙へ目を向ける。
「それで、今日はこれを買うの?」
「まだ決めてない。気になったものがあれば買う」
「本を選ぶ基準まで曖昧なのね」
「読んでみないと分からないからな」
あらすじや世間の評価だけで、面白いかつまらないかを決める気はない。
評判の悪い本が自分には面白いこともあれば、その逆もある。結局、自分で最後まで読んでみなければ、その本がどんな作品なのかは分からない。
棚をもう一度眺め、その中から気になった一冊を抜き取る。
今日はこれでいい。
会計を済ませて店を出ると、琴乃葉が俺の手にある紙袋へ視線を向けた。
「次はどこへ行くの?」
「腹が減ったからな。休憩できるところにする」
「案内というより、貴方の都合ね」
「俺の生活圏を見たいと言ったのは琴乃葉だろ」
「そうだったわね」
琴乃葉は小さく笑い、それ以上は何も言わなかった。
買ったばかりの本を鞄へしまい、次の場所へ向けて歩き出した。
※
商店街を抜け、本屋の先にある喫茶店へ向かった。
昨日は強盗騒ぎがあったばかりだ。さすがに今日は休業かと心配したが、店先まで来てみれば、いつも通り営業中の札が掛かっていた。
切り替えが早いというか、逞しいというか。
扉を開けると、カラン、と聞き慣れたベルの音が鳴る。
「いらっしゃい。光希くん」
「お邪魔するよ、マスター」
「お邪魔します」
マスターに一声かけ、いつものように窓際のテーブルへ向かう。琴乃葉は店内を軽く見回してから、俺の向かいへ腰を下ろした。
メニュー表を渡し、俺も何を食べるか考えていると、再び入口のベルが鳴った。
「光希さん、いらっしゃいませ! あ、お連れの方もいらしたんですねっ」
学校帰りの詩織が、入口から入ってくるなり俺たちに気づいて駆け寄ってきた。
「街を案内してるんだ。こいつは琴乃葉エイル。同じ学校の転校生だ」
「初めまして! 崎野詩織です」
「琴乃葉エイルよ。よろしくね」
詩織は元気よく頭を下げると、今度は俺へ向き直った。
「昨日は助けてもらったのに、今日も来てもらっちゃって」
「別に、来たくて来てるから気にするな」
「光希さんならそう言うと思いました」
詩織が小さく笑う。
そのやり取りを見ていた琴乃葉が、俺と詩織を交互に見比べた。
「昨日、何かあったの?」
「なんでもない」
昨日の件は既に犯人も引き渡して終わっている。琴乃葉に詳しく話す必要もない。
そう判断して流そうとしたのだが、事情を知らない詩織には伝わらなかった。
「お店に強盗が入ったんです。それを光希さんに助けていただいて。食器が少し割れたくらいで、今日はもう普通に営業できています。犯人も逮捕されましたし」
「あなた達が無事でよかった」
「ありがとうございます」
琴乃葉はそれ以上、事件について聞かなかった。
詩織の前で詳しい話を掘り返すつもりはないみたいだ。その辺りは意外と気が利く。
「詩織、注文を頼む」
「あっ、すみません。お決まりですか?」
「アイス珈琲と焼きそばを頼む」
「私は珈琲と——オムライスにするわ。珈琲は食後にお願い」
「かしこまりました。少々お待ちください!」
詩織は注文を復唱すると、厨房にいるマスターの元へ戻っていった。
その背中が十分に離れたところで、琴乃葉がこちらへ向き直る。
「さてと。昨日の話を聞かせてもらいましょうか?」
「昨日の天気は晴れだったな」
「貴方にお天気お姉さんの役は求めてないわ。強盗を貴方が逮捕したって話よ」
面倒なところだけは見逃してくれない。
「別に大したことじゃない。サキノに来たら強盗がいたから逮捕した。人数も一人だけだったしな」
「この時代に一人で強盗をするってことは、ある程度の力を持ってるはず。そうなると能力者の可能性が高い気がするけど? それか頭の悪い犯人って場合もあるわね」
たった一言で、かなり正確なところまで絞ってきた。推理というより、似たような犯罪者を相手にしてきた経験則なのだろう。
金星は伊達ではないようだ。
だからといって、馬鹿正直に昨日のことを教える気もないが。
「残念だが後者だ。覆面もせず、サンダルで強盗する犯人だったからな」
「——それはさすがに酷いわね」
「だからこそ、赤星の俺でも無力化できたってわけだ」
「そういうことにしておきましょうか」
「そうしてくれ」
琴乃葉は頬杖をつき、俺の顔をじっと見つめる——信じてなさそうだ。
「貴方は、自分の話になると途端に口が重くなるのね」
「聞かれなかったからな」
「聞けば答えるの?」
「内容による」
琴乃葉はそこで追及をやめた。
納得はせずとも、これ以上聞いても俺が答えないと判断したのだろう。
俺としても助かる。
「お待たせしました!」
ちょうどいいところで詩織が料理を運んできた。
俺の前には焼きそば、琴乃葉の前にはオムライス。琴乃葉は早速スプーンを手に取り、一口食べる。
「おいしいわ」
「それはよかったな」
俺も焼きそばを箸でほぐす。
街中を歩き回った後で、腹はそれなりに減っている。昼にうどんを食べたばかりな気もするが、運動した日の食欲なんてこんなものだろう。
「貴方は焼きそばが好きなの?」
「嫌いじゃない。手早く食べられるしな」
「それ、食事の感想としてどうなの?」
「腹が減ってる時は大事な基準だ」
「本を選ぶ時は、あんなに慎重だったのに」
「焼きそばは何度も食ってる。本はまだ読んでない」
「適当に返事してるでしょ」
「腹が減ってるからな」
「ふふ、光希さんらしいです」
近くのテーブルを片づけていた詩織が、小さく笑った。
琴乃葉はそんな詩織と俺を一度だけ見比べたものの、何も言わず残りのオムライスを食べ進めた。
※
食後の珈琲を飲み終えてサキノを出ると、空は既に夕陽に染まり始めていた。
琴乃葉から出された条件は三つ。徒歩で移動すること。同系統の施設や名所は一か所だけ。そして最後は稲宮公園で終えること。
商店街から本屋、サキノと歩き回り、残るのは最後の一つだけだ。
稲宮公園へ着く頃には陽もかなり傾き、昼間の暑さも多少は和らいでいた。住宅地に囲まれた公園は決して広くないが、その中央には、周囲の景色から浮いて見えるほど巨大な一本の桜が立っている。
「夏なのに本当に桜が咲いているのね」
琴乃葉は大木の幹に手を添えたまま、頭上を見上げていた。
天照大桜。
太い幹から幾重にも分かれた枝は、公園の空を覆い尽くすほど大きく広がり、その先には季節を無視するように無数の花が咲いている。
傾いた陽の光が花弁の隙間を抜け、淡い桃色を橙色に透かしていた。風が吹けば枝先が揺れ、舞い上がった花びらが夕陽を受けて赤や金に色を変えながら、ゆっくりと地面へ落ちていく。
その景色の中では、琴乃葉の黒いロングコートがやけに目立っていた。風に流れる長い紅髪の間を花びらがすり抜け、紅の瞳には夕陽と桜が映り込んでいる。
初めて見る人間なら、目を奪われるのも無理はない。
「稲宮市で唯一と言っていい観光名所だからな。夏であろうが、冬であろうが季節を問わず咲き狂う桜、天照大桜だ」
「咲き狂う、ね。ずいぶん乱暴な言い方をするのね」
「季節を問わず咲くんだ。大げさでもないだろ」
もっとも、地元の人間からすれば見慣れたものだ。
一年中咲いているせいで春夏秋冬を忘れた桜などと言われ、挙げ句の果てには『バカ桜』だの『ボケ桜』だのと碌でもない呼び方までされている。
実際、これだけ見事に咲いているのに、公園にいるのは俺と琴乃葉くらいだった。
まあ、初めて見て感心している奴にわざわざ教える話でもない。風情が台無しになるので黙っておこう。
「名前の由来は?」
「知らない。——と言いたいところだが、前に文献で読んだことがある。稲宮市ができる以前、豊穣と繁栄を願って付けられたみたいだぞ」
「——本の虫が役に立っているのね」
「読書家と言ってくれ」
「貴方の場合は、読書亡羊でしょ」
「故事成語を額面通りに使うのは良くないぞ」
「食事よりも読書を優先している貴方には、とってもお似合いだと思うわよ」
琴乃葉が小さく笑いながら幹から手を離した。
まったく、失礼な奴だ。
読書に夢中になって飯を食い忘れることくらい、誰にでも一度や二度はあるだろう。
——多分。
夕陽は街並みの向こうへ沈みかけていた。地平に近い空は濃い赤に染まり、その色が桜の花弁を透かしている。反対側の空には夜の暗がりが広がり始め、昼と夜が入れ替わる僅かな時間だけの景色を作り出していた。
街案内としては、ここで終わりだ。
なら、約束の報酬を受け取るとしよう。
「そろそろ、俺に近づいた理由を教えてもらおうか」
琴乃葉はすぐには答えなかった。
風に揺れる桜を見上げたまま、僅かに間を置く。
やがてこちらへ向けられた紅い瞳から、柔らかさが消えた。
「警衛高校入学試験で、異例の金星として合格。それなのに、その後は依頼をほぼ受けず、現在は最底辺の赤星にまで階級を下げている貴方に、興味を持つなという方が無理な話だわ」
「偶然——」
「偶然、真壁先生といい勝負ができたと?」
先回りされた。
「実際に魔人は手を抜いていた」
「だとしても貴方が唯一、真壁先生に一撃を入れたことは間違いないわ」
「——どこまで調べている」
「あら、貴方が新入生代表に選ばれたのに入学式に参加しなかったから、代わりに榊原くんが代表として挨拶したことまで知ってるわよ。他だと、階級を下げるためなのか、階級試験をサボってることとかかしら」
思っていた以上に調べられている。
入学試験の結果だけなら学校内の記録を調べれば分かるのかもしれない。だが、真壁との試験内容や新入生代表の件まで把握しているとなると、単に俺の名前を見かけて興味を持った程度ではなさそうだ。
今日一日やたらと俺に絡んできたのも、その延長か。
「そこまで調べて、今度は何を確かめたい?」
「記録だけでは分からないこともあるわ——貴方の実力を見せてちょうだい」
「何を言って——」
琴乃葉へ向き直ったところで、言葉が止まった。
差し出された掌の上に、赤く輝く火球が浮かんでいた。
夕陽とは違う、芯のある赤い光。
揺らめく炎から伝わる熱に煽られ、近くを舞っていた花びらが軌道を変える。
「冗談きついぞ、琴乃葉」
「冗談でこんなものを出すと思う?」
思わないから困っている。
俺は火球から目を離さず、一歩だけ後ろへ下がった。
「勝負を受ける理由がない。俺は赤星で、お前は金星だ。結果は見えている」
「朝にも言ったわよね。階級なんてのは飾りよ。やってみなければ分からないわ」
「分かってるから言ってるんだが」
琴乃葉の掌から火球が消える気配はない。
本気で俺の実力を確かめるつもりのようだ。
勘弁してほしい。
今日は体育で榊原とバスケをして、街中を歩き回ったばかりだ。何より、金星の能力者と好き好んで戦う理由がない。
俺は琴乃葉を視界に収めたまま、周囲へ意識を向ける。
背後には公園の出口。
距離もそれほどない。
そして琴乃葉の能力が『火』を扱うものであることは、これでほぼ確定した。なら、木々や草花の多い公園で無闇に炎を撃ちまくるとは考えにくい。
——考えにくい。
多分。
なら、俺が取るべき行動は一つしかない。
——逃げる。
踵を返し、全力で公園の出口へ走った。
「ちょっと!」
背後から琴乃葉の声が飛んでくる。
だが、火球が飛んでくる気配はない。
振り返らずに走る。
挑発に乗らず、火も浴びずに済む。
今日の街案内で学んだことの中では、これが一番役に立つ知識かもしれなかった。




