第一章 警衛高校の赤星《レッド》(2)
カランコロン——。
扉を開けると、聞き慣れたカウベルの音が店内に響いた。
いつもなら心地よく聞こえる音も、今ばかりは場違いに感じる。
店内を見渡す。テーブルや椅子の配置は普段と変わらない。床には割れた食器が散らばっているものの、店内そのものが滅茶苦茶に荒らされた様子はない。
マスターにも目立った怪我はなく、詩織の姿がないことから考えて、騒ぎが大きくなる前に店の奥へ避難させたと見るべきだ。
そして、肝心の強盗は一人。
四十代前後の男で、身長は俺より頭一つ以上高い。半袖のシャツから伸びた腕は太く、服の上からでも鍛えていることが分かる。
そのくせ覆面すらしていない——堂々とした強盗である。
計画性がないだけとも言うが。
「マスター、珈琲を一杯。ブラックで」
「光希くん?! どうしてここに!」
「散歩の途中でな。賑やかだったから寄ってみた」
「どうやって入ってきやがったクソガキ! 鍵は掛けてあったはずだ!」
ポケットからピッキングツールを取り出し、男から見えるよう軽く振る。
「生憎、手癖が悪くてな」
「テメェ——警衛か?」
制服を見て、ようやく気づいたようだ。
警衛高校では犯罪者を捕まえるため、普通の高校ではまず教わらないような技術まで叩き込まれる。ピッキングもその一つで、施錠された建物への侵入を想定した基礎訓練として一年生の段階で習う。
もっとも、俺たちの担任——魔人の授業に限って言えば、『習う』なんて生易しい表現でいいのかは疑問であるが。
できなければ、できるまでやらされる。
嫌でも上達する。
「逃げるなら今のうちだぞ。既に警察への通報は済んでいる」
「ハッ。顔を見られてるお前らを生かして帰すと思うか?」
その発言だけで、交渉の余地がほとんどないことを察する。
そもそも顔を隠していない時点で、計画的な犯行とは思えない。ここへ来るまでに防犯カメラにも映っているはずだし、今さら俺たちをどうにかしたところで状況が好転するとも思えない。
頭の悪い強盗だ。
「光希くん、逃げなさい! 私なら大丈夫だから!」
マスターが俺を庇うように前へ出る。
細い腕を広げ、自分より遥かに若い俺を守ろうとしていた。
自分の方が危険なのに。
まったく、この人は。
「悪いな、老人扱いする気は更々ないが、偶には若者に手柄を譲ってくれよ。日頃から世話になってる礼だと思ってくれ」
マスターは何か言いたそうにしていたが、俺に退く気がないと察したのか、小さく息を吐いた。
「危なくなったらすぐ逃げるんだよ」
そう言って、マスターは壁際へと下がった。
まったく、どこまでもお人好しだ。
俺はマスターが離れたことを確認し、強盗へ向き直る。
「さっきから何コソコソ話してやがる! どっちも逃がす気はねぇぞ!」
「安心しろ。こっちとしても逃す気はない。刑法二三六条、強盗罪の現行犯で逮捕する」
「調子に乗ってんじゃねえクソガキィ!」
男の表情が険しくなり、こちらへ大股で歩み寄ってくる。
上出来だ。
相手を怒らせるのが趣味ではない。
挑発を繰り返しているのには、理由がある。
何かの拍子で標的をマスターへ移されては困る。
一回り以上も年下のガキに散々舐めた態度を取られれば、嫌でも意識は俺へ向くだろう。
言ってしまえば、ヘイト管理だ。
あとは警察が来るまで、こいつに俺だけを見てもらえばいい。
拳銃の類いを所持している可能性は低い。
もし持っていて、なおかつ最初から使うつもりなら、わざわざこちらへ歩み寄る必要はない。
なら、警戒すべきは目の前にある二本の腕。
俺は身体から無駄な力を抜き、自然体のまま男を迎えた。
「ふんぬッ!」
「分かりやすいな」
男の右拳が、俺の顔面目掛けて一直線に迫る。
速い。
巨体からは想像しがたい速度だった。
腕の重さを感じさせない見事な速攻。見た目だけの筋肉ダルマではなく、身体の使い方も心得ているようだ。
しかし——単純だ。
右手を伸びてきた腕に添え、相手の勢いを殺さないまま力の向きだけをずらす。
男の拳が俺の眼前を通過した。
狙いを外された男は、踏み込んだ勢いを制御できず、たたらを踏みながら身体を半回転させる。
「いつからここは社交ダンスの練習場になったんだ? ダンスをするなら、せめて相手は女がいいんだがな」
「テメェ——!」
額に深い皺が刻まれた。
お気に召さなかったようだ。
返ってきたのは言葉ではなく拳。
右のストレートから左のフック。
続けて、間髪入れずにもう一発。
右。
左。
また右。
単純な組み立てではあるが、一撃一撃が重い。
まともに受ければ、さすがに俺でも無事では済まないだろう。
もっとも、受ける必要もないのだが。
拳の軌道を見極め、必要最低限の動きだけでやり過ごしていく。
俺が避ければ男が追い、男が踏み込めば俺が離れる。
なかなか息の合ったやり取りである。
確かに社交ダンスと呼ぶのも、あながち間違いではない——笑えないが。
それにしても、やはり素人ではない。
動体視力も悪くないし、技を出す時の癖も少ない。
元々はボクサーだったのかもしれない。
これだけの体格と技術があるなら、強盗なんかしなくてもその道で食っていけそうなものだが。
「クソッ! ちょこまか逃げやがって!」
男が大きく踏み込む。
振り抜いた拳が空を切り、その勢いで踏み出した足が近くの椅子を蹴り倒した。
ガタン、と大きな音が響く。
「店の備品にまで八つ当たりするなよ」
だが、男は倒れた椅子に目もくれない。
荒く息を吐きながら、こちらを睨みつけている。
そして——。
「あー、めんどくせえ。やめだ」
「なんだ? ギブアップか」
男が唐突に動きを止めた。
ようやく実力差を理解してくれたのならありがたい。
しかし、その表情に諦めの色はない。
「お遊びするのが面倒になっただけだ」
「それは残念だ」
あの猛攻を『お遊び』と言い切った。
負け惜しみと片付けるには、男の様子がおかしい。
男は一度瞑目し、深く息を吸った。
たったそれだけの動作。
それでも、嫌な予感が背筋を走る。
戦闘中にわざわざ隙を晒してまで、何をしようとしているのか。
分からないなら、止めるまでだ。
「させるかよ」
攻めへ転じ、一気に男の懐へ潜り込んで掌底を放つ。
「ハッ!」
「——ッ!」
掌に痺れが走った。
人体を打った時の感触ではない。
分厚い鉄板を叩いたような感触だけが右手に残っている。
「まさか今のが攻撃だったりするのか? 警衛さんよ」
男はニヤニヤと笑っている。
その余裕の正体は、剥き出しになった腕を見れば一目瞭然だった。
金属特有の鈍い光沢。
「——金属化か」
「さすがに頭の回転は早いみたいだな。俺は身体を金属にできる。言うなれば金属人間だ」
「冗談キツいな」
「ハハハッ! こんな便利な力をくれた神に感謝しねえとな。まぁ、この能力がもっと早く目覚めてくれてたらさらにラッキーだったが」
思わず盛大なため息が漏れる。
よりにもよって、こんな後先を考えていない強盗が能力者とは。
さすがに想定していなかった。
「遅咲きか」
「なんだ、知ってんのか?」
男の言い振りからして、能力に目覚めたのは最近らしい。
能力の覚醒タイミングには個人差がある。
多くは幼少期から思春期にかけて発現し、その時期を越えるほど可能性は低くなる——が、ゼロになるわけではない。
成人してから突然能力に目覚める者も、ごく少数ながら存在する。
俗に言う『遅咲き』だ。
昨日まで普通に生活していた人間が、ある日突然、常識では説明できない力を手に入れる。
その力をどう使うかは本人次第。
そして、この男が選んだのは強盗か。
「面倒だな」
「警察が来る前にさっさとくたばれや」
「やってみろ」
再び男が迫ってくる。
今度は文字通り質が違う。
金属化した右腕が振り抜かれる。
まともに受ける気はない。
俺はその軌道から身体を外し、横へ回り込んだ。
男の拳が空を切る。
——遅い。
金属化によって重量も増したらしい。
動きは鈍っていた。
防御力こそ格段に上がったが、身体の重さまでは扱いきれていないようだ。
避けるだけなら、むしろ簡単になっている。
俺一人を相手にするなら、だが。
「クソッ! なんで当たらねぇ!」
男の苛立ちが声に滲む。
何度拳を振るっても成果がないと分かると、その視線が一瞬だけ俺の肩越しへと向けられた。
——マスターか。
なるほど。
俺を相手にする必要がないことに、ようやく気づいたらしい。
もっとも、そう簡単に好き勝手させるつもりはない。
男が視線を戻すより先に、俺は半歩だけ立ち位置を変え、マスターとの間に割って入った。
男の眉が僅かに動いた。
まったく。
考えることが分かりやすい奴だ。
とはいえ、状況が面倒になったことに変わりはない。
金属化したことで攻撃の速度は落ちている。
避けるだけなら難しくないし、警察が来るまで相手をすることもできるだろう。
ただし、それは俺一人を狙い続けてくれる場合の話だ。
このまま店内で逃げ続ければ、いずれ壁際へ追い込まれる。
男が標的を変えようとすれば、その度に俺が間へ入らなければならない。
しかも、素手では金属化した身体に決定打を与えられない。
店の外へ誘い出す手もあるが、無関係な通行人まで巻き込む危険を考えれば得策ではない。
警察が来るまで時間を稼ぐ。
最初はそれで済ませるつもりだった。
しかし、相手が能力者だと分かった以上、話は変わる。
「はぁ」
俺は肩の力を抜いた。
「なんだ? ギブアップか?」
「悪いな、こう見えて諦めは悪い方なんだ」
「あ?」
俺の雰囲気が変わったことを、諦めと捉えたらしい。
俺が使った言葉を、そっくりそのまま返してきた。
俺にやる気なんてものはない。
警衛になったのも、正義感からではない。過去の経歴を考えれば、入学できそうな高校が警衛高校くらいしかなかったからだ。
面倒事は嫌いだ。
できることなら、誰かが代わりに片付けてくれた方がいい。
だが——俺なんかを守ろうとしてくれたマスターのいるこの場所を。
何度も珈琲を飲み、本を読み、時間を潰してきたこの店を。
俺にとっても大切なこの場所を守るためになら。
力を使うことも厭わない。
「——執筆」
その言葉を放った瞬間、脳内に描き出していた一つのイメージが現実へと書き出される。
身体から熱が奪われ、その熱が右腕を伝って掌へ集まっていくような感覚。
何もなかったはずの右手に、確かな重みが形成されていく。
戦鎚。
中世ヨーロッパの戦争でも用いられた打撃武器。
もっとも、ゲームに登場するような身の丈ほどもある巨大な代物ではない。
俺の手に収まっているのは片手で扱える大きさで、何も知らない人間が見れば変わった形の金槌程度にしか思わないだろう。
派手さはない。
今はこれで十分だ。
金属を叩くといえば、これだろう。
「ッ! お前も能力者だったのか!」
男の表情が驚愕に染まった。
残念ながら、俺の能力はそんな大層な代物ではない。
執筆は、俺の能力である作家に含まれる力の一つ。
あらかじめ実物へ触れ、読み解きによって構造を把握した武器を現実へ『書き出す』能力だ。
言葉にすれば便利そうだが、制約も多い。
構造を理解できなければ書き出せず、複雑すぎる武器は読み解きができたところで執筆まで持っていけない。
さらに、執筆された武器は俺以外には扱えない。他人が使おうとすれば、その瞬間に光の粒子となって消えてしまう。
万能とは程遠い能力だ。
ただ、武器を持ち歩く必要がなく、壊れても新しく執筆すれば元に戻る。
金欠の俺にとって、これほどありがたい利点もない。
昔、師匠が俺の能力を見て爆笑しながら言った言葉を思い出す。
『——コスパだけは最強だな』
実に失礼な評価だ。
否定はできないが。
「最終ラウンドだ」
「ざけんなッ!」
男がまた右ストレートを放つ。
俺は鈍くなった拳の軌道から身体を外し、その場で身体を回転させる。
遠心力を加えた戦鎚を振り抜けば——。
カァンッ!
甲高い金属音が、サキノの店内へ響き渡った。
「ぐっ——!」
男が大きくよろめく。
いくら身体が金属に変わろうと、受けた衝撃まで消えてなくなるわけではない。
現に、その顔から余裕が消えていた。
「金属になったくらいで無敵になれるなら、警衛は苦労しないさ」
「テメェ——!」
男が再び拳を振るう。
しかし、既に見慣れた動きだ。
今までは無理に反撃する必要がなかった。
今は違う。
こちらの攻撃が有効だと分かった以上、長引かせる理由はない。
そして——怯んだ隙を見逃してやるほど、俺は甘くない。
「まだだ——執筆」
左手に新たな重みが生まれる。
二本目の戦鎚。
「なっ——!」
突然増えた武器に、男の目が見開かれた。
その反応を見逃さず、俺は間合いを詰める。
右手の一撃を受け止めた男へ、間髪入れず左手の戦鎚を振り抜いた。
カァン、キィン——。
甲高い金属音が重なる。
「ぐっ、この——!」
男は反撃しようとするが、動作が大きい。
しかも金属化した身体の重さを、未だに持て余している。
振り抜かれた拳を避け、次の一撃を重ねる。
後退した男が体勢を立て直そうとすれば、その前にもう一本の戦鎚が迫る。
男の呻き声が、金属音の合間に漏れた。
「クソッ! なんでだ! なんで俺の攻撃を避けられる!」
「悪いな、格闘技に関しては常識の範囲外にいる二人から指導を受けていてな」
一人は、警衛高校のフィジカルお化けこと、魔人。
そして、もう一人は——。
「ふざけんじゃねええええ!」
「最後まで聞けよ」
懐かしい顔を思い出しかけたところで、男の怒声によって思考を現実へ引き戻された。
男が力任せに拳を振り上げる。
呼吸が乱れ、動作にも余裕がなくなっていた。
それに——。
振り上げられた右腕の金属光沢が、一瞬だけ薄れた。
なるほどな。
そろそろ限界らしい。
俺は男の大振りな一撃をやり過ごし、二本の戦鎚を交互に振るう。
金属音が続けざまに響いた。
男は腕を上げて身を守ろうとしたものの、その動きさえ鈍い。
一歩、また一歩と後退し、ついには膝をついた。
「ぐっ——くそ——!」
男の身体を覆っていた金属の光沢が、徐々に失われていく。
——当たり前のことだ。
能力者が能力を使いこなすには、それ相応の訓練が必要になる。
使い方そのものは、覚醒した段階で自然と理解できる。
能力者にとって『発動する』だけなら、声を出すことと大差ないのだから。
だが、声を出せるからといって、誰もが最初から上手く言葉を操れるわけではない。
発動速度、維持できる時間、能力そのものの出力。
それらは実際に使い、自分の限界を把握しながら、少しずつ身につけていく。
どれも一朝一夕で得られるものではない。
目の前の男は、能力そのものは強力でも、それを扱う経験が圧倒的に足りていない。
突然手に入れた力を過信し、使いこなせると勘違いした。
その結果、自分がどこまで戦えるのかすら把握しないまま、能力を使い続けてしまった。
これが、今の実力差だ。
俺は両手の戦鎚を手放す。
役目を終えた武器が、光の粒子となって空気へ溶けていった。
「これが最後のチャンスだ。大人しく捕まれ」
男は膝をついたまま、荒い息を繰り返していた。
金属化も既に解除されている。
能力を再び発動する余力があるかどうかは分からないが、少なくとも今の男にあの勢いはない。
このまま諦めてくれれば楽なのだが。
「クソガァあああ!」
そう上手くはいかないか。
男が突然立ち上がり、その巨体で飛びかかってきた。
能力は使わない。
いや、使えないのだろう。
最後の悪足掻きにしては、随分と分かりやすい攻撃だった。
「口は閉じとけよ? 舌噛むぞ」
次の瞬間、俺の拳が男を捉えた。
「ガッ——」
男の身体がぐらりと傾き、そのまま膝から崩れ落ちて床に倒れ込んだ。
数秒待ってみたが、起き上がる気配はない。
——制圧完了。
一休みしたいところだが、警察が到着するまで、強盗を拘束しておかなければならない。
しかし、生憎今日は手錠を持ってきていない。
探索科の千歳が持っているとも思えないし。
「マスター、すまないが何か縛る物はないか?」
「資源回収用のビニール紐でも大丈夫かい?」
「ま、まぁ。大丈夫だ」
さすがにビニール紐で犯人を捕らえたことはないが、数分程度ならなんとかなるだろう。
「先輩! 警察さんがあと二分で到着するようで——って、どちらが強盗かわからないですね」
「うるさい」
頑張ってビニール紐で強盗をぐるぐる巻きにしていると、千歳がサキノへ戻ってきた。
床には拘束された大男。
その傍らで紐を締め上げている俺。
何も知らずにこの光景だけを見れば、確かに俺が犯人に見えなくもない。
「警察さんには私から説明してあげるです」
「頼む。割と切実にな」




