第五章 地獄祭り (2)
「胃が痛いわ」
「あれだけ食えばな」
早食い競争を終えた俺とエイルは痛む胃を押さえながら、消化を促すためにあてもなく歩いていた。
Bブロックの早食い競争も終わり、現在は次の競技である探索科の準備を兼ねた休憩時間だ。
競技を終えた検挙科の連中は、ほとんどが観戦席で休憩しているか、保健室の世話になっている。
幸い、俺たちは自力で歩ける程度には元気だった。
「そういえば、光希にしては珍しく熱くなってたわね」
「なんの話だ?」
「バケツを頼んだ子に『絶対』って言葉を使ったでしょ。普段の光希なら出来る限りとか、やれるだけやるみたいに抽象的な言葉を使うでしょ」
こういう時のこいつの洞察力は嫌になる。
「俺だって、たまには勝ちにこだわるさ」
「本当にそれだけ?」
「意外と負けず嫌いなんだよ」
「嘘」
即答だった。
悩む素振りくらい見せてほしいものだ。
「救命科のツンデレがいただろ?」
「確か柚木比奈だったわね。まさか惚れたの?」
「俺をあのギャルゲ脳と一緒にするな。ツンデレが料理に一切手を抜いてなかったことに気づいたか?」
エイルは意外そうに笑った。
「そういうこと。だからこそ彼女に勝たせてあげたかったのね」
速さだけを求めるなら、もっと手間を省けたはずだ。
それでも、魚の骨は丁寧に取り除かれ、次の皿にも箸を伸ばせるよう味付けまで考えられていた。
こっちが食べるために、あいつらは余計に手を動かしていたのだ。
「——あれで負けたら、食ってた俺たちのせいだろ」
「意外と優しいじゃない。私はその考え嫌いじゃないわ」
「なんだ、ツンデレにジョブチェンジか?」
「デレたことなんて無いでしょうに」
「残念なことにな」
いつも通りのやり取りを交わしながら、俺たちは再び校庭へと足を向けた。
しかし、戻ってきたところで思わず足を止めることになる。
つい先ほどまで大量の料理が並んでいた場所が、今度はまるで別の施設へと変貌していたのだ。
「——また大掛かりね」
「あのパソコン、一台くらい持って帰ってもバレないんじゃないか?」
校庭には長机が幾列にも並び、その上には無数のノートパソコンが設置されていた。
しかも、精密機械を熱から守るためなのか、周囲には大型の冷房設備まで用意されている。
この炎天下であれほど快適そうな空間を作れるのなら、さっきの競技でも使わせてほしかった。
この学校の設備投資は方向性がおかしい。
「あっ、鬼畜先輩です!」
冷房の当たる位置に向かおうとすると、残念微笑女とエンカウントした。
「誰が鬼畜だ。さっき写真撮ってたろ、スマホを渡せ。破壊する」
「嫌ですよ! もう待ち受けにしちゃいましたから! 毎朝起きた時にニヤニヤするんですから!」
「不毛なルーティンを作るんじゃない」
俺の伸ばした手を潜り抜け、千歳はエイルの後ろに隠れて、ベーっと舌を出した。
「安心してくださいです。ネットに公開したりはしないです」
「雪名、私にはあとで送ってちょうだい。光希の弱みを握っておいて損はないから」
「はいです! エイルさんの頼みとあれば!」
「おい」
俺は諦めて写真の存在は無かったことにした。人生諦めたほうが楽なことは沢山あるのだ。
「そういえば雪名。あなた達は一体なんの競技をするの? 体育大会なのにパソコンって変じゃない?」
「パソコン持って走るんだろ」
「違うです。探索科は運動能力ほぼゼロですからね。パソコンを使って競うんですよ」
言われてみれば、去年も探索科はパソコンで競技をしていた気がする。知り合いもいなければ興味もなかった為、木陰で読書していたから忘れていた。
「じゃあ、一体何を——」
そう問いかけようとしたところで、ブザーが鳴りスピーカーから、眠そうな声が聞こえてきた。
「ふわぁああ。探索科のAクラスの人達集まってぇ。始めるよー。BとCは、この後ねぇ」
気怠げに欠伸をかましながらマイクで呼びかけるのは、探索科一年Aの担任で、図書委員の顧問でもある東雲羊先生だ。
生徒からは愛称として『メリー先生』と呼ばれている。
これまた癖の強い教師だが、魔人の様に攻撃的ではない為、幾分か気楽に話せる教師の一人だ。
「あ、呼ばれちゃいました。では、お二人とも応援お願いしますです!」
「任せて、ピンチになったら光希を投げるわ」
「タオルを投げろ。まぁ頑張ってこい」
声を掛けると、千歳は駆け足で自分の席へ向かった。
※
「次の競技はタイピング競争だよ〜。ふぁあ——。ルールは、えーっと——なんだっけ。あ、真壁先生ありがとぉ。なになに、これを読めばいいんですね。わかひまひた」
「今、噛んだわよね。二回も」
「ああ、噛んだな。二回も」
競技開始前からこの有様である。
進行がグダグダになる中、魔人こと真壁迅先生がメリー先生の補佐に回っていた。普段の言動こそ物騒だが、案外姉御肌な一面もあるので、不思議ではない。
聞くところによれば、二人は昔から仲が良い。
「それじゃあ説明するねぇ。一年A、二年A、三年A。それぞれのクラスで合計百万文字を入力したら勝ちだよぉ。ただし、対戦相手への妨害は自由。ウイルスを送りつけてもいいし、相手のパソコンを乗っ取ってもいいよぉ。あ、物理的に壊すのは駄目だからねぇ。それと、私が作った専用ソフトを使ってもらうから、ソフトそのものに細工するのは諦めてぇ。じゃあ頑張ってねぇ」
説明を終えるなり、メリー先生はマイクを真壁先生に手渡し、机へと突っ伏した。
二度寝するのか——あそこまでいくと羊というよりナマケモノである。
「補足だ。ウイルスなんかでパソコンが操作不能になった場合、その時点で脱落となる。自分の端末くらい死守しろよ!」
引き継いだ魔人がそう告げると、探索科の生徒たちが各自の席へと向かった。
ふむ、単純に百万文字を打ち込むだけでなく、相手の妨害を防ぎながら競うのか。
勝利条件は二つ。
他の学年より先に百万文字を入力するか、他学年のパソコンをすべて使えなくするか。
いかにも探索科らしい競技である。
体育大会という名称には依然として疑問が残るが。
校庭に並ぶ長机では、生徒たちがパソコンの性能や設定を確認していた。
画面には『たいぴんぐぅ』という、緊張感の欠片もないタイトルが表示されている。
フォントまで丸みを帯びた可愛らしいものだ——製作者の性格がよく表れている。
ちなみに、俺とエイルは千歳の席に近い場所で観戦することにした。
頭上からは大型冷房設備の涼しい風が降り注いでいる。勘違いしてもらっては困るが、別に冷房が目当てではない。
他に応援する知り合いがいないのだから、当然の選択だ。
断じて、この快適な環境から離れたくないわけではない。
——それにしても涼しいな、ここ。
「雪名! 頑張りなさい!」
「負けたら写真を消してもらうからな」
「それ、応援じゃなくて脅迫です!」
あの写真が存在する限り、俺の平穏な日常は脅かされ続けるのだ。
むしろ脅迫されているのはこちらではなかろうか。
「無限タイピング、開始ぃ!」
開始の号令に続いて、またもホイッスルが甲高い音を立てて破裂した。
そろそろ備品係から苦情が来てもおかしくない。
ともあれ、競技開始である。
校庭には一斉にキーボードを叩く音が響き始めた。
百台を超えるパソコンから発せられる規則的な打鍵音は、なかなか壮観だ。
だが、全員が素直に文字を入力しているわけではない。
三年生の何人かは、早々に他学年への妨害を試みていた。
「くそっ、何だこの防御。全然抜けねえぞ!」
「こっちも駄目! ウイルスが弾かれる! 普通のファイアウォールじゃないわ!」
大型モニターに表示される文字数を確認すると、三年生だけが僅かに遅れていた。
対する一年と二年は、妨害よりも入力を優先している。
このままなら、純粋な入力速度の勝負になる。
そう思っていたのだが。
「ねえ光希、ちょっと見て」
「どうした?」
「雪名の画面だけ、他の子と違うわ」
他の生徒たちが文字入力用の画面に向き合っているのに対し、千歳のディスプレイには黒い背景と無数の文字列が表示されている。
しかも、その内容が尋常ではない速度で切り替わっていた。
本人はといえば、先ほどまでの笑顔はどこへやら。
真剣な表情で画面を凝視していた。
「んー——。この書き方だとC言語ですかね。でもメリー先生のことですから、裏では別の言語を使ってそうです。——あ、やっぱりマーレボルジェです! 大当たりです!」
千歳が小さく呟く。
しかし、その言葉の意味は俺にはさっぱりわからなかった。
C言語とやらは聞いたことがあるが——マーレボルジェはダンテの叙事詩『神曲』地獄篇に登場するものだが、そんなプログラミング言語があるのか?
こちらとしては日本語で話してもらいたいところだ。
本人はいたって楽しそうなので、邪魔をするのも野暮だ。
「——あれ、本当に雪名なの?」
エイルがそんな声を上げるほどに、今の千歳は覚醒していた。
俺は笑った。
「あいつこそ本気出してんじゃないか」
学校を休んでゲームに明け暮れているくせに、入学から二ヶ月で紫星に至った奴だ。俺も、その技術には何度か助けられている。
普段からもう少しまともな方向に才能を使ってくれれば、こちらとしてもありがたいのだが。
思考の間にも、千歳は凄まじい速度でキーボードを叩き続けていた。
時折、「レジスタが——」「変数はこっちですか——」などと呪文めいた独り言を漏らしている。
他学年の生徒たちが入力数を伸ばす一方で、千歳の数字はほとんど動いていない。
傍目には、一人だけ競技を放棄しているように見える。
だが、あいつが勝負を諦めるはずがない。
やがて千歳は画面を一瞥し、満足そうに頷いた。
「——よし、できましたです!」
そう呟いたかと思えば、千歳は突然椅子から立ち上がった。
まだ競技の途中だというのに、パソコンから手を離したのである。
「——?」
近くの生徒たちから困惑の声が漏れた。
千歳は周囲の困惑など気にも留めず、悠々とこちらへ歩いてきた。
「一緒に遊園地行きましょうです! 先輩!」
その背後では、誰も触れていないパソコンの画面上で、恐ろしい速度で文字が入力され続けていた。
※
その場にいた生徒たちは、揃って唖然としていた。
千歳の同級生はもちろん、他学年の生徒たちまで手を止め、誰も操作していないパソコンを凝視している。
大型モニターに表示された一年生の入力文字数は、目標の百万文字をとうに突破し、既に一千万文字を超えている。
いったい何をどうすれば、あんな数字になるのか。
そんな異常事態を引き起こした張本人は、得意げな笑みを浮かべていた。
人が必死にキーボードを叩いている横で、こいつだけは遊園地に行く気満々である。
「たく、その熱意を勉強に向けろよ」
「何を言ってるんですか。勉強をしなくて良い様にパソコンがあるんですよ」
「珍しく真っ当なこと言いやがって」
説得力だけはある言葉だった。
学校を休んでまでゲームの新作を遊び倒す人間に言われると、素直に納得していいものか迷うところではあるが。
「ちょ、ちょっと雪名! あなた何したのよ」
「何をと言われましても、タイピングソフトに自動走行機能をくっ付けて走らせただけですよ?」
「ちょっと何言ってるかわからないわ」
「その返しを現実で受けたの初めてです!」
何故だか千歳が喜んでいた。
「簡単に言えばタイピングソフト自体をハッキングしたんだろ?」
「まぁそうですね、ハッキングってよりクラックに近かったですけど。元々、高度な処理をするソフトじゃなかったので意外と早くできましたです!」
さらりと言ってのける千歳に、エイルの表情が固まった。
無理もない——あの気の抜けた態度で忘れそうになるが、メリー先生は探索科を指導する教員である。
そんな人物が自信満々に細工を諦めろと言い放ったソフトを、千歳は競技中に書き換えてしまったのだ。
しかも本人にとっては、さほど難しい作業でもなかったみたいだ。
恐らく、エイルも理解した。
目の前で呑気に笑っている後輩が、いかに常識外れの技術を持っているのかを。
「ふぁあ——。あれぇ、破られちゃったかぁ。やっぱり一夜漬けじゃ駄目だねぇ。ということで、Aブロックは一年Aの優勝だよぉ。おめでとぉ。二年Aと三年Aは、まだ頑張ってねぇ。負けた方は私の地元、奥飛騨で農業を手伝ってもらうからぁ」
実に軽い口調で、とんでもない罰ゲームが告げられた。
この学校では夏休みという言葉の意味まで一般社会と違うのか。
モニターを確認すると、残る二年生と三年生の入力文字数には十万文字ほどの差がついていた。
三年生が最初にハッキングを試した分の時間が顕著に現れている。
結局、三年Aは巻き返すことができず、奥飛騨で農業に就くことが決まった。
因みに一年Aの他の生徒は棚ぼた的に優勝となった為、どこか喜びきれない様子で苦笑い気味に千歳を見ていた。
注目を浴びて疲れたのか、千歳はエイルと一緒に教室へ戻っていった。俺もようやく、朝以来の一人の時間を取り戻した。
※
Bブロック、Cブロックの競技が終わる頃には、胃の重さも和らいできた。飲み物でも買おうと自販機へ向かった。
「あ、光希くんも飲み物買いに来たの?」
お節介大和撫子こと、三嘉月輝夜とばったり出会った。
体操服を着ている輝夜の胸は苦しそうに締め付けられ、運動のために結ばれた漆黒の髪は頭の上でお団子になっている。
「輝夜も休憩中か?」
「もうすぐ追跡科の競技だから、その前に水分補給しておこうと思って」
「準備がいいな。それに、今日は髪型が違うじゃないか」
「動くとき邪魔になるからね。——もしかして、似合ってない?」
「いや、悪くないぞ。いつもとは雰囲気が違って新鮮だ」
素直に感想を述べたつもりだったのだが、何故か輝夜は目を丸くして、心配そうな表情でこちらの顔を覗き込んでくる。
「光希くん、もしかして熱中症になっちゃった?」
「何故そうなる」
「だって、光希くんがそんなに素直に褒めてくれるなんて珍しいんだもん」
「事実を言ったまでだ」
「ふふっ。じゃあ、今日は素直な光希くんにお願いしちゃおうかな」
輝夜は自動販売機のスポーツドリンクを指差した。
褒め言葉には代金が発生するのか。
「お前、意外とちゃっかりしてるよな」
「冗談だよ。ちゃんと自分で買うつもりだったんだから」
「たく、俺がケチみたいじゃないか——ほら」
財布から小銭を取り出し、スポーツドリンクのボタンを押す。
取り出し口へ落ちてきたペットボトルを手渡すと、輝夜は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、光希くん」
「二百円で好感度が上がるなら安い買い物だ」
「そういうこと言っちゃうと、逆に下がっちゃうよ?」
「なら返品してもいいか?」
「もう、光希くんのバカ」
口ではそう言いながらも、輝夜は楽しそうに笑っていた。
俺も自分の飲み物を購入し、二人で近くのベンチへ腰掛ける。
木陰になっているお陰で、炎天下の校庭よりは多少ましな暑さだ。
だからと言って、気温三十七度という現実が変わることはない。
この学校の教師陣には、ぜひ一度『適切な運動環境』という言葉を辞書で調べてもらいたいものだ。
「ん?」
すぐ近くの茂みから、がさがさと草を揺らす音が聞こえてきた。
何事かと目を向けると、そこから一匹の黒猫が姿を現した。
「ぶにゃあ」
「あ、猫! 可愛い!」
「不細工な鳴き声だが」
「そこが可愛いんじゃない。ね、こっちおいで?」
輝夜が優しく手招きする。
しかし、黒猫はそんな彼女を一瞥しただけで、近づいてはこない。人間の都合など知ったことか、とでも言いたげだ。
ふと、その首元に細い首輪が巻かれていることに気づいた。
野良猫ではなさそうだ。
「首輪があるな。飼い猫か」
「学校の中に迷い込んじゃったのかな?」
「放っておけばそのうち飼い主のところへ戻るだろ」
黒猫は俺たちの様子を窺っていたが、やがて興味を失ったのか、尻尾を揺らしながら茂みの向こうへと歩いていった。
「ばいばい、猫ちゃん。またね!」
律儀に手を振って見送る輝夜を眺めていると、校庭のスピーカーから集合を知らせるブザーが鳴り響いた。
休憩時間も終わりか。
「時間だな。頑張れよ、輝夜」
「みんな優勝してるんだもん。私も負けてられないよ! 遊園地も一緒に行きたいし!」
輝夜は胸の前できゅっと拳を握った。
普段は他人の世話を焼いてばかりのこいつだが、こういう時には案外負けず嫌いな一面を見せる。
まぁ、本人の実力を考えれば、それほど心配する必要もない。
正直なところ、もし輝夜が負けたとしても、俺の分のチケットを渡してやればいいと思っている。
俺自身、遊園地に行きたくはないし、涼しい図書室で一日を過ごせる方が余程ありがたいくらいだ。
だが、口にすれば輝夜に小言を言われるので。
「楽しみにしてる」
そう返すだけにしておいた。




