第五章 地獄祭り (1)
遂にこの日がやって来てしまった。
残念なことに天候は快晴。
さらにいえば三十七度。猛暑日だ。
手をひさしにして空を眺めれば、こちらを嘲笑うかのように太陽が一段とその日差しを強めた。
頭上のスピーカーから流れるのは、信号ラッパによるファンファーレ。
しかも競馬の出走前に流れるやつだ。
『ワシントンポスト』やら『天国と地獄』を流せばいいのに。
これだけで『地獄祭り』がどれほど世間の体育大会とズレているのかわかってしまう。
ふと、朝礼台へとガニ股で歩く魔人が目に入った。出席番号の関係で最前列に立たされている俺には、嫌でもよく見える。
魔人は俺を見つけるなり、睨みを飛ばし、朝礼台の上に登った。
「お前らァア! 地獄祭りの開催だァア!」
まるで兵を率いる将軍のように開会を宣言する魔人を前に、全校生徒が憂鬱な溜息を漏らした。
「——」
「覇気が足らんぞォオ!」
「おおおお!」
魔人の強制的なコールにより、全校生徒が右手を天に掲げ、叫び声を上げた。
それはまさに死地へと赴く兵士さながらである。
現在、校庭には学科・学年ごとに分かれた生徒たちが整列している。
警衛高校の全校生徒ともなれば千五百人を超える。その人数が校庭に集まれるのだから、どれだけ無駄に警衛高校の敷地が広いかわかる。
検挙科と救命科は各学年二クラス、残る三学科は三クラスある。体育祭では、同じ学科の一年A、二年A、三年AがAブロックで競う。BもCも別に勝敗を決めるので、隣のクラスが勝ったところで、こちらまで救われるわけではない。
『頭脳労働』の探索科、追跡科、救命科と、『肉体労働』の検挙科、護衛科で争っても、身体能力の差が顕著に出てしまい、競うまでもなくなってしまうからだそうだ。
「よーし。一応、概要だけ説明しておくぞ。一年は今回が初めてだからな」
「——」
魔人は地獄祭りの説明を始めた。
要点を纏めれば。
地獄祭りの開催中、能力の使用は禁止。使うならバレずに使え。
これは、対戦相手を戦闘不能にして競技を破綻させないためのものだ。
あとは『地獄祭り』終了後に生きている者は、『天国祭り』と呼ばれる後夜祭に参加できることだったり、各ブロックの三クラスで順位を決めることの確認であったりだ。
基本的なルールとしては、これくらい。
だが、もちろんこれだけじゃない。
こんなヤワなルールならば、別に手を抜いて参加すればいいだけなのだ。
ところが。
「言い忘れてたが。各ブロックの優勝クラスには豪華レジャー施設のチケット。二位には学食の食券三千円分だ。これだけで経費が三百万近くかかったからな。当然どん尻にはそれなりのことをしてもらう。てな訳で負け組は夏休みにきっつい肉体労働の無給バイトだ」
その言葉を聞いて、去年敗北した我らが検挙科二年Aの面々は遠い目をしていた。
無限に運ばれてくるコンクリート、現場監督からの罵声に怒声。高度三百五十メートルでトンカチを握っていた記憶は、開けてはならないパンドラの箱フォルダへと移動済みなのだ。
隣の一年生を見れば、多少ざわついたものの、大したバイトではないと判断したのか意外と冷静だ。
その油断が命取りだというのに。
魔人の話はそれで終わり、校長の挨拶や全国共通である準備運動を終えた俺たちは、最初の競技である救命科の観戦をするため、観戦席へと移動した。
「救命科の種目ってなんなの?」
移動する俺を目ざとく見つけたエイルが、隣に並びながら尋ねてきた。
当然、今は制服ではなく学校指定の体操着に身を包んでいる。綺麗な紅色の長髪は一本に結ばれ、詩織のようなポニーテールへと変わっている。
「まだわからん。救命科に知り合いがいないからな」
「あら、たらしの癖に?」
「その台詞気に入ってるだろ」
「——そんなことないわ」
救命科はその名の通り、警衛内の医療担当だ。
その学科名は、ナイチンゲールに由来する。だからなのか女性が非常に多い。また、警衛の中でも特に高い学力が求められる。
それこそ銀星以上ともなれば、独断で『手術』を行うことさえ認められている。
正直、そこらの医大に行くよりも救命科に入学した方が実践経験を多く積める。技術の上達も早いはずだ。
その分、自身の判断一つで患者の命を左右しかねないため、強靭な精神を求められるのだが。
「開始まであと三十分くらいか——ってあれはなんだ?」
時計を眺めながら話していると、突然校門から複数の大型トラックが校庭に入り込んできた。
その数、実に六台。AブロックとBブロックの競技区画へ、三台ずつ分かれていく。
「襲撃じゃないわよね」
警戒した様子のエイルが、右手に熱を集めているのがわかる。
「くそ暑いのにさらに熱源を増産するな。あれは多分救命科の競技で使うんだろ」
俺の言葉と同時に、トラックの荷台がぱかっと上方へ開かれた。
そこに現れたのは。
「さぁ食材と調理器具が到着したぞ! お待ちかね第一種目、救命科の競技は『二百キロの調理競争』だ!」
スピーカーから響く声に教員席へ目を向ければ、魔人がマイクを握り、やけに上機嫌な様子で喋っていた。
そう。眼前のトラックから現れたのは無数の食材と調理器具。
肉や魚、野菜といった生鮮食品はもちろん、その他にも形容し難いほど様々な食材が並べられていた。
圧力釜に炊飯器、オーブンレンジ、フライヤーまである。
これだけで店をオープンできそうだ。
「ねぇ光希、これってそういうことよね」
「ああ、間違いないな」
俺とエイルは目を合わせ、頷き合った。
「因みに、これは次の競技の検挙科がやる『二百キロ早食い競争』に使われる。美味いものを作らないと検挙科から女子力が無いと判断されるかもな。って訳で、同時に検挙科諸君も集まれ。冷めた飯程不味いもんは無いからな。時間短縮も含めお前らは同時に競技だ」
何故だか検挙科&救命科の共同戦線が組まれることになったのだった。
※
その後、検挙科二年Aと救命科二年A、総勢八十名による緊急作戦会議が開かれた。
それぞれのクラスの代表として、こちらは榊原拓徒。救命科からは柚木比奈という少女が選ばれた。
ちなみに、榊原は常日頃からこういった矢面に立たされている。出場者全員の推薦によるもの——というか、面倒ごとを押し付けている形だ。
「先に言っておくけど、足は引っ張らないでよねっ!」
「もちろん! 一緒にがんばろう!」
柚木の刺々しい言葉に、榊原は満面の笑み——というかニヤケ顔で応じた。
なるほど。我らが残念なイケメンは、こういう子が好みか。
淡いアッシュグレーのツインテールに、灰色の瞳。整った顔立ちにはどこか不機嫌そうな表情が浮かんでいる。
王道のツンデレ少女を前に、ギャルゲ脳が見事に反応している。
「で、あんた達は何が食べたいの? 違うわね。何なら二百キロも食べられる?」
柚木は自分の質問を言い直し、検挙科の面々を見回した。
食べたい料理と大量に食べられる料理は別物だ。脂っこいものばかりでは胃が悲鳴を上げるし、味気ない料理を延々と食べ続けるのも御免被りたい。
誰かが答えるのを待っていると、代表である榊原が高らかに宣言した。
「比奈ちゃんが作ったものなら、なんでも食べたいよ!」
「——は?」
検挙科一同が白けた視線を向ける。
「ばっかじゃないの!?」
「俺は本気だよ!」
一方で、柚木は一瞬だけ頬を染めた。後方で控えている救命科の方からも、黄色い声が聞こえてくる。
しかし、柚木はすぐに我に返り、榊原を睨みつけ怒鳴り返す。
「い、今は真面目な話をしてるの! ちゃんと考えなさいよ!」
「もちろん真面目だよ。料理に必要なのは愛だと思うんだ。愛さえあれば、俺はどこまでも食べられる。そんな気が——」
「吹っ飛べ」
「吹っ飛びなさい」
俺とエイルは、ほぼ同時に動いていた。
左右から放たれた蹴りをまともに受けた榊原は、実に見事な放物線を描き、教員席の前まで吹っ飛び——そして動かなくなった。
俺の蹴りはともかく、もう片方は黒星様の一撃である。
むしろ、この程度で済んだことを感謝してもらいたい。
「いい蹴りだ」
「光希もね」
軽くハイタッチを交わす。
周囲の検挙科も、よくやったと言わんばかりに頷いていた。
「ちょっと! あんた達、何してるのよ! 気絶してるじゃない! 食べる人間が一人減ったのよ!? 二百キロも食べなきゃいけないのに、わかってる!?」
ただ一人、柚木だけは違った。
彼女は教員席の前に転がる榊原を指差し、あわあわと肩を震わせて信じられないものを見るような顔をしている。
「そういえばそうだったな」
「今さら気づいたの!?」
四十人で二百キロ。
一人当たりに求められる量を考えれば、戦力が一人欠けるのは痛い。
しかし、それとこれとは話が別だ。
「後悔はしてない」
「私もよ」
エイルが平然と同意した。
柚木はしばらく俺たちを見回していたが、やがて溜息をついた。
「あー、もう! これだから検挙科は嫌いなのよぉお!」
その悲鳴に応えるかのように、競技開始十分前を知らせるブザーが鳴り響いた。
柚木は一瞬だけ空を仰ぐと、すぐに救命科の生徒たちへ向き直り、足早に調理場へ戻っていった。
背中越しにも怒っていることが伝わってくる。
こちらの代表よりは遥かに頼りになりそうだ。
その頼りない代表は、誰が回収していくのか。
※
競技開始まで残り数分。
俺たちは校庭に設置された八人掛けのテーブルに座り、開始の合図を待っていた。
エイルが編入してきて、うちのクラスはちょうど四十人。五つのテーブルに分かれ、最初の料理を待っていた。観戦席には千歳と輝夜の姿もある。わざわざAブロックの近くまで来て、俺たちが二百キロの料理を食わされるところを見物する気か。
榊原は、加藤と鈴木によって回収され、俺たちと同じテーブルに座らされていた。
意識は戻っていない。机に突っ伏したまま、ぴくりとも動かない。
競技開始前から戦力外とは、さすがは我らが代表である。
対する救命科では、柚木を中心に最終確認が行われていた。あれだけ騒いでいた少女が、今では仲間たちと真剣な表情で話し合っている。
ちなみに、俺の隣には当然のようにエイルが座っている。
別に指定席というわけではないのだが、最近はこうして並ぶ機会が増えた。
本人に指摘したところで、面倒な反論が返ってくるだけだ。
触らぬ黒星に祟りなし。
「さぁ、いよいよ第一種目の開催だ! 大人の都合で合同競技になっちまったが、勝負は勝負だ。優勝目指して頑張ってくれよ! ルールは簡単! 救命科は作れ、検挙科は食え! 途中で棄権した奴は復帰できんからな。食べ物も粗末にするんじゃねぇぞ!」
雑な説明である。
完成した料理は配膳前に計量され、クラスごとの消費量が大型モニターへ表示される。
作る側が遅くても、食べる側が止まっても負ける。初対面の相手と組まされる競技にしては、要求される連携が重すぎないか。
トントンと、隣から肩を叩かれた。
振り向けば、エイルがやけに神妙な顔でこちらを見つめている。
「光希、生きてまた会いましょ」
「ラスボス戦前に立てちゃいけないフラグの代名詞だろ、それ」
縁起でもない。
去年の惨状を思い返せば、あながち冗談とも言い切れないのが恐ろしい。
俺が遠い目をしていると、魔人がホイッスルを口に咥えた。
次の瞬間、強烈な笛の音が校庭に響き渡り、ホイッスルが爆散した。
——備品を無駄にするなと、この前言っていた気がするのだが?
ともあれ、競技開始である。
救命科の生徒たちが一斉に動き出した。
トラックから食材や調理器具を運び出し、各学年の調理場へと配置していく。
事前に役割分担を済ませていたらしく、その動きに大きな迷いはない。
特に二年生は統率が取れていた。
柚木が全体を見渡し、必要に応じて声を掛けている。
だが、調理が始まろうとした矢先、彼女が不意に手を止めた。
「——ちょっと待って。水は?」
周囲の生徒たちも調理場を見回す。
大量の食材に、大小様々な鍋や調理器具。しかし、肝心の水が見当たらない。
まさかと思って教員席へ目を向ければ、魔人が愉快そうな笑みを浮かべていた。
嫌な予感しかしない。
「おおっと、早速気づいたか! 残念だったなぁ! 水は用意してねぇぞ! 必要なら校舎まで汲みに行け! ちなみに、これは仕様だ!」
仕様——なんと便利な言葉だ。
教師の嫌がらせまで、たった二文字で正当化できてしまう。
二百キロもの料理を作らせるくせに、給水設備の一つも用意しないとは。
いっそ校庭に厨房を建設してから開催してほしいものだ。
新品らしきバケツがいくつも置かれている。最初から生徒に汲ませるつもりだったのか。
無駄な準備だけは抜かりがない。
しかし、そんな状況でも柚木の判断は早かった。
「運搬をお願いしてた子たちは、手分けして水を汲んできて! 他の人は予定どおり調理を進めて頂戴! 水が必要なものは後回しでいいわ! それから、揚げ物は衣を控えて。食べる側の負担も考えて作るのよ!」
「了解!」
指示を受けた生徒たちが、一斉に動き出した。
水を汲みに行く者、食材を切り分ける者、調理器具を準備する者。
突然の変更にもかかわらず、大きな混乱は見られない。
隣の三年生も同様だ。
こちらは調理担当をさらに細かく分け、作業の効率化を図っている。水不足をものともせず、淡々と準備を進める様子は、さながら手術室のようだった。
救命科の本領発揮といったところか。
一方で、一年生の調理場はというと。
「ちょっと、誰か水汲んできてよ!」
誰が校舎まで走るかで揉めていた。
こればかりは仕方ない。
入学してから、まだ半年も経っていないのだ。互いの性格や力量を十分に把握できていまい。
俺だって、検挙科の連中に友情を抱いているかと聞かれれば首を傾げる。
だが、いざという時の連携は信頼している。
友に背中は預けられなくとも、戦友になら預けられる。
そこには大きな違いがあるのだ。
考えている間にも、一年生の調理場では話し合いが続いていた。
ようやく数人がバケツを持って走り出した頃には、二年と三年の調理はかなり進んでいる。
この出遅れは、一年生にとってかなりの痛手だ。
その頃には、水を汲みに行っていた二年生も戻り始めていた。
二年生の調理場から最初の料理が運び出され、テーブルに次々と皿が並べられていく。
山盛りのレタスに、トマトやキュウリ。彩り豊かな野菜を中心とした、いわゆるサラダである。
ただし、その量は明らかに普通ではなかった。
目算で四キロほど。
八人で分けても、一人当たり五百グラムという計算になる。
しかも、これは前菜に過ぎない。
「普通に旨そうだな」
「そうね。ただのサラダだけど、あの状況でよく用意したものだわね」
エイルが感心したように皿を眺めている。
救命科が料理を完成させた以上、今度は俺たち検挙科の仕事である。
すなわち、食べる——それも、ひたすらに。
手を合わせ、取り分けられたサラダを口へ運ぶ。瑞々しい野菜に程よい酸味のドレッシング。炎天下でも食べやすく、悪くない。
料理の出来が良いことと、二百キロを食べ切れることは別問題である。
「なあ、これ本当に全部食うのか?」
向かいに座る加藤が、山盛りのサラダを前に顔をしかめていた。
「食わなきゃ終わらねえだろ。去年みたいな夏休みを過ごしたいのか?」
「それは絶対に嫌だ!」
「なら喋ってないで食え」
鈴木の正論に、加藤は渋々フォークを握り直した。
まったくもって同感である。あの無給労働を二度と経験しなくて済むなら、多少の無茶はするべきだ。
「って琴乃葉さん早くね?」
加藤の声に隣のエイルを見れば、涼しい顔で空になった皿を脇へ寄せていた。
俺達がまだ最初の一皿を片付けているというのに、こいつは既に二皿目を平らげている。しかも、余裕たっぷりときた。
「こう見えてエイルは大食漢だから安心してくれ。俺の五倍は食える」
「あんたが少食なだけでしょうが。今時、ハンバーガー一個でお腹いっぱいになる男なんて信じられないわ」
「勘違いするな、俺は少食なんじゃない。体の代謝がいいだけだ」
「同じことでしょうが」
そうため息を吐いたエイルは、「いいわ、私が光希の分も食べるわ」と、実にカッコよく宣言した。
俺が女なら危うく惚れているところだ。
それからしばらくして、次の料理が運ばれてきた。
焼いた肉に魚料理、付け合わせの野菜。どれも奇をてらったものではないが、しつこさを感じさせない味付けで、魚は骨まで丁寧に取り除かれている。
料理を運ぶ救命科の生徒たちも、空いた皿を回収するとすぐに調理場へ戻っていった。
こちらが食べる速度に合わせて、向こうも手を休めず作り続けている。
しかし、順調だったのは最初のうちだけだった。
皿を重ねるにつれて、各テーブルの勢いが目に見えて落ち始めたのである。
「——なあ、浅瀬。お前、全然食ってなくないか?」
「食ってるぞ。少しずつだが」
「それ、戦力になってるって言えるのか?」
「お前にだけは言われたくないな」
鈴木の皿にも、まだ料理が残っている。
俺がその皿を指すと、鈴木は黙って箸を動かした。
「光希、無理なら私が貰うわよ」
「まだ無理とは言ってない——それより、なんキロ食った?」
「知らないわ。美味しいんだから細かいことはいいでしょう?」
「競技の趣旨を一番正しく理解してる奴が、一番競技らしくない食べ方をしてるな」
エイルは不思議そうに首を傾げると、次の料理に手を伸ばした。
いったい、そのちっこい体のどこに入っていくんだか。
「みんな、手を抜かないで! 全力で作るの!」
炎天下の中、額から流れる汗を袖口で拭いながら懸命に調理をしている救命科のためにも負けられない。
次々に運ばれてくる料理を獅子奮迅の勢いでエイルが胃の中に収めていく。
俺も箸を動かすが、一口飲み込むたびに手が止まる。隣では、その間にまた一枚、皿が空になった。
現在の戦況をモニターで確認すれば、二、三年が僅差。一年とは五キロ程差がついていた。
残りは二十キロ。
既に肉や魚という難関を超えてはいるが、唐突に現れる汁物や米が俺たちの胃を殺しにきている。
「おい、三年がまた進んだぞ!」
鈴木の声に、何人かがモニターを見上げた。
向こうは調理と配膳の流れが途切れず、食べる側も互いの状況を見ながら料理を分担している。
「くそっ、ここまで来て二位なんて冗談じゃねえぞ!」
「同感だ。だが、気合いだけで胃袋は広がらん」
「なんとかしねーと!」
加藤の叫びを聞きながら、俺は隣へ目を向けた。
そこには、机に突っ伏している我らが代表の姿があった。
まるで起きる気配がない。
普段から無駄に元気で、身体を鍛えることに余念がない男だ。起こせば、今の俺よりは遥かに役に立つ。
俺はモニターを見上げてから、榊原へ向き直った。
——さて。
そろそろ我らが代表にも働いてもらうとしよう。
「すまない、バケツに水を入れて持ってきてくれないか」
「はぁはぁ。わ、わかりました」
「頼む」
申し訳ないと思いながら、料理を運んでいる救命科の子にそう頼む。
この炎天下の中、料理を運びながら調理場とテーブルの間を何十往復しているのだ。
いつ『屍』と化してもおかしくない。
他のテーブルを見れば、ちらほらと倒れている者が現れ始めた。そいつらは教員達が回収して保健室に運び込んでいる。
『地獄』正にその名がふさわしい。
「も、持ってきました!」
周りの惨状を確認していると、先ほどの救命科の子がバケツを持ってきてくれた。
「助かった。『絶対』勝つからもう少し頑張ってくれ」
「お、お願いします!」
こちらに頭を下げた少女を見送った。
「エイル、この水を火傷しないギリギリの温度に熱してくれ」
「——鬼畜ね」
「知らなかったのか?」
「知ってたわ」
そんな掛け合いをしながら、エイルはバケツに手を差し込み水の温度を上げる。
「七十度くらいで火傷するからな、六十度くらいで頼む」
「出来たわ」
バケツからは炎天下の中でも確認できる白い湯気が立ち上った。
それを問答無用で、隣に座る榊原にかける。
「あああ! 光希先輩が榊原先輩にぶっかけました! 誰か、誰か写真撮ってないですか! 動画でもいいですから!」
観客席の方から、残念微笑女の残念な叫び声が聞こえるが、気にしたら負けだ。
「っちいい!」
熱湯を掛けられた榊原は、悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。
水を浴びて土の上に転がったせいで、泥まみれだ。
「とっとと、食いやがれ」
俺はテーブルの上にあったフランクフルトを掴み、無理やり榊原の口に突っ込む。
「ひゃああ。ダメですよ光希先輩! 人前で肉棒を榊原さんの口に突っ込むなんて!」
俺の額に怒りマークが多数浮かんでいるが、これは正常な反応だ。
あとで、覚えとくんだな千歳よ。
「んごご! ん、うまい!」
「目は覚めたか?」
「覚めたわ! 何しやがるんだ光希!」
「お前が寝ている間に三年に負けそうなんだ。とっとと食え」
「なっ!? もう始まってたのかよ!」
榊原は慌てて席へ戻ると、テーブルに残っていた料理へ手を伸ばした。
遅れを取り戻そうとする勢いは凄まじく、あれほど苦戦していた皿が次々と空になっていく。
最初からこいつが参加していれば、ここまで追い詰められずに済んだものを。
気絶させたのは俺たちなのだが。
後悔はしていないので問題なし。
大型モニターを確認すると、二年生の残量は五キロ。対する三年生は四キロ。
一年生は既に大きく引き離され、食べる手もほとんど止まっている。
「頑張れ榊原! あと少しだ!」
加藤が声を張り上げる。
その声が届いたのか、調理場にいた柚木もこちらを振り向いた。
「拓徒くん! 頑張って!」
その一言で、榊原の動きが変わった。
疲労で鈍りかけていた手が、再び勢いを取り戻す。
残り三キロ。
二キロ。
そして、一キロ。
大型モニターの数字が目まぐるしく変わる。
三年生も最後の追い込みに入ったらしく、両者の差はほとんどなくなっていた。
周囲の二年生たちも必死に口を動かしているが、既に限界は超えている。
ここまで来れば、勝負を決めるのは榊原。
「お前が切り札だ」
俺の言葉が届いたかどうかはわからない。
だが、榊原は最後まで手を止めなかった。
そして。
「Aブロック、勝者は二年Aァア!」
魔人の宣言が校庭に響き渡った。隣のBブロックではまだ勝負が続いていたが、こちらはもう箸を置いていい。
直後、あちこちから歓声が上がる。
なんとか僅差で三年生を上回った。
——勝った。
何とも馬鹿らしい競技だったが、これで去年のような夏休みを過ごさずに済む。
俺は椅子の背もたれに身体を預け、長く息を吐いた。
隣ではエイルが満足そうな表情を浮かべ、向かいでは加藤と鈴木が喜び合っている。
そして我らが代表は、調理場にいる柚木へ向かって大きく手を振っていた。
まったく。
最後まで残念なイケメンである。




