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警衛高校の作家《リライター》  作者: 稲宮鹿
第1巻 紅の瞳《ルビーアイ》
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第三章 天秤《リブラ》の執行者 (3)

 事務室を出ると、俺は来た時とは別の経路から倉庫中央へ向かった。

 奥からは相変わらず男たちの話し声が聞こえてくる。三人が消えたことにも、侵入者がいることにも気づいていない。

 積み上げられた木箱の陰から様子を窺う。

 資料通り、四人。

 まず目に入ったのは、仕立てのいいスーツを着た小太りの男だった。四十代ほどで、身なりには清潔感がある。街中ですれ違えば、ごく普通の会社員にしか見えない。

 そいつが今回の売り手。

 その隣で落ち着かなさそうに周囲を見回している痩せ型の男が買い手だ。こちらも上等な服を着ている。今夜が初めての取引とは思えない。

 金さえ払えば人間まで買えると思っている連中である。

 救いようがない。

 残る二人は、金で雇われた能力者の護衛。

 一人は大柄で、鍛え上げられた体格が目立つ男。もう一人は対照的に細身で、周囲を警戒している。

 前者が身体強化系か。

 後者については能力の詳細が分かっていないため、実際に見て判断するしかない。

 そんなことを考えていると、細身の男が不意に事務室の方へ顔を向けた。


「——おい。さっき奥で物音がしなかったか?」

「気のせいだろ。誰も通ってねぇぞ」

「念のため確認してくる」


 雇われなりに仕事はする。

 男が事務室へ向かって歩き出す。

 放っておけば、すぐに三人が消えたことへ気づく。

 もう隠す必要もない。


「確認する必要はないぞ。三人なら、もうここにはいない」


 物陰から姿を現す。

 四人の視線が一斉にこちらへ向き、数秒遅れて売り手の表情が強張った。

 対照的に、護衛二人の反応は早い。

 大柄な男が前へ出ると、細身の男はその斜め後方へ位置を変えた。互いの動きを邪魔せず、同時に依頼人を守れる位置取りである。

 素人ではない。

 俺は二人の動きを観察しながら、右手を軽く開いた。

 まだ執筆はしない。

 相手の能力が分からない以上、先に武器を決める必要もない。


「——何者だ」


 大柄な男が低い声で尋ねてきた。

 俺の仮面と黒いローブを交互に見る目には、強い警戒があった。

 まあ、正体不明の人間が突然現れたのだから当然か。


「——天秤(リブラ)の執行者」


 そう名乗った瞬間、売り手の顔から血の気が引いた。


「て、天秤(リブラ)だと——? どうしてここが分かった!」

「答える必要があるか?」


 男は何かを言い返そうとしたものの、結局言葉にならなかった。

 代わりに、護衛二人の背後へ下がった。

 自分たちが置かれた状況くらいは理解できているみたいだ。


「何してる! 早くこいつを殺せ! 報酬なら上乗せしてやる!」


 命が懸かれば、財布の紐も緩む。

 その言葉に応じるように、大柄な男が動いた。

 床を蹴った巨体が一気に加速し、瞬く間に間合いを詰めてくる。

 見た目から想像できる速度ではない。事前情報にあった身体強化系は、こいつで間違いない。

 振り下ろされた拳を避けると、背後で木箱が大きな音を立てて崩れた。

 まともに受け止めれば、ただでは済まない。

 それだけで終わるほど単純な相手でもなかった。

 大柄な男が再び距離を詰めてきた、その瞬間。

 視界の端で銀色の光が走り、反射的に身体を傾けた。直後、仮面のすぐ横を鋭い刃が通り過ぎる。

 ——危ないな。

 刃を握っているのは、数メートル先にいる細身の男だった。

 ただし、その右腕だけが異様な長さに伸びている。

 伸縮能力か。

 身体強化によって正面から圧力を掛け、回避した相手を伸縮した腕で狙う。

 能力に頼っているだけの素人ではない。

 感心している暇もない。

 大柄な男が間髪入れずに攻撃を仕掛け、同時に別方向からナイフが迫る。

 なかなか厄介な組み合わせだった。

 一人を警戒すれば、もう一人が死角を狙ってくる。細身の男は腕の長さを自在に変え、距離を取ったところで安全とは限らない。

 初見の能力者を相手にするなら、有効な戦い方だ。

 ただし、同じ手が何度も通用するとは限らない。

 俺は二人の攻撃を避けながら、動きの癖を探った。

 大柄な男が踏み込むと、細身の男は必ず俺の逃げ道を塞ぐように腕を伸ばしてくる。逆に、細身の男が先に仕掛けてきた場合は、その直後に大柄な男が距離を詰める。

 互いの能力をよく理解した連携だ。

 その分だけ攻撃の順序も決まっている。

 何度か躱したところで、ようやく全体が見えてきた。

 そろそろ終わらせるか。

 俺は右手を開き、記憶している武器の構造を思い描いた。

 ——執筆。

 淡い光が掌へ集まり、漆黒の拳銃を形作る。

 それに気づいた細身の男が、咄嗟に伸ばしていた腕を引こうとした。

 乾いた銃声が倉庫内に響き、細身の男が握っていたナイフが弾かれ、床を滑っていく。

 男の表情が変わった。

 次いで、大柄な男がこちらへ突っ込んでくる。

 相棒の隙を埋めるつもりか。

 判断は悪くない。

 ただ、少々勢いが良すぎる。

 俺はまともに力で受け止めることを避け、相手の動きを利用して体勢を崩した。

 巨体が勢いを殺しきれず、床へ転がる。

 すぐに立ち上がろうとした男だったが、目の前に向けられた銃口を見て動きを止めた。


「動くな」


 短く告げる。

 大柄な男はしばらく俺を睨んでいたものの、それ以上抵抗する素振りは見せなかった。

 細身の男も、落としたナイフを拾おうとはしない。

 これ以上続けても無駄だと判断したようだ。

 俺は大柄な男から銃口を外し、一歩だけ横へ退いた。

 出口までの道が開く。

 男は怪訝そうにこちらを見た。

 ——何だ、その顔は。

 まさか、このまま始末されると思っていたのか。

 今夜こいつらに裁定は下されていない。

 ならば、逃げる人間まで追いかける理由はない。

 大柄な男はゆっくりと立ち上がると、細身の男へ視線を向けた。

 その視線に、相棒が小さく頷く。


「——悪いな。これは契約外だ」

「お、おい! 待て! 金なら倍でも三倍でも払う!」


 売り手が慌てて声を上げた。

 護衛二人は足を止めなかった。

 こいつらは、あくまでも金で雇われただけの人間。依頼人のために命まで捨てる義理はない。

 まして、相手が格上だと分かった以上、追加報酬に釣られて残るほど馬鹿でもなかった。

 やがて、二人の姿が倉庫の外へ消えた。

 護衛たちの足音が遠ざかり、倉庫に静寂が戻る。

 俺は拳銃を下ろすと、その場に残された男たちを見据える。

 さっきまで護衛の背中から好き勝手に怒鳴っていた二人も、今ではすっかり黙り込んでいる。

 実に分かりやすい反応だった。


「見捨てられたな」


 売り手の顔が引き攣り、一歩後ずさる。

 護衛を盾に威勢よく怒鳴っていた男とは思えない。仕立てのいいスーツも、清潔に整えられた髪も変わっていないのに、その姿からは余裕だけが綺麗に抜け落ちていた。


「ま、待て! お前、何か勘違いしてるんじゃないか?」

「勘違い?」

「そうだ! 今回の件では、俺はまだ何の罪にも問われてない! 逮捕もされてないし、裁判だって受けてないんだぞ!」

「それがどうした?」


 俺の返答に、男の表情が強張った。

 捕まっていない。裁かれていない。だから、自分は無罪である。

 都合がよすぎる理屈だった。


「お、俺は違う! 俺はこいつから女を買おうとしただけだ! 攫ったのは俺じゃない!」


 今度は買い手が声を上げた。

 自分は直接手を下していないから無関係だと、そう言いたいのか。


「それで?」

「そ、それでって——!」


 買い手が言葉に詰まる。

 攫っていなければいい。売っていなければいい。自分は金を払って買っただけ。

 何とも便利な考え方である。


「いくらだ」


 不意に、売り手が口を開いた。怯えとは違う響きがある。

 何か思いついたな。


「——何の話だ?」

「金だよ。いくら欲しい? 五百万か? 一千万か? もっと必要なら用意する。今日のことを全部忘れて、ここから出ていけばいい。それで済む話だろ?」


 最後に頼るのも、やはり金だ。

 人間を売り買いしてきた連中に相応しい発想ではある。

 金さえ積めば、相手も自分の思い通りに動く。

 今までそうやって生きてきた。


「残念だったな」

「な、何が——」

「金でどうにかなる段階は、とっくに過ぎてる」


 男の顔から笑みが消えた。

 俺は右手に握っていた拳銃を持ち上げる。

 それだけで、売り手は息を呑んだ。

 隣にいた買い手もようやく事態を悟ったのか、慌てて出口へ向かおうとする。

 今さら逃げるつもりか。


「ひッ! た、頼む! 俺はまだ何も——」

「お前が何をしてきたかは、もう調べがついている」


 買い手は口を閉じた。

 その隣では、売り手が必死に言葉を探している。

 謝罪か、命乞いか。それとも、また別の取引を持ち掛けるつもりなのか。

 どれであろうと、今さら結果が変わることはない。

 俺はこいつらを裁きに来たわけではない。

 二人に対する裁定は、既に下されている。

 俺の役目は、それを執行することだけだった。


「や、やめてくれ! 俺たちだって——」

「裁定は下っている」


 それ以上、話を続ける必要はなかった。

 ほどなくして、倉庫に二度の銃声が響いた。

 そして、静寂が戻る。

 俺はしばらくその場に立っていたが、やがて手にしていた拳銃を消した。

 仕事だからといって、何も感じないわけではない。

 後悔するつもりもなかった。

 あの三人を救出したところで、こいつらが自由に活動を続けていれば、いずれ新たな被害者が生まれる。

 それだけは防げた。

 俺がしたことを正義と呼ぶつもりはない。

 そんな大層な言葉で、自分の行いを飾る趣味などない。

 ただ、下された裁定に従い、仕事を終わらせただけだ。

 携帯を取り出し、犬塚へ短い連絡を入れる。

 ——執行完了。

 あとは掃除屋の出番である。


                  ※


「やあ、お疲れ様だね、執行者!」


 聞き慣れた騒がしい声に振り返ると、俺と同じ黒いローブを羽織った犬塚が倉庫へ入ってきた。

 三人の女性を車まで送り届け、待機していた保護班へ引き渡してから戻ってきた。いつも通りの軽薄な笑みを浮かべ、何事もなかったかのように歩み寄ってくる。

 仕事が早いのは結構だが、もう少し緊張感を持ってほしい。


「執行対象は二人とも終わった。後は任せる」

「酷いなぁ、執行者。面倒な汚れ仕事は全部、可愛い犬塚さん任せなんだから」

「そのための掃除屋だろ。さっさと片付けてくれ」

「はいはい。人使いが荒いんだから、もう」


 犬塚はわざとらしく頬を膨らませると、床に残された二人へ視線を向けた。

 その瞬間、纏う空気が僅かに変わる。

 ふざけた笑みこそ残っているものの、意識は既に仕事へ切り替わっていた。

 こいつの本職は送迎ではない。

 執行後の処理を専門とする人間だ。

 犬塚は売り手の傍まで歩くと、しゃがみ込んでその身体に触れた——瞬間。

 そこにあったはずの死体が、何の前触れもなく消えた。

 続いて買い手にも同じことをする。


「今日はどこへ送った?」

「いつもの処分用の記録地点(セーブポイント)。詳しい場所は企業秘密でぇす」

「俺にも秘密かよ」

「秘密の一つや二つあった方が、女の子は魅力的なんですよ」

「ありすぎるのも困るけどな」


 犬塚の能力は物体転送(テレポート)。

 直接触れた物体を、あらかじめ記録しておいた地点へ転送する能力だ。

 転送先は事前に本人が赴いて記録(セーブ)する必要があり、保存できる地点にも上限がある。決して好きな場所へ何でも送れる能力ではない。

 ただ、今回のような仕事には実に都合がいい。

 本来なら人目を避けて運び出すだけでも相当な手間が掛かるところを、犬塚なら一瞬で済ませてしまう。


「次はナイフかな」

「ああ。護衛が落としていったやつだ」


 犬塚は床に転がっていたナイフや、取引に使われるはずだった現金の入ったアタッシュケースを拾い上げ、同じく転送させていく。

 なんともレアな能力だ。

 ただし、掃除屋の名に反して、現場そのものを綺麗にできるわけではない。

 床に残された血痕や弾痕は転送できないし、戦闘で壊れた木箱も、破片を一つずつ触れて送れば運べるが、そこまでして現場全体を片付ける時間はない。


「はい、終了! 今日も犬塚さんは仕事が早い!」

「自分で言うな」

「てへぺろ」


 何とも腹立たしい奴である。

 あとは俺たちがここを離れるだけ。

 ようやく今夜の仕事も終わりか。

 そう思った、その時だった。

 ——ッ!

 不意に、背筋に冷たいものが走った。

 誰かがいる。

 姿も足音も捉えていない。それでも、倉庫の外から妙な威圧感が伝わってくる。

 少なくとも、犬塚をここに残していい状況ではなさそうだ。

 俺は倉庫の外へ意識を向けたまま、口を開いた。


「犬塚。今すぐ逃げろ。顔を見られるな、絶対だ」


 その一言で、犬塚の笑みが消えた。

 こいつも天秤(リブラ)の人間だ。

 俺が冗談でこんなことを言わないと、よく分かっている。


「ッ——御武運を」

 

 短く答えた犬塚は、黒いローブを翻して倉庫の奥へ消えた。

 さて、面倒なことになった。

 搬入口の向こうから感じる気配は、先ほどの護衛二人とは明らかに違う。

 とはいえ、姿も見ていないうちから怖じ気づいても仕方がない。

 向こうは隠れるつもりも、奇襲するつもりもないようだ。まるで、こちらが気づくのを待っている。

 仕事が終わった途端にこれか。今日はとことん運が悪い。

 俺はゆっくりと身体を向けた。


「こんな月夜に——何か用か?」


 倉庫の外。

 十メートルほど離れた岸壁の上に、一人の人影が立っていた。

 海から吹きつける夜風に、黒いロングコートの裾が揺れる。

 見慣れてしまった紅髪が、月の光を受けて紅玉(ルビー)のように煌めいた。


「初めまして、執行者さん。第一級特別捜査班(ファースト)所属、琴乃葉エイル。貴方を連続殺人の容疑で逮捕するわ」


 隣の席の転校生。

 琴乃葉エイルが——俺を見下ろしていた。


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