↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された転生令嬢は、今世こそスローライフを送りたい ~ちょっと指摘しただけなのに領地が勝手に発展して、冷徹公爵様に「師匠」と呼ばれています~  作者: 滝内亜依
第2章 公爵領でスローライフ(のつもり)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/27

第7話 奥様の第3項目

 公爵領の本邸は、丘の上に建っていた。

 石造りの三階建て。屋根は深い灰色で、庭の木々が、窓の高さまで枝を伸ばしている。馬車が車寄せに着くと、玄関の扉が音もなく開いた。

「ようこそお越しくださいました、奥様」

 ずらりと並んだ使用人たちの先頭で、白髪まじりの男性が、深く頭を下げた。背筋が定規のように伸びている。

「家令のオズワルドと申します。お部屋のご用意は、整っております」

「ありがとう。ルチアと呼んでくださって構いません」

「恐れ入ります。ですが、奥様は奥様でございます」

 即答だった。ルチアは、この人には何を言っても通らないと悟った。

(オズワルド。ゲームでは『ユナカイト公爵家・家令』という名前だけの人だったわね)

 名前だけの人が、目の前で瞬きをしている。ルチアは、少し不思議な気持ちになった。

 続いて紹介されたのは、侍女長のタバサ。背の高い女性で、挨拶の間、ルチアの靴から髪飾りまでを、一度ずつ正確に見た。厳しい目だが、嫌な感じはしない。

「料理長のガストンです」

 腕を組んだまま、ぼそりと言った男は、頭を下げたのかどうか、わからなかった。

「庭師のミロと申します」

 最後に、帽子を深くかぶった若者が、にこりと笑った。二十代に見える、柔らかな顔立ちだ。

「奥様のお庭は、とても元気です。手をかけていないのに」

「手をかけていないのに?」

「ええ。放っておくと、植物は好きに育ちますので」

 どこか話がずれている気がしたが、ルチアは、深く考えないことにした。

 案内された部屋は、南向きの広い部屋だった。窓の外に、庭と、遠くの畑が見える。

「いい部屋ね」

「はい」

 エマは、荷物の目録を片手に、部屋の隅々を確認している。

「寝台、書き物机、書棚。お嬢様、書棚が空です。荷馬車の本は、全部ここに入りますね」

「全部は入らないわ」

「入れます」

 エマは、きっぱりと言った。

 ルチアは、窓辺の椅子に腰を下ろした。柔らかい午後の光が、膝の上に落ちる。

「ねえ、エマ」

「はい」

「ここ、とても静かね」

「静かです」

「二周目の人生計画書、第一項目は『毎朝、遅く起きる』よ。第二項目は『一日一回、庭を散歩する』」

「第三項目は」

「『領地には、できるだけ口を出さない』」

 エマは、目録から顔を上げなかった。

「……お嬢様。その項目は、守られたためしがございません」

「今度は守るわ」

「承知いたしました。賭けますか」

「賭けません」

 賭けたら、負ける気がした。

 夕食は、使用人たちと同じ食堂で、というのがルチアの希望だった。

 オズワルドは、三度、聞き返した。三度とも、ルチアは同じ答えを返した。

「主のいない屋敷で、ひとりで広い食卓に座っても、味がしませんもの」

 四度目は、聞き返されなかった。

 使用人用の食堂は、広い長机が一つあるだけの部屋だった。壁は白く、掃除が行き届いている。長机の端に座ったルチアの前に、スープと、パンと、焼いた肉の皿が置かれた。

 使用人たちは、座らなかった。全員、壁際に立ったままである。

「皆さんも、座ってください」

「いえ、奥様がお召し上がりになるまでは」

「では、わたくしが先に頂きます。それなら、座っていただけますか」

 ルチアはスプーンを取った。ひと口、飲む。

(……薄い)

 いや、味は悪くない。塩加減も、火の通しも、完璧だ。ただ、出汁が薄い。野菜だけで煮た、水のようなスープだった。

 次に、パンをちぎった。外は固く、中は柔らかい。よく焼けている。ただ、切り口が妙に丸い。

「このパン、端の部分がありませんね」

 壁際で、ガストンが、わずかに身じろぎをした。

「……焼き上がりの端は、お出ししておりません」

「どうされているのですか」

「捨てております」

「毎日?」

「毎日です」

 ガストンは、腕を組み直した。

「公爵閣下のお口に、固い端はお出しできませんので」

「閣下は、王都にいらっしゃいますよね」

「……はい」

「このお屋敷で召し上がるのは、わたくしたちだけです」

 ガストンは、何も言わなかった。

 ルチアは、スープの皿に目を落とした。

「ひとつ、伺っても? お肉の骨は、どうされていますか」

「骨は、臭みが出ますので、すべて」

「捨てておられる」

「……はい」

「野菜の皮も?」

「皮も、端も、切れ端も。調理場の裏の樽に」

 長机の周りの空気が、ほんの少し、動いた。

 タバサが、横目でガストンを見た。オズワルドは、表情を変えなかったが、片眉だけが上がっている。

 ルチアは、ごく静かに言った。

「ガストンさん。パンの端は、細かく砕けば、スープに入れてとろみが出ます。骨は、一度湯にくぐらせて臭みを抜いてから、野菜の皮や端と一緒に、ゆっくり煮出す。そうすれば、水のようなスープが、少しだけ、濃くなります」

「……はい」

「それだけの話です。出汁というものは、そうして取るのだと、前に、本で読みました」

 前世で、料理屋さんの仕入れ帳を見ていたとき、一番に気づいたのが、廃棄の欄だった。皮と骨と端の量だけで、経費の一割を超える店があった。

「それと、余った分の数を、ざっくり記録してみてください。どのくらい捨てているのか、一度数字で見ると、面白いですよ」

 ガストンは、長いこと黙っていた。

 やがて、ぼそりと言った。

「……三年、ここで働いておりますが」

「はい」

「そのようなことを、おっしゃった方は、おりません」

「それは、皆さんが、お屋敷の主が見ていない場所で、きちんと仕事をなさっているからでしょう」

 ルチアは、パンをひと口、かじった。

「でも、せっかくの腕前が、水のスープでは、もったいないわ」

 ガストンの組んだ腕が、ほどけた。

 顔つきが、ほんの少しだけ、変わった。腕を組んだまま黙っていた人が、はじめて、考え込む顔をした。

「……明日、試してみます」

「楽しみにしています」

 そのとき、タバサが、小さく咳払いをした。

「奥様。恐れながら、座ってもよろしいでしょうか」

「ええ。どうぞ」

 壁際の使用人たちが、順に席についた。椅子の脚が、床を擦る。ミロだけが、帽子を直しながら、「骨も、土に返せますよ」と、にこにこ言った。

「ミロ」

「はい、オズワルドさん」

「今は、その話ではない」

「はい」

 ルチアは、スープのおかわりをもらいながら、使用人たちの顔を、ひとりずつ眺めた。

 オズワルドは、無駄のない所作で食事をしている。タバサは、新入りの給仕の子の手元を、皿を運ぶたびに目で追っている。ガストンは、自分の皿のスープを、ひと口ずつ確かめるように飲んでいる。ミロは、パンの端っこを、ことさら大事そうに眺めていた。

(みんな、優秀だわ。ただ、全員が、ほんの七割くらいの力で動いている)

 仕事はできている。誰も、手を抜いてはいない。ただ、どの人にも、「もっとやれる」の余白が残っていた。

 主が、いないからだろうか。

 隣で、エマが、小声で言った。

「お嬢様」

「なあに」

「第三項目」

「…………」

 ルチアは、おかわりのスープを、黙って飲み干した。

 同じ夜。王都の外れの、小さな隠れ家で。

 レオンハルト・ユナカイトは、ソファに座って、一通の封筒を見つめていた。

 厚い紙。見慣れた紋章の封蝋。差出人の名前は、ユリウス・ユナカイト。公爵の父である。

「閣下」

 向かいの窓辺で、白金の髪の女性が、静かに振り返った。シルヴェリアだった。長い耳の先が、燭台の光に、ほのかに透けている。

「わたくしにも、同じものが届いております」

 彼女は、もう一通の封筒を、指先で持ち上げた。こちらの差出人は、エレオノーラ・ユナカイト。公爵の母である。

「何が書いてある」

「まだ、読んでおりません」

「読んでくれ」

「……閣下が、先に」

 二人は、しばらく、互いの封筒を見つめていた。

 やがて、公爵が、封を切った。目を走らせる。一枚、二枚、三枚。

「……『嫁を迎えたのなら、いい加減に、あの方とは手を切りなさい』」

 声が、低くなった。

「三枚だ。宛名は、私。内容は、おそらく、同じだ」

 シルヴェリアは、無言で、自分の封筒を開いた。紙を広げる。数行を読み、静かに、折りたたんだ。

「……とても、丁寧なお手紙でございます」

「どうだった」

「『息子の嫁になった娘さんには、何も知らせないように。くれぐれも、波風を立てないように』と。そして、『息子と、きちんと、お別れをしてくださるように』」

「それで」

「お茶菓子の、おすすめも書いてありました」

「母上は、いつも、そうだ」

 公爵は、額に手を当てた。

 窓の外で、月が傾いていた。

 遠い公爵領では、新しい奥様が、スープのおかわりをもらっている。その奥様が、この手紙に巻き込まれることを、まだ誰も知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。