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婚約破棄された転生令嬢は、今世こそスローライフを送りたい ~ちょっと指摘しただけなのに領地が勝手に発展して、冷徹公爵様に「師匠」と呼ばれています~  作者: 滝内亜依
第3章 使用人たちが覚醒しました

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第21話 失敗作を、みんなで食べます

 夕方の食堂に、長い机が一つ置かれた。

 いつもは、主人の食卓と使用人の食卓が分かれている。今夜は、それを一つにした。先日ガストンに頼んだ「失敗作も、皆で食べて」を、ルチアが実行に移したのである。

 上座にルチア。両脇に、オズワルドとタバサ。その隣に、ミロと、ニナと、洗濯係の二人。全員が、背筋を伸ばして座っている。

 誰も、最初のひと口に、手をつけようとしない。

「皆さん、楽にして」

「はい」

「はい」

「はい」

 返事だけは、そろっていた。

 厨房の扉が開いて、ガストンが大皿を運んできた。匂いが、一歩遅れて食堂に広がる。香草と、焦がしバター。

「お待たせいたしました。第一号です」

 皿の上には、茶色い塊が三つ。

「冬の間も食べられる肉を、作りたいのです。豚肉を塩と香草に漬けて、十日間、風に当てました」

 ルチアは、フォークで端を切って、口に入れた。

 ……しょっぱい。

 とても、しょっぱい。舌が縮むほどである。

「……失敗ね」

「はい」

 ガストンは、あっさり頷いた。

「塩を、入れすぎました」

「わたくしの舌では、四割ほど多いかと」

 タバサが、冷静に言った。

「さすが、侍女長」

「恐れ入ります」

 ミロは、塩辛い肉を口に入れたまま、目を丸くしている。洗濯係の一人は、涙目だった。

 ルチアは、慎重に言葉を選んだ。

「失敗でも、わかることがあるわ。塩が四割多いなら、次は四割減らせばいい」

「そのつもりです」

 ガストンは、失敗帳を開いて、さらさらと書き込んだ。

――第一号。塩過多。四割減。

 その顔は、失敗した料理の前なのに、少し嬉しそうだった。

 そのとき、ニナが、小さく手を挙げた。

「あの」

「どうしたの」

「お肉の、脂のところだけ、匂いが少し、違いました。……と、思います」

 ニナは、慌てて下を向いた。

「間違っているかも、しれないんですけど」

 ガストンは、ニナを見た。

 それから、失敗帳に、一行、書き足した。

――脂の部分、匂いが違う(ニナ)。

 扉が開いたのは、そのときである。

「ただいま」

 全員が、いっせいに立ち上がった。椅子がいくつも倒れた。

 レオンハルトが、外套を肩にかけたまま、扉の前に立っていた。金色の髪が、夕焼けを浴びている。

 今夕に戻ると、エマが言っていた。ちょうど、約束の時刻である。

「匂いが、玄関まで来ていた」

「失礼いたしました、旦那様」

 オズワルドが、深く一礼した。

「ガストンが、冬の間も食べられる肉を研究しておりまして。その試作品を、皆で食べております」

「悪くない匂いだ」

 彼は、外套を脱いでエマに渡し、ルチアの隣の椅子に座ろうとした。

 その椅子には、小さな札が置かれていた。

――旦那様。

 タバサの筆跡である。

「……タバサ。この札は」

「三日前から、ございました」

「三日前から」

「旦那様が、いつお戻りになってもよいように」

 タバサは、真顔だった。エマは、そっぽを向いている。

 レオンハルトは、何も気づいていないふりをして、残った第一号を、ひと切れ食べた。

 一拍、置いて。

「…………しょっぱいな」

「はい」

「次は、いつだ」

 ガストンが、顔を上げた。

「五日後に、改良したものを」

「楽しみにしている」

 ガストンの肩から、ふっと力が抜けた。

 その五日間、厨房の灯りは、夜明け前まで消えなかった。

 最初の夜は、塩を減らしすぎて、味がぼやけた。次の夜は、香草が強すぎて、肉の味が負けた。三日目の朝には、肉の表面に白い黴が浮いて、ガストンは黙ってそれを裏庭に埋めた。

「お嬢様」

 四日目の朝、エマが髪を梳きながら言った。

「昨夜で、七回目だそうです」

「何が」

「肉を、吊るし直した回数が」

「……ガストンは、寝ているの?」

「椅子の上で、三時間ほど。ニナが毛布をかけました」

 ルチアは、櫛の動きを止めさせた。

「エマ。タバサに、伝えてちょうだい」

「何と」

「ガストンを、今日の午後は、寝かせるように」

「承知いたしました」

 承知した顔だった。

 午後、ガストンは、タバサに腕をつかまれて、厨房から連れ出された。

「しかし、肉が」

「肉は、ニナが見ます」

「しかし」

「四時間でございます」

 それ以上は、誰も何も言わなかった。

 五日後の夕方。

 食堂には、同じ長机と、同じ顔ぶれがそろっていた。

 ルチアの隣には、レオンハルトがすでに座っていた。当然のように。札は、もう要らなかった。

 ガストンが、大皿を運んできた。目の下には、まだ影が残っている。けれど、足取りは、しっかりしていた。

「第五号です」

 皿の上には、薄く切った豚肉が、扇形に並んでいる。表面は深い赤褐色で、つやがあった。

「塩は、四割減らしました。脂の部分は、漬ける前に、削り落としました」

 ガストンは、そこで、ニナを見た。

「お前が、気づいたからだ」

 ニナが、フォークを持ったまま、固まった。

 ルチアは、ひと切れ、口に運んだ。

 ……おいしい。

 塩気は控えめで、噛むほどに、香草の香りが広がる。肉の甘みが、後から追いかけてきた。

「おいしいわ」

 食堂が、一瞬、静まった。それから、ひそやかなどよめきが、波のように広がった。

「本当ですか」

「ええ。ほら、閣下も」

「……ああ」

 レオンハルトも、ひと切れ食べて、目を瞬いた。

「おいしい」

「恐れ入ります」

 ガストンは、深く頭を下げた。それから、顔を上げて、ニナのほうを向いた。

「ニナ」

「は、はい」

「お前が、あの日、手を挙げなかったら、第五号はできなかった」

 ニナの唇が、震えた。

「わたし、間違っているかもって、思って……」

「間違いかどうかは、俺が決める。言わなければ、決めようがない」

 無愛想な声だった。けれど、ニナの目から、ぽろりと涙が落ちた。

「ありがとうございます……」

 洗濯係の二人が、そっと、ニナの背中をさすった。

 レオンハルトが、フォークを置いて、ガストンに尋ねた。

「これは、何日もつ」

「それは、まだ、わかりません」

 ガストンの答えは、正直だった。

「今日お出ししたのは、味の確認です。保存がきくかどうかは、別の話でございます。同じものを、地下の貯蔵庫に置いてあります。三か月後に、開けて確かめます」

「三か月後」

「はい。そのときに、もし傷んでいたら、また最初からやり直します」

 レオンハルトは、小さく頷いた。

 それから、机の端に置かれた失敗帳に、目を留めた。

「……これを、見てもいいか」

「どうぞ」

 彼は、頁をめくった。

 第一号、塩過多。第二号、味がぼやけた。第三号、香草過多。第四号、黴。

 その横に、いくつもの短い書き込みが並んでいた。

――脂の部分、匂いが違う(ニナ)。

――風は朝より夕方がよい(洗濯係)。

――吊るす場所は北側(ミロ)。

 二十年間、誰にも見せなかった帳面である。それが今、食卓の上に、開いたまま置かれている。

 レオンハルトの指が、ある頁で止まった。しばらく、動かなかった。

 彼は、ゆっくりと顔を上げて、ルチアのほうを見た。

 そして、他の誰にも聞こえない声で、言った。

「師匠」

「……はい、閣下」

「この邸では、誰の言葉でも、ここに書かれるのですね」

「何も見ておりません。わたくしは、皆さんと食べているだけです」

 ルチアは、にっこり笑った。

 承知していない顔だった。

 食堂の隅で、ガストンが、小さく拳を握った。

 誰にも見えないように。

 けれど、エマにだけは、見えていた。

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