↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された転生令嬢は、今世こそスローライフを送りたい ~ちょっと指摘しただけなのに領地が勝手に発展して、冷徹公爵様に「師匠」と呼ばれています~  作者: 滝内亜依
第1章 悪役モブは、先回りして婚約を終わらせた

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/26

第2話 冷徹公爵は、ゲームより顔がいい

 背の高い男は、柱の陰から一歩だけ、灯りの届くところへ出てきた。

 金の髪が、燭台の火を受けて淡く光る。切れ長の目は、碧(あお)。深い海の底に、光が差したような青緑色をしていた。夜会服の襟元には皺ひとつなく、立っているだけで、廊下の空気がぴんと張る。ゲームでは、この人が画面に出るたび、BGMまで一段低くなったものだった。

(ゲームより顔がいい)

 ルチアは、ドレスの下で膝に力を入れた。

 画面越しの立ち絵は、確かによくできていた。けれど、紙の上と目の前とでは、情報量が違う。睫毛の影の落ち方や、手袋をはめた指の長さまで、いちいち正確に目に入ってくる。

 六十二年分の人生経験は、こういうときに限って、何の役にも立たなかった。

 ゲームの領主一覧には、この人の財務能力が星五つで載っていた。外見の項目がなかったのが、いまとなっては惜しまれる。

(落ち着いて。相手は二十八歳。わたくしからすれば、孫……いえ、甥……いえ、とにかく年下)

 そう言い聞かせても、鼓動の速さは変わらない。金髪に碧の瞳。それは前世から数えて何十年も、ルチアの弱点であり続けている。誰にも認めたことはないけれど。

「ユナカイト公爵閣下」

 ルチアは膝を折った。ドレスの裾が、床の上で静かに広がる。声は、ちゃんと出た。

「このような場所で、失礼をいたしました」

「いえ。呼び止めたのは、こちらです」

 公爵レオンハルト・ユナカイトは、低く落ち着いた声で言った。表情は、ほとんど動かない。「冷徹」と噂されるのも頷ける顔だった。

「ベルナール・クラレンスの、妹君とお見受けしました」

「はい。兄が、いつもお世話になっております」

 口から出たのは、定型の挨拶だった。兄のベルナールは、この公爵の下で働く財務官である。家で顔を合わせるたびに、「閣下はすごい」と、熱に浮かされたように語っていた。

「彼は優秀です。ただ、貴女の話になると、少々うるさい」

「……うるさい、と申しますと」

「『うちの妹は天才です』と。何度聞いたか分からない」

 公爵の眉が、ほんのわずかに動いた。

「身内の贔屓目だろうと、聞き流していたのですが」

(お兄様。職場で、何をおっしゃっているの)

 首筋から耳まで、熱が這い上がってくる。婚約破棄の一部始終を見られていたうえに、兄の妹自慢まで露見した。今夜は、厄日かもしれない。

「兄が、大変失礼を」

「いや。それより、先ほどの引き継ぎの件ですが」

(聞かれていた)

「ウィンスロー領の財務に、貴女が関わっておられたのですか」

「少しだけです」

「少し、とは」

「月に一度、帳簿を拝見していた程度ですわ」

 事実である。ただ、「月に一度」の中身を、いちいち説明する気はなかった。

「では、夜も更けておりますので」

 ルチアは、もう一度深く膝を折った。

 ここで話し込むと、ろくなことにならない。前世の五十二年と今世の十年を合わせた、確かな経験則である。

「兄のこと、今後ともよろしくお願いいたします。失礼いたします」

「クラレンス嬢」

 呼び止める声が背中に届いたが、ルチアは振り返らなかった。振り返れば、またあの顔を見ることになる。それは、心臓によくない。

 石造りの廊下に、自分の靴音だけが高く響いた。背後から、足音は追ってこない。追ってこなくてよかった、と思う。少し残念だと思ったことは、なかったことにした。

 ルチアは、背筋を伸ばしたまま、できるだけ優雅な速さで歩き続けた。

 馬車止めには、見慣れた栗毛の馬と、見慣れた顔があった。

「お嬢様、お早いお帰りで」

 エマ・リードは、馬車のステップの脇で、きちんと背筋を伸ばして待っていた。ルチアと同い年。生まれたときから姉妹のように育った、乳姉妹である。ルチアの顔を見るなり、エマは片方の眉を上げた。

「お嬢様。お顔が赤うございます」

「夜気に当たったからよ」

「今夜は、暖かいほうですが」

「……風邪かもしれないわ」

「お熱を測りますか」

 エマは大真面目な顔で、ルチアの額に手を伸ばしてきた。ルチアは、その手をそっと避けて馬車に乗り込む。

 座席の上には、毛布と、革の水筒と、紙に包んだサンドイッチが、きちんと並んでいた。夜会で何も口にしていないことまで、お見通しなのだ。

「まずは召し上がってください。話は、それからです」

 向かいの席に腰を下ろして、エマはにっこり笑った。

「婚約破棄の件は、旦那様と奥様に、使いを出してお伝えしてあります」

「……早いわね」

「お嬢様が支度をされている間に、ラディ様のお屋敷の使用人たちが、ずいぶん落ち着きなく動いていると聞きましたので。そろそろだろうと」

 調査と手配と情報収集は、エマの担当である。ルチアが何か言う前に、必要なものが揃っているのが、日常になってしまっていた。

「ところで、兄が職場で、わたくしの自慢をしているそうなの」

「ベルナール様でしたら、屋敷の者は全員、存じております」

「全員……」

「先月の晩餐で、ご自分から」

「それで」

 エマは、ルチアのサンドイッチを持つ手元を、じっと見た。

「お顔が赤い理由は、金色の髪の殿方にお会いになったから、でしょうか」

 ルチアは、サンドイッチを喉に詰まらせかけた。

「……エマ」

「当たりましたか」

「当たっていません」

「お嬢様が赤くなるのは、金髪の殿方にお会いになったときだけと、昔から決まっております」

 返す言葉が、見つからなかった。この乳姉妹は、ルチアの弱点を、ルチア自身よりよく知っている。

 水筒の温かいお茶で、ようやく喉が落ち着いた頃、エマが後ろの小窓にちらりと目をやった。

「お嬢様。一つ、よろしいですか」

「なあに」

「後ろの馬車に、ユナカイト公爵家の紋章がございます」

「あら。帰り道が、同じなのでしょう」

「そのようです」

 エマはそう言って、小窓の布を戻した。けれど、ルチアの、サンドイッチを持つ手は、止まったままだった。

(……まさか、さっきの話の続きを?)

「少し、とは」の続きが、頭の中で勝手に補われそうになる。「少しではないでしょう」だろうか。「お見事」だろうか。どちらにしても、いい予感はしない。

 二周目の人生計画書の第二項目は、「面倒なことには近づかない」にするつもりだった。書き出す前から、雲行きが怪しい。

 車輪の音が、石畳の上を規則正しく鳴っている。そのうしろを、黒塗りの馬車が、何事もないような顔で走っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。