第18話 採用は、手を見ます
レオンハルトは、翌朝、王都へ戻っていった。
去り際に「できる範囲で、お願いします」と言い残していったので、ルチアは「できる範囲」を、できるだけ狭く解釈することにした。庭の散歩と、読書と、昼寝。その三つだけである。
その決意は、三日と持たなかった。
「奥様。お時間を、いただけますでしょうか」
午後の居間に、タバサが立っていた。
侍女長のタバサは五十歳。背筋は定規のようで、エプロンには皺ひとつなく、笑ったところを、ルチアはまだ見たことがない。
「明日、見習いの面接がございます。奥様にも、ご同席を」
「わたくしが?」
「採用の最終名簿に、奥様のご署名が要ります。顔を見ておいていただいたほうが、ご署名も気楽かと」
「……座っているだけで、よいのね」
「はい。お座りになっているだけで、結構でございます」
「それなら、承知いたしました」
扉の影で、エマが小さく咳をした。
翌日の午前、応接室には、三人の少女が並んで座っていた。
十五、六歳だろうか。左の子は背が高く、身なりが整っていて、笑顔が上手い。真ん中の子は小柄で、膝の上の手をずっと握りしめている。右の子は、そわそわと室内を見回していた。
ルチアは上座の端に腰かけて、本を開いた。読んでいるふりである。
タバサは、その隣に座った。手元の紙は、白紙だった。
「では、始めます。お名前と、これまでのご経験を」
左の子が、はきはきと答えた。町の商家で二年働いたこと。接客が得意なこと。笑顔を褒められること。
右の子は、前の職場の話を始めて、悪口を三回言った。
真ん中の子は、名前を言うのに、二回つっかえた。
「……あの、わたし、うまく喋れなくて。ごめんなさい」
声が小さい。ルチアは、本の陰で、少しだけ胸が痛んだ。
「では、お茶にしましょう」
タバサが、ぱん、と一度だけ手を打った。
待っていたように扉が開いて、エマが盆を運んできた。カップが三つ、ポットがひとつ。エマは少女たちの前に、ひとつずつカップを置いていく。
左の子は、にこやかに礼を言い、持ち手をつまんで飲んだ。
右の子は、「あ、どうも」と言って、受け皿ごと引き寄せ、中身を少しこぼした。
真ん中の子は、両手でカップを受け取ると、縁に指を添えて、くるりと半分だけ回した。それから、持ち手の向きを直して、口をつけた。
「……あったかい」
それだけだった。
ルチアは本のページをめくった。何も起きていない。お茶会である。
タバサは、白紙の紙に、何かを書いていた。いつ書いたのかわからないほど、さりげなく。
面接は、三十分ほどで終わった。
「結果は、三日以内に、お知らせいたします」
少女たちが一礼して出ていく。扉が閉まる。
「お疲れさまでした。……もう、決まったの?」
「はい」
タバサは、白紙のはずの紙を、ルチアのほうに向けた。
裏面に、三人の名前と短い言葉が、細かい字でびっしり並んでいた。
左の子の横に、「商会向き」。
右の子の横に、「三年後に再面談」。
真ん中の子の横には、大きく、一文字だけ。
「採」。
「……どうして、この子なの」
「あのカップは、持ち手に、わずかな欠けがございます」
ルチアは、自分の手元を見た。本のそばに置かれたカップの持ち手が、確かに、髪の毛ほど欠けていた。
「わざとでございます。三つのうち、どれが当たりかは、エマに伝えてありました」
「わざと……」
「欠けを見つけて避けた方は、一人だけでした」
ルチアは、部屋の隅で澄ましているエマを見た。エマは何も知らない顔をしていた。知っていた顔だった。
それから、真ん中の子が出ていった扉を見た。
「採用は、顔ではなく、手を見ます。話し方は取り繕えますが、物を扱う手は、嘘をつきませんので」
「……そうなの」
「恐れ入ります」
タバサの顎が、ほんの少しだけ上がった。
「あなた、いつも、こうなの」
「三十一年、こうでございます」
「何人くらい、採ったの」
「二百十四名でございます。一年以内に辞めた者は三十八名。のこりは、邸のほか、領内の商会や孤児院や宿で、働いております」
「領内の……あなたが育てた人たちが?」
「はい」
ルチアは、ぽかんとした。
「それ、聞いていなかったわ」
「お尋ねがございませんでした」
淡白な答えだった。
けれど、ルチアは、前の世界で何度も見た顔を、そこに見た。三十年かけた仕事に、一度も数字をつけてもらえなかった人の顔だった。
「タバサ。採用と育てるところは、今後もあなたの判断で、進めて」
「……奥様」
「署名は、いくらでもするわ。内容は、読まなくても大丈夫でしょう?」
「内容は、すべて、わたくしが責任を持ちます」
「それなら、お任せします。わたくしは、座っているだけで」
口に出してから、少し大きなことを言った気がした。けれど、取り消すほどでもなかった。
タバサは、しばらく動かなかった。
それから、深く、頭を下げた。
「……お預かりしたものは、すべて、お預かりしたままお返しするものと、心得て参りました」
「ええ」
「育てても、よろしいのですね」
「ええ。好きにして」
タバサの肩が、ほんのわずか、上下した。
ルチアは、窓の外を見ることにした。見てはいけない気がした。
三日後。
朝食の席につくと、テーブルの脇に、分厚い紙束が置かれていた。
「何かしら、これは」
「タバサ様からです」
エマが、澄ました顔で言った。
「題は、『新人侍女育成計画(三か年)』。十二枚ございます」
「十二枚」
「一年目は基礎、二年目は専門、三年目は進路面談。進路は、邸に残る道、領内の商会へ出る道、王都へ上がる道の三つ。各段階で見るべき手の動きと、避けるべき癖が、図入りで」
「図入りで」
「最終頁に、奥様のご署名欄がございます」
ルチアは、最終頁を開いた。署名欄の下に、小さな字で、一行。
――ご多忙の折は、署名のみで結構です。内容は、すべてこちらで責任を持ちます。
「……面接の翌日から、書き始めたのかしら」
「いいえ。下書きは、三十一年分ございましたそうです」
エマの口元が、ごくわずかに緩んだ。
「第三項目は、いかがいたしましょう」
「署名だけして、閉じておきます」
ルチアは、署名をした。
署名欄の隣に、もう一枚、小さな付箋が貼ってあった。
――採用された子は、本日から、持ち手の欠けたカップを、毎朝一つ、磨いております。
ルチアは、自分のカップを見た。持ち手の欠けは、つるりと、なめらかに整えられていた。
紅茶は、熱かった。




