第15話 お茶会の面談は、評価ではありません
翌日の昼下がり。ルチアの部屋の円卓に、カップが四つ並んだ。
「お茶会、第一回でございます」
エマが、手帳を片手に宣言した。
「順番は、ミロ様、ガストン様、タバサ様、オズワルド様。お一人、三十分です」
「どうして、その順番なの」
「緊張される方を、最後にしました」
「優しいのね」
「いえ。最初に当たると、後の方々が噂を聞いて、構えるからです」
ルチアは、頷いた。
扉の外には、すでに使用人たちが、順番に並んでいた。全員、いつもより襟を正している。
誰も、お茶会だとは思っていない。
最初に入ってきたのは、ミロだった。帽子を深くかぶり、両手で小さな花束を抱えている。
「奥様。本日は、お招きいただき」
「楽にして。お花は」
「手土産です。あの、評価の面談と伺ったので、少しでも印象が」
「評価ではないわ。お茶を飲むだけ」
「……お茶を、飲むだけ」
ミロは、花束を抱えたまま、固まった。それから、おそるおそる椅子に腰を下ろした。
エマが、カップに紅茶を注いだ。
「昨日、庭で見た苗のことは、聞かないでおくわ」
「は、はい」
「だから、聞くのはひとつだけ。ミロの好きなことは、何」
「好きなこと、ですか」
ミロは、しばらく考えた。
「土、です」
「土」
「はい。同じ畑でも、場所によって、土は違います。北側は粘土が多く、南側は砂が混じる。雨の降り方で、水の溜まる場所も変わる。それを、ずっと、眺めているのが」
そこで、ミロははっとして、口を押さえた。
「失礼しました。つい」
「続けて」
「え」
「聞いているわ」
ミロは、目を瞬いた。
それから、少しずつ、話し始めた。畑の端にある水路のこと。去年、麦が倒れた原因。いつか試したい、豆の輪作のこと。
話すうちに、帽子の下の耳の先が、ほんのり赤くなっていく。
エマの手帳に、一行が加わった。
『ミロ様。畑。誰にも聞かれなかった』
「……奥様」
三十分後、ミロが、立ち上がりながら言った。
「僕の話を、こんなに長く聞いてくださった方は、初めてです」
「ミロの話は、面白いもの」
「花の話だけは、長いと言われます」
「それも、聞きたいわ。今度ね」
ミロは、花束をルチアに押しつけると、足早に出ていった。扉の向こうで、嬉しそうな声がした。
二人目は、ガストンだった。
腕を組んだまま入ってきて、円卓の前で立ち止まった。
「座って」
「……失礼します」
椅子に座った背中は、板のように硬い。上着のポケットが、不自然に膨らんでいる。
「ポケットに、何か入っているの」
「……焼き菓子です」
「手土産ね」
「評価の面談と伺ったので」
「みんな、同じことを言うのね」
ルチアは、思わず笑った。ガストンは、むっとした顔をした。
「笑われるようなことでは」
「ごめんなさい。この焼き菓子、いただくわ」
ひとくち、かじる。
胡桃の香りが、ふわりと広がった。外はさくりとして、中がしっとりしている。
「おいしい。これは、レシピ帳の中の?」
「…………」
ガストンの肩が、びくりと跳ねた。
「やはり、見ておられましたか」
「ほんの一瞬。表紙が擦り切れていたから、大事なものだと思って、それ以上は見なかったわ」
「……そうですか」
ガストンは、長い間、黙っていた。
それから、ぼそりと言った。
「二十年、書いております」
「二十年」
「見習いの頃から。師匠に叱られたことも、失敗した味も、全部。……誰にも、見せたことはありません」
「どうして」
「見せる相手が、おりませんでした」
低い声だった。
エマが、何も言わずに、紅茶を注ぎ足した。
「ガストンの好きなことは、何」
「料理の、理屈です」
「理屈」
「どうして、この火加減で、この味になるのか。どうして、この保存の仕方で、日持ちが違うのか。……食材が、どう動くのかを、考えるのが」
ガストンは、そこで言葉を切った。
ルチアは、焼き菓子の皿を、そっと彼のほうへ押した。
「一緒に、食べましょう」
「……はい」
二人は、黙って、焼き菓子を分け合った。
エマの手帳に、一行。
『ガストン様。理屈。二十年分のノート』
三人目は、タバサだった。
背筋を伸ばして入ってきて、円卓の脇に、深く一礼した。
「侍女長のタバサでございます。本日は」
「座って、タバサ。お茶を」
「いえ、私は、立ったままで」
「座って」
ルチアは、柔らかい声で言った。
タバサは、ほんの一瞬、迷った。それから、椅子に浅く腰をかけた。
膝の上に、折りたたんだ紙の束がある。
「それは」
「侍女たちの、勤務の記録でございます。本日の面談で、必要かと」
「評価の面談ではないのよ」
「……存じ上げております。ですが、持参いたしました」
ルチアは、エマと目を合わせた。エマは、手帳で口元を隠している。
「では、見せてもらうわ」
紙の束には、侍女ひとりひとりの名前が書かれ、その横に、びっしりと細かい字が並んでいた。得意なこと、苦手なこと、叱ったときの反応、改善の兆し。
「これは、いつから」
「入ったときから、でございます。……誰にも、見せておりません」
「ガストンと同じね」
「は」
「いえ。独り言」
ルチアは、頁を一枚、丁寧にめくった。
「タバサの好きなことは、何」
「好きなこと、でございますか」
「ええ」
「……人が、育つのを、見ることでございます」
タバサは、小さな声で言った。
「入ったばかりの子が、一年かけて、一人前になる。あの変わりようを見るのが、何よりも」
「教えるのが、好きなのね」
「はい」
そこで、タバサの声が、わずかに沈んだ。
「ですが、教える時間が、ございません。私が自分で拭いたほうが、早いのです」
「それは、困ったわね」
「……はい」
ルチアは、紅茶をひとくち飲んだ。
「その記録は、とても良いものだと思う」
「恐れ入ります」
「だから、いつか、誰かの役に立つわ。今日は、見せてくれてありがとう」
タバサは、深く頭を下げた。顔を上げたとき、目の縁が、少しだけ赤かった。
エマの手帳に、一行。
『タバサ様。育てること。長年の記録』
最後は、オズワルドだった。
扉を叩く音が、きっかり三回。
「入って」
「失礼いたします」
背筋の通った家令が、一歩ずつ、定規で測ったような足取りで入ってきた。手には、何も持っていない。
「あら。手土産は」
「ございません」
「珍しいわ」
「評価の面談ではないと伺いましたので」
ルチアは、思わず目を丸くした。
「誰から」
「ミロから。ガストンから。タバサから。三名とも、扉の外で、教えてくれました」
エマが、手帳の影で、肩を震わせている。
「そう。では、遠慮なくお茶を。座って、オズワルド」
「恐れ入ります」
オズワルドは、静かに座った。カップを受け取り、ひとくち飲んだ。
「ミロとガストンとタバサは、それぞれ、好きなことを話してくれたわ」
「存じております」
「オズワルドの好きなことは、何」
オズワルドは、カップを皿に戻した。
しばらく、何も言わなかった。窓の外の風の音が、聞こえた。
「…………」
「話したくなければ、いいのよ」
「いえ」
オズワルドは、膝の上で、両手を重ねた。
「私は、三十年、この家に仕えてまいりました。与えられた仕事は、すべて、完璧に致しました」
「ええ。見ていて、分かるわ」
「ありがとうございます。ですが」
そこで、一度、言葉を切った。
「奥様。ひとつ、お願いがございます」
ルチアは、カップを置いた。
エマが、手帳から顔を上げた。
オズワルドの視線が、まっすぐ、ルチアに向いている。いつもの無表情の奥に、三十年分の何かが、確かに揺れていた。
「どうぞ。聞くわ」




