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婚約破棄された転生令嬢は、今世こそスローライフを送りたい ~ちょっと指摘しただけなのに領地が勝手に発展して、冷徹公爵様に「師匠」と呼ばれています~  作者: 滝内亜依
第3章 使用人たちが覚醒しました

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第14話 七割の人たち

 第二項目は、「一日一回、庭を散歩する」である。

 ルチアは、翌朝、それを拡大解釈することにした。

 ポケットには、昨日の委任状が入っている。まだ、名前は書き込んでいない。

「お嬢様。今日の散歩の範囲は、どこまででしょうか」

 エマが、小さな手帳を開いて、真顔で訊いた。

「庭。廊下。階段。厨房の入り口まで。あと、洗濯場の前を通って、馬屋の横を抜けて」

「屋敷全部、でございますね」

「散歩よ」

「承知いたしました」

 承知していない顔だった。ただ、手帳の一行目には、すでに今日の日付と「観察」の二文字が書いてある。

「エマ。これは、口を出すのではないわ」

「はい」

「見るだけ」

「はい」

「師匠から、そう教わりました」

「教わったのは、閣下のほうです」

 エマは、手帳をぱたんと閉じた。

 最初に通りかかったのは、玄関ホールだった。

 オズワルドが、廊下の端に立っていた。両手を背に回し、使用人たちの動きを、一人ずつ目で追っている。

「おはようございます、奥様」

「おはよう、オズワルド。今日も、お屋敷は静かね」

「恐れ入ります」

 ルチアは、ゆっくりと歩き出した。

 使用人たちは、廊下をきびきびと往復している。誰も無駄に急がず、誰も遅れない。仕事は、正確だった。

(昨日の夕食から思っていたけれど)

 見れば見るほど、感心する。

 荷物を運ぶ従僕と、花を替える下女と、窓を拭く少年。それぞれの動線が、重ならない。重なりそうなところには、必ず誰かが先に立っていて、道を空ける。

(これは、誰かが全体を見ている)

 オズワルドだった。彼は、廊下に立っているだけで、全員の動きを調整している。声も出さずに、目配せと、指の動きだけで。

(組織を回す力。……でも、これは「今ある人員」を「今ある順番」で回しているだけ)

 ルチアは、廊下の隅の棚に目をやった。

 棚の最下段に、細長く巻かれた紙が、一本、立てかけてあった。紐で縛ってあるが、埃は、かぶっていない。

(毎日、触っているのね)

 エマが、小声で言った。

「あの巻物は」

「触らないで。見るだけ」

「承知いたしました」

 次は、侍女の控え室の前を通った。

 扉が半開きで、中から、タバサの声が聞こえた。

「違います」

「あ、はい」

「襟の折り返しは、人差し指の幅で、と何度」

「すみません」

「……いえ」

 タバサは、ほんの少しだけ、声を落とした。

「私が、拭いておきます。次から気をつけなさい」

「ありがとうございます」

 侍女見習いの少女は、頭を下げて去っていった。その後ろ姿を、タバサは、ほんの一瞬だけ、やさしい目で見送った。

 それから、自分のハンカチを取り出して、少女が拭き残した窓枠の隅を、黙って拭いた。

 ルチアは、扉の影で、そっと息を詰めた。

(教えたいのね。本当は)

 厳しい人だと思っていた。それは、間違いではない。ただ、その厳しさの下に、「育てたい」という気持ちが、隠れている。

 でも、自分で拭いてしまう。教えるより、早いから。教える時間を、与えられていないから。

 エマが、手帳に書き込んだ。

「タバサ様。指導は一回のみ。再教育の機会、不明」

「見事な要約ね」

「お嬢様の分析を、短くしただけです」

 厨房の前では、ガストンが、背を向けて立っていた。

 肩が、少しだけ丸い。腕を組んだ後ろ姿が、昨日より、少し柔らかかった。

「おはよう、ガストン」

「……おはようございます」

「今日のスープも、楽しみにしています」

「……はい」

 ガストンは、ぼそりと答えた。それから、ほんの少しだけ、口の端が動いた。

 ルチアは、厨房の中をちらりと見た。作業台の端に、油の染みた小さなノートが置いてあった。表紙は擦り切れ、頁の端に、びっしりと鉛筆の字が書き込んである。

(……あれは、レシピ帳)

 誰にも見せない、自分だけの。

 ガストンは、ルチアの視線に気づいて、さっとノートを引き出しに隠した。それから、咳払いをした。

「失礼を」

「いいえ。わたくしこそ、立ち入って」

「いえ」

 気まずい沈黙。エマが、ルチアの袖を引いて、そっと厨房から離れた。

「お嬢様。見るだけ、でございますよ」

「見ただけよ」

「ガストン様のお顔が、真っ赤でした」

「ええ。見えたわ」

 最後は、庭だった。

 ミロは、花壇の脇にしゃがみ込んで、小さな苗を植え替えていた。昨日と同じ、帽子を深くかぶった姿だ。

 そのすぐ隣には、苗を入れた浅い木箱が、いくつも並んでいる。庭の花とは違う、見たことのない芽が、ちらほら顔を出していた。

「ミロ。それは」

「奥様」

 ミロは、慌てて立ち上がった。それから、苗の箱の前に、さりげなく立ちふさがった。

「いえ、あの。ちょっとした、趣味でして」

「趣味」

「はい。庭の仕事とは関係ありません。……少しだけ、土の具合を見ているだけで」

 ルチアは、箱の隅に、小さな札が立っているのを見つけた。「寒冷地向け」「痩せ地」「耐水」と、几帳面な字で書いてある。

(これ、庭の花じゃない。畑のための苗だわ)

 領地の畑に、何が足りないのか。何を植えれば、収穫が増えるのか。ミロは、それを自分で調べて、こっそり、育てている。

 誰にも頼まれないのに。

「ミロ」

「は、はい」

「お水は、足りているかしら」

「え。……はい」

「それなら、よかった」

 ルチアは、それ以上、何も言わなかった。ただ、にこりと笑って、通り過ぎた。

 ミロは、しばらく固まったまま、苗の箱を見つめていた。

 昼過ぎ。

 ルチアは、庭のベンチに腰を下ろした。エマが隣で、手帳を開いている。

 風が、心地よかった。

「お嬢様。ご報告を」

「お願い」

「オズワルド様。全体の配置調整は、すでに完璧。ただし、棚に、使われていない配置図が一巻」

「ええ」

「タバサ様。指導は、一度のみ。見習いに、教える時間が与えられていない」

「ええ」

「ガストン様。レシピ帳を所持。誰にも見せていない」

「ええ」

「ミロ様。畑向けの苗を、無断で試験栽培中」

「ええ」

 エマは、手帳を閉じた。

「皆様、お仕事は、完璧です。ただ」

「ただ?」

「皆様、引き出しの奥に、何かをしまっていらっしゃいます」

 ルチアは、空を見上げた。

 白い雲が、ゆっくりと流れている。

「七割ね」

「七割、でございますか」

「ええ。仕事は、きちんとこなしている。誰も、手を抜いてはいない。ただ、残りの三割は、引き出しの奥に」

 ルチアは、ゆっくりと息を吐いた。

「あの方たち、使えるものを、使わせてもらっていないのよ。主が、いないから」

「主、でございますか」

「ええ。『ここまでやっていい』と言ってくれる人が」

 エマは、少しだけ、目を細めた。

「お嬢様」

「なあに」

「お口を、出さないのでしたね」

「ええ」

「では、どうなさるのですか」

 ルチアは、しばらく、黙っていた。

 それから、小さく笑った。

「お茶会を、開くわ」

「お茶会、でございますか」

「一人ずつ、順番に。お話を、聞くだけ」

「口は」

「出さないわ。聞くだけ」

「承知いたしました」

 エマは、手帳の新しい頁を開いた。そして、いちばん上に、小さな字で書いた。

『明日から、お茶会(四人)』

 それから、その下に、もう一行、書き足した。

『第三項目、見送り』

 ルチアは、それを覗き込んで、ふっと笑った。

「見送りなの?」

「はい。お嬢様が、守ろうとなさっている限り、完全に破られた、とは申しません」

「優しいのね」

「いえ」

 エマは、手帳を閉じた。

「賭けておりませんので、勝ち負けが付けられないだけです」

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