デュシエル家
顔と目玉が見合っていない。それがエルンスト・デュシエルに対する、最初の印象だった。
時折そういう人間がいる。にこやかに振る舞い、他者に警戒されないように努め、けれど他者への警戒心だけは僅かに漏らすような人間が。
大抵そういう奴は、年老いているか、強いコンプレックスを持っている。埋められない何かを、持っているもので誤魔化そうとしている。
だから意外だった。整った容姿の、侯爵家の嫡男なんて恵まれた生まれの男が、こんな瞳をしている事に。
王都のデュシエル侯爵家に着くと、礼儀正しい使用人たちが俺を迎えた。一寸の隙もない振る舞いで案内された応接間では、気品ある家具が並べられている。
エルンスト・デュシエルはすでに、ソファに座って俺を待っていた。
濃い褐色の髪と瞳をしていて、背丈はローディスと同じくらいか。肩ほどの長さの髪を、後ろで緩く結んでいた。
衣服の小物、二つボタンの開けられた襟。身につけているものは軽薄そうに見えて、本人の瞳は真面目くさった、神経質なものだった。
穏やかに男は、口を開いた。
「ようこそ、オトゥール辺境伯。噂はかねがね。こうして話すのは初めてですね」
「そうだな。わざわざ時間を取ってもらい、感謝する」
「そちらこそ。遠くからお越しいただき、ありがとうございます」
茶に手をつけることもなく、数言挨拶や雑談をした。さて要件だが、の俺の言葉に彼は瞳を細める。
「忙しい貴方が我が家に来たのは、こんな雑談をするためではないでしょうしね」
「そうだな、本題に入ろう。……ローディスは今、どうしている?」
言葉に、男はわずかに口角をあげた。
「今は我が家に。……なんて、そんなことは当然知っているでしょう。元気にしていますよ。暇だの本は嫌いだの散歩させろだの、文句ばかりだ」
「あいつは分厚い本が嫌いなんだ。薄いものか、短編集を用意してやるといい」
「面倒だな」
さらりと言い切って、肩をすくめる男の真意は伺えない。
それでも言葉を選ぶ。……こういったことは本来、ローディスの方が向いている。それでも、黙り込むのは論外だ。
「……面倒なのにわざわざあいつを引き取ったのは、誰かに指示でもされたのか?」
「そうかもしれませんね。そちらこそ、わざわざ王都まで出向いてこんなことを聞きにきたのは、親友が心配だからですか? それとも麗しの新妻が兄の身を案じているからでしょうか」
エルンストは、褐色の瞳を細めた。
当然ではあるが、目の前の男はアーリエの嫁入りのことを知っているらしい。
「そうそう、お祝いを言い忘れていましたね。ご結婚おめでとうございます。あれほどの女性を妻に迎えられて、全く羨ましい限りだ。王都の男は全員、あのアルエットの一輪華が誰かの妻になったと知ったら、寝込むかもしれませんね」
まぁ、彼女にとっても王都でつまらない争いに煩わされるより、兄の知己に嫁入りした方が良かったのかもしれませんが。元気にしていますか?
そう言葉を続けられる。俺やアーリエについてどこまで知っているのか、ローディスから聞いているのか。
食えないやつだった。入れられた紅茶は高価なものなのだろうが、手をつける気は起きない。――こういった腹の探り合いは、本当に苦手だ。
けれど、目の前の男に兄のことを聞いてほしいと不安げだった淡い紫の瞳の少女と、同じ髪と瞳を持つ親友を思い浮かべる。口を開く。
「そうだな。家に来て最初こそ不安げだったが、今は笑顔を見せることも増えている。彼女が来て、家もずっと明るくなった。あの兄妹は、居るだけで周囲の空気を明るくするところがよく似ている」
「へぇ。仲良くやっているようで、それもまた羨ましい」
「ああ。こちらの食事は口に合うか心配だったが、とくに果実の砂糖煮が好きらしい。ローディスも好きだったといえば喜んでいた。そうして兄は何の果実煮が一番だったかと尋ねてきてな。……答えは、兄の口からの方が良いだろう。だからあいつの身柄を、引き受けに来た」
王太子がローディスを陥れようとしていることを、コーデリア王女に手など出していないことを、理解しているだろう?
エルンストの表情は、変わらない。
「アーリエはもう俺の妻になった。クロード殿下はそれを歓迎して、俺たちの婚姻を認めた筈だ。……なら、今ローディスを罪人として捕えておく必要が何処にある?」
酷く冷めた目で、エルンスト・デュシエルはこちらを見た。
「それを言うために、ここに来たのだとは思っていましたが。…………それはできません」
「理由は」
「そういう制度だからです。適当な言い分で、雑で穴だらけの手段でしたが、王家の人間の名のもとにローディス・アルエットはその身を拘束された。それを我々の一存で解放などできません。面会も出来ません。コーデリアは何度も彼に会いたがっているが、許可していませんから。王女を通さないのに、あなたを許すわけにもいかない。形式としての決まりですからご理解願いたい」
粘ろうとして、けれど出た名前に言葉は止まった。
ここで、コーデリア王女の名を聞くとは。今回の一件でコーデリア王女は、当事者であるにも関わらず、驚くほどになんの音沙汰もなかった。
「……コーデリア王女は、ローディスが好きなのか?」
「ありえない。彼女は誰も特別にはしない」
思わず漏れた言葉は、吐き捨てるような声で返される。その瞳には、本当の憤りがあった。
――先ほどの余裕ありげな態度も、揶揄うような声音も捨てて。目の前の男は今、俺の言葉に本気で憤っている。
確かにエルンストとコーデリア王女は婚約者だから、他人に婚約者が想いを寄せているのではなど失礼極まりない発言だった。それは申し訳なく思う。
けれどエルンストとコーデリア王女の仲は冷え切っていると有名だ。さっきもアーリエを妻に迎えることに対して羨ましい、などと話したのに、この言葉には憤る。どういう理屈だろう。
俺の知らない、なにかがあるのだろうか。
………………分からない。
エルンストは瞳を伏せて、一つ呼吸をした。顔を上げた時には全て、元通りになっていた。
「さて、申し訳ないが、この後急な用件が入ってしまっていまして。そろそろ出なければいけないんです。だから、ここまでにさせてもらいましょう」
「は……? 待て。まだ何も聞けていない。そもそもデュシエル家は――」
「どうしても全てを知りたいのなら、俺ではなく、クロード第二王子に聞くと良い。どちらかといえば、当事者はあちらだ。まあ、ハーゲンによってかつてなく忙しくしていますが。止めきれなかったものはあなた方にも影響はあると思いますが、それは貴方たちでどうにかしてください」
言い切る言葉。本当にもう、話をする気はなさそうだった。
時計はひどくゆっくりと進む。本当に、知りたいことは。
「…………ローディスは、本当に無事なのか」
「ええ。そうして彼を、ハーゲンに渡すつもりもありません。それは俺たちにとっても、望むところではないので。あとは……。そうですね、今度から食事に、果実の砂糖煮を追加しておきます」
男は悠々と答える。
「こちらからも。貴方は、アルエット公爵令嬢を愛していますか? 偽装結婚は結構ですが、ともに過ごすうちに愛しく思うこともあるでしょう」
「な…………!」
確かに彼女は美しい。けれど愛しくなど、それはローディスやアルエット家への、なによりもアーリエ自身への、裏切りだろう。
「まあ、どちらでもいいですが。王太子は、まだアルエット公爵令嬢を微塵も諦めていない。もし、貴方があの娘を押し付けられた親友の妹ではなく、大切な存在と見ているのであれば。用心することですね」
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デュシエル侯爵家のあとは、ローディスとアーリエの実家、アルエット公爵家に赴く。
公爵夫妻は玄関で待ってくれていて、アーリエの近況と先ほど聞いたばかりのローディスの話をそのまま伝える。
大したことは伝えられずにすまない、と謝る俺に、公爵夫妻は何度も礼を伝えてくれた。夕食にも誘われたが断り、必要なやり取りだけで帰路を急ぐ。
外はもう、すっかり暗くなっていた。兄を心配するアーリエに、はやく得た情報を伝えなければいけない。そうして次の算段を打つべきだ。
エルンストは、全てを知りたいならクロードに聞けと話した。そのための方法を、探さなくてはいけない。
「………………疲れたな」
ぽつりと漏れた声は、闇に溶けて消えた。
本当に、ああいった腹の探り合いは向いていないのだ、俺は。出来ることなら領地の片隅で、親しい人間たちと変わらず過ごしていたい。
けれどそんな日々を友と迎えるため、何よりもローディスの日常のために、何をするべきか考えなければならない。
王都の大通りを馬車から眺める。大半の店はもう閉まっていたが、ぽつりとまだ光る店が残っている。それは、菓子屋であるらしい。
王都の菓子なら、彼女は喜んでくれるだろうか。甘いものを食べる時、彼女は本当に良い顔をする。
…………早く帰るべきだが、これくらいの寄り道ならいいだろう。そう、馬を止めるように指示した。




