偽装の結婚
ミシュカは物置き部屋の隅から椅子を二つ持ってくると、向かい合わせに置いた。
「まずは手首に少し、触れてもいいですか?」
兄が王太子様の部下に捕らえられたとき、彼らは私も連れて行く、と話した。あの時からずっと、掴まれた手首が痛かった。頷いて差し出すと、ありがとうございます、という言葉の後に、彼女の指が私に触れた。何も伝えていないのに、ちょうど痛んでいた箇所を、人差し指がなぞる。
「やっぱり。まず、魔法についてお伝えして良いですか? 専門なので。……貴女の手首には、術をかけた人間に、あなたの居場所が伝わるような魔法が掛けられています」
「……それは、兄が連れて行かれた時のものですか?」
呆然と聞いた。おそらくは、と彼女は頷いた。
「私に敬語は不要です、アーリエ様。この家に雇われている、貴女の侍女ですから。……この痕跡からして、追跡の類の魔法でしょう。そこまで強くもないし、おそらく魔法をかけたのも、慣れていない人間ですね」
「痕跡って……。何も見えないけれど。それに、貴女は魔法士なの?」
思わず、身を乗り出していた。王族ならともかく、ただの貴族が魔法士に関わる機会は多くない。アルエット家の人間である私だって、式典などで遠巻きに姿を見るだけだ。話をしたことすらない。それくらい、魔法士や魔法については謎に包まれた存在なのだ。
そんな魔法士が、目の前の彼女であるという。それは自身に魔法が掛けられていることと同じくらい、驚くべきことだった。
「魔法士なら、どうしてこんなところに……。あなたは国のために働いていないの?」
「私のことからお伝えしたほうが、早いかもしれないですね」
彼女は触れていた指先を離して、淡々と話し始めた。
「私の名前は、ミシュカといいます。この領で育って、もちろん貴族ではありません。私に魔法が発現したのは十二歳の頃でした。普通の魔法士よりもかなり遅かったので、国が巡回して魔法を使える子供を集め終わった後に、私は自身の素質に気がついたんです」
――王都に行けば、恵まれた待遇が待っていたでしょう。けれどそうなりたいとは思わなかった。私は国でも王家でもなく、この領地のために魔法を生かしたいと思ったんです。
そんなことがありえるのかと、すぐには飲み込めなかった。
人智を超えた力は、悪用されれば甚大な被害を生む。だからこそ魔法士は厚遇され、代わりに同じ魔法士たちが互いの抑止力となるよう、国のもとに集められている。
そういうものだと、ずっと思っていた。その枠の外に、彼女はいるという。
「この物置きと隣の部屋は、少し前まで私の魔法の研究室だったので、この屋敷で一番魔法を張りやすかったんです。だから室内の魔法を無効化する魔法をかけた上で、いまあなたの魔法を確認させてもらっています。……今着られているガウンと靴にも、同じ無効化の魔法が掛かっています」
言葉に、ガウンの胸元を握りしめた。
真っ先に靴を、と話したシュヴァルツ様。そうしてなにより、急にこの家に嫁げと告げた両親。
あれは全部、理由があった。私のためだったのだ。
「……実際には居場所を伝える魔法でしたが、貴女にかけられた魔法がどんなものか分からなかったから、公爵夫妻も貴女に何も伝えられなかった。この国では王族と魔法局以外、魔法についての詳しい知識は何も得られないようになっていますから」
もちろん、と彼女は続ける。
「私の魔法士としての力は、王都の魔法士と比べれば大したものではありません。あちらには何百年と蓄積され、体系化された知識がありますから。……でもこの魔法は、王都の魔法士よりも、私が掛けるよりも、ずっと拙い。貴女を直接的に害することはないでしょう」
多くの疑問が渦を巻く。でも、なによりも聞きたいのは。
「な、ら……。この魔法は解けるの? それに王太子様は、どうしてこんな魔法を」
「解くことは可能ですが、少し時間が必要です。……これ、あまりに拙いせいで、魔法がめちゃくちゃなんです。丁寧に解かないと、なにか後遺症が残ってしまいそうで……。今も手首が痛むんですよね? それがこれからずっと、続いてしまうかも」
そんなもの、痛んだっていいからすぐに解いてほしい。
言いそうになって、心配そうにこちらを見るミシュカに口を噤んだ。
……自分に魔法がかかっているなど、王太子様に居場所が知られているなんて、ゾッとする。けれど私を気遣ってくれるこの子に、そんなことはとても言えない。
「どうしてかについては、執着かと。王太子は貴女を望んでいるから。……貴族の方にこんなことを言うのはアレですが、好意があるにしてはやり方がみっともないというか。正直、気持ち悪いと思います」
まぁでも、そもそも王太子に求婚されているから、貴女は我が家に来ることになったんですものね。
……貴女のお兄様との関係とか、急に我が家に来られることになった経緯についてはシュヴァルツのほうが詳しいので、彼から説明する形で良いですか? 今呼んできますから。
その言葉に、頷いた。
∮
シュヴァルツ様は、ミシュカが部屋を出てすぐ、私たちのもとを訪れた。隣の広い部屋に三人で移って、ミシュカにまたお茶を淹れてもらう。
魔法についてはミシュカに聞いたか、と問われて、頷いた。
「まず、俺とローディスは親友だった。それを証明するならば……。わかりやすいのは手紙などだろうか?自室から持ってこようか」
提案には首を振った。嘘だとは思えない。確かに兄は、よく数週間単位で出かけていた。どこそこに行ったと聞く中には辺境伯の名前もあったけれど、この人と親友だったなんて初めて聞いた。
「そうか。……ローディスに相談を受けたのは、ちょうど一月半ほど前だった。妹が王太子に言い寄られて、それを邪魔したあいつ自身も目をつけられている。このままでは妹の意に反して、悪い何かがあるかもしれないと。……王子と王女三人のうち、正妃の子である二人はあまり評判は良くない。辺境にいたとしても、それくらいは知っている」
「そう、だったんですか」
今の王家には、三人の子がいる。正妃様の子であるハーゲン様とコーデリア様、第二妃様が産んだクロード様だ。
クロード様は文武両道で優秀と評判で、貧しい子供のための孤児院の設立や、戦いによって後遺症を残した騎士への見舞金制度など、慈善事業も多く行われている。人気も高く、母の血筋と生まれた順番があったとしても、彼こそが玉座に相応しいと多くの貴族が感じている。
一番年下である王女のコーデリア様は、公の場に出ることは少ない方だが、評判は良くない。散財が多く、大して価値のない大粒の宝石のために大枚をはたくとか、見目のいい臣下に言い寄って、相手にされなければ平民にも手を出すとかで有名だ。素行が悪すぎるばかりに王家も表に出せないのだ、とひっそりと噂されていた。
ハーゲン様も女遊びが激しいとか、あまりいい声は聞かない。それでも王太子であるということもあり、コーデリア様と違って陰口は聞かなかった。
「ローディスは俺に、もし自分に何かあれば妹と公爵家の力になってくれと話していた。けれどまさか王太子があんな手段を選ぶとは、王女とローディスの関係をでっち上げるとは、考えていなかったが。……あいつが王家に連れて行かれてすぐ、公爵家から連絡があった。息子が連れていかれ、娘も同じ目に遭うところだった。アーリエはローディスが庇ってくれたが、王太子の手下によって、なにか魔法がかけられているかもしれない、と」
「お父様と、お母様が」
「ああ。ローディスは何かあれば俺を、辺境伯を頼れと、君のご両親にも話してくれていてな。我が家にはミシュカ……。魔法士がいることも伝えていたらしい。娘は手首が痛いと話している、状況を考えれば魔法によるものかもしれないと相談されたんだ」
やりとりの間にも、王太子は君を差し出せと執拗に言い続けていた。……俺と君の両親で考えた、諦めさせるための方法が、この君と俺との偽装結婚だ。
「魔法がどのようなものかは、ミシュカが直に確認するまでわからなかった。会話全てを盗聴する魔法かもしれないし、王太子と君の視界を共有させる魔法かもしれないと、公爵夫妻と我々は考えていた。……だから、君に何も伝えられなかった。魔法の存在も、王太子に逆らう手段を考えていることも。不自然とわかっていても、何も知らせず嫁入りという形で王都からオトゥールへ、無効化の魔法のかかったこの部屋まで来てもらうのが一番だと考えたんだ」
君には申し訳ないと思っている、と彼は私の目を見て言った。
「これまでの扱いも、婚姻という形をとってしまったことも。君にとっては理解ができず突然で、恐ろしいものだっただろう。怖い思いをさせてすまない。けれど俺は、君とあいつの力になりたいんだ」
もちろん君に、夫婦としての振る舞いを求めるつもりはない。彼は、そう言葉を継ぐ。
「夜など以ての外だし、俺などの妻になったと、名誉が傷つかないようにもしよう。この婚姻は、王家以外には伝えていない。王女が関わる以上、何より王太子が君を望んでいる今、王家がこの婚姻を公にすることもない。我が家と公爵家が他の貴族に公表する予定もないから、ローディスを取り戻し王女との縁談を潰したら、この結婚は破談という形で何も無かったことにしよう」
確かにこの国における貴族同士の婚姻は、王家に許可を得た後、教会に夫婦となることを宣言することで正式に結ばれる。教会の祝福を得た後に周囲の貴族へ公表するのだから、ひっそりと家を出た今、公爵家と辺境伯が何も伝えず、教会に宣言もしなければ、周囲の貴族が知ることはないだろう。
瞳を閉じて、深く息を吸う。……心の中で、言われた情報を整理する。
兄がいなくなってからずっと、傷ついてばかりだった。見捨てられたと嘆いて。
けれど父と母は、同じ痛みと不安を抱える中で、私のために多くのことを考えてくれていた。あの人たちを疑った自分が、本当に恥ずかしかった。
「シュヴァルツ様、本当にありがとうございます。私こそ何も知らないで、両親にも貴方にも、助けてもらってばかりで……。でもどうして貴方は、ここまでしてくださるのですか?」
王太子様を、王家を敵に回して。それで得られるものなんて、あまりに少ないのに。
彼は、ひどく真っ直ぐに私を見た。
「……俺とローディスが出会ったのは、三年ほど前のことだ。王都のバーでたまたま隣に座って、意気投合してな。時折あいつがこちらに来たり、手紙でやりとりをしていた。君も知っていると思うが、この領は特に冬になると魔獣の被害が多くなる。俺はずっと、魔法によってその被害を無くせないかと考えていた。ローディスは、その考えに賛同してくれてな。王都や公爵家で得られた情報を教えてくれたり、そうでなくとも普通に酒を飲んだりしていた」
そこで一度、彼は言葉を切った。まっすぐな銀色の瞳が、私を見る。ひどく澄んでいて、綺麗だと思った。
「親友なんだ。あいつは魔獣の被害を無くしたいなんて俺の理想を、笑わずに聞いてくれた。力になると言ってくれた。ならばあいつが助けを求めるなら、応えるのは当然のことだ」
「ありがとう、ございます。あの、私にも何か、できることは」
「庇われてくれ。それが、あいつの望みでもある」




