コーデリア
あの子の話をしようと思う。
不器用で意地っ張りな、可愛い妹の話を。
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父の婚姻は、選べなかった末の結論だったという。
丁度同じくらいの家格の娘二人と別々に親しくなり、選びきれず、ならば正妃と第二妃にしようと決めた。そんな婚姻だった。
表向きは国のためと仲良くやっていたが、女二人はもう一人の妃のことも、自身を唯一にしない不満に気が付かない夫のことも嫌っていた。
だから、表面上はにこやかに振る舞いながら、腹の中のものを育て続けていた。
彼女達にとって不幸だったのは、一年しか違わず二人とも男児を産んだこと、けれど第二妃の息子の方が、はるかに優秀だったことだろう。
この国は長男に王位継承権一位が与えられるが、下の嫡子が優れていれば、その限りではない。剣も、語学も、政務の写しも。何をやらせても、俺が上だった。面白くないのは、正妃とハーゲンだった。
「クロード、あなたはハーゲン様の弟なのだから、王太子様を立てなければいけませんよ。王家の一員として――」
語る母親に、薄っぺらいなと毒づく。
内心ほくそ笑んでいるくせに。俺が王太子より、一つ年上の兄よりも劣っているならば、それはそれで不満を募らせていただろうに。
母の言葉は俺への戒めではなく、俺の優位を確かめるための儀式だった。けれど、どうでも良かった。
玉座にも、こちらをやたらと敵視する腹違いの兄にも。そもそも王家にもこの国にも、家族すら下らなく感じていた。
ただ一人を、除いて。
正妃の産んだもう一人の子、腹違いの妹。
くりくりとした瞳と金の髪。俺やハーゲンに似ているようで、あまり似ていない娘。
四つ年下のその娘が物心つくころには、彼女の周囲はすでに、彼女のことなど見ていなかった。年上のハーゲンと優れた俺のどちらが玉座につくか、どちらに擦り寄るかに夢中で、実の両親すらハーゲンと、ついで俺しか見ていなかった。
色々な考えに必死な大人たちとは違って、あの子はまだ子供だ。これだけ多く人間がいながら、孤独になれるものなのか、と。中庭の片隅でフリルの多いドレスを着て、ぬいぐるみを抱きしめている背中を見つけるたび、思ったものだった。
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転機はなんだったろうか。
小さな子供とばかり思っていた少女は十三歳になり、他者と関わることが増えた。
彼女はいつからか、城に出入りする商人と親しく話すようになっていた。羽振りだけは良く、素性の知れない男。それどころか、宝石を渡したりなどもしているらしい。
まともな貴族は、だれも相手をしないような男だ。
例えばこれがハーゲンであったのならば、放置していただろう。けれどあの子は子供で、まだ守られるべき存在だ。だから彼女に、そうすべきではないと、伝えようとした。
人払いをした彼女の部屋で、俺は溜め息をついた。
「…………あのな、コーデリア。あの男がどういう評判か、分かっているのか。あんな男にいくつも宝石を渡すなんて」
「ええ、知っているわ。でも、続けたいの。どうしても」
そうなの、それなら取引をやめるわ。そういうと思っていたのに、彼女は首を振った。
俺よりも、ハーゲンよりも、僅かに色の違う瞳。その瞳は、不可思議な色を宿していた。……こんな表情をする子だっただろうか。こんな瞳を、していたのだろうか。
「……どうしてだ? どうしてコーデリアは、あの商人と取引を続けたがる?」
聞くと、彼女はここだけの話にしてくれる?と前置きしてから、俺の耳に囁いた。
あの商人は、確かに安いものを高く売りつけたり、商売相手に損をさせることもある男らしかった。けれどそうして得た利益を、全て孤児院に寄付しているらしい。
だからコーデリアも、自身に与えられて、けれど全く使わない宝石を渡したのだそうだ。これを誰かのために役立ててくれと、そう言って。
「…………本当に? 商人の嘘じゃないのか」
「でも、あの商人はこの国の孤児院の名前を全部言えたわ。この国の書類に載っていないような小さな領の、普通の家みたいな場所まで、全部よ?」
私は兄様みたいに公務とかをやらせて貰えるわけじゃないから、せめてそういうことで、役に立ちたいの。そう少女は続ける。普段と何も変わらない口調で、それが当然であるかのように。
「……どうしてコーデリアは、そんなことを知っているんだ?」
呆然と尋ねた。商人の真実も、王城の書面に載っていないような、孤児院の名前だって。この子が知る機会は無いはずだ。
「いろんな人とお話しして聞けば、簡単に教えてくれるわ。例えばエルンストの家のジェニーって分かる? メイドの子なんだけれど。あの子の実家はもっと遠くの田舎で、だからいろんなことを知っているの。例えば――」
――散財が多い。変な商人とつるんでいる。高価な宝石を手放す、ものの価値が分かっていない。城の噂が、頭の中で音を立てて裏返っていく。
事実は、この年下の、あまり多くから顧みられることのない少女は、俺の知らないことを、大量に知っているということだった。
「…………これを、誰が知っている?」
「これって? 商会が、孤児院の支援を行っていること?」
「そうじゃない。コーデリアがこうやって、商人に宝石を渡して、孤児院のために役立てようとしていることだ。この城で、誰が知っている?」
「誰も知らないわ。気づかれたのは初めて。流石クロード兄様ね」
「…………ハーゲンや、エルンストもか?」
「ええ。ハーゲン兄様はともかく、どうしてエルンストの名前が出てくるの?」
本当に、なにも分かっていないように。彼女は首をかしげる。
「……どうして、こんなことをする」
疑問は大量にあった。けれど一番知りたいのはそれだ。……もし、この子が人の役に立とうとする理由が、孤独な幼年の記憶によるものであったなら。原因の一因は、間違いなく俺だ。
彼女は、まさかと笑った。俺の考えなど、とうに見透かしているような顔で。
「ドレスより、誰かのところに届くパンが好きなだけよ。そう思える自分でいたいだけ。……だから結局、私のためだわ」
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あの子は、恵まれない者が安心して暮らせるようにする、それが国と王族の勤めであると、当然のように考える子だった。
早く大人になりたいと言い続けていた少女は、年と共に交友関係を広めていった。商人も、騎士も、貴族も平民も隔たりなく。そうしてさまざまな人助けを始めているようだった。
何度か請われて、彼女のしたいことを手伝ったこともある。貧しい子供のための孤児院の設立や、戦いによって後遺症を残した騎士への見舞金制度、あるいは魔法士による治療。確かにそれらは公務に携わっている俺がいた方が円滑に進むし、実際多くの人間の生活を助けることができた。
事業は全て軌道にのり、そうして――。全て、俺の功績になった。
最初にそれを知った時、ふざけるなよ、と思った。押しかけた部屋でコーデリアには、呆れたように返される。
「兄様のおかげになるのは可笑しいって、そんなわけがないでしょう。どれもこれも、兄様がいたから出来た事だわ。功績がその人のものになって、何が可笑しいのよ」
「事業を始めたのはリアだろう。なのにどうして、君の名前がない」
言い出したのも、一番動いたのも彼女なのに。コーデリアがいたから成し得た事なのに。
「私は男漁りが大好きな散財姫だもの。私が孤児院の設立に携わったなんて、誰も信じないわよ」
平然と言われて、それもまた腹立たしい。
……ずっと大人たちに放置されていたこの少女は、いつのまにか悪評を流されるようになっていた。ハーゲンの株を上げたい正妃が、コーデリアよりよほど優れた兄、としてハーゲンを持ち上げたためだ。
俺に勝つことができないから一番下を用意して、それより優秀な兄二人という構図を作り出そうとしている。
ふざけるなよ、ともう一度唇を噛んだ。あの子を顧みないくせに、貶め利用しようというのか。実の母親が。
……反吐が出る。
彼女は大して気にした様子もなく、私の悪評をどうにかしてくれるよりも、兄様が王になってくれて、良い国にしてくれた方がずっと嬉しいわ、と笑いすらする。
「……どちらが王になるかなんて、まだ決まっていない」
「ええ?私はクロード兄様が良いのだけれど。じゃあ、兄様はどうしたいの?」
「コーデリアがなればいい」
「冗談でしょう」
彼女は瞳を見開いて、それから軽く吹き出して見せた。本当に、少しもありえないと考えている顔だ。
「前例はあるだろう。女王セイレアは、女性でありながら玉座に着いた」
「この国どころか世界の英雄と私が、同じな訳はないでしょう」
「そうか?」
「そうよ。なにより、クロード兄様を差し置いて私が女王になって、誰が着いてくるのよ」
「俺」
言葉一つに、彼女は瞬きをした。
「正直、コーデリアだけでも充分過ぎるほどやっていけると思う。それでも不安なら、俺が補佐になるよ」
「…………どうして? 兄様にメリットがないわ」
「ある。君が導く、この国を見てみたい」
勝手に口角が上がりそうになるほど、いともあっさりと言葉を出せた。これ以上ないくらいの本心だった。
王家の人間たちが権力や利権ばかりを見る中、この子は自分で正しさを決めた。その強さを、心の底から尊敬している。誰よりも王に相応しいと、確信しているほどに。
「……ありがとう、兄様。でも、その言葉だけで充分だわ」
だから、王様にはあなたがなって。それがこの国にとって、間違いなく一番いいことだから。
細い指が、花瓶から一本の薔薇を抜く。黄色いセイレア・ローズは、この城では毎日目にするものだ。茎を折って、俺の服の胸元に刺す。
――王位の戴冠の時、王位継承者は黄色の紋章を胸元に飾られる。それをなぞらえているのか。
「私も、クロード兄様が導くこの国を見てみたいの」
「…………君が、望むなら」
王位には大して興味がない。
けれどこの妹が、不器用で意地っ張りな、家族のうちで唯一信頼する存在が望むなら、玉座を得てもいいのでは、と考えた。
その会話を、あいつが聞いていたと気が付かずに。
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あいつにとって――。腹違いの兄にとっての俺は、ずっと在り続ける目の上の瘤であり、気に食わない宿敵だった。
そうしてハーゲンにとってのコーデリアは、歯牙にかける必要のない存在である筈だった。
男と宝石が好きな妹。平然と見下し自身の立場を確かめられる、優越感を持つためだけの、毒にも薬にもならない娘。
だから、あいつにとってはあってはならないことだったのだろう。
実の妹が、自分よりも宿敵の戴冠を望んでいる事など。そうして二人で、互いに王になって欲しいと談笑していることなど。
ハーゲンは、すでに妻が決まっていた。
隣の大国、クラウシャ公国の三人の王女のうちの一人だ。俺も何度か式典などで顔を合わせたことがあるが、柔らかな声で話す、美しい女性だった。
玉座を望むとしても、流石にクラウシャの王女がハーゲンに嫁入りするならば、俺が王となることは難しかっただろう。
けれどハーゲンは、あろうことか婚約の直前に他の女性、それもアルエット家の令嬢に手を出そうとした。
アルエット家の一輪華、アーリエ・アルエットはおそらく俺かハーゲンの妃になると周囲には思われていた。俺たちも考えていたし、だからこそ、夜会では特別近づくことはなかった。
下手に接触して、それを口が軽い人間に見られたらどんな噂が流れるか。そうして馬鹿馬鹿しいことに、こういった場合に名誉を損なうのは大抵が女性の方だ。
なのにハーゲンは、他国の王女を妻に迎える身でありながら、手を出そうとした。信じ難いことにあいつにとって、王子二人のために婚約者を作らずいる女性は全員、いつでも手を出してもいい所有物だったらしい。
あいつの取り巻きにアルエット嬢を夜会に招待させて、個室に連れ込もうとした。ぎりぎりのところで公爵家の長男、彼女の兄によってアルエット嬢は助けられたようだが、公爵家からの抗議を、信じ難い気分で聞いた。
ハーゲンの部下を詰めたところ、俺とコーデリアが玉座について話し合った日、ハーゲンはコーデリアのもとを訪れていたと知った。
あいつにとって妹は、常に自身の下にいなければいけない存在だった。それが覆され、玉座を追う仇と互いに思っていた弟は、互いに王になれと冗談を交わす。
それは、あいつの自尊心を著しく傷つけたのだろうか。
何か報復しなければいけないと決意させ、だからこんなことをしでかしたのだろうか。
報告を受けたのは執務室で、丁度コーデリアもいた。
彼女は俺以上に呆然とした顔をして、それから蹲った。
「なにやってるのよあの馬鹿………!!!」
「落ち着け」
絨毯に爪をたてる妹の背を、とりあえず宥める。自分より混乱している人間がいると、逆に冷静になれるなと思いながら。
「どうして今、アルエット嬢だったんだろうな。彼女の他にも令嬢はいるし、手を出すにしても他の方法があるだろうに」
「あー…………。多分、この国の一番の華だからじゃない?」
よく言っていたもの、王族たるものもっとも優れていないといけない、なのにお前の振る舞いはなんだって。それに、クロード兄様のいないところでは、いっつも明らかに、ちらちらとアーリエさんのことを見ていたし。
「気が付かなかった」
「意地を張っていたのよ。クロード兄様が真面目に振る舞っているのに、自分だけ女の子に色目使っているのもプライドが許さなかったんじゃない?」
妹は顔を上げて、疲れたように息を吐いた。
アーリエ・アルエットは、確かに美しい令嬢だった。この国で美姫といえば、多くの男は彼女を思い浮かべるに違いない。この国でもっとも美しい花は彼女と言い切る奴だっているだろう。
――そんな言葉、コーデリアの真実を知れば、どいつもこいつも黙るに決まっているのに。
次にハーゲンと話すことがあれば、何を考えているのか問い詰めよう。そうコーデリアと話したけれど、事態が動いたのは、それから数日後のことだった。
アーリエを手に入れられなかったあいつは、怒りをローディスに向けた。
しかも、どこかでローディスとコーデリアが親しくしていたと知ったらしい。ローディスとコーデリアが恋仲であった、その上でコーデリアが捨てられた、と言いがかりをつけ始めたのだ。
報告書を持つ手が、我ながら重かった。
また、妹は頭を抱えていた。
「ふっざけんじゃないわよ……!」
妹の悲鳴じみた声が、部屋の空気を割る。宥める気にもなれなかった。
「コーデリアにも、アーリエ・アルエットも、ローディスにも嫌がらせか」
確かに異常なまでに顔の広いこの妹は、アルエット公爵家の後継、ローディス・アルエットとも親しくしているらしい。互いに色々な事業などに手を出している立場だから、友人の伝手で知り合ったと言う。
何かあれば相談を投げる間柄だし、最近はこの国の国境の、魔獣対策に乗り気なのだと聞いた。
この国の国境には瘴気だまりがあり、定期的に魔獣を発生させる。辺境伯からは現当主の祖父の代から魔法による魔獣対策の嘆願があったが、叶えられることはなかった。魔法は王家管理のものであり、貴族の願いを一々聞いていてはキリがない、と言うのが王家が言い続けていることだが、コーデリアはそれを良しとしなかった。
「貴重な魔法だの言っていたって、やっていることは勝手に演奏する楽器作りだの常に咲くよう薔薇を育てるだの、国境の防衛よりよっぽど価値のないことばかりじゃない!」
そう憤って、ローディスと国境に魔法士の派遣を認めさせるため、手を打っている最中だと聞いた。
ハーゲンは男遊びが大好きな妹が、ローディスとよく関わっていることは知っていた。だから裏切った妹を貶める方法に、コーデリアとローディスの関係性を利用したのだ。
自分に従わない妹とアルエット兄妹を貶め、ついでに俺にとっても、婚約者候補の筆頭を失うことになる。ハーゲンが外国の王女を妃に迎えるなら、俺の妻として釣り合いが取れるのは、間違いなくアーリエ・アルエットである筈だ。
コーデリアは蹲ったまま、起き上がることはない。ふざけるんじゃないわよ、と言葉がもう一度くり返される。
「私とローディスを結婚?私にもすでに婚約者が……まあ、迷惑かけてばっかりだし、エルンストにはそろそろ見捨てられるかもね。でもやって良いことと、悪いことがあるでしょうが……。まあ良いわ。アーリエさんを諦めさせて、ローディスを助ける方法を考えないと」
「……。いや。あの男は、諦めることはないと思うぞ」
「そう思うの? だからって、アルエット家をハーゲン兄様の良いようにするわけにはいかないでしょう」
「いや、そっちではなく」
言いかけて、やめた。俺が説明するようなことでもない。けれどこの子の婚約者を、哀れに思う。
この子が人助けが大好きなことは、エルンストも知っている。あいつはコーデリアの善性を愛し、けれどだからこそ自身を見ないことに憤っている。つまりは拗らせている。エルンストは、コーデリアを決して諦めないだろう。
訳が分からない、という顔をしながら、それでも彼女は、ローディスを王城から連れ出す算段を立て始めた。
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その算段が、こちらの想定より早く形になった。
国王夫妻の外遊中、王の代理を務めるのはハーゲンだ。だからローディスが捕えられることは止められなかった。けれどエルンストはすぐ、王家の人間が管理する貴族牢から、ローディスを連れ出した。そうしてそのまま、デュシエル家の屋敷に、閉じ込めてしまった。
報せを聞いたコーデリアが、俺の執務室に飛び込んできたのは、その日の夕方だ。
「どうして……!」
彼女はまず、ローディスと面会し、今後について話し合うつもりだったらしい。けれどエルンストは、コーデリアとローディスの面会を許可しなかった。なぜ会わせてもらえないのか。妹はそう言いたいらしい。
やりやがってと思いながら、けれど原因は間違いなくこの子だろうなと考える。平然としたふりをしながら、おそらくエルンストは俺以上に、コーデリア以上に激怒している。
あと数年で、他所を見がちな婚約者を無事に妻に迎えることができたのに、それを邪魔するハーゲンにも、ローディスを心配するコーデリアにも、愛しい婚約者と噂になろうとするローディスにも。だからこそローディスの身柄を抑え、けれど決してコーデリアと会わせようとはしないのだろう。
その後もコーデリアは、幾度となくデュシエル家に面会を申し入れては、その全てを断られ続けた。
「もう! 規則規則って……! ちょっと顔を見たいってだけよ?! それを禁止する規則はないし、なのに許しませんばっかり!」
「まあ、あいつにも考えがあるんだろうな」
それをコーデリアは、気がつくこともないのだろうが。
返事をしながら、大量の書類に視線を落とす。俺の目の下のクマに気がついたのか、コーデリアは兄様、本当に大丈夫、とこちらを覗き込んでくる。
――今回の、あのバカのやらかしは紛れもなく王家の醜聞で、これが公になれば大問題になる。クラウシャとこの国有数の公爵家が関わっているのだから、違約金と破談だけならまだマシだ。情勢からすぐに戦争とはならないだろうが、例えば国交が断絶して、いま両国の間にある事業が頓挫すれば、どれだけの人間が巻き込まれるだろう。
間違いなく、この醜聞はこの先数百年と語り継がれるものになる。だからせめて、被害を抑えなければいけない。
公爵家が何を考えているのかは読めない。話を広めかねないハーゲンの腰巾着どもを脅し、時には宥めすかして。持てる全てを使って、ハーゲンの企みを邪魔していく。
アルエット公爵家は静かなものだったが、ただ一つ、アーリエ・アルエットと辺境伯当主、シュヴァルツ・オトゥールの婚姻だけは認めろと書面が届けられた。
ローディスと親しかったというオトゥール辺境伯当主の婚姻は、ハーゲンからアーリエ・アルエットを遠ざける手段として考えられたものだろう。俺の名を用いて、婚姻はすぐに受理させた。
アルエットやオトゥールとは一度話しておきたかったが、あちらが何を考えているのかは読みづらい。何より今は、ハーゲンの対応に手を焼いている。公爵家からの謁見の申し入れを潰し、デュシエル家に書状を送りつけ、俺の裁可を必要とする案件を片端から止めにかかる。とてもこちらから、他所に手を出せる状況ではなかった。
ローディスも無事かは気がかりだが、エルンストはコーデリアに嫌われることを何よりも恐れている。想い人と結婚しそうな恋敵とはいえ、ローディスに危害を加えることはないだろう。
どうしてハーゲンがここまでするのか、とはコーデリアと何度か話した。結論は、いつも一つだった。
……あいつにとっては、俺もコーデリアも自身を拒絶したアルエット家の二人も、許しがたく、思い知らせてやらなければいけない対象なのだろう。
もしも。――もしも、俺達が。ハーゲンこそが王に相応しいと担ぎ上げていたなら、この件は起きなかったのかもしれない。今だって謝罪と共に従順であることを誓うなら、機嫌を直してこの愚行を収めるのかもしれない。
けれどそんな、機嫌を取らなければ王たりえないような人間に担ぎ上げる価値はない。
あいつが。クラウシャの王女を大切にするならば、俺もコーデリアも、思うところはあれどあいつの戴冠を受け入れただろう。けれどあいつは最悪に近い方法で、国をゆるがして俺たちを従わせようとしている。
何度もコーデリアは、ハーゲンと言葉を交わそうとしていた。愚かで我儘な、自分よりも下の人間の言葉と思って邪険にしたのはあいつだ。
兄を引き摺り下ろす。玉座を許しはしない。
醜態の証拠を、それが国を害するものであるという証拠を集め続ける。日和見など許さない。国王が戻った暁には、必ずあいつを廃嫡出来るように。
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そうして、日々を過ごすうち、オトゥール辺境伯から謁見の申し出があった。書面の上では妻であるアーリエ・アルエットと、婚姻の宣誓を行いたいという。
――本来なら、そしてあの家ほどの家格ならば国王の前で行うべきものだが、謁見の本当の目的は、それではないだろう。
迷わず受ける。あちらの出方次第だが、ローディスに関する現状を進めてもいい。そう考えていた。
あのクソ馬鹿が、王城で辺境伯一行に魔法を用いて、アーリエ・アルエットを攫うまでは。




