告白と挨拶
夜会の会場は、隣の領地で一番大きな、商会の館だった。
王家や王都の名家が主催のものに比べれば、規模も飾りもずっと慎ましい。それでも楽団の音と、人々のさざめきと、花の香りと。全て、懐かしいものだった。
シャンデリアの光が、磨かれた床の上で細かく揺れている。
ごく普通の夜会のように、エスコートされてホールに入ったけれど、周囲にとってはそうではなかったらしい。
私たちが扉をくぐった瞬間、広間のざわめきが一度、止まった。
「え、あれ、シュヴァルツ様よね? 人を連れているの? 本当に?」
「なんて綺麗な女性…………!」
「恋人か、どんな間柄なのか……。でも、どこかで見覚えがあるような?」
さまざまな視線を向けられても、シュヴァルツ様はそれらの声に何も答えない。ただ私を見て、主催者はあちらだ、と教えてくれる。
「…………………………」
周囲の会話だけで、普段の夜会でどんなふうに過ごしているのか、なんとなく分かる。シュヴァルツ様は所在なさげに視線を逸らした。音楽は流れ続けている。主催と軽く言葉を交わしてから、ホールに足を向けた。
差し出された手は、いつもより少しだけ硬い。
「お手をどうぞ。踊って頂けますか」
「喜んで」
身を任せる。緊張はする。けれど、怖いものは何もなかった。この人と共に居られるなら、何百の視線があろうと構わないと思えた。
足は止めず、驚きと好奇心を多大に含んだ視線は、踊っている最中から、感嘆の混じった好意的なものになっていると、実感があった。
そうして踊り終わったあと。声がかけられる。
「こんばんはオトゥール辺境伯、そうしてアーリエ・アルエット公爵令嬢。お目にかかれて光栄です」
商会の若主人だった。ここに来てから何度か名前を聞いた、オトゥール辺境伯領でも取引を考えているという商会らしい。
丁寧な言葉の裏で、彼の肩がわずかに強張っているのが分かる。
以前ミシュカに、周囲の貴族にシュヴァルツ様が恐れられているなんて信じられない、あんなに優しい人なのに、と話した時、彼女からはアーリエ様がローディス様の妹というのも大きいと思います、と言われた。
親友の妹として親しみをすでに感じているからで、あれは身内に向けた振る舞いです、と。
シュヴァルツ様は他人を良く見ている人なのだ、ともう一度思う。
だからこそ、相手が自分に怯えていると分かれば、それをすぐに悟って、沈黙を多く選ぶようになる。今のように。
……なら、私にもできることはあるはずだ。
彼の言葉の足りないところを、隣に立った私が継げばいい。
初めまして、と微笑むだけで、商人の表情も明るいものになった。そうしてシュヴァルツ様に瞳を向ければ、幾分か瞳を柔らかくした彼も、商人に対して言葉をかける。
三人目、五人目と挨拶が続くころには、彼の周りに人の輪ができていた。硬かった彼の声も、いつのまにか少しずつ、普段のものに戻っている。
公爵家の人間であることが何処からか知られたのか、シュヴァルツ様の客人だからか。シュヴァルツ様の他に、私をダンスに誘う人はいなかった。だからずっと彼の隣にいて、頭一つより高い位置にある横顔を、何度も盗み見てしまった。
夜会が終わり、屋敷へ戻る馬車の中は静かだった。どこかの家から漏れるわずかな光が、窓の外を流れていく。
楽しかった、とても。彼も、少しでも同じように思ってくれたら、とても嬉しいのだけれど。
「……アーリエ」
「はい」
名前を呼ばれて、顔を上げる。彼はまっすぐに、こちらを見ていた。
「今日は助けられた、ありがとう。俺一人ではああはいかない。……それにダンスも、今までで一番楽しい時間だった。君は凄いな」
言葉が、そこで途切れる。少し瞳が彷徨って、口が開かれる。
「それに、とても綺麗だった。シャンデリアの下の君も、今も。そのドレス、とてもよく似合っている」
彼は穏やかに笑った。拳を握る。私にも、言わなければならないことがあった。今夜言わなければ、きっと言えない。
「あの、私も、お伝えしたいことが」
息を吸う。心臓が痛い。
「こちらこそ、本当にありがとうございました。本当に楽しくて、……仮の婚姻ではなく、これが本当であれば良いと、考えていました」
彼の瞳が見開かれる。息が、止まった。
「兄のこととか、それどころではないのも分かっています。でも、全部解決して、それで他人に戻りたくないと思っているんです。だから考えて貰えるだけでも、良くて。私は、シュヴァルツ様のことが――」
「待ってくれ」
息が詰まる。否定されたのか。
けれど、彼の白い肌は、その頬は。わずかな灯りでもわかるほど、赤い。
「いや、違うな。言い方が悪かった。……俺に、先に言わせてくれ」
彼は静かに首を振った。銀色の瞳が、月明かりの中でこちらを射抜く。
「俺も同じ気持ちだ。……君の笑っている顔を、一番可愛らしいと思う。そうして俺も君と、これからも一緒にいたい。笑っていてほしいと願っている。そうして君も望んでくれるなら。俺の妻になってほしい」
考えて、くれないだろうか。
乞うように、願うように。いっそ厳かな言葉に、返事は、決まっていた。
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夜会から帰ってきた後も、周囲の態度は変わらなかった。使用人たちにはすでにそういう仲と思われていたのも、大きいとは思うけれど。ミシュカにだけは、夜会の次の日に二人で伝えた。そうですか、と彼女は一度頷く。
「そうなる気はしていました。収まるところに収まったな、と思います」
世間話を振られたかのように、喜んだり茶化したりせず、あっさりと頷いて次の話に移ってしまったから、逆にこちらが拍子抜けしてしまった程だった。
もっとも、彼女らしいとも思う。祝われるより、こうして当たり前のものとして扱われるほうが、よほど照れずに済んだ。
恋人という間柄が加わったところで、日々は大きくは変わらない。ただ、昼下がりに彼が私のもとを訪れて、一緒にお茶でもしないか、と誘ってくれることが増えた。一週間ほど続いてからは、私から彼を探すようになった。
他にも屋敷の庭を2人で散歩しないかと誘われて、ただ2人で歩いた事も何度かあった。……私が転びかけて、彼に手を取られて助けられてからは、散歩の時に手を繋ぐようになった。
ひとまわり大きな手が、決して痛くないように私の手に重なって、時折庭の植物とかを教えてくれる。指先が熱くて、それが私のせいなのか、それとも彼も緊張しているのか分からないのは、どうしたってこそばゆかった。
今までも夕食後に雑談をすることも多かったけれど、その時間も伸びた。互いの話や兄やミシュカなどの共通の話題だけではなく、互いのかつてについても話すことが多い。
彼が昔鳥を飼っていたとか、好きな小説に準えて探検ごっこをしたとか、そんなことまで知りたかった。
そんな日の一つだった。いつものように向かい合ってカップを置いたあと、シュヴァルツ様が珍しく、言葉を選ぶように口を開いた。
「君のご両親に、挨拶に行きたいんだ」
挨拶。その意味を測りかねて、彼の顔を見る。銀色の瞳は、逸らされなかった。
「そ、れで……。もし、君がいいのなら。教会にも、俺たちが夫婦になることを、宣誓したい」
「そ、れは」
正しく、夫婦になるということだ。
偽装ではなく、破談を前提としたものでもなく。この人の隣に、これからも立つということ。
「早計なのは分かっている。けれど、ハーゲンの件もある。……もし、君と俺が正式に婚姻していなかったせいでハーゲンが君に何かをしたならば。俺は後悔してもしきれないし、自分を許せなくなるだろうと思うんだ」
嫌だろうか、と彼は聞く。声は大きくない。けれど銀色の瞳は、真っ直ぐに私を見ている。
「いいえ。……私で良いのなら。喜んで」
ありがとう、と彼はわずかに目元を緩めた。
私とシュヴァルツ様の婚姻を、王家に報告する。そのため、クロード様に謁見を望んだ。
私と彼の婚姻を認めてくれたのはクロード様だ。ハーゲン様もこの理由を止めることはできず、謁見の許可は無事に降りたらしい。もう一つ重要なことは、謁見の許可が降りてすぐくらいに、王都から来ていた屋敷の周囲をうろついていた兵士たちの一部は、帰っていったと聞いた。
「どうやって捕まえてやろう、何を聞こうって楽しみにしていたのに、残念です。……でも、だからこそ違和感はありますが」
「ああ」
シュヴァルツ様は短く頷いて、指先で机を叩いた。
「君を本当に心から望んでいるにしては、ハーゲンの動きは静かすぎる」
あれほど執拗に私を差し出せと言い続けていた人が、と胸の内で繰り返す。
「なら、……王太子様の望みは、他にあるということでしょうか。例えば兄を拘束すること、兄とコーデリア様を結婚させることが、いちばんの目的であったとか」
「ああ。ハーゲンとコーデリアが結託している可能性も、もちろんあるな。あるいは、君を手に入れる手段には他に何か、本命があるのか……。どちらにせよ、詳しい事情は王家の人間が知っているはずだ。クロード殿下から話を聞けるなら、事態を大きく進められるだろう。まだ、分からないことが多すぎるからな」
「分かりました」
オトゥールを発ったのは、それから一週間後のことだった。




