寝室の作戦
手紙の封を切ったのはシュヴァルツ様だった。
読み終えるまで、そう長くはかからなかった。それでも彼は二度、同じ場所を読み返したように見えた。
「……何が、書かれていたのですか」
良い報せではないのだと、それだけで分かった。声が、思ったよりも掠れる。
「王太子からだ。この婚姻は認められない、王城にこいと君を呼び出すものだ」
息が止まった。兄の連れて行かれた日が、脳裏に浮かぶ。
「認められない、とは……。私たちの婚姻は、クロード様が許可を出してくださったはずでは」
「ああ。だが、教会への宣言をしていない。書類上の許可は下りているが、まだ正式には夫婦ではないと、そう書いてある。……間違ってはいないな」
淡々とした声だった。視線はまだ、紙の上に落とされている。
「もう一つ。手紙には書いてあることがある。……責任を取らせるという形で、ローディスと王女との婚姻を結ばせるつもりらしい。すでに書面では、二人の婚姻を許可したと書いてある。俺たちがしていることと同じだな」
意味を、飲み込むのに時間がかかった。
「兄と、コーデリア様を……?」
「……そうだ」
短い肯定だった。渡された紙束には、彼の言う通りのことが綴られている。兄の顔が浮かぶ。責任。何の責任だろう。私が逃げたことの責任を、兄に。
指先から、体温が抜けていく。
「そ、れは…………。どうしましょう、今すぐお父様に、それともクロード第二王子殿下と」
「落ち着いてくれ」
彼は背を屈めて、視線を合わせた。
銀色の、見透かすような、穏やかな瞳で。
「慌てるのは当然だ。だが焦って行うことが最善であることは、滅多にない。特に今のように、遠出をして疲れ果てている状況では。この手紙については明日考えよう。大丈夫、君には俺たちがいる」
ローザとモーリスが、心配そうにこちらを見ている。
私が頷くまで、誰も何も言わなかった。それが、優しさからだと分かる。……ここの人たちは、ずっと優しい。
「そう、ですね……。ありがとう、ございます」
「あぁ。今日は、ゆっくり休もう」
∮
目を覚ましたとき太陽はとうに高く昇っていて、随分と長く寝ていたと、すぐに分かった。使用人の人たちは、きっと起こさずにいてくれたのだろう。
朝食の席は、驚くくらいにいつもと変わらなかった。パンとスープや卵料理、果物が並んで、きちんと美味しい。
食後にシュヴァルツ様の名前を呼ぶと、分かっている、執務室で話そう、と彼は頷いた。
部屋ではすでに、ミシュカが待っていた。封筒片手に文字を追っていた瞳は、私を見て緩められる。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「ええ。ミシュカは?」
問い返すと、彼女は一瞬だけ天井を見上げた。目の下に、薄く隈がある。
「もちろん、とっても捗りました」
「…………ちゃんと寝たの?」
「……………………………………」
すごくいい笑顔だけれど、返事はない。
「徹夜をしたのね」
「蜥蜴で作る魔石の研究が面白くて、つい…………。私、初めて魔獣が好きになれそうです。アーリエ様の手首の魔法の解除にも、すごく役立つと思います」
へらりとミシュカは笑って、シュヴァルツ様はため息をついた。
「ミシュカもあとで休んでくれ。……さて、それで昨日の手紙のことだが。王都の、他の部下から情報があった。クラウシャ公国の王女の、輿入れの日が決まったらしい」
「王太子からの手紙の内容は、シュヴァルツとアーリエ様の婚姻は認められない、だったかしら。だから、王太子は焦ってアーリエ様を手に入れようとしているっていうこと?」
「ああ。エルンストも、王太子は君を諦めないと話していたしな」
シュヴァルツ様はこちらに視線を向ける。持っていた便箋を机に置いて、ミシュカは首を傾げた。
「そのことで気になっていたんだけど。アーリエ様はもう、正式にでは無いとはいえ、結婚しているんでしょう? 既婚者が王族、それも国王の妻になるって、今までもあったことなの?」
シュヴァルツ様は一つ頷いて、答えた。
「前例はある。特に国王と既婚者の女性が結婚した回数だけでいうならば、この国の有史では三回だな。だがいずれもひっそりとした婚姻で、その後も女性は目立たず、公の場にはあまり出ずに過ごしていたそうだ。国母どころか、子を産んだこともない」
「そこまでして、どうして……」
私の言葉に、シュヴァルツ様はこちらを見た。
「案外あちらも、後には引けなくなっているのかもな。ローディスとコーデリアを結婚させようというのも、俺と君の婚姻を邪魔しようというのも。俺と君との婚姻が、王太子の企みを邪魔する為であることは当然あちらも分かっているのだから」
「あー。……なら、理由というよりも、対応の話にはなるけれど。あくまでも、王太子が貴女とシュヴァルツの婚姻を無効と言い張るなら、の話よ? 諦めさせるために、出来るかもしれないことがあって……。アーリエ様、シュヴァルツの部屋にしばらく泊まるつもりはありませんか?」
「「え」」
声が重なった。隣を見れば、シュヴァルツ様が珍しく目を見開いている。
ようやく口を開いたのは、シュヴァルツ様だった。
「………………ミシュカ、それはまずいだろう」
「流石に貴方と一緒に寝ろなんて言ってないわよ、部屋に泊まるってだけ。……ええっと、まずアーリエ様の手首の魔法のことから。その魔法は、あと一週間くらいで解くことが出来ると思います」
「そうなの。……一週間で」
ミシュカは頷いた。長かったような、短かったような。喜びや安心はもちろんあるけれど、時折の痛み以外何かがあるわけでもなかったから、あまり実感もなかった。
「長く時間がかかってごめんなさい。その上で、のお話なんですが。今のアーリエ様の魔法は、普段は魔法を無効化する部屋にいるので居場所が伝わることはありません。だからこそ王太子は、シュヴァルツとアーリエ様は夫婦ではないと考えてこんなことをしたのかも、と思うんです」
無意識に、右の手首を押さえた。見えないけれど、布の下に確かにそれはある。
「今アーリエ様がシュヴァルツの部屋に泊まれば、それを王太子は知るはずです。異性の部屋に泊まって過ごす、それも相手が仮の婚姻を結んだ男なら、そんな女性を妻に娶ることを嫌がって、アーリエ様を諦めてくれるんじゃないかって思うんです」
お上品とは言えない策なのは分かっています、と彼女は言葉を締めくくる。
「なるほど。なら俺の部屋はアーリエに貸して、その間俺はゲストルームででも寝れば良い訳か」
「ええ。一週間くらいで魔法が解ける、その間だけの話にはなるけれど」
「それは、王太子にアーリエを諦めさせるという意味では、確かに有効そうだが……。アーリエ、君はどう思う? 一人とはいえ男の部屋で寝ることも、その……。王太子に、俺と君が、そう言った関係であると思われることも。君が嫌なら、もちろんこの話は無しにしよう」
君の意思が、一番優先されるべきだ。その言葉に、ミシュカも頷く。
考えてみる。
シュヴァルツ様の部屋で寝ることに緊張はあるけれど、拒否感は全くない。最初にミシュカに彼の部屋に泊まるのはどうか、と言われた時でさえ、心臓が音が聞こえるのではと思うほどに跳ねたけれど。嫌だとは、すこしも思わなかった。
「…………嫌、では、ありません。それで王太子様が私を諦めてくれるなら、とても良い手段だとすら、思います」
「そうか。なら、そうしてみるか」
今晩からで良いか? の言葉に頷いた。




