辺境の魔女
あの日から――。私がミシュカと兄の家に行った時から、色々な仕事の合間を縫って、ミシュカはなにか調べ物をしているようだった。
そうしてシュヴァルツ様が戻られてすぐ、入れ替わるようにして三日ほど、あるいはもう少し長くこの家を離れたい、と私達に伝えた。
「森で湧く魔獣が増えているみたいなの。騎士達も手こずっているみたいで、一度叩いておきたくて。そうして少し、魔法について試したいものもあるの。……アーリエ様、その間魔法の解析が出来なくてごめんなさい。けれど、その魔法を解くためにも必要なことなんです」
「それは全然、私は解いてもらっている立場だし……。でも、魔獣を討伐なんて危なくないの?」
「心配してくださるんですか? ありがとうございます。……大丈夫ですよ。こう見えても魔法士ですから。とっても強いんです」
魔獣なんかには負けません、と笑顔を浮かべて力こぶを作る。どうみても細い、服越しでもわかるほどに華奢な腕だった。
くれぐれも無茶はしないでね、と語る私に頷いて、彼女は森に向かった。
心配だけれど、きっと大丈夫。そう考えていた。
二日後、怪我をした騎士達が屋敷の隣、兵舎に戻るまでは。
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その日執務をしていたシュヴァルツ様は、怪我人の報告を受けてすぐに隣の建物に向かった。君には刺激が強いかもしれない、と止められたが首を振る。
騎士達に、命の別状はなかった。
けれど兵舎の医務官による治療を受けていて、手足には包帯が巻かれている。彼らはシュヴァルツ様に気がつくと、すぐに頭を下げた。
「状況は」
「湖の西に瘴気だまりが出来ていたようで、強い魔獣はいませんが、かなり湧いていますね。ただ、ミシュカも来てくれたので、この後は大丈夫かと」
「そうか。しっかり治せ」
ありがとうございます、と語る騎士達に軽く頷いて、彼はこちらを向く。
「すまない、俺も半日ほど森に向かおうと思う。君はなるべく俺から離れない方が良いとは思うが、怖いならこの屋敷で――」
「いいえ。どうか、連れて行ってくださいませんか」
ミシュカが心配で、首を振る。
「そうか。……絶対に、危ない目には遭わせない。だから信用して、離れないでくれ」
領都から森までは、数時間ほどの距離があった。馬の後ろに乗せてもらって、一番国境に近い村まで向かう。
その村は木の塀に囲まれていた。村長らしい男性と軽く言葉を交わした後に、シュヴァルツ様はまた、馬に戻る。後ろに乗せてもらいながら、彼に聞いた。
「……ミシュカは大丈夫でしょうか。もし、彼女になにかあったら」
「彼女は魔法士だ。無茶もしないだろう。……ただ、行く前に君の手首の魔法について話していただろう。瘴気だまりのこともある。だから、俺も森に向かおうと思った」
「瘴気だまりって、あの……。魔獣が湧く時に現れるものですよね。魔獣を産むという」
「ああ」
変わらない返事。けれど魔獣の言葉に僅かに瞳の温度が変わったのは、気のせいではないだろう。
――そもそも魔獣とは、魔力を持つ動物の総称だ。
普通の動物よりよほど速く、強く、凶暴な魔獣達は、特に魔力が強ければ火を吹くなどの魔法を使うこともある。そうして人間を執拗に狙い、襲う。
魔獣がどうして人を狙うのか、魔力を持つのかなど、生態については多くの謎が残されている。けれど魔獣が多くいる地域には、必ずと言っていいほど瘴気だまりができる。
瘴気だまりについても解明されていることは少ないけれど、そこはいるだけで気分が悪くなるような、瘴気に満ちた場所であるという。
――こんな伝説がある。
大昔、黒く大きな竜がいた。どこから来たのかは分からない。それは世界の果てで眠っていたけれど、あるときに大暴れをして、世界を破壊し始めた。
それが尾を一振りすれば山が割れ、火を吹けば一面が焦土となった。いくつも国が滅び、沢山の人が亡くなった。
さらに竜の吐く息には、生き物の仕組みを変える力があった。竜の飛び去ったあと、凶暴化する動物が多く現れたのだ。見た目すら変化した動物は、魔獣と呼ばれた。
竜と、竜からの被害と、魔力を持つようになった魔獣達と。世界の危機の中で、立ち上がった者がいた。
この世界で勇者といえば、それはたった一人を指す。
彼の名前は知られていない。勇者と、その言葉こそが彼を指すし、それで十分だからだ。竜に故郷を滅ぼされた勇者は世界を巡り、人に害なす魔獣を討伐した。ゆく国々で癒し手や狙撃手などの仲間を集め、ついに世界に破滅を振り撒く竜を討伐した。
竜を討伐した勇者は、勝利の代償として記憶を失ったと言われている。竜を討伐したあとの勇者の行方は、幾つもの説があるけれど、定かにはなっていない。
けれど勇者の仲間、癒し手として竜を倒した一員である女性はこの国出身と言われており、国に戻ったあとはこの国の女王となって国を治めた。
この国の歴史で女性が玉座についたのは、後にも先にも彼女一人だ。世界が救われたあと、彼女は瘴気対策に、その生を費やした。
――絶命の間際、深手を負った竜は逃げ出し世界を飛び回った。流した血は世界中に染み込み、その土地は定期的に瘴気を発するようになった。それが、瘴気だまりだ。
何百年たった今も、瘴気だまりは消えていない。世界中に点在する竜の血を浴びた土地は、発する瘴気の量こそ違えど、今も瘴気を噴き出すときがある。そうして魔獣を多く産む。この国の国境である、この森も含めて。
何百年も昔の伝説だし、どこまで真実なのかは定かではない。瘴気だまりが先にあって、理由としてこの伝説が作られたのかもしれない。けれど世界中、言語や宗教すら超えて広がっている物語だし、勇者の仲間達のうち狙撃手はこの国で生まれた、吟遊詩人は竜の討伐後はこの国で暮らした、と勇者一行と縁があると主張する国も、世界中にあるのだ。
この国唯一の女王が、本当に勇者の仲間の癒し手だったのかは定かではない。箔付けのようなもので、本当はそんな人はいなかったのかもしれない。けれど国境の森に瘴気だまりができること、そうして現れる魔獣が人に害をなすことだけは、確かなことだった。
私の瘴気だまりに関する知識はそれくらいだ。けれどこの場所に暮らすシュヴァルツ様なら、より多くを知っているだろう。掻い摘みつつも自身の知っていることを伝えると、彼はよく知っているな、と私にいう。
「王都では、魔獣の話など聞かないだろう。瘴気だまりもないから魔獣と出くわすことはない。脅威でないなら、知らないのも当然のことだ。だからこそ、……魔獣や瘴気だまりに関する研究は、あまり進んでいない訳だが」
瘴気だまり自体をどうにかする技術は、未だ解明されていない。定期的に魔獣が湧くことは止められないが、その場所は分かっている以上、土地をどうにかするよりも、魔獣の発生しない場所で生きた方が、よほど楽だ。
背中越しの声は、淡々としたものだった。どんな表情を浮かべているのか、声だけでは伺えない。
「それでも、シュヴァルツ様やミシュカは、ここで戦っているんですね」
「あぁ。…………見えたな。湖だ」
森を進んだ先にあるのは、美しい湖だった。空を反射する水面が、遠くまで広がっている。そうしてその湖畔で、橙の光が見えた。
「シュヴァルツ様、あれ…………!」
「ミシュカの魔法だ。……これからあちらに行くが、決して慌てないでくれ。危険な目には遭わせない。だから、俺から離れないでくれ」
言葉に、頷いた。
――その場所には、四頭の魔猪がいた。生きた猪を見ること自体初めてだった。けれど普通の猪の目は赤くないし、体高が私の首に届くほどに大きくもない。なにより、牙や毛並みが漆黒ではないだろう。
猪たちの視線は、目の前に向けられている。何も持たない、橙の髪の細身の少女に。
猪の一頭が、ミシュカに突進する。
あの牙が刺されば、一瞬で絶命するだろう。突進を受けても、ひとたまりもないに違いない。地響きが、こちらにまで届く。身を乗り出そうとする私を、シュヴァルツ様は片手で押し留めた。
「ミシュカ、危ない!」
「大丈夫だ。……彼女は魔法士だ。だから、信じてくれ」
ミシュカは、何もしなかった。ただ、ついと猪を指差して、ほんの少し左に振った。
――それだけで、猪は進路を変えた。勢いは全く落とさずにミシュカの左を通り過ぎて、隣の大木にぶつかる。軋む音。凄まじい轟音をたてて、大木は大きく揺れ、地響きと共にゆっくり折れる。突進した魔猪も無事ではすまない。倒れた幹の根元で、ぴくりとも動かなくなった。
それをミシュカは、確認しようともしなかった。大木が轟音と共に倒れゆく間も、瞬きひとつせず空色の瞳は残り三頭の猪を捉えている。
轟音と倒れた仲間に一瞬動きが止まったけれど、他三頭も走り出す。
彼女はまた、指先を向ける。
勝負は一瞬でついた。
折れた木は四本。倒れ込んだ魔猪四頭に、彼女は徐に右手を向けた。
そうして軽く指を鳴らす。猪の首元から、橙色の火花が走った。小さな雷のような光がばちりと、猪の首筋で鳴る。動こうとしていた猪もいたけれど、それきり巨体はピクリとも動かなくなった。
ミシュカは動かない。衣服に乱れのひとつもなく、先ほどまで命の危機があったと、常人では到底生き残れないような状況にあったことが嘘のように、その表情は静かだった。
そうしてふいに、こちらを見た。
「…………駄目でしょ、シュヴァルツ。アーリエ様を、こんなところに連れてきたら。危ないじゃない」
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「俺がいて、君がいる。これで危ないならば、この領で安全なところはないだろう」
「それは……そうね? でも、ここの魔獣なら大して強くないし助けも必要ないって、あなたもよく分かっているでしょう」
なにより、アーリエ様の前ではお淑やかに振る舞いたかったのに。彼女はそう、唇を曲げる。
「…………今まで淑やかだったか?」
「こら!」
先ほどまでのことが嘘のような、いつも通りのやりとりだった。けれどその足元には木屑が散らばっていて、大きな木が四本倒れている。何より絶命した魔獣が、転がっている。
「ミシュカ、ケガはありませんか?」
「ええ。心配していただき、ありがとうございます。……魔獣を見たのは初めてでしょう。怖い目に遭わせてごめんなさい」
「付いていきたいとお願いしたのは私です。ミシュカが謝ることなんて、ひとつもありません。……でも、これが魔獣なんですね」
ええ、とミシュカは巨躯を見下ろす。
「この猪だって、望んで魔獣となったわけではないでしょう。けれど元の猪に戻すことはできませんし、一度人を見つければ、執拗に襲います」
「瘴気だまりはどうなっている?」
「この猪で最後だったわ。また、しばらくは湧かないでしょう。……とはいえB-4、それとD-2がまた怪しくなっているみたい。村まで戻りましょうか。この間話したアーリエ様の魔法についても、分かったことがあるの」
シュヴァルツ様は、頷いた。
村には騎士達の駐屯地があり、そこで騎士達と戻ったシュヴァルツ様が話している間にも、ミシュカは色々な人に話しかけられる。
行きには気がつかなかったけれど、村ではシュヴァルツ様とミシュカは、すっかり人気者のようだった。
「あらミシュカ、帰ってきてたのね! 魔獣を倒してきてくれたんでしょう? 本当にありがとう。……これ、今日取れた果物。あんまり量はないけれど、好きなだけ持って行ってちょうだい!」
「ありがとう。なら、三ついただこうかしら」
もっと持って行っていいのに、と言われながら、ミシュカはプラムに似た赤い果実を手に取った。初老の女性が、こちらを見る。
「あら、綺麗な女の子。可愛いわねぇ。あなたは? ミシュカのお友達?」
「ローディス様の妹さん。ものすっごく高貴な方よ」
「あら、それは……。えっと、あの、ローディスって前にここに来た人よね?公爵家とかいうすごく偉い家の……。妹……。えっと私、失礼なことは言ってないわよね? 果物をお渡しするので、許してもらえますと……」
高貴なんかじゃないですよ、と笑って、代わりに果物をひとつ受け取った。
駐屯地の一室を借りて、椅子を三つ、持ってきてもらった。ミシュカは人払いを騎士に頼んでから、慣れた手つきで貰った果実を剥いて皿に盛る。
そうしてまず、魔獣についてシュヴァルツ様と話していた。森の中で区画を区切って魔獣の数や討伐数を話している、というのは分かったけれど、専門用語が多すぎて、何を言っているのか、全ては分からない。
そうして話がひとくぎりついた後、それじゃあアーリエ様の話をしましょうか、と言って、彼女は何かを机の上に置いた。
それはころりとした、小さな橙色の石だった。思わず問う。
「これは? 宝石……にしては、みたことのない色だけれど」
「少し珍しい色ですよね。これは魔石です」
「本当か? だが、この色の魔石を作る魔獣は、この森には居ないだろう。外国か、領の外から仕入れたのか?」
「どちらでもないわ。これは私が作った、人間の魔石だもの」




