ケイレブ編 10話
茜色の空の下、向かいの建物も同じ色に染まっていた。昨夜同様、ゴウゴウと音を立てて燃え上がっている。
その前には大勢の人々が押し寄せていた。どうやら、まだ騎士団は到着していないようで、人と人の間から見えるのは炎だけだった。
何回見ても慣れない光景に、ゴクリと唾を飲み込む。そんな私の隣で、ケイレブは辺りを見回していた。
次の瞬間、
「エイダン!」
声を荒らげ、走り出した。
「…っ、ケイレブ様!」
私はまたしてもケイレブの後を追い掛けた。
「おい、待てよ!エイダっ…」
人混みを掻き分け、ケイレブが路地に入った。その時──
「何度も呼ばなくても聞こえてるよ」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
一歩遅れて、私も路地へ足を踏み入れると、
「君は声が大きいからね」
ケイレブの肩越しに、昨夜路地で出会った青年──エイダン・ジェイコブの姿が見えた。
昨夜よりも緩んだ口元。その笑顔が私に向けられることはなかった。
「久しぶりだね、ケイレブくん」
「エイダン……」
エイダンの弾んだ声とは対照的に、ケイレブは苦しそうにその名前を呟いた。
振り返らず、今もなお燃え続ける家に指をさす。
「………あれは、お前がやったのか?」
「うん、そうだよ」
エイダンは否定も言い訳もせず、笑みを浮かべたまま頷いた。
数秒前まで何も感じていなかった笑顔に、ぞわりと鳥肌が立った。
「そうだよって…。お前、自分が何をしたのか、ちゃんと分かってんのか…!?」
「もちろん。あの日と同じ方法で、同じように、女神派の家に火をつけたんだ」
(女神派の家?マレー村じゃなくて…?)
「……おっさん達は女神派じゃねぇ」
「そうだね。でも、君を傷つけた」
「…っ、だから何だよ…!?そんなのお前には関係ねぇだろ!何でっ…」
「君が、あいつらから僕を救ってくれたから」
「あいつら…?」
「僕の両親だよ。ほら、覚えてる?こうやって、君を捕まえた奴らのこと」
エイダンはこちらへ近づき、ケイレブの腕を掴んだ。
(捕まえた…?)
私の疑問をよそに、ケイレブの顔が青ざめていく。
彼はいつものように手を振り払わなかった。いや、
「………っ」
手を振り払えないようだった。
「女神様が言った時間に起きなさい。女神様が言ったご飯を食べなさい。女神様が言った通り、勉強しなさい。女神様女神様女神様女神様女神様………本当に気持ち悪かった。あいつらが……いや、あの村の人間が、気持ち悪くて仕方なかったんだ」
「………は、なせ」
「そしたら、突然家が燃えて、倒れてきた箪笥の下敷きになって、あいつらが死んだ…!」
「…………なせ」
「外に出たら、村が火に包まれてて、道端に死体がいっぱい転がってた!」
「……………せ」
「歩いていたら、君と目が合った!その瞬間、僕は気づいたんだ!君が僕を助けてくれたんだって!!」
最後の言葉に、ケイレブは何故か大きく口を開いた。
けれど、そこから言葉が吐き出されることはなく、ゆっくりと閉ざされてしまった。
「僕はね、ケイレブくん…君のようになりたいと思ったんだ。君のような正義の味方に…!」
ギラギラと青竹色の瞳が輝く。それを見た瞬間、背筋が凍った。
正義の味方に憧れる子供ではなく、まるで神を崇める信者のようだったからだ。
ケイレブは俯き、肩を上下に動かしていた。
額に大粒の汗が浮かぶ。それが顎を伝い、地面にこぼれ落ちた瞬間、
『わた、げ……?』
小屋で見つけた時の姿と重なった。
(…私は何も知らない。八年前、こいつが何をしたのかも、何をされたのかも、何も知らない。………でも──)
「だから、今度は僕と一緒にっ…」
「あのっ」
エイダンが話し終える前に、私はケイレブの空いている腕を掴んだ。
(こいつが怯えていることは分かる)
近くから息を呑む音が聞こえた。
掴んだ腕は汗ばんでいるのに、抱き抱えられた時よりも遥かに冷たかった。
「手を、離してください」
声が震わせながら、私はエイダンを睨みつけた。
瞬きを繰り返していた青竹色の瞳は輝きを失い、
「……………は?」
緩んでいた口からは低い声が漏れた。
その口が動こうとした瞬間、
「あっ、騎士団だ!騎士団が来たぞ!!」
大通りから声が聞こえてきた。
遠くから甲冑の足音が近づいてくる。
「…時間切れ、か」
残念そうに呟くと、エイダンはようやく手を離し、ケイレブの耳元に顔を近づけた。
「明日の午後十時、僕は大聖堂に火をつける」
囁かれ、ケイレブの肩が跳ねた。
離れていくエイダンの口元には、再び笑みが浮かんでいた。くるりと背を向け、彼は歩き出す。
「待ってるね、ケイレブくん。あの日のように、君が僕の手を取ってくれると信じてるよ」
ひらひらと手を振りながら、エイダンは去って行った。
遠ざかる背中を追い掛けることなく、ケイレブは先程まで掴まれていた腕を持ち上げ、手の平を広げた。
「私達も一旦拠点に戻りましょう」
「………」
「ケイレブ様?」
「………」
何も言わずに手の平を見つめ続けるケイレブの手を引いて、私は歩き出した。
静かな路地に、二つの足音だけが響く。それはまるで嵐の前の静けさのようで、なんだかすごく嫌な予感がした。




