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ヴィンセント編 4話

「で、ここが今日からあんたの部屋よ」


その一言で、ハッと意識が浮上した。


(ここ、は………)


目の前には殺風景な部屋が広がっていた。

机の上に銀の金具が嵌められた白鳥の羽根や、使い込まれた小さな手帳は置いてない。壁にウールのクロークや時計は掛かっていない。もちろん秒針の音も、あの石鹸の香りもしない。


けれど、確かにここは、


(オフィーリアの部屋…?)


私は何故か、見慣れた大理石の廊下から、同じく見慣れた彼女の部屋を覗き込んでいた。


(どうして、廊下(ここ)に?私は ベッド(あそこ)で寝ているはずなのに……)


──帰んぞ。

そう突然身を翻したケイレブに、私は城まで送ってもらった。

城に到着してからベッドに横になるまでの記憶が、徐々に蘇る。


(それに今……)


「いいなぁ、一人部屋」


不意に隣から小さな呟きが聞こえてきた。

首が勝手に回る。そこには見知らぬメイドが立っていた。


(この人、今日からって言ってた…。………もしかして、これは──)


視線に気づいたようで、彼女はこちらへ振り向いた。

目が合う。けれど、今みたいに逸らされることはなかった。



(オフィーリアが、ヴィンセントの宮殿に来た日の記憶……?)



そんなことを考えていると、今度は口が勝手に動き出す。


「アメリアさんは一人部屋ではないのですか?」


その問いに、メイド──アメリアは「ええ」と頷いた。


「相部屋よ。しかも、この部屋の半分くらいしかない使用人棟のせっまい部屋」

「使用人棟…」

「そう。この宮殿で働いてる人間は、みんなそこから通ってるの。真反対だから、すごく面倒臭いのよね〜」


(なるほど…。だから、夜になると不気味なくらい静かなのね……)


初めてこの廊下を歩いた、あの夜のことを思い出した。

それと同時に、ある疑問が脳裏に浮かぶ。


(でも、だとしたら、何でヴィンセントは、オフィーリアを自分の宮殿に住まわせたんだろう…?………それも、記憶を失った理由と関係してるのかな…?)


その時、


「ま、だからって、ここには住みたくないけど」


アメリアの声が私の思考を遮った。


「?何故ですか?」

「決まってるじゃない。これ以上、第二殿下と関わりたくないからよ」


(ヴィンセントと関わりたくない…?)


「オーウェン殿下と違って、第二殿下のお世話はしなくても怒られないし、あんたもなるべく関わらない方がいいわよ?」



「神託を狂わされたくなければ、ね」



(神託を狂わされる……)


またしても口が勝手に動こうとした、その瞬間、


「あ、アメリアー!」


遠くから女性の声が聞こえてきた。

声のする方へ、二人同時に振り向く。すると、柱の間から見える中庭に、山盛りの洗濯籠を抱えたメイドが立っていた。


「ごめーん!これ運ぶの手伝ってくれなーい?」

「げっ、すごい量…」


そう顔を歪ませながらも、


「はぁ、仕方ないわね。…じゃ、私は仕事に戻るから」


アメリアはため息を吐き、中庭へと向かった。

ポツンと長い廊下に残されたオフィーリア。彼女はそっと部屋の扉を閉め、廊下を歩き出した。


静かな廊下に、一つの足音が響き渡る。

しばらく歩き続け、角を曲がると、


(あ、ヴィンセント…)


分厚い本を積み重ね、抱える亜麻色の髪の少年が立っていた。

オフィーリアは近づくことも声を掛けることもせず、ただ彼を見つめていた。


菫色の瞳が眺めていたのは、中庭。

けれど、もっと遠くを見ているような気がした。


柔らかい風が吹き、真っ白な髪が視界を横切る。

草の香りが鼻を掠めた瞬間──



意識は途切れた。






×××××






古紙とインクの香りが漂う古書店の中に、頁を捲る音が響く。

天井に届きそうなほど高い本棚を前で、私は紙切れを片手に、ヴィンセントに頼まれた本を探していた。


「…あっ、あった」


目的の本を見つけ、背伸びをして手に取った。

異国語のタイトルが書かれた深緑色の分厚い写本。埃を軽く払ってから頁を捲ると、見たことのない植物の画や説明が載っていた。


(植物図鑑、か……)


ふと積み重ねた本を抱える、幼いヴィンセントの姿が脳裏に浮かんだ。



──あの頃のヴィンセントは、使用人達から疎まれているようだった。

逆にオフィーリアはまだ虐められていなかった。


(何で態度が変わったんだろう………)



『オーウェン殿下と違って、第二殿下のお世話はしなくても怒られないし』



不意にアメリアと呼ばれていたメイドの言葉を思い出した。

もしかしてと、ある可能性が頭を過ぎる。


「オーウェンが亡くなって、ヴィンセントが王位継承者になったから…?」


──オーウェン・ベン・ヴェスタニア。

山賊に襲われて亡くなったと言われていたが、物語終盤でヴィンセントに殺害されていたことが判明する第一王子。


ヴィンセントがオーウェンを殺害したのは、確か十四歳の時。

だからあの頃、オーウェンはまだ生きていたし、ヴィンセントは使用人達から疎まれていた。

それは王位継承権がないからだけでなく──



『神託を狂わされたくなければ、ね』



恐らく、女神の神託が原因で。


(ただ性格が合わないだけかと思ってたけど、もしかして、国王に嫌われている理由も神託が関係してるのかしら…?)


そんなことを考えていた、その時──



「へぇ、君、アルシオン語が読めるの?」



突然耳元で話し掛けられ、肩が跳ねた。

思わず本を閉じ、勢いよく振り返ると、


「すごいね。一番難しい言語って言われてるのに」

「フ、フレディ!」


朽葉色の髪の青年が、背後から私の手元を覗き込んでいた。

至近距離にある藤色の瞳に、驚く私が映る。


「やぁ、オフィーリア。思ったより早く会えたね」


太陽のような笑顔。

店内が薄暗いせいか、昨日よりも眩しく感じた。


「どうして、あなたがここに……」

「忘れ物を取りに来たんだ。ここの二階に住んでたから」

「住んでた…ってことは、まさか、あの店主さんがあなたのお父さん…?」


(それにしては、歳が離れすぎてるような……)


書物に埋もれたカウンターで、静かに本を読む丸眼鏡を掛けた白髪の老人に、私は視線を向けた。

じっと見つめていると、隣から笑い声が聞こえてきた。


「あはは、違う違う。部屋を借りてただけだよ。そもそも俺、父親いないし」

「父親がいない…?」

「ああ。母さんと二人暮らし」

「へぇ……」


(母子家庭なのか…)


「じゃあ、あなたがお城に行ったら、お母さん寂しいんじゃない?」


何気ない一言に、フレディの笑顔が引きつる。


「あー…ははは、どうだろう?」

「え、まさか言ってないの?」

「………うん。少し前に死んじゃったから」


──あ、やってしまった。

そう後悔しても遅く、私達の間には気まずい沈黙が流れる。

何て声を掛けようか迷っていると、フレディが「そんなことより」と話題を変えた。


「君こそ、どうしてここに?」

「えっ、ああ、私はこの本を買ってくるように頼まれて…」

「頼まれた?誰に?」

「ヴィンセント様よ」


そう言った瞬間、フレディの肩が微かに揺れた。


「私、彼の専属メイドなの」

「……………ヴィンセント、様…」


フレディはその名前を噛み締めるように呟いた。


「…って、どんな人?」

「え、どんな人って………」


真っ先に思い浮かんだのは、



『スズランが好きなんだ』



エミリアを殺した彼ではなく、スズランを愛おしそうに見つめる彼だった。


「……………分からないわ」


その言葉が口からこぼれた。

少し前の私なら、在り来りなお世辞を並べられていたはずなのに。


「…そっか。君は、彼のことが知りたいんだね」

「え?」

「だって、分からないってことは、分かりたいってことだろう?」

「分かりたい…?」


(この物語の黒幕を?オフィーリア(自分)が処刑される原因の男を……?)


ぎゅっと本を抱き締めた。

『オフィ』と、笑顔で私の名前を呼ぶ男を思い浮かべながら。

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