ケイレブ編 6話
小窓から差し込んだ月明かりが、寄り添う私達を照らしていた。
『………心配、かけて』
あの言葉を最後に、ケイレブは口を閉ざし、今もなお私の肩に額を押し付けている。そんな彼の頭を、私も優しく撫で続けていた。
静寂に包まれた小屋の中に、ケイレブの穏やかな息遣いが響く。その音色に、私はほっと胸を撫で下ろした。
(もう、大丈夫そうね……)
「さぁ、そろそろ…」
ここから出ましょう。
そう手を離そうとした瞬間、
「え?」
ぎゅっと手首を掴まれた。
ケイレブが顔を上げた。その顔は、
「………は?」
何故か、驚いた表情をしていた。
「いや、何であなたまで驚いてるんですか?」
深紅の瞳が瞬きを繰り返す。
その瞳と同じ色に、彼の顔が染まっていった。
「ケイレブ様?」
名前を呼んだ瞬間、
カンカンカンカンカーンッ!
薄い壁向こうから激しく鐘を鳴らす音が聞こえてきた。
音のする方へ、私達は振り向いた。クンクンと、ケイレブが鼻を吸う。
「…火事だ」
その一言に、心臓が跳ね上がる。
一足遅れて、扉の隙間から入り込んできた焦げた臭いに、私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「逃げるぞ」
「は、はいっ」
そんな短い言葉を交わし、私達は埃だらけの小屋を後にした。
×××××
外に出ると、空き家が炎に包まれていた。
ドラマや映画でしか観たことがない衝撃的な光景に、足がすくむ。目を逸らすことすらできずにいると、隣から舌打ちが聞こえてきた。
「あれじゃあ、正面からは出れそうにねぇな…」
ケイレブの視線の先には、黒い門。
その隙間から野次馬の姿が見えた。
「おい、裏に回って塀を登るぞ」
「あ、はいっ」
走り出したケイレブの背中を、私は追い掛けた。
(って、咄嗟にはいって言っちゃったけど……)
彼が足を止めた。
その隣で立ち止まると、
(私がこの塀を登るのは無理でしょ…)
ケイレブと同じ高さの塀が広がっていた。
試しに近づき、背伸びをして手を伸ばす。けれど、指先すら届かず、私は肩を落とした。
「あの、やっぱり私には無理……………」
振り向いた瞬間、言葉を失った。
頭を抱えたケイレブが、またしても顔を赤らめていたからだ。
「ケイレブ様?」
名前を呼ぶと、ケイレブの肩がビクリと跳ね上がる。
勢いよく顔を背けた彼に、私は近づいた。
「さっきからどうしたんですか?様子がおかしいですよ?」
ケイレブは何も言わず、チラリとこちらを一瞥した。
そして、少し逡巡してからゆっくりと口を開いた。
「…おい」
「?はい」
「これはあくまで人命救助であって………さ、触りたい、とか……触られたい、とか…思ってねぇから…」
「え?何て??もう、火がうるさいんですから、いつもみたいに大きい声で喋ってくださいよ!」
「………だ、だから、」
深紅の瞳と視線が交わる。
「下心はねぇっつってんだよ!」
「………はい?」
首を傾げた、次の瞬間──
「うわぁっ!」
目の前には、今日一日追い掛け続けた大きな背中。
腹部には鍛え上げられた腕の感触。
一拍置いて、私はケイレブに担ぎ上げられたことに気がついた。
「ちょっ、何をっ…」
「うるせぇ、暴れんな」
言葉を遮り、ケイレブは私を軽々と塀の上に乗せた。
「落とすだろうが」
そう言って、彼は塀に手を置き、いとも容易く足をかけると、
「すみません…。…って、だったら、前もって言ってくださいよ!」
「はぁ?お前だって、許可なく触ってきただろ」
一切躊躇せず、路地に着地した。
ふわっと臙脂色の髪が揺れる。それを見て、あの意外と柔らかい髪の感触を思い出した。
「あ、あれとこれじゃ訳が違うでしょう!?急に担がれたら、びっくりするじゃないですか!」
「あー、はいはい。分かったから、早く降りて来い」
振り向き、ケイレブはこちらを見上げた。
投げやりな言い方に、私は頬を膨らませた。
「何ですか、その態度!そもそも物じゃないんですから、もっと丁寧に扱っ…」
文句を言い終える前に、今度はゴツゴツと骨張った手に腕を掴まれた。
強引に引っ張られ、身体が宙に浮く。
またしても情けない声が漏れた、その直後──
「早くしろって言ってんだろ。死にてぇのか、ノロマ」
ケイレブのもう片方の腕が太腿の裏に回された。
思わず彼の肩を掴む。目の前にある深紅に瞳に、驚く私が映った。
「す、すみません…」
再び謝ると、ケイレブの眉間の皺が深くなる。
──謝るくらいならさっさと降りろ。
そんな文句が飛んでくるかと思いきや、彼は何も言わず、私をそっと地面に降ろした。
「………あと、」
肩を触れたまま、私はケイレブに話し掛けた。
すると、彼は地面からこちらへ視線を移した。
「助けていただいて、ありがとうございました」
深紅の瞳が見開く。
けれど、彼はすぐに顔を背け、私から手を離した。
「?どうかしましたか?」
「………何でもない」
そう呟き、ケイレブは歩き出す。
しかし、その言葉とは裏腹に、彼の耳は先程の顔と同じように、何故か真っ赤に染まっていた。
×××××
「危ないから離れてくださーい!」
少し遠回りをして空き家の前へ向かうと、甲冑を身に纏った男性──騎士が大きな声で叫んでいた。
彼の背後では家が燃え上がり、大勢の騎士達が必死に火を消している。その光景を遠巻きに眺めながら、私達はこっそりと野次馬に紛れ込んだ。
その時、
「なぁ、あいつらの姿がなくないか?」
斜め前に立つ男性達の会話が聞こえてきた。
「あいつら?」
「ほら、あそこに住み着いてた傭兵達のことだよ」
(傭兵……!)
ふとケイレブに殴り掛かろうとした男性の姿が脳裏に浮かんだ。
「もしかして、逃げ遅れちまったんじゃ……」
「そうかもしれないな…。まぁ、あいつらにはみんな迷惑してたから、正直助かるけど……」
彼らの会話が一段落すると、私は隣に立つケイレブの袖を引っ張り、小声で話し掛けた。
「傭兵達って、まさかっ…」
「あのおっさんとその仲間達だろうな。俺を誘拐したのはあいつだ」
「じゃあ、彼らはあの炎の中に……」
いまだに燃え続ける家へ、私は顔を向けた。
ゴウゴウと燃え盛る音が、まるで彼らの叫び声のようだった。
(もしケイレブが気づかなかったら、私達も今頃………)
体の外側は火照っているのに、内側は凍えるように冷えていく。
そんなことを考えていると、
「………まただ」
ケイレブがボソッと呟いた。
「え?」と振り向くと、彼は空き家を鋭く見つめながら、自分の鼻に触れていた。
「またって、何がですか?」
「………」
「ケイレブ様?」
ケイレブは何も言わなかった。
私も何も言えなかった。
だって、燃え上がる家を見つめる彼の瞳に──
揺らめく炎しか映っていなかったから。




