ケイレブ編 3話
「まだ夕方なのに、すごく賑わってますね…」
忙しなく動き回るスタッフ。
テーブルを囲い、ジョッキ片手に笑い合う男性達。
カウンターで、ひっそりとカクテルを飲む女性。
案内された壁際の席に座っていた私は、混雑している店内を見回しながら呟いた。
「少しだけでも事件の話を聞ければいいのですが……」
振り向くと、
「…って、なんか、顔赤くないですか?」
向かいの席に座っていたケイレブの頬は赤く染っていた。
「は?赤くねぇわ」
「いや、赤いですよ。暑いならここの窓開けてもらいます?」
「だから、赤くねぇつってんだろ。近いもん見えねぇなら老眼鏡買えや、クソババア」
「はぁ!?クソババアって、私、あなたと同い年ですけど!?」
そう声を荒げた瞬間、
「お待たせしました~!」
若い男性スタッフが駆け寄ってきた。
二つのお冷をテーブルの上に置くと、彼はトレーを脇に抱え、エプロンからメモとペンを取り出した。
「ご注文はお伺いしまーす」
「えっと…」と、ケイレブへ視線を戻す。
てっきりお酒を頼むかと思っていたのだが、
「オレンジ」
彼の口から吐き出されたのは、その四文字の言葉だった。
思わぬ答えに、私もスタッフもきょとんとした表情を浮かべる。
「あれ?酒じゃなくていいんスか?…あ、ちなみに、俺のおすすめっ…」
「オレンジ」
ドスの効いた声で言葉を遮り、ケイレブはギロリと睨みつけた。
射抜かれたスタッフは肩を竦め、
「…も、オレンジっス!美味いっスよね、オレンジジュース!あははは〜!」
わざとらしい笑い声を上げた。
そして、逃げるように私へ視線を移す。
「それで?お嬢さんは?」
「えっ、あ、じゃあ、同じので」
「オレンジジュースが二つっと…。かしこまりました。少々お待ちくださ〜い」
そう言うと、スタッフは身を翻して去って行った。
お酒ではなく、お冷を飲むケイレブの姿に、「ふふふ」と笑みがこぼれる。
「何笑ってんだよ、気持ち悪りぃな」
「いえ、案外真面目なんだなと思って」
「あ?」
「お酒。任務中だから我慢したんですよね?」
「……別に、我慢なんかしてねぇよ」
コップの中の透明な液体を見つめながら、ケイレブはボソッと呟いた。
(我慢してない…?)
目の前にいるのは、髪も瞳も顔も赤い男。
「…あ、もしかして、苦手なんですか?お酒」
そう問いかけた瞬間、コップを揺らしていた手が止まった。
「……………あ?」
見開いた深紅の瞳と視線が交わる。
瞬きを繰り返した後、彼は鬼のような形相で持っていたコップをテーブルに叩きつけた。ぴちゃんと、透明の液体がこぼれ落ちる。
「あぁ!?俺に苦手なもんがあるわけねぇだろ!」
「でも、飲めないんですよね?匂いだけで酔っているようですし」
「酔ってねぇわ!それに、飲めないんじゃねぇ、飲まないんだ!」
「どっちも同じじゃないですか…」
「違ぇわ!飲めないだとっ……………か、かっこ悪ぃ…だろ……」
さっきまでの威勢はどうしたのか、ケイレブは恥ずかしそうに視線を逸らした。
「?いや、別にかっこ悪くないと思いますけど」
「………は?」
「むしろ、かっこいいと思われたくて飲んでる方がかっこ悪いですよ」
「……………」
深紅の瞳が、じっとこちらを見つめる。
犬歯が見えた瞬間、
「お待たせしました!オレンジジュースでーす!」
ケイレブの背後から再び現れた男性スタッフが、二つのジョッキをテーブルの上に置いた。
ビクリと肩を跳ね上げ、ケイレブは顔を背ける。そんな彼の分も、私はスタッフに軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。お忙しいのに」
「いやいや、そんなに忙しくは……ありますね。ほら、この前向かいの酒場で火事あったでしょ?」
(火事……!)
その言葉に、思わず言葉が詰まる。
黙り込む私に、スタッフは首を傾げた。
「あれ?知りません?俺、その日出勤してたんスけど、まじでやばかったっスよ。お客さんが火事だーって言うから窓の外見たら、すげぇ勢いで燃えてて~」
(見た時には燃えてた…ってことは、この人は犯人を見てなさそうね……)
「そのせいというかお陰で、うちにお客さんが集中してるんスよね~」
「そ、それは大変ですね…」
「そうなんスよ。…あ、でも、今より店長が寝込んだ時の方が大変でしたね。あそこのオーナーとうちの店長、一緒に日曜のミサへ行くほど仲が良かったから」
「ミサ…。もしかして、オーナーさんは女神派だったんですか?」
「そうそう。そのために土曜は早く閉店して、日曜は定休日にしてるくらい熱狂的な信者っスよ」
(女神派……)
「………そのオーナーと会ったことあんのか?」
今まで沈黙と貫いていたケイレブが、唐突に質問を投げ掛けた。
スタッフは一瞬驚いたものの、「もちろん」と頷く。
「会ったことどころか話したこともありますよ。よく店長に会いに来てたんで」
「最近、何か変わったことはなかったか?」
「変わったこと?……あ、そういえば、最近模様替えしたって言ってたな。家具とかカーテンとか全部」
(模様替え…は、事件とは関係なさそうね……)
そんなことを考えていると、
「は、離してください!」
女性の声が聞こえてきた。
「いいじゃねぇか、一杯ぐらい付き合ってくれよ~」
視線を向けると、どうやら女性スタッフが酔っ払った恰幅のいい男に絡まれているようだった。
ヒソヒソとした声が行き交う中、男を鋭く見つめていたケイレブが、ジョッキ片手に立ち上がった。
「ケイレブ様?」
そして、そのまま歩き出すと──
「目ぇ、覚めたか?」
彼は男の頭にオレンジジュースをぶちまけ、ジョッキを投げ捨てた。
静まり返った店内で、予想外の行動に思考が止まる。
「………ケイレブ様ぁ!?」
「あぁ!?」と声を上げた男と我に返った私は、ほぼ同時に立ち上がった。
「ついでに鏡見ろ。金も貰ってねぇのに、誰がてめぇの汚い面見ながら酒飲むんだよ。不味くなるわ」
「てめぇ、今なんつった!」
「耳まで悪いんか?風俗行けっつったんだよ、クソジジイ」
「こんのクソガキ…っ」
男が殴り掛かろうとした瞬間、別の男性スタッフが背後から腕を回して止めた。
先程まで話していたスタッフも二人の間に割って入る。
「離せ!」と暴れる男は、今にもスタッフ達を振り解きそうだった。けれど、ケイレブは逃げずに睨んでいた。
そんな彼の腕を、私は背後から掴んだ。ピクッと身体を震わせ、彼は勢いよく振り返った。
「おい、触んっ…」
「とりあえず、店を出ましょう!」
「はぁ?何でだよ?」
「何でも!」
振り払われないようにしっかりと腕を掴み、私達は怒号を浴びながら酒場を後にした。
×××××
「どうして、あんなことしたんですか!?」
外に出ると、太陽は隠れ、月が顔を出していた。
静かな路地に、私の声が響き渡る。
「だから、でけぇ声だっ…」
「出させているのはあなたです!!」
先程より大きな声を上げると、ケイレブは顔を歪め、耳を塞いだ。
「助けるにしても、普通に止めれば良かったでしょう!?あんなことして、逆上されたらどうするんですか!?昨日の件といい、もう少し後先考えてっ…」
「考えてるからだよ!」
「え?」と聞き返すと、彼はため息を吐き、ようやく耳から手を離した。
「恐らく、あの男は傭兵だ。絡まれてた女はもちろん、俺達と話してたモヤシ野郎じゃ勝てねぇ」
女性スタッフの手首を掴んでいたたくましい腕。
ケイレブを殴ろうとした傷だらけの拳が、脳裏を過ぎる。
(……だから、自分に怒りの矛先を向けて、店にいた人達を守ろうとしたってこと…?)
深紅の瞳に、困惑する私が映った。
きゅっと唇を引き結ぶ。
「あ、あなただって、負けるかもしれないじゃないですか!自分が負けて怪我したら、誰かが心配するとか考えないんですか…!?」
「はぁ!?負けねぇし、怪我なんかしねぇよ!」
「します!」
「しねぇ!」
「します!!」
私達はまたしても睨み合う。
やはり、先に顔を背けたのはケイレブだった。
「ああもう、うるせぇなぁ!万が一したとしても、俺なんかの心配する奴なんているわけねぇだろ!」
「いますよ!」
振り向いた彼に、私は一歩近づいた。
「私が、心配します」
深紅の瞳が見開き、月光が差し込む。
けれど、その瞳は、
「………俺の心配じゃなくて、自分の心配だろ」
一瞬にして闇に覆われてしまった。
敵意を孕んだ声に、心臓が縮む。
「ちがっ……わたし、は………」
冷え切った眼差しを向けられ、声が震える。
そうこうしている内に、ケイレブは背を向けて歩き出した。
「あ、待っ…」
「ついてくんな」
いつものように、睨んでいない。
声も荒げていない。
しかし、私の手が彼の背中に触れることはなかった。
だって──
「お前を見てると、イライラする」
心を閉ざした音が聞こえた気がしたから。




