?編 1話
「お、重い…」
山盛りの洗濯籠を抱え、私は物干し場へ向かっていた。
静かな廊下に、ゆっくりとした足音が響く。
何故、こんなことをしているかというと──
『手伝いましょうか?』
この籠を抱えていたメイドに親切心で声を掛けた結果、
『ぎゃあああああ!』
まるで幽霊でも見たかのように、悲鳴を上げながら逃げられたからだ。
──そう、オフィーリアは他のメイド…いや、使用人達から避けられている。
「はぁ…」
思わずため息がこぼれた。
「一体、あなたは何をしたの?オフィーリア…」
そう呟いた、その時──
「わっ」
曲がり角の向こうから現れた人物とぶつかった。
転びはしなかったものの、籠からはみ出していたシーツが顔にかかり、「ぶっ」と間抜けな声が漏れる。
「申し訳ございません。お怪我はありませんか?」
白い布越しに、申し訳なさそうな男性の声が聞こえた。
「は、はい。こちらこそ、すみません……………」
片手で籠を支え、もう片方の手で顔からシーツを剥がすと、
「キーラン様!」
そこには群青色の髪をした少年が立っていた。
同じく、群青色の眉の間に皺が寄る。そのことに気づかず、私は嬉々として彼に話し掛けた。
「奇遇ですね。どうして、こちらに?」
(ラッキー!昨日、こいつと話したかったのに、あんまり話せなかったんだよね〜)
──正直、私が一番味方にしたいのはキーランだ。
ヴェスタニア帝国唯一の高等学校を首席で卒業する頭脳を持ち、年に一度エレサレスで開催される剣術大会で三年連続優勝するほどの剣の腕を持つ天才。
何より、彼は黒幕の騎士とはいえ、犯罪者じゃない。他の三人よりは話が通じるだろう。
「どうしてって──」
問題があるとすれば、
「僕は殿下の騎士だ。殿下の宮殿に来る理由なんて、彼に用があるからに決まっているでしょう?」
………この性格の悪さだ。
呆れた声で告げられた言葉に笑顔が引きつる。
「そして、その用件をあなたに伝える必要も時間もありません。全く、分かりきった質問をしないでいただきたい。僕はあなたのような暇人と違って忙しいんですから」
(ひ、暇人?)
「それとも、自分が仕えている主の騎士の顔すら覚えられないんですか?鶏ですか?あなた」
(鶏ぃ~!?)
口元から笑みが消える。
ケイレブと口論した時のように、わなわなと怒りで身体が震え出した。
「だ、誰が……っ」
触れていたシーツを、ぎゅっと握り締める。
顔を上げ、冷ややかな紺青色の瞳を睨みつけた。
「誰が鶏ですか!誰がぁ!!」
「そっくりじゃないですか。だって、三歩歩くと忘れちゃうから、こうやってまた虐められても黙ってるんでしょう?」
「はぁ!?虐められてません、よ……………」
(って、また?)
「…やれやれ、ちゃんと殿下に報告してください。あなたは虐めているメイドを庇っているつもりかもしれませんけど、そのメイドも僕も困るんですよ。前回みたいに──」
「殿下に骨を折られると」
(…………………………は?)
その一言に、頭が真っ白になる。
パサリと、握り締めていたシーツが落ちた。
「……………ほ、」
思わず声が震える。
「骨を折られたぁ!?」
静まり返った廊下に、私の大きな声が響いた。
紺青色の瞳が見開いた、その瞬間──
「いっ!?」
抱えていた洗濯籠を足元に落とした。
雷に打たれたような激痛が走り、視界が滲んでいく。
「たぁ~~~ッッ!」
しゃがみ込み、ジンジンと痛む足の甲を押さえる。
そんな私を見て、キーランはため息を吐き、
「もう、何やってるんですか……」
膝を折り、倒れた籠を立ててシーツを拾い始めた。
彼の予想外の行動に、開いた口が塞がらない。手を動かさないどころか、瞬きもせずに見つめていると、
「………というか、昨日も思ったんですが、あなた──」
伏せられていた紺青色の瞳と視線が交わった。
「変わりましたね。まるで別人みたいだ」
ヒュッと心臓が縮む。
じんわりと汗を滲ませながら、私は慌てて弁解した。
「そ、そんなことないですよ〜!全然!全く変わってないです!」
「そうでしょうか。少なくとも、そんな風に笑っている姿は初めて見ましたけど」
「キーラン様の前で笑ってなかっただけです!他の方の前では笑ってました!それはもうゲラゲラと!」
「へぇ。……まぁ、そういうことにしておきます」
そこまで興味がなかったのか、キーランは追求することを止め、拾ったシーツの汚れを叩き落とす。
そんな彼に、私は「あ、あの…」と遠慮がちに声を掛けた。
「本当なんですか?ヴィンセント様がメイドの骨を…その………」
「折りましたよ」
「まぁ、親指だけですけど」と、キーランは持っていたシーツを籠に入れた。
(いや、親指だけでも痛いわよ!)
「ちなみに、あなたを口説こうとした執事は歯を抜かれてました」
(痛い痛い痛い痛い痛い!)
いつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、親指の骨を折り、歯を抜くヴィンセント。
その姿を想像して、思わず顔が歪む。
(………でも、だから避けられてたのか…)
悲鳴を上げながら逃げていくメイドの姿が、脳裏に浮かぶ。
黙り込む私を一瞥して、キーランは羨ましそうに呟いた。
「………あなたはいいですね」
「え?」
顔を上げると、睫毛越しに見える紺青色の瞳が水面のように揺れていた。
声を掛けようした瞬間、彼は最後の一枚を籠にしまい、立ち上がった。
「では、僕はこれで」
そう言い捨て、キーランは背を向けて歩き出した。
「あ、ちょっと!」と、私も立ち上がった。けれど、彼は振り返らなかった。
「………行っちゃった」
伸ばしかけた手を引っ込め、胸元で握り締める。
しばらく遠ざかる背中が見つめていた。
(何だったんだろう、今の……)
先程の小さな呟きが胸に引っかかる。
けれど、早く拠点に向かいたい私は、キーランを追い掛けず、洗濯籠を持ち直して物干し場へと向かった。
×××××
『変わりましたね。まるで別人みたいだ』
(まさか、あの仕事以外興味なさそうなキーランに気づかれるなんて……)
暖かな陽光が草地を照らす。
私は物干し竿にシーツを干しながら、先程のやり取りを思い出していた。
(たまに…本当にたまーに、オフィーリアであることを忘れちゃう時もあるけど、それ以外はかなり名演技だと思うんだけどなぁ……)
シーツから離した手を顎に当てた。
その時だった。
「…っ」
思考を吹き飛ばすように、風が強く吹いた。
「あっ」と、伸ばした手は空を切り、シーツが空へ逃げていく。
まずい。
そう思った瞬間──
「よっと」
突然横から現れた青年が軽やかに飛び上がり、舞い上がるシーツを捕まえた。
まるで物語の一場面のような光景に目を奪われていると、彼は草地に降り立ち、こちらへ振り向いた。
(………あれ?)
朽葉色の髪。
藤色の瞳。
(この人、どこかで見たことがあるような……)
それに、誰かに似ているような気がした。
思い出す前に、青年は近づいてきた。持っていたシーツを差し出す。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます…」
差し出されたシーツを受け取ると、青年は「どういたしまして」と微笑む。
そして、何かに気がついたのか、辺りを見回した。
「あれ?君、一人?」
「あ、はい」
「この量を?」
首を傾げ、山盛りの洗濯籠を指さす青年。
悲鳴を上げながら逃げられた。…なんて、初対面の彼に言えるわけもなく、乾いた笑い声がこぼれる。
「あ、あはは、皆さん、お忙しいようなので……」
青年は眉を顰める。
けれど、すぐに表情を和らげ、
「…そっか。じゃあ、俺が手伝うよ」
袖捲りをした。
思いもよらない提案に、「えっ」と声が漏れる。
「いやいやいや、見ず知らずの方にお願いするなんてっ…」
「一人より二人でやった方が早いだろ?安心して。こう見えて、家事は得意なんだ」
(家事が得意……)
──着古した生成色のリネンシャツ。
くたびれた焦げ茶色の革ベストとズボン。
薄汚れたブーツ。
正直、貴族には見えなかった。
(新しい使用人かな…?まぁ、それなら大丈夫か……)
「…じゃあ、お願いします」
「お願いされました」
太陽のような笑顔だった。
久しぶりに向けられた純粋な笑みに、心臓が跳ね上がる。
「ていうか、敬語じゃなくていいよ。俺はフレディ・ヴェネディクト。君は?」
「…オフィーリア」
「へぇ、ぴったりな名前だ」
『…ぴったりな名前だね』
不意に今朝の夢が脳裏を過ぎる。
「よろしくね、オフィーリア」
フレディがこちらに手を差し出した。
──何故だろう。
髪色も、瞳の色も、笑顔も全て違うのに、
『…そう。よろしくね、オフィーリア』
ヴィンセントと似ていると思うのは。
「え、ええ。よろしく…」
夢と同じように、差し出された手を取った。
………けれど、その手はとても温かかった。




