第八話 赤い疫病
雨が降っていた。
昨夜の戦いが嘘のように、村は静かだった。
異形も飛竜も消えている。
だが、誰も安心していなかった。
壊れた柵。
抉れた地面。
畑に残る巨大な爪痕。
“あれ”が現実だった証拠だけが、村中に残っている。
レインは小屋の中で目を覚ました。
全身が痛い。
特に左肩。
異形の攻撃をかすめただけで、骨が軋むような痛みが残っている。
「……生きてるのか」
自分でも驚くほど弱々しい声だった。
立ち上がろうとして、失敗する。
足に力が入らない。
(本当に終わってるな、この身体)
かつてなら致命傷ですら戦い続けられた。
今は転んだだけで数日動けなくなる。
その時、小屋の扉が勢いよく開いた。
「レイン!!」
少女だった。
昨日、水をくれた子。
顔が青い。
「大変なの!!」
「……何だ」
「みんな熱が……!」
その言葉で、レインの目が変わった。
外へ出る。
雨の匂いに混ざって、嫌な臭いがした。
血。
膿。
腐敗。
村の中央には数人の村人が倒れていた。
肌が赤黒く変色している。
息が荒い。
そして首元には、赤い斑点。
レインの表情が凍る。
(これは……)
一周目。
戦場で何度も見た。
都市を滅ぼした病。
「赤熱病……」
小さく呟く。
少女が不安そうに見上げる。
「知ってるの?」
レインは答えない。
代わりに周囲を見る。
井戸。
雨。
壊れた畑。
そして昨夜、異形が踏み荒らした場所。
(最悪だ)
感染源が混ざっている。
しかも初期症状が異常に速い。
普通の赤熱病ではない。
「全員、水を飲むな」
レインは即座に言った。
村人たちがざわつく。
「は?」
「何言ってるんだ」
「水飲まなきゃ死ぬぞ」
「飲めばもっと早く死ぬ」
その声に、空気が止まる。
レインは井戸へ向かう。
中を見る。
赤い。
わずかに。
だが見間違えない。
水が汚染されている。
老人が後ろから来た。
「分かるのか」
「……昔見た」
嘘ではない。
“昔”すぎるだけだ。
レインは井戸の縁を触る。
冷たい。
(異形が来た後からだ)
(つまり……あいつらが持ち込んだ?)
考えた瞬間、嫌な予感が走る。
もしこれが偶然じゃないなら。
もし“転生者を炙り出すため”の病なら。
「……っ」
頭痛。
また記憶が揺れる。
白い塔。
大量の人影。
赤い液体。
そして誰かの声。
『位階低下を確認』
ノイズみたいに記憶が切れる。
レインは額を押さえた。
「おい、大丈夫か」
老人の声。
「……平気だ」
平気じゃない。
だが止まっている暇もない。
レインは立ち上がる。
「火を起こせ」
「何?」
「井戸水を全部煮沸する。あと、発熱してる奴は小屋を分けろ」
「そんなことして意味あるのか」
「ある」
断言だった。
村人たちが戸惑う。
だが、レインの目だけは異様に冷静だった。
それは“知っている者”の目。
病で国が滅ぶ光景を。
助からない悲鳴を。
何度も見てきた目。
少女が恐る恐る聞く。
「……治る?」
レインは一瞬だけ黙る。
そして答えた。
「死なせない」
その言葉に、自分自身が驚いていた。
かつての自分なら言わなかった。
勇者だった頃の自分は、もっと冷たかった。
助けられない命は切り捨てていた。
だが今は違う。
弱いからこそ。
死が近いからこそ。
一人死ぬ重みを知ってしまった。
外では雨が強くなる。
その中で、畑の隅。
泥に埋もれた折れた剣が、静かに雨を受けていた。
誰も気づかない。
だが錆びた刃の奥で、
ほんのわずかに、赤い光が脈打っていた。




