第二話 土しか知らない村
朝の空気は冷たかった。
レインは畑に立っていた。
手には錆びた鍬。
足元には乾いた土。
ただそれだけの風景なのに、妙に現実味がある。
――土。
何度目かの人生で、こんなに長く土に触れた記憶はない。
貴族の庭園でもなく、戦場の泥でもなく、ただ“生活のための土”。
「ほら、ぼさっとすんな!」
背後から声が飛ぶ。
老人――この身体の“父親役”の男が、荒い手つきで畑を指さしていた。
「今日中に西の畑を起こす。雨が来る前に終わらせるぞ」
「……分かった」
レインは短く返事をして鍬を振り上げる。
そして、振り下ろした。
ズブッ。
土が割れる。
その瞬間、違和感が走った。
(……浅い)
経験がそう告げていた。
土の硬さ、水分量、根の残り方。
全部が“効率の悪い耕し方”になっている。
無意識に視線が動く。
畑の端。
水路の角度が甘い。
土の盛り方が逆流を起こす配置だ。
このままだと、数日で根腐れする。
「……」
レインは鍬を止めた。
「何してんだ!」
老人が苛立った声を上げる。
「やり方が違う」
レインはそう言った。
一瞬、静寂が落ちる。
「は?」
「水の流れが悪い。こっち側を少し下げて、畝を三度傾けた方がいい」
沈黙。
老人が眉をひそめる。
「お前……何言ってんだ?」
当然だ。
農民の子供がそんなことを言うはずがない。
レインはそこで初めて気づく。
(しまったな)
六度目の人生では、普通の農民として“最低限の知識”を身につけていた。
さらにその前には、貴族として農政にも触れている。
知識が、勝手に口をついて出ていた。
「忘れろ」
レインは鍬を握り直した。
「普通にやる」
そう言って、再び土を掘り始める。
だが――
「……ちょっと待て」
老人の声が変わっていた。
さっきまでの怒りではない。
疑いと、わずかな興味。
「今の……どこで覚えた」
レインは答えない。
答えられない。
“前世で”などと言えば終わる。
この世界でそれは、狂人か異端者の言葉だ。
鍬を振るう音だけが畑に響く。
その時だった。
村の外れから叫び声が上がった。
「出たぞ!!」
村人たちが一斉に振り向く。
「また盗賊か!?」
「いや違う、あれは――」
地鳴り。
森の奥から、何か巨大なものが歩いてくる音。
レインの身体が、勝手に反応した。
(この音……)
獣でもない。人でもない。
だが知っている。
“戦場に出てはいけない種類の音”だ。
やがて森の間から、黒い影が現れた。
異形の獣。
四本脚。
背中に骨のような突起。
目は一つ。
村人たちが凍りつく。
「魔獣だ……!」
誰かが叫んだ。
老人が青ざめる。
「なんでこんな場所に……!」
レインはゆっくりと鍬を握り直した。
武器ではない。
ただの農具。
だが、彼の中では違った。
(あれは……下位魔獣“グラウド”)
一周目の初期に出会った存在。
兵士なら十人で討伐。
農村なら壊滅。
今の自分なら――
レインは自分の腕を見る。
細い。
弱い。
震えている。
勝てるわけがない。
だが。
村の後ろには、子供がいた。
昨日、水をくれた少女。
その目が、こちらを見ている。
逃げろとも言わず、ただ立ち尽くしている。
レインは小さく息を吐いた。
「……最悪だな」
鍬を、肩に構えた。
その瞬間、彼の“七度目の人生”が、初めて動き始める。




