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第一話 七度目の朝

土の匂いで目が覚めた。


 湿った藁の感触。

 隙間風の入る木造の天井。

 遠くで鳴く鶏の声。


 そして、全身にまとわりつく鈍い倦怠感。


 ――またか。


 少年はゆっくりと瞼を開いた。


 身体が重い。

 呼吸が浅い。

 指先には力が入らない。


 それだけで分かる。


 この肉体は弱い。


 かつて竜の首を断ち切った腕も、魔導砲を耐え抜いた身体も、もう存在しない。


 代わりにあるのは、痩せ細った農民の身体だった。


 少年――レインは、ゆっくりと上体を起こした。


 狭い小屋の中には、粗末な机と椅子しかない。

 窓にはガラスすらはまっておらず、布切れが揺れていた。


 視線を落とす。


 泥だらけの裸足。


 ひび割れた爪。


 細い腕。


 そして首元。


 焼印のような黒い刻印が、皮膚に浮かび上がっていた。


『Ⅶ』


 七。


 第七位階。


 最下級人類。


 レインはそれを見つめ、長く息を吐いた。


「……七回目か」


 声は掠れていた。


 一周目。勇者。

 二周目。貴族。

 三周目。兵士。

 四周目。盗賊。

 五周目。奴隷。

 六周目。農民。


 そして――七周目もまた、農民だった。


 いや。


 前より酷い。


 記憶の中の六度目より、この身体はさらに脆い。


 少し走っただけで息が切れるだろう。

 剣など振れば肩が外れる。

 魔力も感じない。


 終わりが近い肉体だった。


 レインは立ち上がろうとして、足元をふらつかせた。


「……っ」


 壁に手をつく。


 情けない。


 かつて世界最強と呼ばれた男が、起き上がるだけで息を乱している。


 だが、それでも生きている。


 まだ。


 まだ、人間だ。


 その時、小屋の外から怒鳴り声が響いた。


「レイン! いつまで寝てる!」


 老いた男の声。


 父親……らしい。


 記憶を探る。

 血の繋がりはない。拾われた孤児だ。


「畑行くぞ! 春前に耕し終わらねぇと死ぬ!」


 レインは小さく笑った。


「……死ぬ、か」


 その言葉が妙に胸に刺さる。


 今の自分にとって、“死”は終わりだった。


 次はない。


 いや、正確にはあるのかもしれない。


 獣か、虫か、あるいは魔物か。


 だが少なくとも、“人間”ではいられない。


 レインは壁際に置かれていた錆びた鍬を手に取った。


 重い。


 ただの農具が、まるで鉄塊のように感じる。


 それでも彼は外へ出た。


 朝日が村を照らしていた。


 小さな畑。

 崩れかけた柵。

 痩せた子供たち。

 疲れ切った大人たち。


 貧しい村だった。


 昔、自分が救った世界の果てがこれか、とレインは思う。


「ぼさっとするな!」


 白髪の老人が鍬を投げて寄越した。


「今日中に西畑終わらせるぞ!」


「……分かった」


 レインは鍬を肩に担ぐ。


 その瞬間。


 空を巨大な影が横切った。


 村人たちがざわめく。


「おい……」

「まさか……」

「飛竜か?」


 レインだけが即座に空を見上げた。


 黒い翼。


 長い尾。


 左翼の裂傷。


 あの飛び方。


 間違いない。


 かつて一周目で自分が討伐した、“災厄級”の飛竜だった。


 ありえない。


 あれは確かに殺したはずだ。


 だが飛竜は空を旋回すると、その赤い瞳で地上を見下ろした。


 そして。


 一瞬だけ。


 レインと目が合った。


 次の瞬間、飛竜が咆哮する。


 空気が震え、村人たちが悲鳴を上げた。


 レインの背筋を冷たい汗が伝う。


 ――なぜだ。


 なぜ、生きている。


 そしてなぜ。


 あの竜は、自分を見て笑ったのか。

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