第十八話 旅立ちの朝
獣は、最後まで妹を守ろうとしていた。
神官の光が放たれる直前。
第九位階の獣は、自ら森の奥へ走った。
少女を遠ざけるように。
逃がすように。
咆哮が響く。
そして。
森の奥で、白い閃光が空を裂いた。
静寂。
少女はその場に崩れ落ちた。
「……ぁ」
声にならない。
泣き声すら出ない。
レインは何も言えなかった。
神官は杖を下ろし、静かに言った。
「……あれが九位階だ」
感情のない声。
「理性は消える。最後には人を喰う」
レインの拳が軋む。
神官は続けた。
「お前たちも、いずれ同じになる」
少女の耳が震える。
レインはゆっくり顔を上げた。
「……治す方法は」
神官が少しだけ目を細める。
「あると思うか?」
答えになっていない。
だが。
その沈黙こそが答えだった。
翌朝。
村は静かだった。
誰も昨夜のことを口にしない。
レインは畑に立っていた。
朝露。
土の匂い。
短い時間だったが、確かにここで生きていた。
普通の農民として。
鍬を持ち、作物を育て、水を飲み、眠る。
それは。
過去六回で、一番穏やかな時間だったかもしれない。
少女――白耳の獣人は、少し離れた場所に立っていた。
目が赤い。
泣き腫らしている。
だが、もう涙は流していなかった。
リゼは荷物を勝手に漁っている。
「レインこれ持ってっていい?」
「何盗もうとしてる」
「干し肉」
「置いてけ」
ソレアは折れた剣の上で腕を組んでいた。
『で、どうする農民』
レインは少し黙る。
そして。
畑を見渡した。
壊れた柵。
踏み荒らされた土。
もう前の村ではない。
神殿も来る。
魂喰いも動き始めた。
ここにいれば、村を巻き込む。
「……行く」
小さな声。
だが確かだった。
リゼが笑う。
「だと思った」
『遅いくらいだ』
ソレアも頷く。
白耳の少女だけが、不安そうに聞いた。
「どこに?」
レインは空を見る。
青空。
遠くの山脈。
まだ知らない世界。
「分からん」
正直な答えだった。
「でも」
レインは首元の刻印に触れる。
『Ⅶ』
最下位。
落ちる側。
それでも。
「このまま終わるのは嫌だ」
少女の目が少しだけ揺れた。
レインは続ける。
「位階も、転生も、獣化も」
「全部、調べる」
神殿。
魂喰い。
白い塔。
失われた記憶。
全部繋がっている。
なら。
進むしかない。
その時、村長が近づいてきた。
しばらく黙っていたが、やがて小さな袋を差し出す。
「……持っていけ」
「これは」
「種だ」
レインの目が少し開かれる。
「旅先でも、土があるなら生きられる」
不器用な言葉だった。
レインは少しだけ笑う。
「……ありがとな」
村長は咳払いした。
「死ぬなよ」
「努力する」
リゼが吹き出した。
「努力で済む問題かなぁ」
『お前はまず死亡率下げろ』
「うるさい」
風が吹く。
白耳の少女が、おそるおそる聞いた。
「……私も、行っていい?」
レインは少しだけ考える。
本来なら断るべきだ。
危険すぎる。
だが。
彼女はもう、この村で生きられない。
昨夜の出来事で、それが決定的になった。
レインは頷いた。
「ああ」
少女の耳がぴくりと動く。
「……ありがとう」
「名前は?」
少女は少し黙ってから答えた。
「フィオ」
風が吹く。
こうして。
第七位階の農民。
元魔王軍幹部。
喋る聖剣。
半獣化少女。
奇妙な旅が始まった。




