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第十一話 獣人になった元英雄

 朝。


 レインは無表情で畑を耕していた。


 鍬を振る。


 土を返す。


 それだけだ。


 だが頭の中では、昨夜の“黒歴史”が延々と再生されていた。


『私が華麗にエスコート――』


「っ……」


 鍬が変な方向に刺さる。


「レイン? 大丈夫?」


 少女が不思議そうに見る。


「……問題ない」


 問題だらけだった。


 精神的に。


 だが、それ以上に。


 井戸の男の言葉が残っている。


『八回目から違う』


『最後にはこうなる』


 あの黒く変色した腕。


 骨の軋む音。


 人間が壊れていく気配。


 レインは鍬を置いた。


「どこ行くの?」


「少し確認だ」


 少女は首を傾げたが、それ以上聞かなかった。


 村外れの井戸。


 昼なのに薄暗い。


 レインは周囲を確認してから、ゆっくり覗き込む。


「いるか」


 沈黙。


 水音。


 やがて。


「いるよ」


 下から声。


 レインは眉をひそめる。


「どうやって生きてる」


「根性」


「絶対違うだろ」


 井戸の底で男が笑う。


 レインは小さく息を吐いた。


「昨日の続きだ」


「何が聞きたい?」


「……八位階」


 その瞬間、男の笑みが少しだけ薄れた。


「人間じゃなくなるって、どういう意味だ」


 しばらく沈黙。


 やがて男は、自分の黒い腕を見下ろした。


「見せた方が早いか」


 鎖が鳴る。


 男がゆっくり立ち上がった。


 そして。


 黒く変色した腕が、膨らみ始める。


 骨が鳴る。


 皮膚が裂ける。


 レインの目が見開かれた。


 腕だったものが、巨大な獣の前脚へと変わっていく。


 爪。


 黒い毛。


 歪な筋肉。


「っ……!」


 レインが息を呑む。


 男は苦笑した。


「これが八位階だ」


 その顔はまだ人間。


 だが腕だけが完全に別の生物だった。


「転生を繰り返すと、“人間の形”を維持できなくなる」


「……獣化」


「正解」


 男は壁にもたれた。


「最初は腕だけ。次は目。耳。牙。最後には理性が消える」


 レインの背筋が冷える。


 男は静かに続けた。


「九位階は完全な魔物だ」


「……」


「でも中身は元人間」


 その言葉は重かった。


 レインはゆっくり拳を握る。


(じゃあ、俺も……)


 あと一回死ねば。


 人間ではなくなる。


 男はレインを見上げた。


「怖いか?」


 レインは即答できなかった。


 怖い。


 当然だ。


 死ぬより。


 “自分じゃなくなる”方が。


 男は小さく笑う。


「安心しろ」


「何がだ」


「最初はみんな怖がる」


 その笑顔が、一瞬だけ寂しそうに見えた。


「でも慣れる」


「慣れるな」


「ははっ」


 乾いた笑い。


 その時だった。


 レインの耳が、微かな音を捉える。


 カラン。


 金属音。


 井戸の近く。


 畑の方向。


 レインは振り返った。


 誰もいない。


 だが。


 泥に埋もれていた“折れた剣”が、ほんの少しだけ位置を変えていた。


「……?」


 昨日より近い。


 気のせいかと思う程度。


 だが確実に。


 男もそれに気づいたらしい。


 井戸の底から、目を細める。


「お前……何拾った?」


「拾ってない。ただのガラクタだ」


 その瞬間。


 男の顔色が変わった。


「……どんな剣だ」


「錆びてた。折れた。すぐ壊れた」


 沈黙。


 長い沈黙。


 やがて男が、信じられないものを見る目で呟いた。


「……まさか」


「何だ」


 男は答えない。


 ただ、震える声で言った。


「レイン、それ……絶対に捨てるな」


 その瞬間。


 畑の隅で。


 折れた剣が、カタリと小さく揺れた。

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