ちゃぶ台と執事
墨田衆星は「ボクダシュウセイ」と読みます。3人称はボクダにします。
おかしいな夢をみていた…ボクは崖をよじ登っていた、崖の上から呼ぶ声がするからだ。ご主人様…この「ご主人様」とはボクのことらしい。ご主人様…崖を登りながら違和感に気づく、これは崖なのだろうか…カメラがずっと引いていく、崖だと思っていたのは…黒いモーニングコート、それを着こなす美しい女性…小さなボクは彼女の背中にしがみつき…
「ご主人様、朝でございます。お起きください」
そうだ…メアリだ…この女の人はメアリだ…
目の前には、和室の中、白いシャツの上に装飾のない古風なエプロン…エプロンは糊付けされ、シワ1つもない…この規律正しい人を見ながら、これは現実なのか…それとも夢なのか…しばらく疑わざるを得なかった…
そのまま顔を洗い、ちゃぶ台の前に座る…
「ご主人様、今日の朝はキッシュを焼きましたの。」
ちゃぶ台には…これまた、紅茶が入れられたカップ…それとキッシュ…キッシュ…って、なに?
「ああ、それとポテトポタージュをお入れしますわ。」
メアリは居間の隣の土間へ降りていきガスコンロの鍋からポテ…タ…トタージュ…?というものを入れている。
ちゃぶ台には手際よくキッチュとポテタトタージュと紅茶が並べられる、メアリはいつの間にかモーニングコートに着替えちゃぶ台の傍らで正座をしていた、手にはいつでも紅茶を入れられるようにポットを持って待機だ。
「あの、メアリ…さん?」
「はい、ご主人様、メアリとお呼びください」
メアリはごく当然のように、にこやかな笑顔を見せる。
「メアリ、3つほど質問があるのですが…」
「はい、なんなりと申し付けください」
今度はメアリは不思議そうな顔をする…
何か不手際でもあったのかしら…
「メアリは朝ご飯、食べないの?」
なんとも拍子抜けする質問だった、メアリはてっきり何か不手際が…とも思っていたのだが…
「はい、ご主人様が召し上がったのを確認してからいただくことにいたしますわ」
「一緒に食べたりしないの?」
これもメアリにとっては不思議な質問だった。この主人は何を考えていらしてるのかしら?
「ご主人様と執事が一緒に食事をするなんてありえませんわ、どうかお気になさらず召し上がってくださいまし」
主人は何か腑に落ちない顔だったが、質問を続けた。
「2つ目の質問、これは質問というか心配なんだけど…」
「まあ、わたくしとしたことが、ご主人様にご懸念を抱かせるようなことをしてしまうとは、対処いたしますなんなりとお申し付け…」
「正座…大丈夫?痛くない?足を崩してもいいよ」
主人は、私が言い終えるのを待たずして話始める。
この質問もなんとも拍子抜けする…なんだろ…私はまた、古民家に住まう物ノ怪達に翻弄されているのか…この主人は物ノ怪達に取り憑かれたとか…?
でも私は執事だ、今は職務をまっとうしなければ…
メアリは背筋を伸ばした。
「心配にはおよびません、私は三年前イギリスから日本に渡ってから茶道を習っておりましたの。どうか心配なさらないで」
「わあ意外だね、茶道もやってたんだ…」
主人は茶道という言葉に喜んだ、でもあと1つある…
「最後3つ目の質問、ずっとモーニングコート着てるの?もっと楽な格好でいいよ…」
まさか、主人から規律を破ることをおっしゃるとは…主人は物ノ怪に取り憑かれたのではない…この方自身がすでに古民家の物ノ怪の総大将かなにか…でも、こんなことで負けてはいけない…新たな試練に打ち勝たなければこの先まだどんな困難が待ち受けるのやら…
「はい、これが執事の役目でございます。規律正しく職務を全うする、その為のこれは言わば制服みたいなもの」
主人は腑に落ちない顔だ…
「でも、外に出かける時、買い物行く時とか、さっきエプロンをつけていたように何かに着替えたりするの?」
「いえ本来ならば、フットマンがいて彼らが外に行くのですが、私しかいないので、もっとカジュアルなワンピースとかを着て出かけます」
「フットマン…?」
主人は動きを止めた、フットマンという言葉が琴線に引っ掛かったようだ…
「はい、フットマンです。もともと貴族に仕えるは執事だけでなくハウスメイドとかフットマンとか…あ、そうそう食事が冷めてしまいますわ…どうかお召し上がりになりながらお聞きください。」
主人は紅茶を飲みフォークを手にとる、
貪欲な知識欲が出てきたのか、でも興味を持ってくれるのはとても好ましいと思う…
「そもそも、執事は今のイギリスでもいるの?まあ、君がいるから、いるんだろうけど…」
主人はキッシュをすくいとり、口の中に放り込んだ。
「数こそは少なくなりましたが、もちろん今でも現存しております、だいたいが王室関係や古い貴族は今も雇っております。」
「ふ〜ん、このキッチュ、おいしいね」
「キッシュでございます…」
主人は何度もキッシュを口に運び、お茶を一口飲む。
「執事はそもそも何をする人?ずっと主人の側にいてお茶を入れる人みたいに感じるんだけど…」
「はい、もちろんお茶もお入れしますが、それ以外の仕事も多くて、使用人の管理。来客対応、晩餐会の運営、ワインや銀器の管理、意外と力仕事も多いのですよ。」
主人はキッシュをきれいにすくいとり、うんうん…と頷く。
「ご主人様の気になさる服装についてですが、昼はモーニングコートで、夜の晩餐会や行事では燕尾服を着ます、外出するときはビジネススーツですね。今ではずっとビジネススーツの場合や主人の意向によるものが多いです。わたくしもご主人様の意向によっては服装を変更いたしますがいかがなさいましょう…?」
主人は目を細めてこちらをみる、そしてニコリと笑い「メアリのモーニングコートは…かわいいからそのままがいい…」
かわいい…?かわいいですって…?この人はいったい何を言って…
メアリが面食らっている間にも、主人は次の質問を投げかけてくる…
「ハウスメイドはなんとなくわかるよ、掃除をしたり料理を作ったりするのでしょ?フットマンとはいったい…」
「は、はい…ハウスメイドはおっしゃる通りですね、料理はメイドというか、専属のコックがいまして彼らが作ります。フットマンとは…」
主人はうんうん…と頷いたあと、ポテトポタージュをスプーンですくい慎重に口をつける。
「今はそうではありませんが、フットマンは貴族の看板としてあえて派手な衣装を着て、主人の付き添いやお使いにでていたそうです。今はだいたいビジネススーツですね。」
「うんうん…このポテタトタージュ、おいしいね!」
「ポテトポタージュ!ですわ。」
主人はポテトポタージュをすくいとり、何度も口に運ぶ…
「使用人というのは『貴族の資産、威信』を表すのでことさらお金をかけて立派な制服にしている貴族も多かったとか…」
主人はポテトポタージュを丁寧に最後まですくいとり名残惜しそうに口に運ぶ…
「うちはどうなるの?フットマンとか、ハウスメイドとか、全部メアリがやるの?」
「はい、その通りでございます…使用人が少ない家はみんな掛け持ちでやっていましたね。」
どうしたことだろう…わたくしとしたことが…彼の歩調に乱されつつある…このままでは…
「メアリ、英国の執事文化が少しわかってきたよ、あとお茶を一杯ください。」
そうだ…ここはわたくしもお茶を飲んで気を落ち着かせなければ…
「今日のお茶はアッサムでございます。インドのアッサム地方で栽培される茶葉、黒蜜のような甘い風味にコクのある味わいはエネルギーを呼び起こし前進する力を得るまさに大地の恵み、カードで言えば『7戦車』とも言えますわ。」
主人はこれまた慎重にカップに口をつける、黒蜜のような香りは眼球と脳に血を巡らせ再起動させる、コクのある味は喉を通るたびに力を蓄積するようである…
「ありがとう…メアリ、今日は遅刻しないで済みそうだ。いってきます。」
「はい、行ってらっしゃいませ。ご主人様」
自転車を漕ぐ主人の後姿を見ながら、メアリはこの先うまくやれるのだろうか、かなり心配だった…
『7戦車』の逆位置はたしか、暴走、コントロールを失う、挫折…
メアリ「キッシュとはパイ生地の中に、卵、生クリーム、などを混ぜ合わせた液に、チーズや野菜を入れオープンで焼き上げたものですわ」




