山に眠る鐘と、巨人の王
夜明け前の山岳地帯は、空気そのものが鋭かった。
グランディル山岳王国――。
世界最高峰の連山に囲まれた巨人族の国家は、他種族が容易に踏み入れることを許さない閉ざされた領域として知られている。
切り立った断崖。
雲を突き抜ける岩峰。
谷底から吹き上がる白い霧。
そして、山そのものが生きているような重苦しい振動。
レヴァナスタシア大陸でも最古の文明の一つとされる巨人族は、長い歴史の中でほとんど外交を行わなかった。
そのため外界では、
『巨人は滅びた』
『いや、地下で暮らしている』
『神々と契約した民だ』
など様々な噂が飛び交っている。
だが実際にこの地へ足を踏み入れた者は、極端に少ない。
そして――。
帰って来た者は、さらに少なかった。
吹雪混じりの山道を、数頭の大型獣が進んでいた。
荷を運ぶ山岳用獣竜。
その背に乗るのは、トシオ達一行である。
「……さっむ……」
フィルニアが鼻を赤くしながら呟く。
白い吐息が風に散った。
「竜人のくせに寒さ苦手なのかよ」
タマが笑う。
「うるさい! 竜人だからって全員暑いの好きだと思うな!」
「でもお前、火とか吐けそうじゃん」
「吐かん!」
「ちょっと見たい」
「見せん!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を見ながら、ミツコは小さく笑った。
「仲良しねぇ」
「仲良くない!」
「仲良くねぇ!」
綺麗に声が重なる。
ユキがくすりと肩を震わせた。
その一方で、ミーコだけは黙って前方を見つめていた。
視線の先。
霧の向こう。
巨大な影が、山肌に浮かび上がっている。
「……あれ……」
ミーコが低く呟く。
次の瞬間。
霧が裂けた。
現れたのは――。
山そのものを削って作られた超巨大建造物だった。
高さ数百メートルはある石壁。
その表面には古代文字が無数に刻まれている。
崖と一体化した門。
山腹を貫く巨大な柱。
まるで神話時代の遺跡。
いや。
人の尺度では測れない、“文明そのもの”だった。
「……でっけぇ……」
タマが呆然と漏らす。
フィルニアも言葉を失っている。
「これが……グランディル……」
ユキの瞳に緊張が宿る。
すると、先導していた山岳ガイドの老人が静かに口を開いた。
「……気を付けなされ」
低い声。
「ここから先は、“山に許された者”しか通れん」
「許されないとどうなる?」
トシオが尋ねる。
老人は前を向いたまま答えた。
「山に喰われる」
その声音には冗談が一切無かった。
吹雪が強くなる。
遠くから、低い地鳴りのような音が響いた。
ゴォォォォォ……。
まるで山が呼吸しているようだった。
◇◇◇
巨大門の前に到着した時、一行は改めて自分達の小ささを思い知らされた。
門の高さだけで城塞並み。
表面には古代巨人語が刻まれている。
しかも――。
扉が半開きだった。
「……開いてる?」
ミーコが眉を寄せる。
「普通じゃねぇな」
トシオもすぐ異変を察した。
巨人族は閉鎖的だ。
外部侵入を極端に嫌う。
その門が不用意に開いているなど有り得ない。
ユキがそっと地面へ触れる。
「……魔力が乱れてます……」
「争った跡か?」
「はい……かなり最近です」
フィルニアが周囲を警戒する。
「嫌な感じするぞ……」
次の瞬間。
風が止まった。
そして――。
門の奥から。
ズン。
ズン。
ズン。
重い振動。
地面が揺れる。
山獣達が怯え始めた。
「何か来る」
タマが低く唸る。
暗闇の奥。
巨大な影が現れた。
一歩。
また一歩。
その度に岩が震える。
やがて姿を見せたのは――。
全長五メートルを超える巨人だった。
灰色の皮膚。
岩のような筋肉。
鎖を巻き付けた腕。
そして両目は赤黒く濁っている。
「……侵食……!」
ミーコが息を呑む。
巨人の身体には黒い紋様が広がっていた。
閉じる者。
その侵食だ。
「グ……ォ……」
巨人が呻く。
だが理性は既に崩壊している。
次の瞬間。
巨大な拳が振り下ろされた。
轟音。
地面が爆発する。
「散れ!!」
トシオの怒声。
一行が左右へ飛ぶ。
岩盤が砕け、吹雪が巻き上がる。
「うおぉぉぉぉ!?」
タマが転がる。
フィルニアが空中へ跳躍した。
「はァッ!!」
紅蓮の炎槍。
だが――。
巨人は腕で受け止めた。
ドガァン!!
炎が弾ける。
「硬っ!?」
フィルニアが驚愕する。
「普通の装甲じゃない!」
巨人が咆哮した。
その瞬間。
山全体が震えた。
「耳塞げ!!」
トシオが叫ぶ。
遅れて衝撃波が襲来。
ビリビリと空気が裂ける。
ミーコが目を見開く。
「音波系……!」
ユキが即座に結界を展開。
透明な膜が衝撃を受け止める。
しかし。
バキッ。
結界に亀裂。
「……っ!」
ユキの額に汗が滲む。
強い。
異常なほど。
単純な膂力だけで空間が軋んでいる。
「タマ!」
「おう!!」
二人が左右へ展開。
白銀の魔力が奔る。
高速連撃。
だが巨人は止まらない。
「うおっ!?」
逆に腕を掴まれた。
そのまま叩き付けられる。
ドゴォォォォン!!
岩壁が陥没した。
「タマ!!」
ユキが叫ぶ。
しかし煙の中から、
「いっっっってぇぇぇぇぇぇ!!」
元気な声。
「丈夫ねぇ……」
ミツコが少し安心する。
だが状況は悪い。
侵食された巨人は痛覚が薄い。
しかも巨人族本来の耐久力まで上乗せされている。
「……なら」
トシオが前へ出た。
その背中から圧力が広がる。
空気が変わる。
海鳴りのような重低音。
ミーコが振り返った。
「じーちゃん……?」
トシオは静かに拳を握る。
筋肉が軋む。
傷跡だらけの腕が膨れ上がった。
そして。
一歩踏み込む。
ズガン!!
地面が割れた。
巨人の拳と、トシオの拳が激突する。
衝撃波。
周囲の雪が吹き飛んだ。
「……止めた!?」
フィルニアが叫ぶ。
五メートル級の巨人。
その拳を。
トシオは真正面から受け止めていた。
しかも――。
押し返している。
ミシミシと巨人の腕が軋む。
「……悪ぃな」
トシオが低く呟く。
「うちの家族、怖がらせた」
次の瞬間。
筋肉が爆発した。
ゴ ォ ォ ォ ォ ッ !!!!!
巨人の身体が宙を舞う。
山壁へ激突。
超重量の肉体が岩盤を砕きながら吹き飛んだ。
しかし。
「まだ動く!?」
ミーコが驚く。
侵食が深い。
普通なら今ので終わっている。
巨人は再び立ち上がった。
赤黒い霧が身体から噴き出す。
すると――。
門の奥から、さらに複数の足音。
ズン。
ズン。
ズン。
「……嘘でしょ」
フィルニアの顔が引き攣る。
現れたのは。
十体以上の侵食巨人だった。
◇◇◇
「数が多すぎる!」
ミーコが叫ぶ。
巨人達はゆっくりだが、一体一体が災害級。
しかも山岳内部。
狭い。
逃げ場が少ない。
「ユキ、後方!」
「はい!」
「フィルニア、上!」
「任せろ!」
「タマは遊撃!」
「おう!」
即座に陣形を組む。
トシオが最前線。
ミーコが中央指揮。
完全に戦場慣れしていた。
その時。
ミツコがふと耳を澄ませた。
「……?」
何か聞こえる。
遠く。
山の奥。
微かに。
鐘の音。
ゴォン……。
低く、長い響き。
すると。
侵食巨人達の動きが止まった。
「え……?」
タマが目を瞬かせる。
再び鐘。
ゴォン……。
その瞬間だった。
巨人達が一斉に跪いた。
「なっ……!?」
フィルニアが驚愕する。
そして――。
暗闇の奥から。
巨大な影が現れた。
今までの巨人とは格が違う。
十メートル級。
白銀の長髪。
黒鉄の王冠。
古代文字が刻まれた大剣。
その瞳だけは、侵食されていなかった。
静かな蒼。
老いた王の眼差し。
「……久しいな」
低い声が響く。
山そのものが喋ったかのような重厚な響き。
「獣王家の娘よ」
ミーコが目を見開いた。
「……私を知ってるの?」
巨人王はゆっくり頷く。
「レイシスの血は忘れぬ」
その直後。
王の胸元から黒い侵食が滲んだ。
だが王は平然としている。
「急げ」
短い言葉。
「山が閉じる前に」
「どういう意味だ?」
トシオが問う。
巨人王は奥を見つめた。
その視線の先。
山脈の中心部。
巨大な黒い亀裂が空に走っていた。
まるで空間そのものが裂けている。
「門が壊される」
王が呟く。
「“閉じる者”が目覚める前に……核を止めねばならぬ」
ミーコ達に緊張が走る。
その時だった。
山全体が揺れた。
次の瞬間。
遥か上空。
雲を突き破って、巨大な黒い腕が現れた。
「……は?」
タマが固まる。
あまりに巨大。
山と同じ規模。
空から降りて来た“何か”が、山頂を掴んでいた。
ゴゴゴゴゴゴ……。
岩が砕ける。
大地が悲鳴を上げる。
フィルニアの顔から血の気が消えた。
「……冗談だろ……」
巨人王が静かに剣を抜く。
巨大な刃が鈍く光る。
「来るぞ」
その瞬間。
山脈の奥底から。
人ではない咆哮が響いた。
世界を震わせるほどの絶叫。
空気が裂ける。
雪崩が起きる。
山獣達が逃げ惑う。
そして。
ミツコだけが気付いた。
その咆哮の奥に。
誰かの“泣き声”が混じっている事に。
「……苦しんでる……?」
ミツコが小さく呟く。
すると。
巨人王が彼女を見た。
驚いたように。
まるで。
あり得ないものを見たような顔で。
「……聞こえるのか」
王が掠れた声で言う。
「封印の中の、“子”の声が」
ミツコは静かに頷いた。
吹雪が荒れる。
山が唸る。
空の裂け目が広がっていく。
そして。
グランディル山岳王国の最深部で。
太古から眠っていた何かが、ゆっくりと目を開け始めていた。




