『海割る拳』
『じじばばにゃんこと異世界奇譚』
第一部『レヴァナスタシア』
ガルディア上空。
裂けた空が、
さらに広がっていた。
黒雨。
侵食霧。
崩壊音。
街全体が、
悲鳴を上げている。
巨大な“目”は、
裂け目の奥からこちらを見下ろしていた。
それだけで、
空気が重い。
息苦しい。
ユキが、
小さく震える。
「動けない……」
足が重い。
身体が、
押し潰されそうだった。
黒衣男達ですら、
膝をつき始めている。
「あれは……」
「マズい……!」
⸻
その時。
裂け目の奥から、
“腕”が完全に出て来た。
巨大。
黒い。
空そのものを掴むみたいな腕。
しかも。
その周囲だけ、
空間が崩れている。
ミーコの顔色が変わる。
「下がって!!」
次の瞬間。
黒腕が、
ゆっくり振り下ろされた。
ズ ォ ォ ォ ……
遅い。
だが。
デカ過ぎる。
避けようが無い。
渓谷都市ガルディアへ、
空そのものが落ちて来る。
⸻
フィルニアが、
歯を剥く。
「ふざけんなよ……!!」
竜人魔力全開。
赤熱魔力が、
身体から吹き出す。
タマも、
短剣を握り直した。
「止めるしかねぇ!!」
黒衣男達が、
結界術式を展開。
ミーコも、
巨大水流陣を起動する。
ユキも、
震える手で防壁を重ねた。
全員、
総力。
だが。
分かっていた。
止まらない。
規模が違う。
⸻
黒腕落下。
直前。
トシオが前へ出た。
ミツコが、
小さく目を見開く。
「トシオ……」
トシオは、
空を見上げていた。
裂けた空。
黒い腕。
侵食。
全部を見た後。
小さく息を吐く。
そして。
拳を握った。
ギリ……
筋肉が軋む。
その瞬間。
空気が変わった。
⸻
ゴォォォォ……
周囲の空気が、
渦を巻き始める。
風。
いや。
潮の匂いだった。
ガルディアは渓谷都市。
本来、
海の匂いなんかしない。
なのに。
潮風が吹いた。
タマが、
目を見開く。
「……は?」
フィルニアも、
顔を強張らせる。
空気が重い。
だが。
恐怖じゃない。
圧。
巨大な自然そのものみたいな圧力。
黒雨が、
一瞬止まった。
⸻
トシオが、
ゆっくり踏み込む。
その瞬間。
ゴ ッ ッ ッ ッ ッ !!!!!
地面が沈んだ。
橋が軋む。
周囲の瓦礫が、
吹き飛ぶ。
黒衣男達が、
息を呑む。
「なんだ……
あの魔力……」
違う。
魔力じゃない。
もっと原始的だった。
嵐。
海鳴り。
荒波。
災害そのもの。
⸻
黒腕が落ちる。
街を潰す一撃。
その瞬間。
トシオが、
拳を振り抜いた。
ゴ ォ ォ ォ ォ ォ ッ !!!!!
世界が揺れた。
音じゃない。
衝撃そのものだった。
拳圧。
ただの拳圧。
だが。
空間そのものが、
割れた。
巨大衝撃波が、
渓谷を突き抜ける。
黒腕直撃。
次の瞬間。
黒腕が、
“裂けた”。
⸻
ズ ガ ァ ァ ァ ァ ッ !!!!
巨大黒腕が、
真正面から吹き飛ぶ。
裂ける。
砕ける。
侵食霧が、
一気に蒸発した。
さらに。
衝撃波が止まらない。
裂け目そのものへ、
突き刺さる。
空が揺れる。
黒亀裂が、
悲鳴みたいに軋む。
ミーコが、
目を見開く。
「……空間ごと」
次の瞬間。
裂け目が、
完全に吹き飛んだ。
⸻
ド ガ ァ ァ ァ ァ ァ ン !!!!
黒空崩壊。
侵食霧消滅。
黒雨蒸発。
巨大な“目”が、
歪む。
『―――――』
声にならない声。
そして。
空そのものが、
砕け散った。
⸻
静寂。
風だけが吹く。
誰も動けない。
黒衣男達が、
完全に固まっていた。
フィルニアが、
口を開けたまま呟く。
「……トシオ、
何した?」
タマも、
引いていた。
「拳だよな……?」
ユキは、
完全に呆然としている。
ミーコだけが、
静かにトシオを見ていた。
その目に、
わずかな確信が混ざる。
⸻
トシオは、
何事も無かったみたいに、
拳を下ろした。
そして。
肩を回す。
ゴキッ。
「……手ぇ痺れた」
全員ズッコケそうになる。
フィルニアが、
叫ぶ。
「それで済むのかよ!!」
タマも、
思わずツッコむ。
「空割ったぞ今!!」
トシオは、
普通だった。
「知らん」
「デカかったから殴った」
「理屈雑過ぎるだろ!!」
⸻
その時。
空から、
光が降り始めた。
黒雨じゃない。
白い粒子。
侵食が消えていく。
崩れかけていた空間も、
少しずつ戻り始めていた。
黒衣男の一人が、
震える声で呟く。
「閉じる者の侵食を……
殴って消した……?」
誰も、
意味が分からなかった。
⸻
やがて。
夜明けが来る。
裂けていた空には、
少しずつ朝陽が差し込んでいた。
崩壊した橋。
壊れた市場。
煙。
瓦礫。
被害は大きい。
だが。
街は残った。
ガルディアは、
まだ生きている。
避難民達が、
少しずつ顔を上げる。
誰かが、
トシオを見る。
そして。
ぽつりと呟いた。
「……海神」
その言葉が、
静かに広がっていく。
だが。
当の本人は。
ミツコから渡された水を飲みながら、
普通に言った。
「腹減ったな」
フィルニアが、
頭を抱えた。
「この人絶対おかしい!!」
タマが、
深く頷く。
「今さらだろ……」
その横で。
ミーコは、
朝焼けの空を見ていた。
閉じる者。
侵食。
消えた門。
そして。
トシオ。
世界は、
確実に動き始めていた。




