『雨眠る樹海』
『じじばばにゃんこと異世界奇譚』
第一部『レヴァナスタシア』
朝から雨だった。
シルヴァレインでは、
珍しくないらしい。
巨大葉へ当たる雨音が、
樹都全体へ響いている。
ポツ……
ポツポツ……
やがて。
ザーッ……
樹海の雨は、
普通の森と音が違った。
葉が巨大過ぎる。
だから。
一滴一滴の音が深い。
ユキは、
宿窓から外を見ていた。
霧。
雨。
揺れる巨大樹。
遠くの回廊も、
白く霞んでいる。
ミツコが、
後ろから湯気立つ茶を置いた。
「今日は静かやねぇ」
ユキが、
湯呑みを両手で持つ。
「雨好きかも」
「落ち着く?」
「うん」
⸻
今日は、
外へ遠出しない事になった。
雨量が多い。
樹上回廊も滑りやすいらしい。
フィルニアは、
若干不満そうだった。
「暇だなー」
タマが、
椅子へ座ったまま返す。
「たまには休め」
「休んでると体鈍る」
「お前常に動いてんな」
その横で。
トシオは、
既に窓際へ座っていた。
静かに雨を見ている。
ミツコが、
少し笑う。
「昔から雨の日好きやったもんねぇ」
トシオが、
小さく頷いた。
「海止まるからな」
その言葉に、
タマが少し顔を上げた。
「漁って、
雨だと休みなのか?」
「海荒れる時は出ねぇ」
トシオは、
窓の外を見る。
「無理すると帰れなくなる」
その声音は、
妙に実感があった。
⸻
昼頃。
宿の下層共有広間では、
森精族達が集まっていた。
皆、
雨宿りらしい。
暖炉。
木椅子。
静かな会話。
樹液灯の橙色が、
部屋全体を柔らかく照らしている。
ユキは、
暖炉近くで本を読んでいた。
オルグディアで借りた、
簡易歴史書だった。
そこへ。
小さな影が来る。
昨日の少女、
リノアだった。
「いた」
ユキが、
少し笑う。
「こんにちは」
リノアは、
濡れた髪を拭きながら座った。
「今日は雨だから、
お墓行けないの」
少し残念そうだった。
⸻
その時。
宿主が、
暖炉へ薪を追加する。
パチ……
火が揺れる。
森精族達の会話も、
どこか穏やかだった。
誰かが歌い。
誰かが編み物をし。
誰かが茶を淹れている。
ユキは、
なんとなく現世を思い出した。
雨の日。
古い家。
テレビの音。
ミツコの料理。
縁側。
静かな時間。
不思議だった。
異世界なのに。
時々、
現世と重なる。
⸻
午後。
雨はさらに強くなった。
巨大葉へ打ち付ける音が、
少し低く響いている。
その時。
宿入口が開いた。
数人の森精族が入って来る。
全員、
かなり濡れていた。
しかも。
運んでいる。
担架だった。
広間の空気が、
少し変わる。
騒がしくはならない。
だが。
皆、
静かに立ち上がった。
ユキも、
思わず見る。
担架に乗っていたのは、
若い森精族の男性だった。
眠っているみたいだった。
ただ。
動かない。
リノアが、
小さく息を呑む。
宿主が、
静かに目を伏せる。
「……樹海事故か」
運んで来た男が、
雨水を滴らせながら頷いた。
「足場崩落」
「落下した」
誰も大声を出さない。
泣き叫ばない。
ただ。
静かだった。
その静けさが、
逆に胸へ重かった。
⸻
ユキは、
動けなかった。
森精族達は、
白布を用意し始める。
暖炉の火が、
小さく揺れる。
外では、
まだ雨が降っている。
その時。
リノアが、
ユキの袖を掴いた。
小さな手だった。
「……大丈夫だよ」
ユキが、
少し驚く。
リノアは、
担架を見ながら続けた。
「森へ還るから」
その声は、
震えていた。
理解している。
でも。
悲しくない訳じゃない。
ユキには、
それが分かった。
⸻
夕方。
雨は少し弱くなった。
樹都では、
静かな送りの準備が始まっていた。
大きな儀式ではない。
家族と近しい人だけ。
森精族は、
大きく騒がない。
それでも。
想いは深かった。
ユキは、
少し離れた場所から見ていた。
白花。
灯り。
雨粒。
全部が、
静かに流れていく。
その時。
隣へ、
トシオが来た。
しばらく、
何も言わない。
やがて。
ぽつりと呟く。
「海でもな」
ユキが、
顔を上げる。
トシオは、
遠くを見る。
「帰って来ねぇ奴は居る」
「慣れるもんじゃねぇ」
その声は、
重かった。
ユキは、
少しだけ胸が締め付けられる。
トシオは、
続けた。
「だから帰った奴には、
飯食わせて、
笑わせてやる」
「生きて帰ったんだからな」
ユキは、
その言葉を聞いていた。
トシオらしいと思った。
難しい事は言わない。
でも。
ちゃんと、
命を見ている。
⸻
夜。
雨は止み始めていた。
樹海には、
霧が残っている。
宿へ戻る途中。
ユキは、
ふと空を見た。
巨大葉の隙間から、
少しだけ星が見える。
その時。
小精霊が、
また近くへ来た。
淡い光。
ふわふわ揺れている。
ユキは、
小さく笑った。
「……ここ、
寂しいのに優しいね」
精霊は、
何も答えない。
ただ。
静かに、
ユキの周囲を漂っていた。
⸻
深夜。
皆が寝静まった後。
ユキは、
宿外廊下へ出ていた。
雨上がりの空気は、
少し冷たい。
樹海全体が、
白霧へ包まれている。
そこへ。
ミツコが来た。
「眠れへん?」
ユキが、
少し笑う。
「ちょっとだけ」
ミツコは、
隣へ座った。
しばらく、
二人で霧を見ている。
やがて。
ユキが、
小さく聞いた。
「ばーちゃん」
「ん?」
「大切な人が居なくなるのって、
慣れるのかな」
ミツコは、
すぐ答えなかった。
少し考えてから、
静かに言う。
「慣れへんよ」
ユキの瞳が、
少し揺れる。
ミツコは、
霧の向こうを見る。
「何年経っても、
寂しい時は寂しい」
「ふと思い出す時もある」
「会いたくなる日もある」
その声は、
とても穏やかだった。
だから余計に、
本当なんだと思えた。
ユキが、
小さく俯く。
ミツコは、
そっとユキの頭を撫でた。
「でもな」
「それでも、
一緒に居た時間は消えへん」
「思い出して、
笑えたら」
「きっと、
その人はちゃんと残っとる」
ユキは、
少しだけ目を潤ませながら、
小さく頷いた。
霧の向こうで。
樹海の風が、
静かに葉を揺らしていた。




