『北航路の朝』
『じじばばにゃんこと異世界奇譚』
第一部『レヴァナスタシア』
翌朝。
空は、
綺麗に晴れていた。
あれだけ続いていた白霧が、
嘘みたいに消えている。
青空。
白雲。
静かな氷海。
スノウリアの港へ戻った時。
最初に聞こえたのは、
鐘の音ではなく。
人の声だった。
「帰って来たぞ!!」
「補給船だ!!」
港が、
一気に動き出す。
船員達が走る。
港夫達が叫ぶ。
係留ロープが投げられる。
その喧騒を聞いた瞬間。
カヤが、
小さく息を吐いた。
「……戻ったな」
トシオが、
肩を回す。
「結構暴れたな」
「灯台半分壊れてるぞ」
タマが、
呆れ顔で言う。
フィルニアが、
鼻で笑った。
「半分で済んだなら上出来だろ」
「お前ら基準がおかしいんだよ」
⸻
港へ降りると。
空気が違った。
明るい。
前まであった重さが、
かなり薄れている。
行き交う船員達の顔にも、
少し余裕が戻っていた。
ユキは、
静かに周囲を見回す。
同じ港なのに、
まるで別の街みたいだった。
ミツコが、
少し笑う。
「鐘、聞こえへんねぇ」
ユキも、
小さく頷いた。
「うん」
耳が静かだった。
あの低い音が、
もう無い。
それだけで、
空気まで軽く感じる。
⸻
昼頃。
港中央広場では、
砕氷船員達が集まっていた。
戻らなかった観測艇。
消えた船。
白霧。
全部、
長い間この港を縛っていた。
だから。
霧が消えた今でも、
皆まだ半信半疑だった。
港夫の熊獣人が、
空を見上げながら呟く。
「……晴れてるな」
別の船員が、
苦笑する。
「数ヶ月ぶりに、
ちゃんと北が見えた」
カヤは、
そんな港を黙って見ていた。
彼女は元々、
感情を大きく出すタイプじゃない。
だが。
今は少しだけ、
肩の力が抜けているように見えた。
トシオが、
横で聞く。
「長かったのか」
カヤは、
静かに頷く。
「年々悪化してた」
「誰も原因が分からなかった」
「だから、
終わった実感もまだ薄い」
その時。
遠くから、
船員達の歌が聞こえた。
港歌だった。
だが。
以前とは違う。
沈むような歌じゃない。
ちゃんと、
“帰って来た歌”だった。
ユキが、
少し嬉しそうに笑う。
⸻
午後。
一行は、
北側修理区画を歩いていた。
灯台修復用の資材が、
山積みになっている。
木材。
鋼材。
氷杭。
港全体が、
また動き始めていた。
フィルニアは、
巨大鉄骨を見上げる。
「また壊れそうだな」
タマが、
即答する。
「誰のせいだと思ってんだ」
「霧巨人が悪い」
「半分はお前だ」
その横で。
トシオが、
普通に超重量鉄材を運んでいた。
片手で。
港夫達が、
微妙な顔をしている。
「……あの兄ちゃん何者だ?」
「人族じゃねぇだろあれ」
「壁の方が負けそう」
ユキが、
少し笑っていた。
⸻
夕方。
灯台守が、
港へ降りて来た。
久しぶりらしい。
港の老人達が、
かなり驚いている。
「おい生きてたのか!」
「失礼だなお前ら」
珍しく、
灯台守が笑った。
その姿を見て。
カヤも、
少しだけ口元を緩める。
港の人間達にとって、
灯台守は“北航路そのもの”だった。
だから。
あの老人が笑っているだけで、
安心する。
そんな存在だった。
⸻
夜。
宿では、
静かな食事会になっていた。
大騒ぎじゃない。
祭りでもない。
ただ。
帰還祝いみたいな空気だった。
テーブルには、
北方料理が並んでいる。
白銀魚シチュー。
燻製肉。
黒パン。
温酒。
フィルニアは、
既に食べ続けていた。
「うめぇ」
「お前完全復活したな」
タマが呆れる。
ミツコは、
温かいスープを飲みながら、
静かに笑っていた。
ユキも、
今日は表情が柔らかい。
窓の外では、
雪がゆっくり降っている。
だが。
怖い雪じゃなかった。
ただ静かな、
冬の雪だった。
⸻
食後。
ユキは、
一人で港へ出た。
夜の氷海。
静かだった。
遠くで、
砕氷船の灯りが揺れている。
その時。
隣へ、
ミーコが立った。
銀青の瞳が、
海を見ている。
ユキが、
小さく聞く。
「……終わったのかな」
ミーコは、
少しだけ黙っていた。
やがて。
静かに答える。
「完全には終わってない」
ユキが、
少しだけ表情を強張らせる。
だが。
ミーコは、
空を見上げた。
「でも、
閉じられた」
「帰れなかった人達も、
帰った」
それは。
ミーコなりの、
優しい言葉だった。
ユキが、
少し安心したように息を吐く。
その時。
遠くで、
港歌が聞こえた。
今度は、
ちゃんと暖かい。
生きている人達の歌だった。
⸻
翌朝。
出発の日。
星海横断列車が、
再びホームへ入って来る。
ゴォォォ……
重い蒸気音。
白煙。
巨大黒鉄。
北航路用の装甲列車だった。
カヤが、
ホームまで見送りへ来ていた。
相変わらず、
白い外套姿。
だが。
最初に会った時より、
雰囲気が柔らかい。
フィルニアが、
軽く笑う。
「今度は沈むなよ港」
カヤが、
少し呆れた顔になる。
「お前達の方が危険だ」
タマが、
小さく吹き出した。
トシオが、
軽く手を上げる。
「世話になったな」
「……こっちもだ」
短い言葉だった。
だが。
ちゃんと別れの言葉だった。
ユキは、
最後にもう一度、
北の海を見る。
白霧は無い。
静かな氷海だけが広がっている。
その時。
風が吹いた。
遠く。
本当に遠く。
港歌みたいな声が、
一瞬だけ聞こえた気がした。
ユキが、
小さく笑う。
「……行こっか」
列車の扉が閉まる。
蒸気噴出。
巨大列車が、
ゆっくり動き出した。
白銀港湾国家スノウリア。
長い冬の国。
死と隣り合わせで生きる、
北航路の街。
だが。
そこには確かに、
“帰る灯り”があった。




