『星が見送る朝』
『じじばばにゃんこと異世界奇譚』
第一部『レヴァナスタシア』
星都アストラへ、
静かな朝が戻っていた。
あれほど騒がしかった警鐘も、
もう鳴っていない。
空中回廊には、
少しずつ人が戻り始めていた。
崩れた橋は、
星晶族達によって修復されている。
青い星灯石が、
再び街へ灯りを取り戻していた。
だが。
以前と同じではない。
誰もが、
空を見る回数が増えていた。
まるで。
いつまた、
あの銀眼が現れるか分からないみたいに。
中央塔上層。
観測室の巨大窓から、
ミーコは星海を見ていた。
静かだった。
あの巨大な影は、
もう見えない。
だが。
気配だけは残っている。
遠い。
遥か遠く。
世界の外側。
そこから、
まだこちらを見ている。
ミーコの猫耳が、
わずかに揺れる。
その時。
後ろから、
紅茶の香りが流れてきた。
ミツコだった。
「はい」
湯気の立つカップを、
そっと差し出す。
ミーコは受け取った。
少し甘い香り。
アストラ特有の、
星花茶だった。
ミツコが、
隣へ並ぶ。
「難しい顔しとるねぇ」
ミーコは、
窓の外を見たまま呟く。
「……終わってない」
「うん」
ミツコは、
あっさり頷いた。
「でも、
今は生きとる」
それだけで、
十分やよ。
そう言って、
柔らかく笑った。
ミーコは、
少しだけ目を細める。
その時。
観測室の扉が開く。
フィルニアだった。
「おーい」
「メシだぞ」
空気が一気に壊れる。
ミーコが振り返る。
「朝からうるさい」
「腹減ってんだよ」
タマも後ろから顔を出す。
「お前夜中も食ってただろ」
「戦った後は別腹だ」
「別腹多すぎんだろ」
そんなやり取りを見て。
ミツコが、
小さく笑った。
⸻
食堂は、
以前より賑わっていた。
星晶族達が、
普通に会話している。
まだ不安は残っている。
だが。
完全な絶望ではなくなっていた。
ユキは、
星蜜パンを両手で持ちながら、
幸せそうに頬張っている。
「おいしい……」
セレスが、
少し安心したように微笑む。
「良かった」
アストラの食事は、
不思議な物が多かった。
淡く光る果実。
星魚のスープ。
透き通った結晶菓子。
フィルニアは、
朝から大量に食べていた。
タマが呆れる。
「お前ほんと燃費悪いな」
「昨日暴れたからな」
「お前毎日暴れてるだろ」
その時。
観測室側の大型窓へ、
光が差し込む。
朝日だった。
いや。
正確には違う。
アストラには、
本当の太陽が無い。
観測光。
人工的に再現された朝。
それでも。
暖かかった。
ユキが、
窓の外を見ながら呟く。
「ほんとの朝じゃないのに」
「綺麗だね」
セレスは、
少し黙っていた。
やがて。
静かに言う。
「この街の人達は、
“終わらない夜”に耐えられませんでした」
「だから昔、
星見の王が朝を作ったんです」
ミツコが、
優しく目を細める。
「優しい人やねぇ」
だが。
セレスの表情は、
少し複雑だった。
「……昔は」
その言葉の意味を、
誰もすぐには聞かなかった。
⸻
食後。
セレスは、
トシオ達を中央塔最上層へ案内した。
王の私室だった。
意外なほど、
質素な部屋だった。
本棚。
机。
観測窓。
それだけ。
王は、
窓際へ座っていた。
相変わらず、
死体みたいに静かだった。
銀眼だけが、
ぼんやり光っている。
トシオが、
低く聞く。
「具合悪そうやな」
王は、
少しだけ笑った。
「良くはない」
隠す気も無かった。
セレスが、
静かに薬を置く。
だが。
王は飲まない。
窓の外を見たまま、
ぽつりと呟く。
「昔、
この街はもっと騒がしかった」
「笑い声も多かった」
「泣く子供も居た」
その声は、
どこか懐かしそうだった。
ユキが、
小さく聞く。
「今は?」
王は答えない。
代わりに。
観測窓へ手を触れる。
すると。
空中へ、
古い映像が浮かんだ。
まだ地上にあった頃のアストラ。
祭り。
市場。
音楽。
笑っている人々。
今の静かな都市とは、
別世界だった。
フィルニアが、
珍しく黙って見ている。
タマが、
ぽつりと呟く。
「……普通の街だったんだな」
「普通だった」
王は、
静かに頷く。
「だから守りたかった」
その瞬間。
彼の銀眼が、
わずかに濁る。
ミーコは気付いた。
限界が近い。
観測を続けすぎた。
この男は、
もう長くない。
ミツコも、
静かにそれを感じ取っていた。
王が、
ゆっくりトシオ達を見る。
「お前達は、
この先へ進むのだろう」
トシオは頷く。
「止まる理由が無い」
王は、
少しだけ笑った。
「羨ましいな」
その時。
セレスが、
少し俯く。
王が、
静かに彼女を見る。
「セレス」
「はい」
「次の観測者は、
お前だ」
空気が止まる。
セレスの表情が、
わずかに揺れた。
だが。
彼女は、
ゆっくり頭を下げる。
「……承知しています」
フィルニアが、
小声でタマへ聞く。
「観測者ってそんなヤバい役なのか?」
タマも、
珍しく真面目な顔だった。
「多分、
この街そのもの背負う奴だろ」
王は、
窓の外を見る。
星海。
無数の世界。
そして。
遥か遠く。
まだ消えていく光達。
「アストラは、
もう長くない」
セレスが、
息を呑む。
だが。
王は静かだった。
「だが、
それでも灯りは残せる」
その瞬間。
彼は、
小さな結晶を取り出した。
淡い銀色。
内部で、
星みたいな光が揺れている。
王は、
それをミーコへ渡す。
「星導核……?」
セレスが、
驚きの声を漏らす。
王は頷く。
「境界を渡る鍵だ」
「この先、
必要になる」
ミーコは、
静かに受け取る。
触れた瞬間。
大量の星図が、
頭へ流れ込んだ。
世界の道。
星海航路。
失われた観測路。
そして。
遥か遠くに存在する、
巨大な黒い領域。
ミーコが、
小さく息を呑む。
王が、
低く言った。
「世界の外側へ近付くな」
「だが、
いつか必ず辿り着く」
その言葉は、
予言みたいだった。
⸻
その日の夕方。
星海横断列車の発車時刻が近付いていた。
ホームには、
多くの星晶族達が集まっている。
以前とは違う。
今度は、
見送りだった。
ユキが、
少し照れた顔になる。
「なんか、
恥ずかしい……」
フィルニアは、
堂々と手を振っていた。
「もっと歓声あってもいいぞ!」
「お前は帰れ」
タマが即座に突っ込む。
セレスが、
静かに近付く。
白い長衣が、
夕風へ揺れる。
彼女は、
深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
ミツコが、
優しく笑う。
「みんな、
無理したらあかんよ?」
セレスは、
少し困ったように笑った。
「……善処します」
その時。
中央塔最上階。
観測窓の奥で。
星見の王が、
静かにこちらを見ていた。
銀眼が、
夕光を反射している。
トシオが、
小さく手を上げる。
王もまた。
ほんの少しだけ、
頷いた。
汽笛が鳴る。
ボォォォォ――――……
星海横断列車が、
ゆっくり動き出す。
透明な線路を、
星海へ向かって走り始める。
窓の外。
星都アストラの灯りが、
少しずつ遠ざかっていく。
ユキが、
小さく呟く。
「綺麗だったね」
ミツコが頷く。
「うん」
「寂しい街やったけど、
優しい街やった」
その時。
ミーコが、
ふと空を見る。
遠い星海の奥。
ほんの一瞬だけ。
巨大な銀眼が、
また瞬いた気がした。
だが。
今度は、
すぐ消えた。
列車は走る。
さらに遠く。
まだ見ぬ世界へ向かって。




