『星見の王』
『じじばばにゃんこと異世界奇譚』
第一部『レヴァナスタシア』
星都アストラの夜は、
静かだった。
街そのものが、
眠る事を忘れているみたいだった。
空中回廊を渡る人々も、
小声でしか話さない。
水晶塔の灯りだけが、
星空へ淡く浮かんでいる。
その静寂の中を。
トシオ達は、
中央塔へ向かって歩いていた。
セレスが先導する。
白い長衣の裾が、
夜風へ揺れる。
空中橋の下には、
果ての見えない星海。
ユキは、
何度も下を見そうになっては、
慌てて前へ戻していた。
タマが苦笑する。
「高い所苦手か?」
「……落ちそう」
「まぁ落ちたら終わりだろな」
「軽く言わないでよ……」
フィルニアは、
橋の欄干へ平然と腰掛けていた。
「案外飛べるかもしんねぇぞ?」
「お前は飛ぶ側だろ」
ミツコが、
小さく笑う。
少しだけ。
空気が柔らかくなった。
だが。
ミーコだけは、
ずっと塔を見ていた。
近付くほど、
違和感が強くなる。
塔の最上階。
そこだけ、
星の流れが歪んでいる。
まるで。
空間そのものが、
沈んでいるみたいだった。
セレスが、
静かに言う。
「この都市には、
“夜”がありません」
タマが首を傾げる。
「今普通に夜じゃん」
「見えているだけです」
セレスは、
空を見上げる。
「アストラの空は、
観測空間です」
「本物の空ではありません」
フィルニアが、
露骨に嫌そうな顔をする。
「また難しい話始まった」
セレスは、
少しだけ苦笑した。
「昔、
アストラは地上都市でした」
「ですが、
世界崩落の影響で空へ逃れた」
「それ以来、
この都市は星海を漂っています」
ユキが、
小さく呟く。
「……ずっと?」
「はい」
「数千年」
全員が黙る。
数千年。
想像が追い付かない時間だった。
その時。
空中橋の途中で、
トシオが立ち止まった。
視線の先。
橋の下。
星海の奥。
何か巨大な影が動いている。
ミーコも気付く。
「……また空鯨?」
だが。
違った。
もっと巨大。
輪郭が曖昧。
星の海そのものが、
蠢いているみたいだった。
セレスの表情が、
わずかに曇る。
「観測外領域です」
タマが眉を寄せる。
「近付いてるって奴か」
セレスは頷く。
「本来なら、
星海は安定しています」
「ですが最近、
境界が崩れ始めている」
「外側の何かが、
こちらへ侵入してきているんです」
フィルニアが、
腕を組む。
「侵食と同じか?」
「似ています」
「でも、
少し違う」
セレスの声は静かだった。
「侵食は、
世界を壊します」
「ですが観測外領域は、
“存在を曖昧にする”」
ユキが、
困った顔になる。
「……どういう事?」
セレスは、
少し考えてから答えた。
「例えば」
「自分の名前を、
突然思い出せなくなる」
「家族の顔が、
ぼやける」
「昨日の記憶が、
薄くなる」
「そうして最後には、
存在そのものが消える」
空気が冷えた。
ミツコが、
静かに目を伏せる。
「忘れられるんやなくて」
「最初から、
居なかった事になるんやねぇ」
セレスは、
小さく頷いた。
その時だった。
空中橋の先で、
人影が倒れ込む。
若い男性だった。
星晶族。
周囲の人々が、
慌てて駆け寄る。
だが。
妙だった。
誰も、
名前を呼ばない。
呼べないみたいだった。
倒れた男は、
震える声で呟いていた。
「俺は……」
「俺は誰だ……?」
タマが、
顔をしかめる。
「おい……」
男の身体が、
少しずつ透け始める。
まるで。
星屑になるみたいに。
セレスが、
即座に長衣を翻した。
青い結晶光。
柔らかな波紋が広がる。
すると。
男の身体が、
ゆっくり戻っていく。
完全ではない。
だが。
崩壊は止まった。
周囲の人々が、
安堵の息を漏らす。
だが。
その顔に希望は無かった。
慣れている。
何度も見てきた顔だった。
ミツコが、
静かに男の手を握る。
「大丈夫やよ」
男は、
泣きそうな顔で頷いた。
その時。
ミーコが、
セレスへ聞く。
「これ、
増えてるの?」
セレスは、
否定しなかった。
「毎日」
「少しずつ」
「この街から、
人が消えています」
⸻
中央塔へ着いた時。
全員、
しばらく言葉を失った。
巨大だった。
下から見た時より、
遥かに大きい。
水晶ではない。
もっと古い素材。
黒銀色の外壁へ、
無数の星紋が刻まれている。
塔の周囲には、
巨大な輪が幾重にも浮かんでいた。
ゆっくり回転している。
まるで。
空そのものを、
観測している装置だった。
セレスが、
重厚な門へ手を触れる。
すると。
門全体へ、
光が走った。
低い音。
ゴゴゴ……
ゆっくり開く。
中は、
異様なほど静かだった。
長い回廊。
青い灯火。
壁一面へ、
星図が描かれている。
ユキが、
小さく呟く。
「神殿みたい……」
「昔は、
祈りの塔でもありました」
セレスの声が、
少しだけ遠くなる。
「今は、
観測塔です」
回廊の途中。
巨大な広間へ出る。
そこには。
無数の本棚が並んでいた。
天井が見えない。
階層が、
遥か上まで続いている。
タマが、
思わず声を漏らす。
「図書館……?」
セレスは頷く。
「消えた世界の記録庫です」
フィルニアが、
適当に本を引き抜く。
だが。
中身が白紙だった。
「……なんだこれ」
セレスが、
静かに答える。
「観測不能になった記録です」
「世界が完全消滅すると、
記録も消えます」
白紙の本が、
棚一面へ並んでいた。
その光景は、
異様だった。
まるで。
大量の墓標。
ミツコが、
静かに棚へ触れる。
「忘れんために、
置いとるんやねぇ」
セレスは、
少しだけ目を見開いた。
そして。
小さく笑う。
「……はい」
その時だった。
塔全体が、
微かに揺れる。
ゴォォン……
低い振動。
全員が止まる。
セレスの顔色が変わる。
「もう?」
ミーコが、
即座に空を見る。
壁の向こう。
遥か上。
何か巨大な気配が、
塔の外側を通過した。
影だった。
星空より大きい。
輪郭すら掴めない。
だが。
“見ている”。
それだけは分かった。
ユキが、
小さく震える。
「……こわい」
その瞬間。
広間奥の扉が、
ゆっくり開いた。
誰も触れていない。
静かに。
音も無く。
その奥は、
真っ暗だった。
だが。
一つだけ。
銀色の光が見える。
瞳だった。
巨大な玉座。
そこへ座る、
痩せた男。
長い銀髪。
黒い法衣。
そして。
片目だけが、
星みたいに銀色へ光っていた。
セレスが、
深く頭を下げる。
「星見の王」
男は、
静かにこちらを見ていた。
異様だった。
生きているのに、
死体みたいな静けさがある。
そして。
その銀眼だけが、
異常な圧を放っていた。
ミーコの猫耳が、
ぴくりと震える。
似ている。
境界駅で見た、
あの巨大銀眼と。
男は、
ゆっくり口を開いた。
「……来たか」
声は、
驚くほど普通だった。
穏やかですらある。
だが。
次の言葉で、
空気が凍る。
「世界が閉じる前に、
間に合って良かった」
誰も、
すぐには動けなかった。




