『守護竜』
『じじばばにゃんこと異世界奇譚』
第一部『レヴァナスタシア』
帝都ヴァルグランの夜空は、
完全に壊れ始めていた。
黒穴。
空へ穿たれた巨大な裂け目は、
ゆっくりと脈打っている。
黒紫の雲。
滲む瘴気。
歪む月光。
まるで。
空そのものが、
腐り始めているみたいだった。
城壁上では、
兵士達が震えていた。
「なんなんだよ……
あれ……」
「見るな!!
長く見るな!!」
古参兵が怒鳴る。
だが。
視線を逸らせない。
黒穴の奥には、
“何か”がいる。
そう本能が理解してしまう。
その時だった。
ギャァァァァァァッ!!
黒飛竜が、
帝都上空で咆哮する。
衝撃波が、
石畳を砕いた。
飛竜騎士達が吹き飛ばされる。
「くっ……!!」
「隊列維持!!」
炎槍。
氷刃。
雷撃。
無数の魔法が夜空を走る。
だが。
黒飛竜を包む瘴気が、
それら全てを呑み込んでいた。
爆炎の中から現れた巨体は、
ほぼ無傷。
兵士達の顔が青ざめる。
「効いてない……!?」
「ありえんだろ……!」
ヴァルドレイクの表情も険しかった。
「瘴気が防壁化しているのか」
グランヴェルが、
低く唸る。
「通常個体ではありません」
近くにいるだけで、
息苦しい。
魔力が乱れる。
身体の奥へ、
黒い泥を流し込まれるような感覚。
これまでの狂化飛竜とは、
次元が違った。
その時。
黒飛竜が急降下する。
狙いは、
中央居住区。
「避難が間に合わん!!」
兵士達が叫ぶ。
地上では、
民衆が逃げ惑っていた。
泣き叫ぶ子供。
転倒する老人。
暴れる飛竜。
混乱が広がっていく。
だが次の瞬間。
──グォォォォォォォォッ!!
超巨大な咆哮が、
帝都全域を揺らした。
夜空へ、
白銀の閃光が走る。
ドゴォォォォォン!!
空中衝突。
黒飛竜が吹き飛ばされた。
兵士達が歓声を上げる。
「守護竜!!」
「アストラヴェインだ!!」
帝都守護竜。
白銀の神竜、
アストラヴェイン。
巨大だった。
城より大きい。
月光を浴びた白銀鱗が、
夜空で神々しく輝いている。
蒼銀の翼。
黄金の瞳。
その姿は、
神話そのものだった。
フィルニアが、
目をキラキラさせている。
「うおぉぉぉ!!
やっぱかっけぇぇぇ!!」
タマまで興奮していた。
「いやこれ普通にヤバいって!!
守護竜デカすぎるだろ!!」
アストラヴェインは、
黒飛竜へ牙を剥く。
低く唸る。
その黄金眼には、
強い警戒が宿っていた。
対する黒飛竜は、
苦しそうに咆哮する。
まるで。
怒りと苦痛が、
混ざり合っているみたいだった。
その時。
トシオが、
ぽつりと呟く。
「辛そうじゃな」
ミーコが、
静かに空を見上げる。
確かに。
黒飛竜は、
壊れながら暴れている。
憎しみだけじゃない。
苦しみ。
恐怖。
どうしようもない痛み。
そんなものが、
叫びへ混ざっていた。
その時だった。
黒飛竜が、
突然アストラヴェインへ噛み付く。
ギャァァァッ!!
白銀の鱗へ、
黒い侵食が走る。
兵士達が絶叫した。
「瘴気侵食!!」
「まずい!!」
アストラヴェインが苦しむ。
巨大な身体が、
空中で揺らぐ。
次の瞬間。
ヴァルドレイクが動いた。
ドンッ!!
城壁を蹴り、
夜空へ跳ぶ。
その瞬間。
背中から、
巨大な黒紅の翼が展開した。
タマが息を呑む。
「うお……!」
完全竜化。
竜人族最強種のみが辿り着く、
王の姿。
黒炎を纏いながら、
ヴァルドレイクが空を駆ける。
そして。
黒飛竜へ拳を叩き込んだ。
ドゴォォォォォン!!
衝撃波が、
雲を吹き飛ばす。
黒飛竜が、
大きく吹き飛んだ。
フィルニアが大興奮している。
「親父ぃぃぃ!!
やべぇぇぇ!!」
タマまで拳を握る。
「竜王様強すぎるだろこれ!!」
だが。
ヴァルドレイクの顔色は険しい。
拳へ、
黒い瘴気がまとわりついていた。
普通なら、
触れただけで狂う。
だが。
ヴァルドレイクは、
強引に押さえ込んでいる。
その時。
アストラヴェインが、
低く鳴いた。
ヴァルドレイクを見る。
その黄金眼には、
焦りがあった。
まるで。
「長く持たない」
そう伝えているみたいに。
ヴァルドレイクが舌打ちする。
「……厄介だな」
その時だった。
地上で。
ミツコが、
静かに黒飛竜を見ていた。
「怖かったんやろねぇ」
ユキが、
そっとミツコを見る。
ミツコの目には、
敵を見る色がなかった。
暴れている。
壊れている。
でも。
どこか。
泣いている子供みたいだった。
その時。
トシオが、
ゆっくり歩き始める。
タマが慌てる。
「じーちゃん!?」
「ちょっと見てくるかの」
フィルニアが、
逆に目を輝かせる。
「俺様も!!」
「駄目だ」
グランヴェルが即答した。
「なんでだよ!!」
「お前は勢いで突っ込む」
「勢い大事だろ!!」
「今一番いらん」
だが。
不思議だった。
絶望的状況なのに。
少しだけ、
心が落ち着く。
ミーコは、
静かに思っていた。
きっと。
トシオとミツコがいるからだ。
恐怖へ飲み込まれそうな時。
この2人は、
普通にお茶の話をする。
普通にご飯を食べる。
普通に笑う。
だから。
みんな、
完全には折れない。
その時だった。
黒飛竜が、
突然動きを止めた。
赤黒い瞳が。
ゆっくり、
トシオを見る。
沈黙。
兵士達が息を呑む。
アストラヴェインも、
静かに空中停止していた。
そして。
黒飛竜が、
苦しそうに低く鳴く。
ギ……ァ……
その声は。
助けを求めているみたいだった。
トシオは、
静かに黒飛竜を見上げる。
「しんどそうやのぉ」
その瞬間。
黒飛竜を包む瘴気が、
わずかに揺らいだ。
ヴァルドレイクが目を見開く。
「……反応した?」
ありえない。
瘴気は浄化不能。
それが常識。
なのに。
トシオの声へ、
黒飛竜が反応している。
その時だった。
ズルリ。
黒穴が、
さらに大きく歪む。
帝都全域へ、
悪寒が走った。
飛竜達が暴れ始める。
兵士達が膝をつく。
「あ……
頭が……!」
「見るな!!
黒穴を見るな!!」
だが。
遅かった。
一人の兵士が、
突然絶叫する。
「いる!!
中にいる!!
こっち見てる!!」
頭を抱え、
狂ったように暴れ始めた。
兵士達が押さえ込む。
だが。
止まらない。
黒穴の奥には、
“意思”があった。
見ている。
笑っている。
こちらを覗いている。
その時だった。
トシオが、
静かに前へ出る。
誰も止められなかった。
その背中は、
妙に落ち着いて見えた。
トシオは、
黒穴を見上げる。
じっと。
真っ直ぐ。
そして。
ぽつりと呟いた。
「お前さんも、
ひとりぼっちか」
その瞬間。
黒穴が、
びくりと震えた。
全員が息を呑む。
黒飛竜も、
動きを止めている。
トシオは、
静かな声で続ける。
「腹空かせて」
「苦しくて」
「寂しくて」
「ずっと泣いとったんじゃな」
まるで。
迷子へ話しかけるみたいな声だった。
その時。
黒穴の奥から。
ズォォォォ……
巨大な瘴気が溢れ出す。
兵士達が叫ぶ。
「来るぞ!!」
ヴァルドレイクが構える。
アストラヴェインが翼を広げる。
飛竜騎士達が、
震えながら武器を握った。
だが。
トシオだけは、
動かなかった。
静かに。
黒穴へ向かって、
手を伸ばす。
「ほれ」
その瞬間。
世界が、
静まり返った。
風が止まる。
咆哮が止まる。
誰も動けない。
そして。
黒穴の奥から。
ゆっくりと。
“巨大な腕”が、
這い出してきた。




