王城への招待
昼前。
離宮の空気は朝とは違っていた。
静かではある。
だが、どこか張り詰めている。
王城からの正式使者が来る。
それはつまり。
王族としての“帰還”が、王国側へ正式に認められるという事だった。
広間ではベルドが数人の使用人へ指示を出している。
「応接室の準備を」
「茶器は第二客間用を」
「本城側の人数次第では席を追加してください」
慌ただしい。
だが乱れは無かった。
長年、離宮を守り続けてきた男の仕事だった。
その頃。
二階客室では。
「……なんでこんな服なんだよ」
タマがげんなりしていた。
鏡の前。
現在、完全に着替え途中だった。
濃紺の礼装。
銀刺繍。
ライガル家の紋章が入った正装だった。
だが。
本人は猛烈に嫌そうだった。
「肩重ぇ……」
「似合ってるよ?」
ユキが苦笑する。
ユキ自身も白基調の落ち着いた衣装へ着替えていた。
金糸の装飾。
薄い羽織。
派手ではない。
だが気品があった。
ミーコは静かに自分の袖を見る。
淡い蒼銀色。
レイシス王家の色。
胸元には小さな王紋が入っている。
どこか懐かしかった。
昔、着ていた。
そんな感覚だけが残っている。
「うわぁ……」
フィルニアが感心したように眺める。
「マジで王族って感じするな」
「フィルも着替えろ」
「なんで俺様まで」
「客人だからだよ」
「めんどくせぇ……」
そう言いつつ。
既に着替え終わっていた。
黒と赤を基調にした竜人族側の礼装。
軽装寄りではあるが、高位竜人特有の装飾が入っている。
タマが苦笑する。
「孫にも衣装だな……」
「どういう意味だコラ」
「褒めてる褒めてる」
「絶対違ぇだろ」
一方その頃。
別室。
トシオは着替えを拒否していた。
「これでいい」
作務衣だった。
いつもの。
完全にいつもの。
ベルドが静かに困っている。
「……トシオ様」
「ん?」
「本日は王城側との正式会談でございます」
「知ってる」
「もう少し、その……格式を」
「動きづらい」
即答だった。
ミツコが横で笑いを堪えている。
「でも似合ってるよぉ?」
「だろ」
ベルドが遠い目をする。
説得が通じない。
だが。
不思議と誰も“失礼だ”とは思わなかった。
むしろ。
これがトシオだった。
その時。
外から鐘の音が響く。
ベルドが顔を上げた。
「……到着されました」
空気が変わる。
全員の表情も自然と引き締まる。
離宮前。
王城側の馬車が並んでいた。
白銀の紋章旗。
近衛騎士。
礼装兵。
王家直属だ。
離宮門前には既に王都民も集まっている。
だが今は静かだった。
皆、固唾を呑んで見守っている。
馬車扉が開く。
一人の獣人男性が降り立った。
四十代後半ほど。
灰色の狼耳。
鋭い目。
だが立ち姿には理知的な落ち着きがある。
ベルドが静かに頭を下げた。
「ヴェルク様」
周囲がざわつく。
タマが小声で呟く。
「いきなりトップ側来たな……」
男――ヴェルク=ジュライスは離宮を見上げた。
そして。
ゆっくり口を開く。
「……本当に、戻られたのですね」
その声には。
驚きよりも。
長い年月を終えた者の響きがあった。
応接室。
静かな空気が流れている。
高窓から光が差し込み。
白い机へ茶器が並ぶ。
ミーコ達は席へ着いていた。
その正面。
ヴェルクが静かに一礼する。
「お初にお目に掛かります」
「レイシス王国宰相、ヴェルク=ジュライスにございます」
丁寧だった。
だが必要以上にへりくだらない。
国を支える者としての態度だった。
ミーコは静かに頷く。
『ミーコ』
少し迷い。
そして続けた。
『アクアリア=ヴァル=レイシス』
その瞬間。
部屋の空気が変わる。
王族名。
正式名。
それを本人が名乗った。
ヴェルクはゆっくり目を閉じる。
「……お帰りなさいませ」
深く。
本当に深く頭を下げた。
ユキも静かに名乗る。
タマも続く。
ヴェルクは一人ずつ確認するように見つめていた。
恐らく。
何度も資料や記録を見てきたのだろう。
幼い頃の三人。
失踪した王族。
王国最大の未解決問題。
だが今。
その本人達がここにいる。
ヴェルクは視線をトシオ達へ向けた。
「そして、こちらが……」
ミーコが即答する。
『家族』
一切迷いが無かった。
ヴェルクが少し目を見開く。
ミツコは柔らかく笑った。
「初めましてぇ」
トシオは軽く頭を下げる。
「どうも」
フィルニアは腕を組みながら言った。
「俺様はフィルニア=ドラグニル」
その名に。
ヴェルクの視線が一瞬鋭くなる。
「ヴォルグラード帝国第二王女……」
「知ってんのか」
「当然です」
宰相だった。
世界情勢を知らぬ訳がない。
だが。
敵意は無かった。
むしろ確認に近い。
「竜人族王族まで同行されているとは」
「色々あってな!」
雑だった。
だが。
ヴェルクは少しだけ笑った。
「なるほど」
「確かに“色々”ありそうです」
空気がほんの少し和らぐ。
その後。
会談はゆっくり進んだ。
王都の現状。
王族不在後の政治。
離宮封鎖の経緯。
表向きは穏やかだった。
だが。
核心へ近付くにつれ。
空気が変わっていく。
ヴェルクが静かに言った。
「……現在の王城内は、決して一枚岩ではございません」
ユキの表情が少し険しくなる。
「やっぱり」
「はい」
「皆様の帰還を歓迎する者もおります」
「逆に、歓迎しない者も」
タマが腕を組む。
「まぁいるよな」
ヴェルクは続けた。
「特に王位継承問題は長年停滞しておりました」
「皆様の存在は、それを大きく動かします」
ミーコは黙って聞いていた。
政治。
権力。
貴族。
それはまだ実感が薄い。
だが。
自分達が戻った事で、国が揺れる。
その事だけは分かった。
その時だった。
「難しい話長ぇな」
フィルニアだった。
全員止まる。
「腹減ってきた」
「お前空気読め」
タマが即座に突っ込む。
だが。
ヴェルクは吹き出した。
「はは……」
予想外だったらしい。
「竜人族の王女とは、もっと苛烈な方かと思っておりました」
「俺様は普通だぞ?」
「基準がおかしい」
そのやり取りに。
重かった空気が少し崩れる。
ヴェルクは改めてミーコを見る。
「本日、議会側と貴族側より正式な会談要請が出ております」
ついに来た。
ミーコ達の空気が変わる。
「ただし」
ヴェルクが続ける。
「強制ではございません」
「断る事も可能です」
ミーコは少し驚いた。
『断れるの?』
「はい」
「皆様は“保護された王族”です」
「罪人ではない」
「無理に政治へ関わる必要はありません」
その言葉は。
思った以上に優しかった。
ユキが少し安心した顔をする。
タマも息を吐いた。
だが。
ミーコは静かに考える。
逃げる事は出来る。
でも。
向き合わなければならない気もした。
その時。
トシオが口を開く。
「いつでも」
皆が見る。
「じーちゃんとばーちゃんは、お前達の味方だ」
静かな声だった。
「行きたいなら行け」
「嫌なら行かなくていい」
それだけだった。
でも。
ミーコの胸へ、真っ直ぐ落ちた。
ミツコも優しく頷く。
「自分で決めていいんだよぉ」
ミーコは静かに目を伏せる。
昔は。
きっと選べなかった。
王族だから。
国の為だから。
そう言われてきたのかもしれない。
でも今は違う。
選んでいい。
その事が。
少しだけ嬉しかった。
しばらくして。
ミーコは顔を上げる。
『行く』
ユキも頷いた。
「私も」
タマが笑う。
「まぁ付き合う」
フィルニアは腕を組む。
「面倒そうだけど俺様も行く」
「なんでだよ」
「楽しそうだから」
「絶対問題起こすなよ?」
「善処する」
「信用できねぇ……」
その光景を見て。
ヴェルクは静かに目を細めていた。
王族。
だが。
昔の王城にいた者達とは違う。
どこか温かい。
不思議な空気だった。
その時。
ヴェルクがゆっくり立ち上がる。
「では――」
静かな声。
「議会への準備を進めましょう」
王都の鐘が鳴る。
長く止まっていた時間が。
少しずつ動き始めていた。




