竜の国境…
# 『じじばばにゃんこと異世界奇譚』
## 第一部『レヴァナスタシア』
朝霧が、
草原を覆っていた。
昨夜の焚き火は、
まだ小さく燻っている。
空は薄青く、
遠くで鳥の声が響いていた。
そして。
「……ぬくい」
タマは、
完全にトシオの腹へ埋まっていた。
大の字で寝転ぶトシオ。
鍛え抜かれた胸板。
その上へ、
タマが枕みたいに乗っている。
「タマ、
潰れとるよぉ」
ミツコが笑う。
ユキは、
ミツコの膝へ寄りかかりながら、
静かにお茶を飲んでいた。
ミーコだけは少し離れた場所で、
空を見ている。
その横顔には、
まだ不安が残っていた。
ヴァルグレイド。
王国。
内乱。
故郷はもう、
帰れる場所ではない。
その現実が、
少しずつ胸へ重く沈んでいた。
「眠れんかったんか」
後ろから、
トシオの声。
ミーコは少し肩を揺らした。
「……少し」
トシオは、
ミーコの隣へ座る。
草を踏む音。
静かな朝。
「空見とると、
考え事増えるのぉ」
「……はい」
しばらく沈黙。
だが不思議と、
気まずくはなかった。
トシオは空を見たまま、
ぼそりと呟く。
「わしは海じゃった」
「海?」
「考え事したい時、
よう見とった」
ミーコは少し目を細める。
トシオは続けた。
「でも考えても、
腹は減るんじゃ」
ミーコが吹き出した。
「なんですかそれ」
「生き物じゃからのぉ」
その言葉に、
ミーコの胸が少し軽くなる。
王女。
責務。
国。
色んなものがある。
でも。
腹は減る。
笑うこともある。
それだけで、
少し救われる気がした。
その時だった。
ゴォォォ……
遠くから、
重い羽音が響く。
カリヴァが即座に立ち上がった。
「来るぞ」
竜人兵たちが武器を構える。
空気が一変した。
タマも飛び起きる。
ユキは、
ミツコの後ろへ下がった。
霧の向こう。
巨大な影が現れる。
一つ。
二つ。
三つ。
飛竜。
銀灰色の鱗。
巨大な翼。
長い尾。
広げた翼だけで、
小屋ほどの大きさがある。
そしてその背には、
重装備の竜人騎士たち。
先頭の飛竜が、
地響きと共に着地した。
ドォン!!
風圧で、
草原が大きく揺れる。
そこから降りてきたのは、
壮年の竜人だった。
黒銀の角。
鋭い目。
深い傷跡。
全身を覆う黒鉄の鎧。
そして。
身の丈ほどある巨大な竜槍。
周囲の竜人兵たちが、
一斉に膝をつく。
「国境守護将、
グランヴェル様!」
空気が張り詰める。
圧。
それだけで、
強者だと分かる。
グランヴェルは、
ゆっくりこちらを見る。
まずミーコ。
次にカリヴァ。
そして。
トシオで止まった。
「……人族か」
低い声。
その瞬間。
周囲の飛竜たちが、
ざわりと落ち着きを失う。
本能。
神話への恐れ。
グランヴェルは、
静かに槍を地面へ突き立てた。
「報告は受けていたが……
本当に存在するとはな」
トシオは頭を掻いた。
「よう分からんけど、
そうらしいのぉ」
「軽いな!?」
タマが即ツッコミ。
その時だった。
後方の飛竜が、
突然暴れ始めた。
グォォォォォッ!!
兵士たちが悲鳴を上げる。
飛竜の目が赤い。
黒い霧が、
鱗の隙間から噴き出している。
「まずい!!」
カリヴァが剣を抜いた。
「瘴気汚染だ!!」
飛竜が咆哮する。
大地が揺れる。
竜人兵たちが吹き飛ばされる。
ミーコが身構える。
タマが前へ出る。
ユキは震えていた。
だが。
トシオだけは、
暴れる飛竜を静かに見ていた。
「……苦しそうじゃのぉ」
グランヴェルが目を見開く。
普通なら、
脅威を見る。
だがこの男は違った。
最初に見たのは、
“恐怖”ではなく、
“苦痛”だった。
飛竜が突進する。
兵士たちが叫ぶ。
その時。
トシオが、
ゆっくり歩き出した。
「じーちゃん!?」
タマが叫ぶ。
だがトシオは止まらない。
暴走する飛竜の前。
巨大な牙。
荒い息。
憎悪と恐怖で濁った瞳。
その全てを、
トシオは真正面から見つめた。
そして。
ゆっくり手を伸ばす。
周囲が息を呑む。
巨大な鼻先へ、
ぽんと手を置いた。
「怖かったのぉ」
静寂。
その瞬間だった。
飛竜の赤い瞳が、
大きく揺れる。
黒い霧が、
ふっと薄れた。
暴れていた巨体が、
ゆっくり静かになる。
トシオは、
昔から知っている生き物みたいに、
鼻先を撫でた。
「もうええ」
飛竜の身体が、
ゆっくり膝をつく。
地響き。
そして。
巨大な竜は、
トシオへ頭を擦り付けた。
完全服従。
周囲の竜人たちが凍りつく。
グランヴェルの槍が、
僅かに震えていた。
「……馬鹿な」
竜は、
誇り高い種族。
王族ですら、
完全服従させることは不可能。
なのに。
トシオは、
近所の犬でも撫でるみたいに、
飛竜を落ち着かせていた。
タマが口を開ける。
「……じーちゃん、
またなんかやった?」
「撫でただけじゃ」
「絶対違う!!」
ミツコが苦笑する。
ユキは、
少し安心したように笑っていた。
そしてミーコは、
静かにトシオを見つめる。
始まりの民。
神話。
まだ分からない。
でも。
この人達はきっと。
世界を壊す存在じゃない。
そう、
思えた。




