第二章 ③
パソ子の指示を受けてから三日間、張り込みを続けていた要と必の前に、ようやく目当ての公務員の女性が現れた。疲れているのか酔っているのか、足元はふらふらと覚束ない。好都合だ、と要は判断し、待機していた空き家から外に出る。
「それで要、どうするの?」
「まずは部屋番号を割り出す。住所は四階らしいからな。必、ロビーに入ったらあいつがエレベータに乗り込んで扉が閉まるギリギリで飛び込んで、軽く会話して警戒心を解きながら一緒に四階へ迎え。お前ならまず警戒されないからな」
「おけおけ、それでどの部屋に入るか見ておけばいいんだね」
頷き、要は必と別れてマンションをぐるっと回って屋外設置の階段へと向かう。ロビーから入らないと上れない造りであるのは当然だが、そこは虚子と同調することによって得た同調者としての超人的な身体能力でカバーする。跳躍して、一息で二階の踊り場に着地した。
階段を上って二階に進み、付近のエレベータの表示を見る。少ししてからエレベータが二階を通り過ぎていくのが見えた。おそらく、先の女性と必が乗り込んでいることだろう。
(……急がないとな)
数秒と経たないうちにエレベータは四階に辿り着くだろう。
走って踊場へと向かい、手すりに足をかけて、要はさらに跳んだ。ゆうに二階分の高さを飛び越え、着地する。そのまま足を止めずに駆け抜け、エレベータ入り口のすぐ横で待機した。
すぐにエレベータが四階に辿り着き、ふらふらの女性が現れる。それとほぼ同時、要も勢いよく進んだ。その瞬間、二人の身体が衝突する。元々足取りが覚束なく、体格的にも劣る女性の方が結果的に尻もちを着くことになった。持っていたバッグが床に飛び散り、勢いよく開いて中身が零れ落ちる。
(よし、上手くいったな)
エレベータから遅れて登場する必と目が合う。必は頷くと、音も無く散らかった荷物とバッグに駆け寄った。散らかった荷物の中には、10インチ程度の持ち運びが容易なノートPCも見えた。
「だ、だいじょうぶですか?」
要はすぐに腰を下ろし、心配そうな表情を形作る。倒れた女性はと言えば、状況が分からずに多少目を回していたようだが、少し正気に戻ったのか両手を顔の前で振って無事をアピールした。
「すすすすいません! わたし疲れちゃってて、あのあの、前が見えてなくて……」
「いえ、こっちこそすみません。大丈夫です? 怪我とかしてませんか? あ、荷物拾いますね。キミもごめんね、手伝ってもらっちゃって」
「ううん、大丈夫。お姉さんも大丈夫?」
要が初対面の年端のいかない少女に接するように必に声をかけ、必も普段と異なり少しだけ舌ったらずな様子で応じる。
女性は必の存在にも気づくと、相手がむしろ申し訳なく思うくらいの様子で平伏していた。
「あ、ご、ごめんねぇ……。ありがとうございます」
「立てますか? あの、ほんと怪我とか無いです?」
気遣うような要の姿に、女性はふるふると首を横に振る。その間に必が床に落ちた荷物を拾い上げ、バッグの中にしまい終えると、それを女性に手渡した。
「ありがとうございます! 本当に、すみません。ご迷惑をおかけして。あの、ありがとうございました」
立ち上がり、最後に大きく礼を述べると、女性は自身の部屋へ去っていく。どこまでも腰の低い人である。
それを軽く見送り、要は不審に思われないようにエレベータに乗り込んだ。適当に三階を押して階下に降りると、踊り場に向かう。そこには、階段から降りてきた必が待っていた。
「一番、端の部屋だったよ」
「よし。じゃあ俺はこのまま一階に下りるから、お前はあの人が飛び出してきた後に部屋に侵入して手順通りにやってくれ」
「えっと、LANケーブルとこのちっちゃなパソコンを繋いだらパソ子が何かしてくれるから、それが終わった後にUSBを挿すんだっけ?」
「そのとおりだ」
分かった、と必は頷いた。細かいことは分かっていないだろうが、おおよそ手順としては理解したようだ。
「でも、あの人出てくるかな? 結構ふらふらだったし、それに気づかないかも」
「さぁな。でもさっきの性格的には、人に気を遣ったり、迷惑をかけたりするのを嫌がるタイプに見えたけどな」
「うーん、それはそうだけど。あと、出ていくときに鍵をかけられたらどうするの?」
「それは俺も思ったんだが、ほら」
要はポケットから小さなカギを取り出した。キーホルダーの類もなにも付いていない、鍵単体である。
「え、盗っちゃったの?」
「なんか二本あったんだよ。たぶん、スペアキーを持ち出すタイプなんだろうな。もし鍵をかけられてたらこれで入れ。それでやること終わったら、これを使って鍵をかけてから、鍵はエレベータの近くに落としといてくれ」
「おっけー。分かったよ」
必の指摘のとおり、色々と運の要素が大きい作戦だが、可能な限りは成功するように種はまけたと要は思う。それに、仮にスペアキーが無くとも、女性がバッグを家に放置して外に出る時間さえ作れればやりようはある。先の接触でバッグの中身を改められたのも功を奏した。
まずは最初の種と部屋の把握や仕事用のパソコンの有無を確認できればと思っていたが、それ以上の収穫だ。
要は、ポケットを漁る。そこに普段入れているはずの自宅用の鍵は、今は無い。先ほど、女性の荷物を集める際にしれっとバッグの中に入れておいたのだ。それもバッグを開けばすぐに異物の混入に気づけるように位置を考慮して。
「必、これを渡しとくから。さっきの人が部屋を出てきたらワンコール頼む」
「うん、任せて」
「たぶん、そんなに時間もかけられないから、急いでな」
互いに頷きあい、それぞれに行動を開始する。
要はエレベータで一階に向かい、必は四階に戻って踊場で待機して女性が出てくるのを待つ。
三日間の疲れがようやく報われそうだ。




