第二章 ④
結果として、二人の作戦は上手くはまったと言える。
あの後、自分のバッグの中に見知らぬ鍵が入っていることに気づいたらしい女性は、慌てて飛び出してきた。鍵もかけず、靴を履くことも忘れていた様子を見るに、よほど動揺していたのだろう。他人の鍵がバックに入っている、さっきの男の子のものかもしれない、彼が自分の家に入れずに困るのでは、とそこまで心配したのだろうと、わずかな人の良さを感じさせる印象からもうかがえる。
外に飛び出した女性は、すぐに周囲を見回し、要がいないことに気づくと、全身からあわあわとした様子を隠しもせずにエレベータに乗り込み、一階に向かっていった。
それを見送り、必は要にワンコールした後、女性の部屋に侵入し、言われたとおりの手順で準備を進めた。
仕事用と思われるパソコンを取り出し、LAN直結でノートPCに繋げる。遠隔でパソ子がセキュリティソフトを解除し、それを確認してからUSBを挿してマルウェアをインストールした。あとはパソ子の指示に従ってパソコンは起動したまま、折りたたんでバッグの中に隠しておいた。あわせて要から渡されたスペアキーも元に戻し、慎重に部屋を後にした。
ちょうどその頃、要に全力で追いついた女性がペコペコと平身低頭で頭を下げながら、要に鍵を返したところだった。さしもの要もその様子には多少の罪悪感を刺激されたが、それはおくびにも出さず、鍵を受け取ってから、作業を終えた必と合流したのである。
あれから二日間、さすがに疲れがピークに達していたのだろう。表面上は表に出さなかっただけで、不眠不休に近い張り込みは同調者の肉体でもかなりの消耗を要したようだ。
パソ子の別荘改めネットカフェのVIPルームに戻った要は、すぐにシャワーだけを浴び、泥のような眠りについた。六畳以下で手狭な空間に少年とはいえ大の男が横になるともはや足の踏み場も無いという状況だったが、パソ子も必も普段の彼の様子を十二分に理解しているためか、文句も言わず、静かに眠りにつかせている。
パソ子宅への最初の襲撃からおよそ五日が過ぎた。
あれ以降、三人の潜伏が上手くいっているのか、特対官の襲撃は受けておらず、その気配すら感じていない。それが逆に不気味にも思えるところだが、今のところは考えても仕方ないだろう。一応、パソ子の方でも色々と動いているようで、ネットカフェの店員の力を借りて、ネットカフェの敷地範囲内で監視カメラを増やして屋外を監視しているようだ。パソ子は無警戒のところを襲撃されたために襲撃者の様子を見ていないため、要と必の記憶情報を頼りにイラスト化した二人の肖像画をもとにAIによる周辺地域の自動監視を続けていた。
(今、襲われたらひとたまりもないよね)
要の寝顔を見つめながら、必はそんなことを思う。現状、必にはやることが無かった。虚子である必は、要ほどは疲労していない。そもそも十分な睡眠を取れていたこともあるが、元々が同調者と比べても強靭な身体を有しているのだ。環境から来る嫌悪感は別としても、疲労という点で見れば、張り込みの影響は無いに等しかった。
手持無沙汰な必に比べて、パソ子は忙しそうにモニターと睨めっこしていた。どうやら必の仕込んだマルウェアが効果的に働いたようで、関係者の仕事用PC間にクモの巣用に網の目を張り巡らせ、膨大な情報収集をAIも駆使してる処理しているらしい。そこから得られた情報を精査して追跡の手がかりをパターン化し、まずはSS001と呼ばれる少女が脱走したとされる施設の洗い出しを始めているようだ。手がかりは十分すぎるほど集まっているらしく、どちらかと言えば、ポイントを絞るのに苦労しているとか。全てを一から十まで調べていると時間がかかりすぎるため、まずは可能性のある施設を二、三個に絞ったうえで、本格的な追跡を開始する方針だそうだ。
要が眠っている間にパソ子に説明された必だったが、話半分にしか聞いていなかった。
要が思っているほど、彼が執着しているほど、必は奪われたものを取り戻すことに囚われてはいないからだ。要がそこにこだわるのであれば否定はしないし付いていくだけだが――さらに言えばやりたいことも無いのがその最たる理由だが――興味があるかと問われれば難しい。
あるいはそれは、必が失っているものと関係があるのかもしれない。
必の記憶の原点は、今の姿として生まれた時だ。それ以前の――周防要の双子の妹として過ごしていた生前の周防必の記憶は、唯一を除いて彼女には存在していない。虚虜に心を喰われた虚子の成り立ちはいくつかパターンがあるが、必はその中でも最悪の部類と言っていいだろう。生前の記憶を失われ、感情の一部を喰らわれた。
ゆえに彼女は過去の記憶、過去の自分に拘泥しない。生まれた瞬間からそうある彼女としては、取り戻すという意識が薄いのだ。だが、自身と心を同じにしてくれる同調者がそこに生きる意味を、目的を見出すのであれば、それについていこう。
それが虚子――記憶も感情も喰われ、飽くなき飢餓感に苛まれる虚ろな子供の唯一ともいえる生きる意味なのだから。




