第二章 ②
要と必が張り込みを行う三日前のことである。
「ネカフェに行こーっ」
人目を避けるように立体駐車場を離れてしばらく、上はTシャツ、下は下着一枚というだらしない格好のパソ子に無理矢理に、複合商業デパートで購入した安物ズボンを履かせた後、要に向かって、パソ子が放った一言がそれである。
別に何も考えなしの発言だったわけでは無い。それは要も察していた。いわゆるこのまま逃げ続けてもジリ貧になるのは目に見えているし、一方で要と必の自宅に行くのもはばかられる。面倒事を持ち込みたくないのはもちろん、彼らは一応顔を見られているのだ。万が一、追手が自宅前で張り込んでいる可能性がある。
諸々の可能性を考慮し、一方で姿を隠し、なおかつ長時間の滞在を許されるうえに他者と隔絶された空間を思案した場合、結論として出てきたのがそこだったのだ。
何よりパソ子はネットの住人である。逆に言えば、パソコンが無ければ彼女は無能以下と言える。
「ちょっと先輩。なんか失礼なこと考えてない?」
「勘違いだろ」
責めるようにパソ子がジト目を向けるが、要はどこ吹く風だ。視線すら合わせなかった。
パソ子は嘆息し、要と必を先導して先に進む。無警戒なその姿には本当に襲われたばかりか、と疑わしく感じるほどだが、それが彼女のメンタリティなのだろう。そうでも無ければ、好奇心に釣られて危険を顧みないハッキングを繰り返せるはずも無い。
駅前から遠く離れ、オフィス街を抜けた先に小さなネットカフェが見えてくる。有名なチェーン店では無く、個人経営の小さな店舗だ。だが、シャワーやドリンクバー、漫画・雑誌の読み放題など、有名どころにも引けを取らないサービスを充実させている、と店前に掲げられた看板が大々的に宣伝していた。
「ここは最新のグラボを積んだゲーミングPCを完備しているのがウリなんだよ~。採算とれてんの? って感じ」
一人で盛り上がって説明しながら入口に続く階段を上るパソ子の後ろを、要と必はついて歩く。二人ともこの手のことには興味が薄いためか、黙ったままだ。
パソ子が自動ドアを潜ると、受付の若い店員と目が合った。店員はパソ子を認め、少し表情を緩ませる。
「あ、お久しぶりです。珍しいっすね、こっちよりも良いパソコン持ってるでしょうに」
「おっひさー。んにゃ、ちょっとトラブってさー。ねね、しばらく奥のVIPルームにこもらせてくんない?」
「いいですよ。いつもお世話になってますからね」
ありがとー、と小気味良く礼を告げ、パソ子はそそくさと奥の部屋に向かっていく。
要と必も軽く店員に会釈した後、その背中を追いかけた。
どうやらパソ子はこのネットカフェの店員とは懇意らしい。それも無茶な依頼をすんなりと受け入れられる分には、何か貸しでもあるようだ。
その疑問をそのままパソ子に問いかけると、
「あー、ここのオーナーにあたしがポケットマネーで融資して建ったのがここだから。まぁ、その伝手で色々好き放題させてもらってるの~」
などと驚くべき言葉を口にした。
話半分に聞いておくことに決めた要だが、あながち間違いでも無いのだろう。どこからともなく最新のPC設備を完備しているパソ子には、以前よりどこにそんな資金があるのかと疑問に思っていたのだ。何かしら、彼女には資金を得る手段が確立されていると考えるのが妥当だ。
「なのでここはある意味で、あたしの別荘なのさー」
「六畳以下のこぢんまりした別荘だな」
ネットカフェ店内の一番奥にある「STAFF ONLY」の札がかけられた部屋を押し開き、パソ子が自慢げに胸を反らす。室内は、小さな本棚と座椅子兼用のクッション、最新のPC設備、部屋専用と思わしきドリンクサーバが備えられている。元の部屋面積もそこまで広くないところにそれだけ物を押し詰めているせいか、かなり手狭に感じられた。
要と必が入って扉を閉めると、途端にしんと静まり返る。店内でわずかに感じられた人の気配も消えてなくなったところを思うに、防音も完備しているのだろう。なるほど、VIPルームと呼称したくなるのも納得の出来である。
「全部が手元で完了するの、良くない?」
「分からないでもないな」
「要もずぼらだもんね」
普段の要を知っている必は、何とも言えない視線を要に向ける。
「ほう、先輩も分かる側なんだ。いいねいいね、あたしたちって結構、相性ばっちり?」
「「それはない」」
兄妹の返事が見事に重なった。さすが双子である。
「へいへい。ったく、ほんっといっつも人の扱いが雑なんだから。いつか泣くぞこんちくしょー」
ぶつぶつぼやきながら前に立つ要を押しのけ、パソ子はPC前のクッションに腰を下ろした。そのまま手で二人にも座れと促す。要たちは黙ってそれに従った。
「それで先輩。ひとまず拠点を確保して、あたしも安全は多少担保されたんだけど、これからどうするの?」
片手間でPCの電源を入れ、セットアップしながらパソ子は要に問いかける。要の返答は簡潔だ。
「人間に戻ったとかいう元虚子を捜す」
「ま、そうだよね」
起動したPCを操作して何かしらウインドウを立ち上げるパソ子。しばらくして、はぁ、とため息を吐いた。
「やっぱあたしのPC落ちてる。先輩なにしたのー。壊した? まさか壊した?」
意識を失っていたパソ子は、自身の家で起きた戦いを一切把握していない。まさか床や壁が爆発で崩されているとは夢にも思っていないだろう。
「まぁ、見てはいないが、無事では無いだろうな」
「たぶん、壊れてる、かも?」
二人の答えに、パソ子はがっくりと肩を落とした。
「バックアップは取ってるけどさ~……はぁ。もういいや」
「そいつで手がかりは捜せないのか?」
「……ほんと自分都合でしか会話しないよこの先輩」
ギロっとパソ子が要を睨むが、当の本人は全く意に介していない。
「無理だよ。そもそもあたしが襲われた時点でハッキングばれてるし、元々作ってあったバックドアは潰されていると思った方がいい。他にも何個か穴は開けてあるけど、たぶんセキュリティが強化されて遠隔からアクセスは出来ないだろうし、出来てもここがバレる」
「逆探知ってやつか?」
「似たようなものかな。現状、手がかりはあたしがこの腕輪の端末に入れたものだけだね。とりあえずこれをこっちのPCにデータ移行する」
どこからともなくUSBケーブルを取り出し、腕輪型の端末と接続してPCにデータを移すと、キーボードを操作して、パソ子は一枚の画像ファイルを開いた。先ほども要たちが見た、人間に戻ったとされる元虚子の姿が映し出される。
「素体番号SS001。とりあえず先輩は、この子を捜したいんだよね」
「ああ、必を元に戻す手がかりだからな」
「そればっかだね~。ぶっちゃけ必ちゃんはどうなん?」
パソ子に問われ、必は眉一つ動かさずに淡々と答える。
「要がそうしたいならそれでいいよ。私は別に」
「なんっか、温度差があるんだよねー」
どうでもいいけど、と続け、パソ子は他のファイルを開く。それは文章をコピーしたメモファイルだった。
「これが、さっきあたしが要約したメールの本文。内容は同じだよ。調査の結果、生体反応が極めて人間に近くて、でも虚子の特徴も備えた少女が確認された、って話。これ以上の情報は今のところなし」
「こいつは今どこにいるんだ?」
「知らない。さっき言ったとおり、逃げ出したらしいけど」
「追跡できないのか?」
間髪入れずの要の問いに、パソ子は少しだけ悩む素振りを見せた。
「出来ないことも無いよ。けど、起点がいる。つまりね、どこから逃げ出したかさえ分かれば、周辺地区の監視カメラを連鎖的にハッキングして、記録された映像から動向を追いかけられる。犯罪者の追跡なんかで使われる手法だねー」
逃げ出した少女を見つけるために闇雲に辺りを捜査していては、何年かかるか分からない。少なくともどこから逃げ出したのか、それが重要になる。だが、それに相当する手がかりが今のところは無かった。
「その起点とやらを捜せ」
「ナチュラルかつめっちゃ上から無茶言うじゃん。先輩だから許すけど」
「俺にやれることなら何でもやる。だから手伝ってくれ」
迷いなく、要はそう口にした。目的のためなら、平然とそんなことを言ってしまえるのが要という男である。
要の感情の窺えない真っ直ぐな瞳に見つめられ、パソ子は何かを言いたそうに口を開きかけ、それは小さく息を吐きだすだけに終わった。
「じゃあ、膝枕して頭撫でて」
代わりにふざけた要求を口にして、すかさず要の軽い拳が彼女の頭部を打つ。
「馬鹿なこと言ってると殴るぞ」
「殴ってんじゃーん! うぅ、暴力反対~」
言葉ほどには嫌がっていないのか、少しだけにやけながらパソ子はPCに向き合うと、先ほど開いたメモファイルを再び開く。メールをコピーしたファイルだけあって、本文中にもアドレスと宛先が書いてあり、そこには送付対象の人物名も表示されていた。
「とりあえず、この名前でSNSを適当に総当たりして。こーいうのにAIはちょ~便利だよね~」
パソ子が腕輪型の端末を操作する。どうやらUSB経由でPCと繋がっており、何かしらアクセスしているようだ。
聞いてもいないのに、彼女は要たちに自慢げに説明する。
「これ、あたしが作ったアプリ。外部に立てたサーバで処理して自作のAIを動かしてて、情報調査を自動でやってくれるの。超便利でアングラな検索エンジンみたいなものかなー」
要が、こいつは何を言ってるんだ? という顔を浮かべているが、説明に熱の入った彼女は気づいていなかった。
「さっきのメールの人物名をこいつに入力して、SNSを中心に調査をお願いするの。そこに研究者とか、公務員とか、まぁそれっぽいキーワードを追加して、送られてきた内容をさらに絞って精査して、ブラッシュアップして……っと。おっ、結構しぼれてきたね」
腕輪型端末の操作の結果は、端末の方では無く、PCの方に映し出される。それを一つ一つ確認してから、流行りのSNSアプリに焦点を当てて、パソ子は調査を進める。
「頭いい人たちだろうからネットワークリテラシーは高そうだけど……でもやっぱり、いるもんだね。ちょっと抜けてる人って」
しばらく操作を続けた後、パソ子はSNSのウィンドウを要たちに見せる。そこには、三十代の社会人女性の何でもない日常の呟きや写真、動画がつらつらと語られていた。特にこれといって特徴も無い、何の変哲もない日常の風景ばかりである。
「なんだ、これ」
「手がかり」
「これのどこが?」
「ふふん、先輩には分からな――いったぁッ⁉ 本気で殴るのはなしじゃん!」
「悪い、ちょっとイラっとして」
とぼけた様子で拳を隠す要を睨みつけていると、ジッと画面を見ていた必が何かに気づいたのか声を上げる。
「あ、この人。アカウント名は適当な感じだけど、この写真のところ、名前が見えてる。社員証? なのかな。見えにくいけど……」
必が指さした方を要も凝視すると、確かに必の指摘どおり、何かの写真の背景にちらっとだけカードとそこに映る名前が見える。解像度が悪く、目を凝らさなければ気づかないようなものであり、そもそもこのSNS自体がほとんど反応がないものであるため、本人も誰も気づかなかったのだろう。
「よく気づいたねー、必ちゃん。そのとおり、この人、分かりにくいけど名前出しちゃってるんだよ。そんでね、投稿内容を見てると、その職業も大体見えてくる。そもそも紹介分が、お国のために働く限界社畜、だからね。たぶん、公務員。それも投稿的に何か研究職に近い立場なんじゃないかなー」
ここまで分かれば後は簡単、とパソ子はキーボードを叩いてさらに調査を進める。要も必も分からなかったが、パソ子はSNSのアカウント情報にハッキングして本人しか見ることが出来ないプロフィール情報から発信者のおおよその地域を入手した後、投稿画像の背景から自作AIと一般公開されている周辺画像も確認可能な地図サイトを併用して、住所を割り出していく。決定的なのは、ベランダから撮ったと思われる「おしゃれな晩酌」という投稿内容だった。背景はぼかされていたが、写真の中のグラスの反射で映る手がかりから即座に居住地を割り出してしまう。
「見つけた。これは……四階かな? マンション名を検索して、ふむふむ、こーいう立地なわけね」
「パソ子、説明しろ」
「んにゃ? あ、ごめんごめん。手がかりに繋がる手がかりを見つけたよ。あとは先輩の腕次第」
「どういうことだ?」
状況に追いつけていない要に、パソ子は得意気に鼻を鳴らすと、政府関係者に送られていたメールの送付対象と思われる女性、それも政府施設の研究職に付いていると思われる人物の住所を割り出したことを簡単に説明した。女性の居住地周辺の監視カメラから当該人物の写真を入手し、それを映しながら彼女は告げる。
「今から先輩には、この人に接触して、あたしの作ったこのUSBを、この人の持つ―――はずの会社用のPCに挿してもらうの」
「やることは分かったが、はずって……確証は無しか?」
「投稿見てると、たまーに家に帰って、在宅してるっぽいんだよね。だからたぶん、持ってる」
「あいまいだな」
「情報の真偽に責任は負わないのがあたしなんだよー」
「まっ、そうだよな」
いつも通りのことなので、要がパソ子の発言に深く突っ込むことはしなかった。それよりも物事が前に進んだことに気分を良くし、作戦の詳細を詰める方に思考をシフトする。
パソ子の提示した作戦を聞き終え、要は頭を整理して理解するように努めた。慣れない分野のために呑み込みきれ無いところも多々あるが、何をやればいいかはおおよそ理解できる。必などはすでに興味を無くしかけているのか、自身のスマホでSNSを眺めていた。呑気なものである。
「先輩にはこれを渡しとくね。ちっちゃいパソコンと、短めのLANケーブルと、USBメモリとか、Wifiに繋ぐためのモバイルルータ」
どこまで用意がいいのか、パソ子がぽんぽんっと戸棚から物を取り出していく。別荘というだけあって、結構な頻度でこの場所を利用しているのがうかがえた。
「作戦は簡単。この人のマンションの真向かいに空き家があって、ちょうど窓からマンションのロビーが見えるから、この人が帰ってくるのをじっと待つ。帰ってきたらなんとかその人の持っているはずのパソコンを気づかれないように操作して、このPCとLANで繋いで。繋いでくれたらその時点であたしが気づくから、遠隔でセキュリティファイルを無力化する。その後はUSBを挿してくれれば、勝手にマルウェアがインストールされるから。先輩、気を付けてね。絶対に気づかれるのはNGねー。何かされた、ってバレたら最悪壊されるかもだし」
説明を聞き終えた要は、少ししてから尋ねた。
「気づかれないようにパソコンを操作して、気づかれないように元に戻せ、ってことだよな」
「いえす」
「それ、かなり難しくないか?」
「まぁ、ぶっちゃけ」
あはは、とパソ子は軽く笑う。彼女は指示するだけなので、難易度の高低には頓着していなかった。
「……しゃーないか。やり方は考える。無茶して無理矢理奪っても無駄ってことだよな」
「盗んだりなんかしたらアカウントを遠隔でブロックされるよ。最近は、どこも情報セキュリティが厳しいからね。まぁ、気づかれる前に情報を抜き取ってしまう、っていう手もあるけど、この人がどんぴしゃで欲しい情報を持っているかも分からないから。この人を踏み台に情報の手がかりを持つ人のところまで手を伸ばすの」
「分かった」
頷き、要はパソ子から道具類を受け取ると、適当に置いてあったポーチに詰め込んだ。パソ子の私物を勝手に借用する。
「ちなみにそいつは、いつ帰ってくるんだ?」
「しらなーい。毎日帰ってるわけじゃないみたいだけど。投稿時間とか見てると、結構変則的に働いてる感じするね。だから、空き家で待ち伏せするのが一番。張り込みみたいで楽しそうだよ~」
絶対にそう思っていない表情のパソ子を睨みつけながら、要は自分を納得させて立ち上がった。方針が決まったのであれば、のんびりしている時間がもったいない。
「必、行くぞ」
「うん、分かった」
とりあえずあんパンと牛乳でも買うか、とぼんやりとそんなことを思うのだった。




