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第一章 ④

 放り込まれた突然の飛来物にさだめが動きを止めた瞬間、要は駆けだしていた。


 光を帯び始めた物体を勢いよく蹴り飛ばし、必を押し倒す形で床に伏せる。それに遅れて、甲高い大音と目を焼かんばかりの閃光が視界を埋め尽くした。視力を潰されないようにじっと目を閉じ、対処が遅れている必の目を身体で、耳は両手で塞ぐ。


 光が止み、音も収まりを見せた頃、要は上体を起こした。耳はつんざくようにゴロゴロと耳鳴りを繰り返し、何一つ聞き取ることが出来ない。必を優先したばかりに、聴力に著しい不調を来している。


 遅れて必が立ち上がり、何が起きたのかを察したらしい。


「ごめん、要。油断した」


 その言葉は要には聞き取れなかったが、ある程度は言いたいことも分かる。気にするな、という風に手を振ると、視線をリビングの方に向け、勢いよく引き戸を蹴り飛ばした。


 それとほぼ同時。


 逆方向から引き戸が凄まじい衝撃で押しつぶされ、双方向からの衝撃によって、引き戸がぐしゃりと砕け散る。潰れた引き戸から、何者かが室内に転がり込んだ。それは大の大人というには小さく、しかし子供というには異様な膂力を兼ね備えていた。


 特徴的な濃藍の髪が揺れる。荒んだように鋭い瞳は、要と必を瞬間に行き来し、その標的を要に定めた。


 要が室内に転がり込んできたその存在を、幼い少女であると認識した瞬間には、彼女の拳は要の眼前に迫っていた。一拍の遅れは対応の遅れに繋がり、要は何とか首を反らして回避の姿勢を取るが、避けきれずに拳が頬をかすめた。鋭い拳は、要の頬を浅く切り裂く。


「要ッ!」


 必が悲鳴のような叫びを上げる。


 要は、さらに拳を振るう少女の動きを観察しながら、次の行動には冷静に対処して見せた。振るわれる拳の動きを観察して察知し、わずかな動きで回避すると、立ち位置を入れ換えるように必の隣に並ぶ。


「ちっ、素人ちゃうんか」


 悪態を零す少女は、大きく後ろに飛んで距離を取った。一筋縄ではいかないと察したのだろう。


 応じるように必が前に出る。彼女の拳は、怒りで震えていた。


「いきなり何するの⁉」

「あぁ? なにってそら――」


 少女が口角を吊り上げる。酷薄なその笑い方に、必は緊張したように表情を硬くした。


「――悪人退治だ」


 続く言葉は、室内の窓側の方から聞こえてきた。声につられるように必が後ろを振り返り、その様子に気づいて要が前後を警戒できるように態勢を変える。


 その直後、窓枠が吹き飛び、そこから大柄な男が飛び込んできた。固く握られた拳は、その勢いを維持したまま、真っすぐに要に襲い掛かる。


 咄嗟に要が握った黒刀を振るう。黒刀は男の拳、そこに付けられた籠手とかち合い、鈍い金属音を響かせた。弾かれるようにして男の拳が正中線を逸れ、その隙を見逃さずに要が返す刀でさらに黒刀を振るう。


「やらせんわ!」


 それを前に、背後の少女が叫んで床を蹴りつけた。転がっていたゴミの一群が凄まじい速度で要にぶち当たり、態勢を崩すと同時、飛散して中身を飛び散らせ、目晦ましの効果を生む。


「こ、の――ッ!」


 ようやく耳鳴りが落ち着きを見せ、聴力が戻り始めたところで、要は苛立ったように叫んだ。突然、襲われているということと、汚いゴミまみれにされたことでフラストレーションが頂点を迎える。


「必!」

「任せて!」


 必の拳に光が収束する。それは異能の光。先の虚虜を退治した際と同じく、爆発を起こす前兆の光だ。だが、先ほどと違うのは、対象が虚虜では無いため、あれほどの破壊力を必要としていないことである。


 必は力の制御が不得手だ。だが、小中大の極端な三段階くらいであれば、制御することは容易かった。


 阿吽あうんの呼吸で要の意思を読み取った必が、拳を床に叩きつけた。遅れて閃光と炎が弾け、小さな爆発が巻き起こる。爆発は床を吹き飛ばすと同時に、建物全体を揺らした。


 床に大穴が空き、崩落を開始する。予期していない事態に、大柄の男と少女の反応が遅れた。崩れ行く床に呑まれるように、その姿が消えていく。


「ちぃ、異能かい!」

「受け身を取れ!」


 落ちていく二人を無視して、要も必も床を蹴って飛んでいた。崩れていない箇所を選んでリビングへと向かい、パソ子の姿を探す。


(バカみたいな身体能力をしたガキと大の大人のコンビ……間違いなく虚子トリシュナ同調者シトリだろうな。特対官か? それとも、犯罪者? 何故俺たちを……いや、狙ったのはパソ子か?)


 思考を巡らしながら周囲を見回すと、リビングの角の床に倒れているパソ子の姿が見えた。瞼は重く閉じられ、意識を失っているように見える。だが、血痕や外傷の類は見られない。死んでいる、というようなことは無いだろう。


「要、どうする⁉」


 あの二人は、階下に落ちただけだ。虚子と、その虚子と同調することによって高い身体能力を獲得した同調者を思えば、すぐにもこの場所に戻ってくるだろう。長々と次の対応を思案している余裕も、この事態に思いをはせている余裕も無い。すぐにも次の行動に打って出る必要があった。


「必、正面を吹っ飛ばせ! パソ子を連れて逃げるぞ!」

「あいあいさー!」


 要の指示に軽快な答えを返し、必は再度の爆発を引き起こす。


 壁面が吹き飛び、アパートの外の様子が明らかになった。駅前から外れた住宅街には、疎らに人がいるようで、突然の爆音に足を止めてアパートの様子を見ていた。中にはスマホを片手にカメラを向けている者までいる。


 ちっ、と舌打ちを零し、要はパソ子を抱えたまま地面に向かって飛んだ。この一幕だけを見れば、まるで要たちがパソ子を誘拐しているようである。あらぬ誤解を受けることは避けたかったが、そこまで気をまわしている余裕は無い。


 一階分の高さを物ともせずに地面に着地し、要が先導して駆け出す。だが、二人の進行方向に濃藍色の髪の少女が立ちふさがった。


「そう簡単に逃がすかい!」


 速い。


 突然の足元の崩落からそう間を置かずして二人の動きを先回りしたその動きは驚嘆に値する。


 内心で舌を巻きながら、要は一言で必に指示を投げた。


「必!」

「任せて!」


 先の動きや今の先回りから、要は目の前の少女が虚子であると確信する。であれば、対抗策は一つしかない。


 拳を構える濃藍色の少女に応じるように、必が前に出た。走る勢いをそのままに、固く握りしめた拳を振るう。迎える濃藍色の少女は、その猪のような一直線の突撃に対し、最低限の速度で回避行動に移る。顔面を狙った拳を体を開いて避け、必の動きに合わせるようにその腕を絡めとると、必の力を利用してあらぬ方向へ投げ飛ばした。


「当たるかいな、豚女」

「う、わ――ッ!」


 投げ飛ばされた必が悲鳴を上げながら、アパートに併設されたゴミ置き場に突っ込んだ。


「こ、の……最悪!」

「ぷぷ、お似合いやな。ぶたおんな」

「さいていっ! っていうか、誰が豚女⁉ 許さないよ!」

「真っ直ぐ突っ込むしかない、猪にもなれん飼い慣らされた虚子なんぞ、豚以下やろ」


 少女が必を見下ろし、侮蔑の言葉を送る。その言葉に必の眦が吊り上がり、跳ねるようにゴミの山から立ち上がった。身体中から大量の光が収束していき、周囲をほのかに明るく照らす。


「なんや、また異能か」


 言葉から漂う蔑みの色は消えず、警戒するように少女が一歩距離を取る。彼女は、先の必の爆発の力を目にしている。不意打ちの攻撃にはいくらでも対処してやる、という気概が見て取れる。


「おい、必。抑えろ」


 少女の様子から、要は必を制止した。いたずらに異能を用いたとしても、そう簡単に攻撃がハマるようには思えなかったからだ。


 要の言葉を受け、必は少し迷った末、身体中から放たれた光を消した。冷静になったのだろう。こんなところで先を越えるような、それこそ虚虜を打ち倒す際に発揮するほどの大爆発を巻き起こすのは論外だ。目の前の敵を打ち倒せとして、事後の説明をどうするのか。それに先ほど、竜胆に注意されたばかりである。


「はん、日和ったか? 豚女」

「その呼び方やめて! わたしは、必!」

「それがなんや。おまえ、あほか? 敵に名前なんぞ名乗ってどうするつもりや」

「そっちも名乗って」

「嫌や」


 急な自己紹介の要求を一言で切り捨て、少女はちらりと横目でアパートの方を確認する。視線の先から、大柄の男が姿を現した。二階の崩落に巻き込まれたのだろう。多少、身に着けた衣類は擦り切れていた。


「遅いで」


 責めるような少女の言葉に、大柄の男は短く端的に返答する。


「すまんな」


 復帰した男を一瞥して、要はパソ子を抱える手に力を込めた。状況は振り戻しだ。隙をついて目の前の敵から逃げる算段だったが、そう簡単にはいかせてくれないようだ。


 状況は圧倒的に要たちが不利である。必と濃藍色の少女の接近戦の技術の差は、先の動きを見ても明らかだ。力任せの腕力勝負を得意とする必に対して、どうやら少女は柔の動き――合気道や柔道に類するそれを得意としているらしい。少女の言うとおり、必は性格的に猪突猛進の気がある。言いように弄ばれるのは目に見えている。


 そこまで考えて、要はパソ子に視線を送った。彼女の存在もまた、不利な要因の一つだ。彼女を抱えたままで大柄の男とやり合えると思えるほど、生憎、要は自身の力を過信していない。


 虚子と同調者の戦いは、その性質上、虚子対虚子、同調者対同調者、となることが基本だ。身体能力と異能を扱える虚子は、よほど腕力や戦略に自信のある同調者でも無い限り、対抗することは難しく、自然とその役割ははっきりとする。その観点から見た場合、現状はほとんど詰んでいるにも等しいと結論付けられる。


(パソ子を置いてやり合うか? いや、あいつらの目的が見えない以上――それにあいつらが二人だけとも限らない以上、こいつを手放すのは危険だ。戦いに集中している間にパソ子がさらわれる可能性がある)


 必が少女と睨み合いながら、視線だけで要に問いかける。必は直情的な傾向が強いが、決して愚か者でも状況が見えないわけでも無い。現状が自分たちに不利であることを理解したうえで、指揮官の役割も担う要に判断を問いかけていた。


(さっきと同じやり方は……通じねーだろうな)


 先ほどのように爆発を目くらましに使うか、とも考えるが、同じ手がそう易々と通じるとは思えない。とはいえ、真っ直ぐに追走劇で二人の追跡を振り切れるだろうか。


 少し迷った末、要は腹をくくる。こうなっては、リスクを取らずに結果に繋げることは難しいだろう。


「必、やれ!」

「うん‼」


 小気味良い返事を上げ、必は地面に手のひらを叩きつけた。同時に淡い光が必の手の平を中心に放たれ、周囲に白煙が拡散した。初夏とは思えない冷気が周囲に流れ、視界一杯を白煙が多い尽くす。


「は――⁉ 爆発とちゃうんか⁉」


 驚きの声を上げる少女をよそに、要は踵を返して駆け出していた。後ろを振り返らず、一直線に逃げの一手を取る。


「逃がさん!」


 逃げる要に対して、目くらましに動きを止めなかった大柄の男が迫る。その大柄の身に比して、恐ろしいほどの速力でその手が要に迫った。だが、横合いから飛来した必の蹴りによって来た道を戻るように吹き飛んでいく。


「全力で走れ、必!」


 叫び、要はさらに加速する。それに追随する必。どちらも人の身を上回る脚力でもって、アパートから一気に離れていく。複雑な路地を縦横無尽にかけ、人気の無い入り組んだ道を選んで逃げの一手を取る。


 だが、背後からは断続的にだが足音が響いてきていた。やはり、先ほどの一撃では、完全に追撃を巻くには至らなかったようだ。


「ついてきてるよ、要!」

「分かってる」

「もっかい水蒸気で目隠しする?」

「やめとけ。俺たちの位置を知らせるだけだ」


 それに敵の異能も分からないからな、と要は内心で呟いた。


 虚子同士の戦闘において、異能の情報は戦闘を優位に進める重要なファクターの一つだ。現在、必は爆発の力、白煙――水蒸気と本質では無いが情報を小出しにしてしまっている状況だ。少なくとも、何が出来るのか、を明確に見せてしまっている。一方で濃藍色の髪の少女の力は未だ未知数。正面切って戦わざるを得ないことも考慮すれば、これ以上、情報で不利になることは避けたいというのが要の本音だ。


「とりあえず、一旦身を隠す」


 ひと先ずの方針を決め、要は視線を前方に向けた。路地を抜けた先には、巨大複合デパートに併設の立体駐車場が見える。全五階建てのそこは、身を隠すには持ってこいであり、人目もそういないだろうため、ぐったりと意識の無い少女を抱えていても騒ぎにはならないだろう。


 一度身を隠し、追手の追跡を逃れたうえで、安全な場所へと移動する。


 それが要の立てた方針だ。


 真正面の車両用出入り口から立体駐車場に入り、一気に三階へと上ると、手ごろな車両の陰に二人は身を隠す。持ち主が買い物を終えて戻ってくることは懸念されたが、細々《こまごま》と考えている余裕は無かった。


 抱えたパソ子を地面に横たえ、要は軽くその身体をチェックする。先の見立てどおり、外傷は見られない。脈拍もあることから生きてはいるようだ。口元に耳を寄せると、かすかな吐息が漏れ聞こえる。どうも眠っているようだ。


(睡眠薬か、なにかか?)


 状況的にはそう思われるが、これこそが異能という可能性もある。


「大丈夫そう?」

「生きてる。眠ってるみたいだな」


 軽く頬を叩いてみると、パソ子が苦悶に顔を歪めた。しばらく苦し気に表情を歪めた後、ゆっくりと目を開く。


「あ、れ……?」

「起きたか、ぽんこつ。グレーなことしてるんなら、足が出るような真似するな」

「あ、たし……っ、あたま、いった……」


 目覚めたパソ子が頭を抑えた。


「即効性の睡眠薬か何かだろうな。効果が早い分、持続性は無いみたいだな」

「すい、みんやく? そうだ、あたし。いきなり変な奴らに襲われて……」

「絶賛、襲われている真っ最中だ。大きな声は出すなよ、なるべく息を潜めろ」


 小声で要が注意すると、パソ子はこくこくと無言で頷いた。寝起きで重たい頭が動き始め、自身が置かれた状況を少しずつ理解でき始めたようだ。元々、犯罪者一歩手前どころか、一歩踏み越えた後ろ暗いことばかりをやっているような少女である。事態への理解の速さもひとしおだ。


 周囲の音に耳を配りながら、要は短くパソ子に問いかける。


「こんなことになった心当たりはないか?」


 頭の痛みが治まらないのか、片手でこめかみを抑えながら、パソ子は答える。


「たぶん、先輩に話しかけたことと、関係あるかも……」

「話しかけたこと?」

「虚子から人間に戻った人の噂……」


 問い返す要に、必が思い出したように呟いた。要が目を見開く。


「おいおい、眉唾じゃないのか?」

「わかんない……。でも、最近掴んだやばそうなネタなんてそれくらいかなー。うぅー、せんぱぁーい。あたまいたいー」


 助けて―、と甘えて抱き着こうとするパソ子を片手で押しのけつつ、要は先の二人とパソ子の言葉を思い返す。政府のネットワークから入手した『虚子から人間に戻った人の噂』、それを察知したのか襲い掛かってきた虚子と同調者の二人。順当に考えれば、あの二人が政府関係者であると考えるのが自然だろう。


(いつものガセネタかと思ったが、まじなのか?)


 パソ子の言葉のとおり、政府のネットワークから入手したその情報の流出を危惧して、虚子と同調者――おそらく特対官を派遣したのであれば、その噂の信ぴょう性が一気に増す。現時点では想像の域を出ない話だが、逆に考えれば、そうと考えない限りはパソ子が襲われた理由が見当たらない。


 特対官は貴重だ。虚子と同調者のコンビは、そう数がいるわけでは無い。いち少女の確保のために虚子と同調者を使うなど、大げさも良いところだ。にも拘わらず、パソ子は虚子と同調者に襲われている。


「お前、どんな情報を掴んだんだ。今すぐ話せ」

「え、いや……逃げ切ってからにしよーよ」


 ごねるパソ子を、要は鋭く睨み付ける。無言の圧力に気圧されたパソ子は、ぐちぐちと文句をこぼしながらも、諦めたのか口を開いた。


「あたし、前から仕込んでたマルウェアを使って、ある政府の要人の業務用PCにアクセスしたのね。それでまぁ、何かしら面白い情報でも転がっていないかとバレないように中身を漁ってたら、ちょうど気になるメールを見つけたの」

「気になるメール?」


 無言で頷き、パソ子は話を続ける。


「タイトルは、『素体番号SS001についての報告』。内容をざっくりと要約すると、あらゆる観点からある少女を調査した結果、虚子と思わしき特徴は見られるものの、その生体反応は極めて人間に近く、相剋状態の同調者の状況にも酷似している、って書いてたの。虚子の特徴を持つのに、生体反応は極めて人間に近い。あんまり虚子と人間の身体構造に詳しくは無いけど、これって意味深だよね」


 パソ子の言うとおり、要約されたその内容の実態までは、要には理解しきれなかったが、それでも類推できるところはいくつかある。


 まず、虚子と人間の身体構造は極端に近似している。これは過去の研究結果からも明らかでより、何より虚子の見た目や食事、排せつといった生理習慣がそれを物語っている。一方で虚子は成長しない。数年経とうと、長くて十数年経とうとも、その身体が大人になることは無く、老けることも無い。言い換えれば、虚子の細胞組織は劣化しないのだ。そもそも細胞分裂しているのかも疑問である。


「素体番号……極めて人間に近い、か」


 生物という観点で見た場合、考えられるとすれば、その虚子か人間かあいまいな存在は、確かな成長、ないしは老化、細胞の劣化を示したということだろうか。


 要は、短くまとめられたパソ子の話を頭の中で整理する。その真偽は定かでは無いが、そうしたレポートらしきメールが政府関係者の中で送信されていた事実。確かに要の探していた、虚子から人間へと戻る手掛かりに繋がるかもしれない話だ。一つ気になるのは、話の内容がどこか受け身であると言うことだろう。まるで偶然、人間に近い虚子がいたためにあらゆる調査を行った結果、極めてその可能性が高いことが判明した、という風であり、メール作成者の内面として、意図した結果への期待や高揚のようなものは感じ取れそうにない。


「そそ、それでね。もう一つだけ、次のお話があって」


 思い出したようにパソ子が左手を掲げる。手首の先には時計型の端末器具が取り付けられており、それを指で二回タップすると、上空に向かって小さな光を投影してみせた。光の中には、十代半ば頃と思われる少女の写真が映っている。


「その素体番号SS001だけど、どうにも逃げちゃったみたいなんだよねー。だからすぐに捕まえろー、って怒りのお達しが来てた」

「逃げた、か」


 要は、目を凝らして投影される少女を記憶に刻む。特徴的な白金色の髪、深い紅玉の瞳に、透き通る白い肌と整った顔立ち。何かに似ているような、不思議な感じを受けたが、あいにくと記憶を捜しても判然としない。見覚えは無いだろう。


「虚子にしては、高校生くらいに見えるよね」


 要の隣から必も覗き込み、そんな感想を漏らした。


 必の言うとおり、見た目だけなら、確かに虚子よりはやや大人びている。基本的に虚子の外見年齢は八歳〜十二歳前後までとされているが、少女は少なくともそこまで若くは見えなかった。


「これ、先輩に送っとくねー」


 パソ子が時計型の端末器具を操作する。しばらくして、要のポケットに入れたスマホが通知を鳴らした。確かにスマホに写真が送られていることを確認し、要は立ち上がる。


「ん? 先輩?」


 不思議そうに見上げるパソ子に、要は端的に一言だけ告げた。


「助かった。あとはがんばれ」

「ちょちょちょちょちょちょいっ!」

「行くぞ、必。もうこいつを助ける理由は無くなった」

「あ、うん。パソ子、頑張って。関西弁の女の子とおっきい男の人には気を付けてね」


 制止の声を上げるパソ子を無視して、二人は並んで駐車場を後にしようとする。だが、強引にパソ子が要の腕にしがみついたことで、その足は止まった。


「ひどいひどいひどいぃ! 知りたい情報もらったらぽいか⁉ 鬼畜過ぎるよ、せんぱぁいッ」


 今にも泣きだしそうに大声を上げるパソ子に眉をひそめながら、要は今の声で敵を呼び寄せていないかと周囲を警戒した。今のところ人気は感じられない。


「身から出たサビだろ」

「誰のためにこんな危ない橋渡ったと思ってんの~!」

「お前の好奇心のためだろーが」

「うっ……それはそうだけど……。でも先輩のためを思って教えてあげたんだよ? それを見捨てるの~⁉ あたし、死んじゃうー!」


 やだやだ、と首を振るパソ子に、要は嘆息する。鬱陶しいことこの上ない、というのが彼の本音だった。


「たぶん、あいつらは政府関係の特対官だろ。そもそもお前を眠らせていたことと言い、命を狙うつもりは無いだろ。だから、まぁ死ぬことは無いと思ってる」

「でも逮捕されちゃうじゃん! 拷問されて、あんなことやこんなことを……うう、うわぁぁぁー」

「うるさい」


 どか、と要の振り下ろした手刀により、パソ子の頭から鈍い音が響いた。痛みで頭を押さえ、パソ子がうずくまる。そんな一連の様子にさしもの必も可哀そうに思ったのか、同情の目を向けていた。


「ねぇ、要。やっぱり、どこか安全なところまでは送ってあげようよ。たぶん、要は今からその逃げ出した女の子を捜すつもりでしょ? パソ子がいたら助かると思うの」


 見上げるように必に言われ、要は少しだけ黙り込んだ。必の言葉が的を射ていたことと、パソ子の能力が人捜しに役に立つことも一理あると思ったからだ。だが、一方でそれは余計な面倒を抱え無ことにもなる。


(わざわざ自分の立場を危うくするような真似をしたくはないが……)


 このままパソ子を連れて、あの特対官らしき二人組に身柄を引き渡すことが最善のようにも思える。要は、政府から認可を受けた正式なライセンスを発行された特対官の一人だ。今回の件でいらぬ誤解を受け、それこそ犯罪者のように扱われるのは困る。だが、顔を見られたのは一瞬のことであり、ともすれば誤魔化せないことも無いだろう。


 リスクとリターンを照らし合わせ、合理的な判断を下す。


 迷った末、要は溜めていた息を吐きだした。何より真摯な妹の頼みである。それを無下に出来ない程度には、彼は必の兄であるという自負を持っていた。


「分かった。だけど、俺たちの立場が危うくなった切り捨てる。パソ子も、それでいいな?」

「言いわけあるか! 未来永劫助けろ!」

「必、やっぱこいつは置いていくわ」

「あ、ウソウソごめんごめん。迷惑かけないから助けて先輩!」


 すぐに手のひらを反すパソ子を睨み付け、要は気だるげに頭を掻きむしった。


 たった一時間も経たないうちに、面倒なことになったものである。

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