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第六章 ⑧

 アセナとの死闘を繰り広げながら、一片ひとひらの顔には疲労の色が浮かんでいた。度重なる異能の行使は、彼女の心を摩耗させる。それでも目の前の敵を討ち、その先にある幸せな未来を掴むという希望に心を奮い立たせ、薙刀を振るう。


 だが、その勇ましさは長くは続きそうも無かった。


 幾度かのアセナとの交錯を経て、すでに自身らの力が彼女に適応されていることを理解し始めている。戦闘が長引くほどにアセナは模倣の力をより強固にし、一片たちが振るう力と同等のものを、それを上回る巧みさで振るってくる。


 六年前に一度負けた相手だ。あの時は頭部の存在核を破壊して油断したところを攻められ、敗北を喫した。


 あれから六年、一片は成長したとはいえ、あくまでもそれは肉体的な話だ。足の障害というブランクが戦闘能力に著しく影響しているのに加え、今のアセナは要たちの力も模倣し、その布陣は盤石と化している。


(近づけ……ないっ!)


 陽彩の異能は、接近してこそ意味がある。対象に触れ、その粒子の状態を自由に変化させてこそ、攻防となり得るのだ。だが、今のアセナは距離を取り、遠距離から一片に攻撃を仕掛け、少しずつ体力を削ってきている。


 まるで一片が心折れ、足を止めるのを待ちわびるかのように。


 やろうと思えば、一撃で穿つことも可能だろうに、威力を抑えた爆発と凍結の力で一片を苦しめる。


 悪辣に、悪逆に――その全ては、一片に新たな絶望を刻むため。


 すでにアセナの在り方はよく分かっている。ゆえに一片は、心を折ることは無い。


 なんとか接近する隙をうかがい、攻勢に出ようと画策する。しかし、具体的な案は思い浮かばない。一片には、要のような優れた戦闘経験は無く、同調者として戦ったのも六年前の一度きりだ。たったそれだけの戦闘経験で人型虚虜(デーヴァ)と対峙できていることの方が驚異的なのである。


「きみの心は強くなった。多くの絶望を経験して、まるで何度も何度も叩いて鍛え上げられた金属のように、折れない心を手に入れた」


 距離を離して戦っていたアセナが、一歩で一片の懐に飛び込んだ。そのあまりの速さは、一片の動体視力を凌駕し、ほとんど反射で一片は防御の構えを取る。


 爆発が轟き、衝撃波が四方八方に吹きさすぶ。地面を抉り、廃墟を崩し、空間が歪む。火柱が爆発の勢いで周囲を呑みつくし、黒煙が立ち込める中、爆風の勢いで吹き飛ばされた一片が煙を突き破って上空に姿を現した。


「ごほ……っ」


 煙を吸い込んだことで咽ながら、一片は薙刀を消滅させ、右手に粒子をかき集める。かき集めた粒子は互いに互いを喰らい合い、ぶつかり、削り、それに抗するように反発の力を高めていく。


 フェルミ圧による高まったエネルギーを掲げ、一片は一気に解き放つ。


 その瞬間、目前に迫っていたアセナを、一片の放った粒子が襲い掛かった。莫大なエネルギーは高まる重圧によってまるで重力が増したようにアセナの身体を蝕み、しかしそれすらもアセナは振り払う。


 陽彩の異能を模倣する彼女にとって、粒子の状態変化により生まれる副次的な力の発露は、何の意味もなさない。


「だから、今のきみは簡単には心折れない。死ぬその瞬間まで、ボクへ立ち向かい続けるのかもしれない。それだけの強さを感じるよ」

「アセナッ‼」

「ボクの絶望を何度も乗り越え、立ち上がり、きみはある種の完成を見た。それはボクの欲した心の在り方とは違う。けど、ボクはそれを寿ぐよ」

「私は、あなたが――」

「ボクは、きみを喰らう。折れないきみを、強いきみを、絶望を跳ねのけたきみの強い心を、認め、受け入れ、その苦味すらも美味しく受け止めてあげる」

「――大嫌いですッ!」


 拳を固めた一片の一撃が、アセナの頬に突き刺さる。それでもアセナは動じない。全力の一片の一撃を受け止めたばかりか、まるで我が子にするかのように一片の身体を抱きとめた。


「ひとひら、そして陽彩。きみはボクが見た中で最も――」

「く……っ」


 突然の事態に困惑しながら、一片はアセナを跳ね除けようと力を込める。異能の力すら用いて透過しようと試みるが、アセナはそれら全てを封じてしまう。身動きを取れない状況で、理解できないアセナの独白だけが耳朶じだを打つ。


「――心の弱い人間だったよ」


 アセナの唇がそっと一片の額に近づく。その意味を本能的に理解し、一片の身体が震えた。これはまずい、早く距離を取らなければ――そう思いはするが、身体は動かない。そっと抱きとめるような様子に反して、まるで万力で締め付けられたかのように身体は塞き止められている。


(心を――喰われる!)


 悲鳴のような叫びを内心で上げながら、一片は唯一動かせる右手に瞬間的に白金の光を集約させた。アセナの認知と反応を越えるほんの一瞬だけ異能を放つ。


 一片の身体とアセナの身体を構成する粒子の状態が瞬間的に切り替わり、内部で生み出された反発力が、二人の身体を強引に引き剥がした。まるで同極の磁石が重なることを拒むかのように、二人の身体はわずかに距離を取る。


 その距離さえあれば、一片には十分だった。なんとかアセナの魔の手から逃れると同時、右手に薙刀を生み出し、アセナの腹部を深く突き刺す。


 腹部を刺し貫く刃を前にしても、アセナは微塵もたじろがない。その刃にそっと触れた瞬間、一片がかき集めた粒子が霧散した。


「無駄だよ、ひとひら」

「そう、でしょうね……!」


 一片は、わずかに視線を動かし、遠く離れた場所で倒れる濃藍色の髪の少女を見る。彼女の身体からは大量の血だまりの中に倒れており、その血はまるで川のように一筋の流れを作っている。その流れは、アセナと一片が立つ場所まで続いていた。


「無駄だと分かっていても試行錯誤を繰り返し、勝つための道を捜すんだね。いいよ、ここを狙うという。きみはボクの存在核が一つでないことを知っていたね。それでもまずは、ここを潰さないと話にならない」


 アセナが誘うように自身の頭部を指さす。そこには確実に一つ、アセナの存在核が埋まっている。おまけに視覚や聴覚は五感を司っている。倒せないまでも、再生するまでの間、アセナを行動不能に陥らせることは可能だろう。


 それをアセナ自身も分かっている。彼女は自身の弱点を理解し、その上で狙えるものなら狙ってみろと誘っているのだ。


「最初からずっと、狙っていますよ」

「ああ、そうだったね。それを阻んでいるのはボクだ」


 アセナの背中から蒼白の刃が飛び出す。都合八本の刃の攻撃を、一片は何とか回避する。


「ひとひら、このままじゃ――」

「そうね、陽彩。でも、もう少し待って」


 もう少しだ。


 一片は、地面に溜まる血だまりを見つめる。いつの間にか、血の量が増え始めていた。最初は薄く伸びるだけだったそれが、今や一つの水たまりの量に達している。


 アセナはそれに気づかない。彼女の視線は一片にだけ注がれ、その心を観察している。ゆえにすでに倒した者たちに拘泥しない。興味すら抱いていない相手であればなおさらだ。


 その虚虜としての在り方を、一片は嫌悪する。


 忘れるな、と毒づく。


 あなたが傷つけたのは、私たちだけじゃない――。


「今ですッ!」


 一片を追いかけるようにアセナが一歩、前に踏み込んだ。


 その瞬間、最も血だまりが深くなかった場所に、アセナは足を踏み入れた。それを確認し、一片が叫ぶ。


 一片の声を合図にして、地面に溜まっていた血だまりが跳ねた。アセナの踏み込みによって飛び散った血飛沫が空中を舞い、それは一つの生き物のように蠢く。


 度重なる爆発と震動により意識を取り戻し、身を潜めて隙を伺っていた紫咲が、その時初めて顔を上げた。自身の持つ異能の力を最大限に解放し、貧血寸前になるまでに出し尽くした血液全てを操る。


「ようやってくれたな、腐れカスがッ! 一片にさわんなやっ!」


 怒号に合わせ、血液全てが棘のように形を変え、アセナを串刺しにする。四方八方から迫るそれを前に、それでもアセナは動じない。アセナの全身を光の粒子が多い、全ての血棘を透過してみせた。物理的な攻撃は、やはり有効打足り得ない。


 だが、それは一片も理解していたことだった。


(けど、相手に触れて粒子の状態を変えられるのはこちらも同じです!)


 陽彩の異能を模倣したアセナは、自身と自身を襲う血棘を同質のボース粒子に変質させ、攻撃を素通りさせている。その血は地面を流れ、その一端に一片の足が触れている。


 一片の攻撃の発端は対象に触れることを前提としている。だが、今の状況であれば、紫咲の血液を通してアセナに触れていること同義だ。粒子の状態を同質の変質させている今なら、遠隔に近い形でアセナに干渉することが出来る。攻撃を受けている今の状態のアセナは、その形質を迂闊に変えることも出来ない。


 一片の足元を中心に異能が解放され、それはアセナと紫咲の血液に作用する。透過していたはずの物体同士が元の状態へと逆戻りし、アセナの身体を無数の血棘が貫いた。


「へぇ……」

「あなたの存在核の位置は分からない。けど、これなら、探し当てる必要も無い」


 血棘によって全身を串刺しにされ、大きく身体を欠損するアセナ。


 その姿を前に、一片はアセナを追い詰めたことを確信する。急な粒子の状態変化により、血棘本来の威力以上にアセナの身体は虫食い状態の穴だらけだ。唯一、頭部だけは守ったようだが、頭部以外の存在核は打ち崩したと見ていいだろう。


 アセナは嗤う。予想外の一手に、本能的に危険を察知したのだろう。嗤いながら、アセナは蒼白の触手を生み出し、全身を庇うように繭を生み出した。まるで再生の時間を稼がんとするかのうような動きに、一片は焦りの色を浮かべる。


「紫咲ッ! お願い、まだ戦えますかっ!」

「分かっ、とるわッ!」


 いかに強力な人型虚虜とはいえ、失った存在核を完全再生するには時間がかかるはずだ。事実、白滝がアセナの首を切り落とした後も、復活までにタイムラグがあった。


 今しかない。今畳みかけ、頭部を砕いて最後の存在核を壊さなければ、勝機を完全に失ってしまう。アセナはすぐにも一片たちの戦術に適応し、二度と同じ攻撃は通じなくなる。


 血を失い過ぎてふらふらの状態の中で、紫咲が血を操っていた。だが、アセナの生み出した繭が固い。それはただの繭では無い。一片は知らなかったが、それはレイロン地下でひなみが生み出した繭をさらに強固にしたものだ。防御力に特化した彼女の異能すら、アセナは模倣していた。


 一片は薙刀を生み出し、攻勢に出る。一種のレーザ光のようなそれで繭を焼き貫こうと振るう。


「こうやって危機を演出すれば、きみたちは勝てると希望を抱くよね」


 繭の奥から感情の無いアセナの声が響いた。


 迫る無数の血液の刃と一片の前で、突如として空から突風が下りた。


 度重なる爆発と炎、望島うらじまを覆う大小の火災が生み出していた雨雲。その一部に干渉したアセナの力が、その場にいる誰にもそうと気づかせずに、ダウンバーストを引き起こす。


 台風に匹敵する風圧が唐突に空から降り注ぎ、一片の身体を薙ぎ払った。堪えようのない自然現象の荒波に呑まれ、その事実に気づいて悔しさに表情を歪めながら、一片は地面を転がる。


 失念していた。要たちの力を操れるのであれば、彼らの使う技すらも使用できると、何故思わなかったのか。


 全身を穿つ風圧と地面に叩きつけられた衝撃、強く背中を打ったために呼吸が苦しい。


 それでも立ち上がろうとした一片は、腕が動かないことに気づいた。


「――――ッ」


 彼女の両腕は、地面の亀裂から伸びた蒼白の刃に刺し貫かれていた。まるでその場に縫いとめるようなそれを前に、恐怖と痛みで悲鳴を上げそうになる。それでも悲鳴を飲み込んだのは、プライドゆえだ。アセナの前で二度と折れそうな心を見せたくは無いというただその一心で、彼女は苦痛に耐える。


 繭が崩れ、そこからアセナが姿を現す。外見上はその大半がすでに再生を果たしており、ゆっくりと一片のもとへ歩みを進める。


 一片は、地面に倒れたまま、迫るアセナを見つめることしかできなかった。せめて恐怖に駆られて目は反らすまいと、心を奮い立たせて睨みつける。


 怪物の足が響く。


 苦しいくらいに心臓が大きく拍動し、頬を汗が伝っていく。


 絶体絶命のその状況を前に、それでも一片は心折れず、意志の力でアセナを睨み続けた。一歩一歩と迫る死を前にしてなお、彼女は抗い続けた。


 その時、一片の頬に何かが落ちた。


 急な感触に驚き、次いで空より降り注ぎ始めたそれに驚く。


 雪が降っていた。


 季節は初夏。周囲はじんわりと熱気に溢れ、決して雪が降るような季節では無い。


 ならば、これは何だ。


 驚き、その目に雪らしきものを捉え、それが雪では無いと気づく。


 それは光の粒子だ。白銀の粒子が空より降り注ぎ、それが雪のように見えているのだと気づく。


「さぁ、反撃開始だね」


 白銀が舞う。


 一片の前に一人の少女が姿を見せる。


 長い白銀の髪、蒼穹のごとき澄んだ碧眼、見た目は華奢に見えるが、その存在感に圧倒される。一片とそう変わらない背格好にもかかわらず、その背中は不思議と大きく見えた。


「あ、なたは……?」


 突然、現れた乱入者に疑問を口にする一片に、少女は何を言っているんだとばかりに振り返り、快活に名乗りを上げた。


さだめだよ、一片ちゃん」

「え?」


 その答えに、一片の疑問はさらに深まった。必といえば、要の双子の妹。彼の虚子トリシュナであり、幼い十代前後の少女はずだ。だが、今目の前にいるのは、一片とそう歳の変わらない十代半ばの少女に見える。確かに髪色や瞳の色は必とよく似ているし、顔立ちも似ているようには見えるが、何をどうしたら虚子が成長するというのか。


 まさか、アセナに喰われる前の陽彩のように、何らかの要因で成長したのだろうか。


 そんな一片の疑問を感じ取ったのだろう。顎に指を当てて考える素振りを見せた後、必と名乗る少女は簡単に説明した。


「これは、わたしと要が相剋の果てに、わたしが主導権を握った姿? かな。要の掲げた理想――泡沫うたかたの幻想を体現した姿、って感じ。だから本質的には要と必のどっちとも言えるし……うーん、説明がむずいからやっぱ無しで!」


 説明が面倒になったのか、必は途中でそう打ち切った。その様子もまた、一片がわずかばかりに言葉を交わした虚子の必とは異なっているように感じられる。


 虚子のときの必は、空虚さの中で感情的に振る舞うことを意図しているような少女だった。


 だが、目の前の少女は、溢れんばかりの感情のままに、気さくに明るく振る舞っている。この白銀に塗れた風景には不似合いな、満天に浮かぶ太陽のような印象を受けた。


「まぁまぁ、細かい話はやめようよ。目の前には強い敵がいて、ピンチのヒロインがいる。これはヒーローの見せ場だよ。やる気出ちゃうね」

「ヒロイン? ヒーロー?」


 一片には、必の言い回しがまるで分からない。ただ、それは必にとっては重要な意味を持つことらしい。


「一片ちゃんは、そこで休んでて。あとはわたしに任せて」

「で、でも……一人じゃ――」

「大丈夫。今のわたし、めちゃ強いから」


 言葉の終わりに、必の姿が描き消えた。そうと思えるほどの速度で地を駆け、眼前のアセナの胸倉を掴むやいなや、アセナが反撃に出るよりも早くその身体を上空へ向かって放り投げる。同時に足元に爆発を起こして空へと舞い上がり、アセナを追いかけてゆく。


 一瞬で起きたその光景を、一片はただ呆気に取られて眺めていた。動きの全てを理解できたわけでは無い。ただ、必の言うとおり、その別人のような強さに安堵を覚える。


(少し、疲れました……)


 異能の力を解放し、アセナの放った刃の拘束から逃れる。身体はすぐに崩れ落ち、地面に仰向けになって倒れた。


 空では爆発が瞬き、必とアセナが交戦しているのが見える。


「勝ってください、要さん、必ちゃん」


 何とかそう絞り出したところで、限界に達していた一片は、安心したように目を閉じた。

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