第六章 ①
「ふ、っざけんなっ!」
要たちを支援するための作戦指令室と化した病室の一角で、竜胆は怒鳴り声を上げた。
急ごしらえで準備した高性能PCの前であぐらをかいていたパソ子は、その怒声にびくっと肩を震わせる。振り返れば、あの冷静沈着に事に当たっていた竜胆が肩で息をし、行き場のない怒りに表情を歪めていた。彼女の視線は、ベッドに投げ捨てられたスマホに向けられている。
え、なに――?
困惑するパソ子をよそに、竜胆はスーツの胸ポケットから煙草を取り出した。そのまま何の躊躇も無く、火を点けて煙を深く肺に吸い込む。
いや、ここ病院で禁煙なんだけど……。
そう思いはしたが、とても口に出せる雰囲気では無かった。そんなことを言ったら最後、この部屋から叩きだされかねない。それは困る。
正直、パソ子にとっては特殊災害だとか人型虚虜だとかは特に意識を傾けるほどのことでは無かった。一般人的な目線から見て恐ろしいことだとは思うが、どこか遠くの出来事の話であり、自分が身を粉にして関わる必要性を感じていない。一応、罪に対する恩赦を受けるという建前があるにはあったが、別にそこにこだわっているわけでは無かった。
なら、彼女が何にこだわっているのか。
それは至極単純に、要が戦場にいるからだ。彼がこの特殊災害の解決のため、要本人の思惑は別としても、死力を尽くしている。それだけが、パソ子がこの場にいて、後方支援に力を尽くしている理由だ。
なのでここを追い出されるのは困る。困りはするが、非喫煙者の前で、しかも禁煙空間で何の躊躇いも無く煙草を吸い始めるのはどうなのだろう。
というか、竜胆さんって煙草吸うんだ。
意外な面持ちでパソ子が見ていると、視線に気づいた竜胆が慌てたように携帯灰皿を取り出し、くしゃくしゃと煙草の火を消した。
「す、すみません、病院ということを忘れてました」
己を恥じるその姿は、普段の竜胆そのものである。煙草を吸ってストレスを緩和できたらしい。
しかしそうなると、先ほどの怒声はなんだったのだろうか。少しだけ、気になるパソ子である。
「うんにゃ、大丈夫。それよりどうしたのー? 怒鳴ったりして」
特に深刻にならないように、雑談めかしてパソ子は尋ねてみる。
竜胆は、パソ子の問いに少しだけ答えに窮し、それから小さく息を吐いた。手持無沙汰になったのか、握ったライターを弄びながら、とつとつと語る。
「応援は出せないと言われました」
「ん?」
疲れたように零したその一言の意味を、パソ子は考える。応援というのは、望島への応援のことだろうか。確か最後に要と通信した時、竜胆に他の戦力を回してくれと言付かり、それは竜胆に伝えていた。どうやら竜胆は、要の頼みを受け、他に戦力になり得る特対官を回してもらうようにどこかに助力を乞うていたらしい。しかし、それはすげなく断られた。だからこその、ふざけんな、と言うわけだ。
「首都防衛が最優先であり、虚虜侵攻の発生源たる人型虚虜の討伐は優先すべき事柄ではあるが、その人型が姿を見せていない以上、これ以上の戦力を望島に送ることは出来ない、だそうです」
「あー、なる」
言い分にも一理ある、とパソ子は納得する。確かに望島で現在進行形で起きている特殊災害は甚大だが、実際には虚虜の侵攻は本土にもたどり着いているのだ。六年前に起きたような首都の崩壊の危機を懸念すれば、必要過多な戦力は投入できない。それでも特殊災害の発生源である人型虚虜の存在が確認されていれば別だろうが、現時点で目撃報告も無い以上、迂闊に戦力は分散できないということだ。
最悪、本土の防衛が手薄になり、首都を壊滅の危機に陥れる可能性すらある。
「巨躯型虚虜四体の出現は、人型の誘導かもしれない、と。ただ、いざってときに自分たちが責任取りたくないだけでしょうが……ッ。子供にどれだけ背負わせるんですか」
やり場のない怒りに、竜胆は震えている。きっとこの女性は、いい人なのだろう、とパソ子は感心した。そんな人間が要のそばにいることに安堵する。
「はぁ……こんなこと、パソ子さんに愚痴ってもしょうがないですよね……。それに今は、そんな時でもありませんし……。なめくんとだめちゃんが戦ってるんですから、何としてでも戦力を回してあげないと」
気持ちを切り替え、竜胆はスマホを拾って再びどこかに連絡し始める。きっと、要たちを支援できる戦力が回せるようにと方々に掛け合っているのだろう。
パソ子は、そんな竜胆を何とも言えない気持ちで眺めていた。
その真っ直ぐさに心打たれたわけでは無いが、少しだけ胸の奥が暖かくなる。
――ん? 誰だ、あんた。
ふと、薄れかけていた記憶が蘇る。その時に抱いた絶望も等しく。
あの時の絶望に比べれば、今は何と幸せなことか。こうして要の役に立てている。戦いを見守ってあげられている。彼に存在を認知されて、傍らの端っこで立つことを許されている。
彼らのために真っすぐに尽くせる竜胆が、少しだけ羨ましい。
自分はもう、本心なんて告げる資格も、勇気すらないから。
「ああ、もう分からない人ですね! ピンチなんです、世界の終わりなんです! 日本滅亡しますよいいんですかっ⁉」
それはちょっと言い過ぎでは無いだろうか。
ヒートアップした竜胆が電話越しの誰かに意味不明の妄言をまくし立てていた。
これまで何度も特殊災害の被害を被りながらも、近代において一国が滅んだ記録は無い。当たり前だ。虚虜にとって人は食物だ。自身らが飢えるほどに乱獲する生物など、唯一人間を除いて、いるはずも無い。
怒れる竜胆から視線を外し、パソ子は右耳に着けた無線機をそっと外す。
自分に何が出来るだろうか。何もできないかもしれない。だが、今は誰ともやり取りをしていないし、少しくらい持ち場を離れても許されるだろう。
立ち上がり、パソ子は病室を後にした。
戦力に心当たりがあるわけでは無いが、ただの人間じゃなければ、何か力になってくれるかもしれない。
避難勧告が出ているがゆえにすっかり人気のなくなった病院を歩き、階段を下りて待合室に向かう。大病院だけあって、待合室は広い。だが、今はがらんとしており少しばかり物寂しさを感じる。
待合室の一角に、彼女はいた。見た目相応の少女のように膝を抱え、うずくまっている。
「やっほ、センリちゃん」
あえて明るく声をかけてみる。特に面識のない相手ではあったが、自身と同じく情報屋ということで少しばかり親近感が湧いていたのだ。彼女は、情報ネットワークを駆使するパソ子と異なり、口伝の情報と未来視の異能を用いるとのことだったが。
「あんたは……パシリだっけ?」
「ちゃうわ!」
思わず関西弁が出てしまった。
ごほん、と咳払いし、パソ子はセンリの間違いを正す。
「パ、ソ、子。パソ子です。覚えて」
「ああ、そうだったわね。変な名前ね、どんな趣味よ」
うるさい、とパソ子は内心で毒づいた。これでも大切な先輩につけてもらった愛くるしくもお気に入りの愛称なのだ。
要が自分を示す記号がそれなのだ。なら、パソ子は胸を張ってそれを名乗る。
「それでパソ子さん。一体あたしになんの用?」
傷心し切った様子であるにも関わらず、態度は不敵そのものである。それがセンリという少女の在り方なのだろう。
パソ子はセンリの隣のソファに腰を下ろした。何とはなしに天井の照明を見つめながら、独り言のように呟く。
「あたしの先輩がね、結構ピンチっぽいの」
「そう……」
「それで竜胆さんが色々と手を尽くしてくれてるけど、誰も助けてくれないんだって。おかしいよね、皆のためにあの人は戦ってるのに。いつも、一人」
パソ子の声には、感情の色が無かった。淡々と事実だけを口にする。感情を乗せてしまうことを恐れていた。きっと、自制が利かなくなる。
「彼は、彼の目的のために動いてるんじゃないかしら」
「それだって……結局は……」
言いかけて、パソ子は口を噤んだ。勝手に他人の内面をさらけ出すほど、パソ子は恥知らずでは無かった。それに彼は、パソ子がそのことを知っていることすら覚えていないのだ。
「先輩の目的がなんにしろ、今、先輩はみんなのために戦ってる。それは自分のためでもあるかもしれないけど、その事実は同じだよ」
「何が言いたいのかしら?」
「そのみんなの中には、センリちゃんも、含まれてる」
照明が明るいなぁ、とどうでもいいことをパソ子は思う。眩しくて、目をそむけたくなる。
「押しつけがましいわね。彼を助けることはあたしのためになるから、あたしにも戦えって?」
パソ子の言わんとしていることを察したのだろう。センリの声にはわずかばかりの険が見え隠れしていた。
そんな感情の変化に気づきながら、パソ子は照明の眩さに目を細める。そろそろ目が痛くなってきた。
「六年前の望島大規模特殊災害――多くの人命が失われたその中には、特対官……特災解決に尽力した虚子と同調者も含まれてる。その中にいたんだよね、センリちゃんの同調者が。陽彩ちゃんと、その虚子が」
唐突に告げられたその真実に、センリは目を見開いた。まさかパソ子がそんなことまで知っているとは思いもよらなかったのだろう。だが、パソ子が情報屋であることを思い出したのか、小さくため息をつく。
「よく知っているわね。そのとおりよ」
センリは、パソ子の話した真実を認める。それは否定するようなことでは無いし、否定していいことでも無かったからだろう。
「センリちゃん、かなり優秀な特対官だったみたいだね。それに陽彩ちゃんも、将来を有望視されていたって。けど、出会った相手が悪かった。人型虚虜アセナ――その特異な振る舞いのせいか、知る人ぞ知るって程度には名の知れた危険な虚虜みたいだね」
人の心を惑わし、希望を与え、夢を見せ、導き――その最後に悉くを喰らいつくす。
それが人型虚虜アセナだ。
人の心を育てて喰らうという特殊な習性ゆえに目撃情報も多く、政府のデータベースにも情報が残っていた。要たちの支援を行うかたわら、パソ子はこっそりとそんな情報を集めていたのだ。
「優秀なんかじゃないわ。あたしが優秀なら、海彩は死ぬことは無かった。陽彩は虚子にならなかった。親を亡くして彷徨う一片ちゃんを戦いに巻き込むことは無かった。――あたしは、逃げたりなんかしなかった」
苦しい思いを、胸を引き裂くような声音でセンリは吐き出していく。
「今もそう。あたしは勇気を持てない。みんなが前を向いて戦っているのに、あたしだけは前に進めない。後ろにも戻れない。ここで、この場所で、一人で膝を抱えて怯えることしかできない」
パソ子に何かを求めているわけでは無いだろう。パソ子の言葉を引き金に、ただ胸の内をさらけ出しているに過ぎない。
「先輩を助けに行ってもらうのは……さすがに無理かぁ」
センリの独白に、パソ子は早々に諦めた。本当はセンリを何とかして奮い立たせて要の支援に向かわせられればと考えていたが、やはり人間には向き不向きがある。こういう振る舞いは、パソ子には向いていない。
彼女は情報を与えるだけだ。その取捨選択は受け取り手に任せている。何かに導くなど、性では無い。
「あたしが行っても足手まといになるだけよ。同調者もいない虚子が何かの役に立つほど、アセナは甘くない」
「まぁ、そうだよねぇ。それで勝てるなら、先輩一人で何とかするだろうし……っていうか、誰かが助けなくてもなんとかしちゃうんだろうなぁ」
その果てにまた何かを失うのだろう。
心を、記憶を、彼は削り続けるのだろう。
誰かが手を貸してあげれば、それを止めることが出来るのかもしれない。そんな希望を抱いた己を自嘲する。
何をしたって変わらない。今じゃなくても、要は身を削り続ける。
「あーあ……似合わないことした。やめやめ」
「あんた……急に人の古傷を抉っておいて、勝手に自己完結するのはやめてくれる?」
「それは悪いことをしました。でも、無茶言ったってしょうがないし、先輩は無茶ばっかりだし。あたしはなんだか久々に疲れてきちゃったよ」
「疲れたのはこっちよ。あんた、なんなのよ」
そんなもの、パソ子にだって分からない。ようやく分かりかけていたのに、失ってしまったのだ。
乾いた眼球を潤すようにぎゅっと目をつむり、それからパソ子は立ち上がった。
少しだけ何かに期待した。希望とか、そういうのに。
期待するのなんてやめたはずなのに、期待してしまった。
学習能力が無いなぁ、と自嘲する。自嘲して、自罰した。
「パソ子さん」
「ん?」
歩き去ろうとするパソ子の手を、センリが掴んで引き止めた。振り返ると、センリが顔を上げていた。その表情は恐怖で青ざめていたが、瞳には何かを覚悟した強い光が灯っている。
「あたしは、戦えない。怖くて足が震えるから。けど、それ以外で手伝えることはあるかしら?」
パソ子の手を掴むセンリの手が震えている。たったこれだけのことが、センリにとってどれほどの恐怖であるかが痛いほどに伝わってくる。彼女がアセナに与えられた傷は、想像しようも無いほどに深いのだろう。それでも前を向こうと足掻いている。
「え、無いんじゃないかな」
「あんたね……」
人の気持ちなど知りもしないで即答したパソ子に、センリは頬をひきつらせた。ここまで人の神経を逆なでする人間は彼女にとって初めてだった。
「だって、未来視なんて今さらしたところで――」
「――それはどうっすかね」
何の役に立つの、と続けようとしたパソ子の言葉は、軽薄なその声に遮られた。
パソ子とセンリが仲良く声のした方を振り返る。
そこには、軽薄な青年が小さな少女を手を重ねて立っていた。
「未来が分かれば変えることも、望んだ未来を掴むことも、出来る気がする」
「一人じゃ無理でも、みんなで力を合わせれば……きっと」
目覚めたひなみと力強く手を繋ぎ、陽介が覚悟を決めた表情でそう嘯いた。




